023.幕間:シンシアの野望、仲間の想い
夕日が騎士団本部の石造りの壁を赤く染める頃、
選抜試験を終えたハイネ・フォン・ガリレイは第一訓練場から宿舎へと向かう石畳の道を歩いていた。
その足取りは軽やかで、どこか上機嫌な様子が見て取れる。
図に乗っている少年を"教育"する為に参加した小隊選抜試験だったが、
彼との出会いによって心変わりが起こったのだ――セラ・ドゥルパという、一風変わった少年に。
希望する女性騎士には、騎士団本部内に設置された宿舎を使う権利が与えられる。
ハイネもまたその一人だった。
宿舎の門を開けようとした時、ふと目線を上にやると団長執務室から漏れる明かりが目に留まった。
旧友のシンシアだろう。
ハイネは今日のことを話したくなった。
歩みは執務室へ、歩幅は大きく、昂る気持ちを胸に進む。
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重厚なドアを三回ノックし、中から聞こえる返事を待たずに入る。
「うぃー。シンシアちゃん聞いて聞いてえ」
二人の間には礼儀という概念は存在しなかった。
同時期に入り、共に戦場を駆け抜けた戦友。
シンシアは卓越した剣術で、ハイネは槍術と雷で多くの敵を屠ってきた。
軽口を聞いて執務室の奥で書類に向かっていたシンシアも顔を上げる。
深い疲労が浮かんでいた。
机の上には山のような書類が積まれており、その多くが王宮との往復書簡のようだった。
「...ご機嫌だなハイネ。今日の小隊選抜の話か?」
シンシアの声には、友人と話す気さくな雰囲気の中に僅かながらの苛立ちが混じっているように聞こえた。
ハイネは気にも留めず執務室の椅子に腰を下ろす。
「そうそう。セラくんな!なかなか面白い子やったわあ。他の三人は普通やけどね」
ハイネの報告を聞きながら、シンシアはようやく羽根ペンを置いた。
深く息を吐くと、椅子の背もたれに体を預る。
自然と眉間を抑えている仕草からは、明らかに多大な苦慮が彼女の背に圧し掛かっていることを示していた。
「...王国との調整が思うように進まない。戦時体制の強化に関して何度も上申しているのだが、国王陛下がなかなか首を縦に振ってくれないのだ」
シンシアの言葉には、深い憤りが込められていた。
ハイネも表情を引き締める。
王国の政治的な駆け引きは、前線で戦う騎士たちにとって生死に関わる問題だった。
「あのクソ女...いや失礼、国王陛下は自分の事しか考えていない。戦況が日に日に悪化しているというのに。...聞いた話では、ゴア帝国の現皇帝は知に富み、民を愛し、吾が身を切って政に尽力しているという。フェナンブルクの為――いっそ殺してしまうか。なあハイネ!」
シンシアの口調は珍しく感情的だった。
普段は決して感情を表に出さない彼女が、これほど苛立ちを見せるのは相当なことだった。
ハイネは上がり切った口角を隠すことなく愉快に聞いていたが、やがて口を開いた。
「まあまあ。"ヤドカリ王女"の方はどうなん?そろそろ即位の話でも出てはるんと違う?」
「...ヘンリエッタ様は、何も仰らない。政より、学術の方が好きらしい」
「ふうん――そない気張らはってもええことあらへんよ。上の連中はいつもそんなもんやろ。あのババアのことを考えるだけ無駄や思われへんの?ウチらは目の前の戦いに集中するのみ。ちいと頭冷やし?」
ハイネの言葉に飾り気がなかったが、シンシアはその通りだと納得してしまう。
昔からそうだ。
今も、彼女が、私と肩を並べてくれたら――どれほど頼もしいか。
戦場を軽視するわけではないが、ハイネ・フォン・ガリレイの目や耳、頭脳が欲しいと思う場面は過去に何度もあった。
「なあハイネ。そろそろお前も"星付き"の話を受け入れて、私と共に騎士団を取り仕切ってくれないか」
「パスパス!悪いけどウチは向いてへんよ。何度も言うてるやん?」
「はあ...そうか。愚痴を言っても仕方がない。それより、今日の選抜試験のことを話したいのだろう?どうだったんだ」
