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継承のセラ  作者: 山久 駿太郎
第一章 -友は語る-
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003.食えない生き物、木陰の観測者

彼が集落を発ってから月が何度か上った頃だっただろうか。

カルラはよく仕込んでいたものだ。


十一歳の子供が一人で森に出て、こんなに逞しく生き抜いているとは想像出来なかった。

私自身、出鼻を挫かれたと言ってもいいだろう。

手を差し伸べる予定は白紙に戻すことにした。


セラは集落を出た後も太陽が昇る前に目を覚まし、黙々と鍛錬を始める。

槍を構え――深呼吸。

基本の型をなぞった後に槍技を放つ。

風を切る音は、ただ一度――上中下段を同時に貫くその技は、カルラ直伝の奥義だった。

木々が息遣いを躊躇う程の洗練された所作は、名工が槌を振るうそれに近い。


そのカルラに教えたのは私なのだから、セラは孫弟子といったところだろうか。

感慨深い――いいものだよ、世代を越えて技が継がれていくというのは。


黒曜石の刃が朝靄を裂く。

刃が描く軌跡は、闇夜に走る稲妻にも似て――ただ、音もなく美しい。

その練達した動きは、血の滲む努力で彼が手に入れたものだ。

泣きながらカルラにしごかれ、歯を食いしばり少しずつ習得していった。

才能があったと言えば、確かにそうかもしれない。

しかしそれを磨き上げたのは彼自身であり、努力を怠ることなく日々向き合ってきたその技術は、もはや至達<アデプト>の域にも届くだろう。


武の道を極めた者は、いつからか"至達(アデプト)"と呼ばれ畏怖されるようになった。

制度のようなものがあるわけではない。

自ら喧伝して歩く訳でもない。

人はその背中を見て、憧憬と畏怖を込めて自然とそう呼ぶようになるのだ。

彼に槍を教えた師――カルラはまさにそれであったと言えるだろう。


森の奥深くで、時折聞こえる鳥の鳴き声と風の音だけが彼の孤独な旅路に寄り添っていた。

木々の間から差し込む細い朝日が、露に濡れた草葉を金色に染めている。

しかし、そんな美しい光景とは裏腹に彼の旅路は決して楽なものではなかった。


早朝の鍛錬を終えた彼は、淡々と朝食の準備を始める――ことは、なかった。


結論から言うと、セラは一日目の夜に食料を全て食べてしまったのだ。

カルラが持たせた干し肉はそれなりに量もあったが、育ち盛りの少年には微々たる量だった。

妹であるラビが拵えた革袋に手を突っ込んで、もう干し肉が無いと気づいた時の表情――

茫然自失となったセラが革袋を裏返した時には、笑いを堪えるのに苦労したものだ。


---


それからは道中に採取した木の実でなんとか凌いでいた。

毎食三粒、小指の先程度の赤い実を口にして終わる。

幸いなことに彼が彷徨う森には、雪解け水が細く引かれていた。

質素な朝食だが、贅沢は敵と昔誰かが言っていた。

人間、これくらいが丁度いいのだ――セラはそんな顔をしながら、ひとときを過ごす。


空腹に耐える意志の強さは、カルラ仕込みの精神力の現れだろう。

だが腹は正直者で、遠慮なく抗議の太鼓を打ち鳴らし続けていた。


「ふう...腹減ったな...」

人が独り言を口にするのは、不安か、高揚か、気が触れているかのどれかだ。


森の中は広大で、彼の頭の中にある漠然とした目的地は"人族の住む場所"であって、

どこにあるのか、そもそも本当にあるのかすら分からない。

そんな子供を、自然は容赦なく襲う。

雨に、風に文句を言う程、セラは愚かではなかったが、吹く風は木の枝を騒めかせ、降る雨は葉を伝って小さな雫を落とす。

まるで森全体が彼の心境を表しているかのようだった。

陰鬱とした空気は未だ払われる気配は無い。


---


日中は日の昇った方角に向かってひたすら歩き続けた。

猪の一匹でも、いや小鳥の一匹でも出くわせばよかったのだが、不自然なほどに生物と出くわさない。

足元の枯れ葉がカサカサと音を立て、時折遠くで聞こえる動物の鳴き声が、彼の孤独感を一層深めていた。

陽光が木々の隙間から差し込み、森の床に斑模様を作り出している。

美しい光景だが、空腹の彼にとってはただの景色でしかなかった。


「あとどれくらい歩けばいいんだよ...芋のスープが飲みてえ」

彼の呟きは誰に届くわけでもないが、願いは届いたのか、微かな足音。

セラは人族でありながら、獣人族に引けを取らない五感の鋭さを会得していた。


――何?彼は元々特別だったのかって?

