031.人形はまどろむ
ラビに担がれて来訪した獣人族の集落は、深い森の奥にひっそりと存在していた。
木造の簡素な家屋が点在し、中央には共同で使用する広場がある。
住民たちは私を見ると、明らかに警戒の色を浮かべた。
人族を集落に連れてくることに対して、良い感情を抱いていないのは明らかだった。
まるで汚物でも見るかのようなその目は、直視するにはあまりにも暗すぎる。
「カルラ、"また"人族を...」
「ジャクロじいさん、怪我人を見捨てるわけにはいかない。それが誰であろうと、私は助けるよ」
カルラは毅然とした態度で答えた。
背中の赤子、リリスが小さく泣き声を上げる。
「やっと静かな生活が戻ってきたと思ったのに。貴様が長でなければ...この裏切り者めがっ!!」
ジャクロと呼ばれた老人は、姿が見えなくなるまで悪態をつき続けた。
カルラはこの集落を取りまとめる立場であるらしい。
彼女が決めたことには従うしかないのだろうが、獣人族の上下関係は純粋な力でのみ決められると聞く。
集落を守る立場の者が余所者を連れ込んだとあっては、
さぞ忸怩たる想いであったに違いない。
家屋の数や気配から察するに、集落に住む獣人は百人程度かと思われる。
しかしカルラとラビ以外から好意的な目を向けられることは、残念なことに一度もなかった。
この二人、いや三人というべきか。
彼女らはこの土地に於いて、異端中の異端なのだ。
当然救われた身である以上、私から言及することは何もない。
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住人達との"素晴らしい"邂逅とは裏腹に、集落での生活は、想像以上に穏やかなものだった。
カルラとラビは献身的に私の看病をしてくれ、傷の回復も順調に進んだ。
特にカルラの第二子であるリリスは本当に愛らしく、その無邪気な笑顔に何度も心を癒された。
獣人族特有の感覚なのか、赤子にも関わらず私の魔力を敏感に察知しているようだった。
長女のラビにも、そういった様子が見て取れた。
確か、獣人に魔力適正はないはずだ。
カルラは反応しないことを見ると、幼い獣人族特有の第六感なのかもしれない。
「アリアお姉ちゃん、今日も槍の鍛錬見る?」
ラビの槍術の腕前は十歳とは思えぬ程に素晴らしく、見学させてもらうたびに感心させられた。
もう並の大人では太刀打ちできないレベルだろう。
ルゥ・ミリオン四天将あたりに指導させれば、いずれ至達と呼ばれる存在になれるだろう。
どうやら一年ほど前、この集落には――人族の少年が住んでいたようだ。
戦場で人族の赤子を見つけたカルラが連れ帰って育てたらしい。
ラビも兄のように慕っていたそうだが、私と同じく集落の住人からは良く思われていなかった。
長であるカルラの庇護下でなければ酷い迫害を受けていたに違いない。
「ラビ。あまり我儘を言っちゃダメでしょう」
「えー、でもアリアお姉ちゃんも見たいって言ってくれたもん!ね!?」
「ふふ...そうですね。では見せてもらってもいいですか?」
日々の喧騒から離れ、ラビの子供らしい反応を見ていると思わず頬が緩んでしまう。
彼女がリリスの世話を手伝う姿は、本当に微笑ましかった。
姉としての責任感と、子供らしい愛情が混在している。
カルラが褒めると、ラビは嬉しそうに笑顔を見せた。
このような平和な日常が――いつまでも続けば良いのにと思わずにはいられなかった。
その間、私は三人から多くのことを学んだ。
獣人族の文化、彼らの価値観、そして何より、種族を超えた絆の大切さを。
カルラは単なる戦士ではなく、深い慈愛に満ちた女性だった。
ラビもまた、純粋で優しい心を持った少女で、私を実の姉のように慕ってくれた。
年齢ではカルラより年上だがこの容姿では―――いや、些末な問題だろう。
二児の母である彼女は、私の二つ下らしかった。
しかし、集落の他の住民たちの視線は日を追うごとに厳しくなっていった。
人族である私への不信と敵意は根深く、表面的には平穏を装っていても内心では私の存在を快く思っていないのは明白だった。
それでも私は一ヶ月を集落で過ごし、傷も塞がった。
そろそろフェナンブルク王国への旅を再開すべき時期だと判断していた。
この双肩に乗るものが何なのか――それを想えば、これ以上の滞在は許されない。
でも、いつもそうだ。
重大な岐路に立った時、私は上手くいった試しがない。
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夕食を終え、カルラはリリスを膝の上に抱き上げ静かに授乳を始めた。
生後半年を迎えたリリスは、以前よりもふっくらとし、健康そのものといった様子だった。
母親の温かい胸に抱かれ、安らかに乳を飲む姿は、見ているだけで心が和む。
「リリスも随分大きくなりましたね。赤子の成長は本当に早いものです」
私が微笑みながら呟くと、カルラも嬉しそうに頷いた。
「心配になるくらい手のかからない子だけど、こうして健やかに育っていく様子を見ると、疲れも吹き飛ぶわね」
「このままアリアお姉ちゃんも、一緒にいればいいのに。ねえ、お母さんもそう思うでしょ?」
子供ながらに、何かを察したのかもしれない。
彼女の顔つきには、別れを惜しむ気持ちが明確に表れている。
この家族には本当に良くしてもらった。
人族の私を助け、集落の迫害から守り、献身的に看病してくれた。
この恩はいつか必ず返そう。
しかし今、私にはやらねばならないことがある。
「明日には王国への旅を再開しようと思います。長い間、本当にお世話になりました」
「...そっか。アリアお姉ちゃん"も"行っちゃうんだ」
ラビが母親に助けを求めるような目を向けたが、カルラは優しく首を振った。
「ラビ、アリアには大切な仕事があるんだよ。元気になってよかったじゃない。笑顔で見送ってあげよう」
そんな一幕を切り裂くように事件は起こった。
集落の向こうから凄まじい悲鳴が上がったのだ。
それは人の声とも、獣の声とも言えない歪んだ声。
そして何かが激しくぶつかり合う音、怒号、そして更なる悲鳴。
ただならぬ事態が発生していることは明らかだった。
とても、嫌な予感がした。




