019.幕間:黒槍の少年兵
一方、ゴア帝国の首都ヴォルガンでは、ゾーイからの報告が軍上層部に届いていた。
皇宮の一室で、彼女は黒革の眼帯で左目を覆いながら、今回の作戦について説明していた。
「南部戦線における防衛は成功です。敵の補給基地を破壊し、兵糧を使用不能にすることで、戦闘継続を断念させました」
簡潔で正確な報告。
そしてそれを一日で成し遂げた。
防衛の任につき、数日の内に王国軍の攻撃があったのは目論見通りだった。
間者からの事前報告により、最善の状態で迎えた防衛戦は容易の一言だった。
ゴア帝国軍の兵士も最小限の犠牲で済み、ゾーイの功績は高く評価されている。
しかし、ゾーイは四天将だ。
敵国の雑兵に片眼をくれてやるほど、弱くはない。
左目の負傷について質問が及ぶと、室内の空気が変わった。
「バッケン四天将、左目は誰にくれてやったのですか?王国騎士の"女男"あたりでしょうか」
「敵の少年兵との戦闘に於いてです」
「...今、なんと?」
室内に微かな笑い声が響いた。
男の子供に傷を負わされたなど、軍人としては屈辱以外の何物でもない。
ゾーイの報告を疑う声も上がり始めた。
「まさか、四天将ともあろう貴公が、子供相手に苦戦されたとでも?」
「虚偽の報告をしてまで、何かの失態を隠そうとされているのではありませんか?」
将校たちの嘲笑は次第にエスカレートしていった。
笑いものでしかなかった。
バッケンは静かに耐えていたが、その表情には深い屈辱が刻まれていた。
そう――新進気鋭の四天将には、敵が絶えないのだ。
軍議は、バッケンにとって耐え難い結果に終わった。
南部戦線での戦果は正当に評価され、補給基地の破壊と敵軍の撤退という戦略目標は達成したとして功績を讃えられた。
しかし、彼女が最も重要だと考えていた少年兵についての報告は、誰一人として真剣に受け取ってくれなかった。
軍議が終わるまで室内の将校達からは、くすくすと抑えた笑い声が漏れていた。
ゾーイは拳を握りしめたが、あえて何も言えなかった。
帝国の膿とも言える老害に説明する労力が惜しい。
――そう、自分に言い聞かせた。
軍議が終わった誰もいない広い会議室の中で、彼女だけが席に座ったまま動けずにいた。
先ほどの屈辱的な体験が頭から離れない。
あの少年の存在を誰も理解してくれない。
彼がどれほど危険な存在になり得るかを、誰も分かっていない。
――すると、会議室の仰々しい扉を開け、ゾーイの知った顔が入ってきた。
他の四天将である。
彼女たちの表情は一様に申し訳なさそうで、ゾーイを見つけると急いで近づいてきた。
「ゾーイ...お疲れ様」
「先輩...いえ、ありがとうございます」
バッケンとは一番仲の良いルゥ・ミリオンが最初に声をかけた。
彼女の表情には深い心配の色が浮かんでいる。
ゾーイが四天将になる以前からよく声を掛けており、白兵戦の師でもある。
圧倒的な戦闘センスを持ちながら、彼女はとても面倒見の良い姉のような存在だった。
「あー、やっぱりいじわるされた?あのクソババアども、本当にしょうがないねぇ」
少しばかり品位に欠ける発言をしたドレッドヘアに、派手な装いの女性は、オズ・プリムウッドだ。
「すまなかったなゾーイ」
深々と頭を下げた大柄の女性は、インペリエ・アルバスト・ゴア。身長197センチメートルの筋骨隆々とした姿は、動く山のようだった。
その謝罪の言葉に、ゾーイは驚いた表情を見せる。
「インペリエ様、なぜ謝罪を...」
「軍の上層部から、我々四天将は今回の軍議に参加するなと言われていたのだ。君を一人で行かせて、助けてやれずにすまなかった」
インペリエの説明に、ゾーイは事情を理解した。
要するに、"若造に灸を据える"のが目的だったらしい。
「そうでしたか...」
ゾーイの声には、安堵と同時に深い疲労が滲んでいた。
少なくとも、仲間たちは自分を信じてくれている。
それだけで――心の重荷が少し軽くなった。
「それで、その少年兵というのは、その...本当なの?」
「ルゥ!お前まだ信じてなかったのかよ!」
ルゥの優柔不断な性格が表に出て、信じたい気持ちと疑問が入り混じった質問に、オズはすかさず反応した。背後で否定するルゥを見ながら、ゾーイは力強く答えた。
「はい。間違いありません」
「詳しく聞こうか。あたしらはその情報を知っておく必要がある」
普段は飄々としたオズが真剣な表情で言った。
四人は人目につかない場所へ移動し、バッケンは改めて詳細な報告を始めた。
セラ・ドゥルパという少年兵、黒曜石の槍、そして常軌を逸した戦闘技術。
全てを包み隠さず話した。
「黒曜石の槍...ありえるのか?。黒曜石はすごい脆いし、鉄の剣の交えただけですぐ壊れちゃうと思うけど...」
オズが呟く。
「獣人族に育てられた人族...確かに特殊な存在だな」
インペリエは深く頷いた。
彼女の長年の戦場経験からしても、そのような戦士は例の無い存在だった。
「ゾーイを白兵戦で撤退に追い込むなんて...本当にそんなことが」
ルゥが信じ難そうに呟いた。
ゾーイの師として、彼女の実力を誰よりも理解している彼女にとって、その報告は衝撃的だった。
「あの少年は...明らかに普通ではありませんでした。もし彼が生きていたなら、確実に帝国の脅威となります」
そしてバッケンの声には、切実な思いが込められていた。
左目の傷が疼くたびに、あの戦いの記憶が蘇ってくる。
「分かった。その少年については今後、”黒槍"と呼称することにしよう。一般兵士に相手をさせるにはちと重いかもしれん。複数人で対処するか、我々で抑えられるように動くぞ。...オズ、悪いがあの"女狐"にも内密に共有してくれるか」
「ん...?あーアリアちゃんね!おっけー!」
インペリエが手早く纏め、オズに指示を出す。
四天将の中で最も経験豊富な彼女の判断を、他の三人も素直に受け入れた。
「"黒槍"――まさかね」
ミリオンは誰にも聞こえない声量で呟いた。
同じ槍使い、黒曜石の槍、獣人、どうしても引っかかるものがあった。
セラ・ドゥルパという少年は、ゴア帝国軍の最高幹部である四天将たちに”黒槍"という異名で認識されることになった。
軍の上層部は彼の存在を軽視していたが、実際に戦場を知る四天将たちはその脅威を正確に理解していた。
戦争という巨大な歯車は、確実に新たな局面へと向かっていた。