それは違う。

まったくもって違う。

そうしなければ生き抜くことが出来なかったからさ。

カルラの訓練からね。


息をひそめ、姿勢を低くし、様子を探る。

カルラから叩き込まれた戦闘の基本が、彼の体に染み付いている。

意図的に心拍数を抑え、呼吸を浅くし、周囲の気配に神経を集中させた。


「小型から中型――警戒しながら進んでいる。賢い獣だな...一匹、二匹.....ん?」

そして気付く。

期待した獲物が食すのに適していないことに。


「あぁ...ゴブリンだこれ」

少年の声には、落胆が滲んでいた。

食えぬ獲物ほど、空腹の狩人を失望させるものはない。


遠目に確認出来たゴブリンは十匹ほどだったが、一匹だけ警戒すべき魔物がいることに彼は気づいた。

オーブを片手に携えた、ゴブリンソーサラーだ。

奴を中心にして護衛するようにゴブリンは行動していた。


私もゴブリンとは何度も対峙してきたが、あまり見たことのない光景だった。

組織行動を行うなら、ゴブリンジェネラルクラスの上位存在がいても良いはずなのだ。

セオリーに無い相手は警戒すべきということをセラは理解していた。

彼はそのまま息を殺してやり過ごす算段だったが、計画とは上手くいかないのが常である。


ゴブリンソーサラーはオーブを掲げ、何か訳の分からない呪文のような呻き声を上げた。

野兎の首を締め上げた際に上げる、絶命の叫びに似た不快極まりない音。

するとオーブから波動のようなものが広がり、次の瞬間ゴブリン達はいっせいにこちらへ向かってきた。周囲を索敵する呪術だったらしい。

彼の隠れていた茂みが、一瞬にして無意味なものとなった。


「まずいっ!」セラはすぐに立ち上がり、身構える。


飛びかかってきた一体の首を槍で切り落とす。

黒曜石の刃が緑色の血を浴び、鈍く光った。

次の一体は走ってきたところをすれ違い様に両断し、彼はすぐに身を隠した。

この程度の集団戦闘ならカルラとの訓練で学んできた――文字通り、死を身近に感じるほど。

集団戦で無謀に突っ込むほど馬鹿じゃなくてよかったよ。


仮に彼が死んでしまったとしても、私はさほど気にしなかっただろう。

しかし、友人の頼みを数日で反故にする不義理者――そんな烙印は私の望むところではない。

冷静に一体ずつ葬っていき、最後に残ったゴブリンソーサラーも、素早く懐に入って切り伏せた。

詠唱する暇を与えず、一気に間合いを詰めた彼の判断は見事だった。

ほどなくして彼は難なくその場を収めてしまった。


周囲の安全が確保されたと分かると、彼はゴブリンの荷物を漁り始めた。

少し傷んでいるがフルーツのような何かを見つけると、迷わず口にした。

こんな幸せそうな彼の顔を見るのはいつぶりだろうか。

他のゴブリンの荷物も漁っては食い物を見つけ、口にする。


そんな中で警戒を解かないのは熟練の傭兵でも困難を極める。

背後にゴブリンジェネラルが迫っているのに気付いたのは、すでに十メートル程度まで間合いを詰められた所だった。

そして取り巻きのゴブリンも五十体ほど。

その巨体から放たれる威圧感は、セラがこれまで戦った相手とは格が違った。


「斥候だったのかよっ!?くそっ!」


セラは咆哮と共に槍を構えた。

目の前に立ちはだかるゴブリンジェネラルの筋骨隆々とした体躯には、無数の戦傷が刻まれている。

手に持った巨大な戦斧が鈍い光を放っていた。

そして周囲を取り囲む五十体ものゴブリンたち。

緑色の肌に赤い瞳を光らせ、粗末な武器を手に威嚇するように唸り声を上げている。


セラは即座に後退し、木の幹を背にして迎撃態勢を取る。

集団戦の基本通り、一対一の状況を作り出すためだ。

飛び込んできた一体目を槍の間合いで迎え撃ち、黒曜石の刃が緑の血飛沫と共に首を刎ねる。

続く二体目、三体目も刹那の内に心臓を貫いた。


しかし、数の暴力は容赦なく彼を襲う。

左側面からの攻撃をかろうじて避けるも、左の脇腹を小さなナイフが掠った。