シンシアの問いかけに、ハイネの表情が少し明るくなった。
珍しく、彼女の目に楽しそうな光が宿っている。
「ああ、それなんやけどな。面白そうやから、そいつの小隊に入ることにしたんよ」
ハイネの端的な答えに、シンシアは眉をひそめる。
彼女が男に興味を示すというのは相当なことだった。
過去に彼女が小隊に所属した時は、例外なく問題を起こして除隊処分になっていたからだ。
「待て待て。冷やかしで選抜を見学しに行ったんじゃなかったのか?まさかお前...」
シンシアの質問に、ハイネは少し得意げな表情を見せた。
「そう!これからはセラくんがウチの大将になるわけ。」
「あの十一歳の少年の下に付くのか!?」
その名前を聞いた瞬間、シンシアの表情が大きく変わった。
驚きというよりも、困惑に近い感情が浮かんでいる。
ハイネが自ら小隊に入るだけでも驚きなのに、男の子供の下につくなど、彼女を知る人間なら誰しもが耳を疑うような事態だった。
「あの子、なかなかやりはるよ。槍の腕前は十分あるし、何より折れへん心を持っとる。ウチが模擬戦で負かしたったんやけどな?ちゃんと目の前の現実を受け入れて、糧にする気概があるんよ。魔法が使えんのが残念やね。」
ハイネの評価は珍しく好意的だった。
対照的にシンシアは深く考え込むような表情を見せる。
セラ・ドゥルパという少年については、入団時から気になっていた存在だった。
フレデリックの推薦で入団し、新進気鋭のアム・グリエ初級騎士との模擬戦で勝利を収めた少年。
しかし、それ以上に気になることがあった。
これこそが――シンシアの最も重要視する要素だったのだ。
「ハイネ、セラは入団当時魔力適正が皆無だったのだが、最近になって発現したらしい」
ハイネは目を見開いた。
後から魔力適正が発現するなど、聞いたことがない話だった。
魔力適正は生まれつき決まっているものであり、後天的に発現することはないというのが一般常識だ。
もしこれが覆ったとしたら――世界の全てが変わる。
帝国との戦争に於ける優劣に影響が出るのは当然ながら、女性優位社会という現在の秩序は再構築され、社会という名の船がどこに向かうのか誰も想像出来ないだろう。
魂が入れ替わったとでも言うのだろうか。
――いやありえない。
しかしそうでなければ何だと言うのだ。
考えるほどにシンシアの苦慮は溝を深めていく。
「...後から発現するなんてことがあるんか?そんなん、聞いたことあらへんけど。」
「デミの報告によると、雷属性の適正らしい。しかも、通常とは異なる黒い雷だそうだ。」
説明を聞きながら、ハイネは興味深そうな表情を見せた。
一方、シンシアの心の中では、別の感情が渦巻いていた。
フェナンブルク王国騎士団団長という地位にありながら、
シンシア・ルーヴェンという人間には魔力適正が――なかったのだ。
戦場では卓越した剣術と戦術眼でカバーしてきた。
しかし、魔術が主流となっている現代において大きなハンディキャップであると同時に――
深刻なコンプレックスであった。
もし、セラという少年が本当に、
後天的に魔力適正を発現させたのなら、
その方法を知ることが出来れば――自分も。
シンシアの心は、その可能性に激しく揺れ動いていた。
硬く握られた拳には、誰一人として想像出来ないほどの執心が込められている。
「なんとしてでも、その方法を聞き出さねば...」
シンシアの呟きは小さく、ハイネの耳には届かなかった。
しかし、彼女の表情には、明らかに何かを企んでいるような色が浮かんでいた。
「ハイネ、彼の成長を見守っていてくれ。そして、何か変わったことがあれば、すぐに報告するように」
「...あんまりそういうのは好かんけど、シンシアの頼みとあらばやむなしか。ただな、執着は目を曇らすで。ウチの戦友はそんな小物じゃないと信じてるけどな。」
ハイネが執務室を出ていくと、シンシアは再び書類に向かった。
魔力適正を後天的に発現させる方法。
自分の人生が大きく変わるかもしれない。
失っていた何かを取り戻せるかもしれない。
いつの間にか月が顔を出し、夜の帳が下りていた。
騎士団本部の灯りが、暗闇の中で温かく光る。
しかし騎士団団長の心は、希望と不安が入り混じった複雑な感情に支配されていた。
セラという少年が持つ秘密を、何としてでも解き明かさねばならない。
それが、彼女の新たな使命となったのだった。
ハイネの去り際に放った助言は、空しくも届いてほしい一人の心には響かなかった。
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その頃、騎士団の近くにある酒場では、選抜試験を通過した三人の騎士が夕食を共にしていた。
フォウ・グッチ、
ウィル・グッドマン、
そしてビューラ・リーである。
普段は寡黙で冷静沈着なフォウから誘いの声がかかったのは、ウィルとビューラにとって意外なことだった。
酒場の内装は質素だったが、清潔で居心地が良い。
木製のテーブルと椅子が並び、ランプの火が店内を温かく照らしている。
三人が座ったテーブルには、シチューとパン、そして麦酒が並んでいた。
「フォウさんから誘ってくれるなんて、びっくりしました!」
ビューラが恥ずかしそうに言うと、フォウは無表情のまま麦酒を口に運んだ。
彼女の表情からは、相変わらず何を考えているのか読み取ることができない。
「たまには、こういうのも悪くない。これから肩を並べて戦う仲間なのだ。少しはお互いを知っておくべきだろうと思ってな。」
フォウの答えは簡潔だったが、その声には普段よりも僅かに温かみがあった。
ウィルは嬉しそうな表情を見せながら、パンを手に取った。
男性である彼は女性騎士に声を掛けられることは今までなかった。
泥臭い戦いで笑われもしたが、選抜試験で残ったことはこれからの人生を大きく変えるだろうと、今では希望を持っている。
そして、これから肩を並べる仲間であるフォウに声を掛けてもらえたことは、ウィルにとって大きな意味を持っていたのだ。
「そうですね!同じ小隊のメンバーとして、お互いのことを知っておくのは大切ですから!」
「ふふ、ウィルさんも随分嬉しそうですね。あ!私も嬉しいですから!」
ビューラもそれに続いた。
三人はそれぞれ店員に注文し、運ばれてきた料理に手を付けた。
最初のうちは会話も少なく、フォウは相変わらず冷静沈着な態度を崩さなかった。
しかし、麦酒のジョッキが空になり、二杯目、三杯目と進むにつれて、徐々に雰囲気が変わってきた。
「このシチュー、なかなか美味しいですね」
「ああ、悪くない。騎士団の食堂よりもずっといい」
ビューラのちょっとした一言に対し、フォウの返答は食い気味だった。
ウィルはそれに気付いて、会話を広げようと試みる。
「フォウさんは、どちらの出身なんですか?」
「北の麓にある小さな村だ。語れることもあまりないな」
フォウは四杯目の麦酒を注文しながら答えた。
その頬に、僅かな赤みが差している。
濃紺の髪を短くまとめたフォウはとても凛々しく、麗人という言葉が良く似合う人物だ。
「でも、そこで剣術を学ばれたんですよね?」
ビューラの質問に、フォウは少し表情を緩めた。
「父親から教わった。基本的なことだけだがな。」
会話が続く中で、フォウの態度は確実に軟化していった。
五杯目の麦酒を飲み終える頃には、時折笑顔さえ見せるようになっていた。
「なあ、二人とも。ひとつ質問したいんだがいいだろうか」
フォウが口を開いた時、その声には普段とは明らかに違う親しみやすさがあった。
声を潜め、悪だくみでも話すかのようだ。
麦酒の力は偉大である。
すでに心の壁は存在しないようだった。
彼女の頬は明らかに赤らみ、目は虚ろになりつつある。
「何故、セラの小隊に応募したんだ?正直に言ってくれ」
フォウの質問に、ビューラとウィルは顔を見合わせていると、フォウは気に留めることなく話し続ける。