セラは痛みを堪えながら反撃し、攻撃してきたゴブリンを蹴り飛ばし、すかさず石突で頭蓋を砕く。

なんとか凌ぎ続けていたが、傷は確実に増えていった。


ゴブリンジェネラルは悠然と構えたまま、部下たちに戦わせていた。

まるで少年の実力を測っているかのように。

魔物ながらに見せる戦術家のような視線が、その冷静さが、セラの焦りを殊更に燻らせていく。

彼は意を決して攻勢に転じる――木陰を利用しながら少しずつ数を減らし、いつしかゴブリンジェネラル以外の取り巻きは指で数えられる程に減っていた。


そしてついに――ゴブリンジェネラルが動いた。

巨大な戦斧を振り上げ、地響きを立てながら突進してくる。

セラは間一髪で横に跳び、斧が地面に叩きつけられる音が森に響いた。

反撃の槍突きを放つが、ジェネラルの厚い筋肉に阻まれ、浅い傷を負わせるに留まる。


巨躯の魔物は深々と刺さった斧を抜くことなく、素早い蹴りをセラに繰り出した。

セラは槍で受け止めたが、その衝撃で数メートル吹き飛ばされた。

背中を木の幹に打ち付け、口から血を吐く。

周囲のゴブリン達も勝ち誇ったように雄叫びを上げた。

セラはふらつく足で立ち上がり、槍を握り直す。


「...来いよ」


セラの呟きが聞こえたとは思えないが、強い意志の宿る瞳に当てられたのか、ジェネラルは大きく雄たけびを上げた。

しかし突進することはなく、セラに向かって斧を投げつけた。


流れるような動作で槍を構えなおし、姿勢は低く、更に――低く。

少年は飛来した斧に向かい全力で駆けだした。

斧が近づくとセラは地面を這うように思い切り加速し、斧をくぐってジェネラルの懐に辿り着いた。


彼の背丈は百四十と数センチ、蛇が地を這うと言うにはまだ不足している。


それは一陣の風――不可視の一撃。

焦った奴の拳を最小限の動きで避け、カルラ直伝の槍技を放つ。

黒曜石の閃光は、一息の内に上中下段を同時に貫いた。

ゴブリンジェネラルは自分に何が起きたか分からないまま、首、胸、腸に空虚な穴を開けて倒れた。


残った取り巻き達は首領を失った恐怖から、蜘蛛の子を散らすように逃げ去った。

戦場には静寂が戻り、夕日が血と汗にまみれた少年を照らしていた。


正直、彼もここまでかと思ったが、長い死闘の末にセラはゴブリンジェネラルを討伐したのだ。

傍で見ていた私も胸が熱くなった。

槍の穂先が薄汚い緑の巨躯を貫いた時、童話の英雄譚を思い出したよ。


夕日を肩に背負って槍を地面に突き立てた彼はもはや一枚の絵画のようだった。


周囲のおびただしい死体の数もいい具合にアクセントになっている。

血と汗にまみれた彼の姿をカルラが見ていたら、きっと誇らしく思ったことだろう。


---


「はぁ...はぁ...やったぁ...」

「いやはや、素晴らしい戦いだったぞ少年!吾輩は感動したっ!」


その時、二メートルはあろうかという大男が声をかけてきた。

くすんで汚れた甲冑、濃紺のマント、そして巨大な斧。

挨拶をするのにヘルムを外しているところを見ると、教養はあるらしい。

その男の顔には戦士らしい傷跡がいくつも刻まれており、長年の戦歴を物語っていた。

蓄えられた黒々とした髭を()かすように、指を動かす。


しかし今の状況では、そんなことはどうでもよかった。

セラも私も、どうやら気持ちは同じだった。

「てめぇ...」セラの声は掠れていたが、もはやこの激情は止められない。


「見てたんなら――さっさと助けろよ!!」


怒り方はカルラそっくりだ。

普段は穏やかなくせに、戦いが始まると急に言葉遣いが汚くなる。

あの時の彼の言葉には、かなり感情がこもっていたなあ。

まだあの頃は彼との付き合いも短かったが、すでに私はセラと少し同調している部分があったように思う。


この戦いでかなり心の距離が近づいたように思えたよ。


なにせ――




ずっと一緒に戦っていたのだから。

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