「いや待て。私から話させてくれ。頼む」
フォウは麦酒のジョッキを両手で包み込むように持ちながら、天井を見上げた。
その仕草は、普段の彼女からは想像できないほど女性らしかった。
六杯目の麦酒を思い切り喉に流し込み、フォウの言葉は次第に感情的になっていった。
「我々は日々、命を賭して戦っている。」
重たい言葉とは裏腹にフォウは少し照れたような表情を見せた。
「正直に言うと、彼は絶対いい男になると思っている。命を懸けているんだから、いい男の隣で戦いたい!...でへへ」
フォウの清々しい告白に、ビューラは目を輝かせた。
「私も!私もそう思ったんです!セラさんって、絶対かっこよくなりますよねえ!」
ビューラも既に顔が赤くなっており、興奮した様子で身を乗り出した。
ウェーブのかかった茶髪が揺れる。
実は密かに気にしている太い眉は大きく吊り上がり、拳は確たる信念と共に握られた。
「あの真剣な眼差しといったら...普通の男性とは全然違います!」
「それな!それな!」
二人の女性が盛り上がる様子をウィルは優しい顔で眺めていた。
彼も麦酒を五杯ほど飲み干しているが、酩酊とは程遠いようだ。
「僕の場合は...少し違うんです」
ウィルの声には、深い思いが込められていた。
「同じ男性として、あの子についていけば何かが変えられるかもしれないと思ったんです。今の女尊男卑の世の中を、少しでも変えたいという気持ちがあって。」
ウィルの言葉に、フォウとビューラは静かに聞き入った。
彼の声には、長年の苦悩が滲んでいる。
「息子が、いるんです。今年十歳になります。僕たち男性は、生まれた時から劣等感を植え付けられて育ちます。女性に比べて魔力適正はほとんどが皆無で、戦闘能力も劣る。社会的地位も低く、多くの場合は家事や雑用に従事することを期待される――」
ウィルは拳を握りしめた。
「でも、セラ隊長を見ていると、そんな常識を覆してくれるような気がするんです。あの子は、性別や年齢に関係なく、純粋に戦士として評価されている。そんな世界を、僕も見てみたいんです。そして願わくば、息子にはそんな世界で生きて欲しい。」
ウィルの熱い思いに、フォウとビューラは深く頷いた。
それぞれ理由は違うが、セラという少年に惹かれたという点では共通していた。
「ウィルさんの気持ち、よく分かります!」
ビューラは七杯目の麦酒を飲み干すと、思い切りジョッキをテーブルに叩きつけた。
普段からは想像出来ないほど大きな声で叫んでいる。
「私も長年、この世界の理不尽さを感じてきたんですっ!強い者が弱い者を虐げ、性別や出身で人を判断する。そんな世界に風穴を開けてやりましょうよ!!!」
「フッ...それな」
ビューラの言葉尻に余計な一言がついてしまったが、この場の皆はセラについていくことを望んだのだ。
酒の勢いもあったろうが、自分の素直な気持ちを吐露できる仲間がいるのは非常に幸せなことだろう。
三人は夜が更けるまで語り合った。
セラという少年について、そして自分たちの夢について。
酒が進むにつれて、フォウとビューラの酔いは更に深くなっていった。
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「もう私無理です...頭がくらくらする...」
「うっぷ――それな...」
フォウとビューラは机に突っ伏した。
だらしなく、無様な恰好かもしれないが、仲間のこういった一面を見れたことにウィルは喜んでいた。
「二人とも、大丈夫ですか?」
ウィルは苦笑いしながら立ち上がった。
酒に強い彼は、まだしっかりしている。
「僕が宿舎まで送りますよ」
ウィルは酩酊状態の二人を支えながら、酒場を後にした。
夜風が心地よく、三人の新しい友情を祝福しているかのようだった。
騎士団の宿舎まで二人を送り届けたウィルは、満足そうな表情で自分の家路についた。
息子が待つ、我が家へと。




