015.ゾーイ・バッケン
<<呪いの槍視点>>
ルクセン平原の戦いが激化する中、砦に残された男性騎士たちは不安と焦燥に駆られていた。
遠くから聞こえてくる戦闘音、時折上がる煙、そして風に乗って運ばれてくる血の匂い――
セラは岩石壁の見張り台で、矢筒の整理を続けながら前線の様子を見守っていた。
砦の内部は簡易的な構造になっている。
中央の広場に多数のテントが張られ、周囲を魔法で岩石の壁が囲んでいた。
風が吹き抜ける度に、テントの布が音を立てて揺れていた。
しかし――微かな異変。
獣人族の集落で培われた野生の勘が、セラに危険の接近を告げる。
鳥の鳴き声が止み、虫の音も聞こえない。
まるで捕食者の接近を感じ取った小動物たちが、息を潜めているかのようだった。
その時、砦の北側から微かな金属音――本当に僅かだが、確かに聞こえる。
セラは音の方向を注視した。
私もこの時、悪い予感がしたのだ。
『...セラ、何かが紛れ込んだようだぞ』「分かってる。」
彼は私を手に取り、見張り台から飛び降りた。
北側の食料用テントに近づいた時、布が静かに持ち上がる。
そこから現れたのは、見覚えのない鎧を身に着けた女だった。
黒い鎧に金の装飾、差し色に深紅のマント。
そして手には血の付いた剣が握られている。
恐らく――いや確実に、ゴア帝国の兵士だった。
「まさか...こんな少年が戦場にいるとは。参ったなあ、今日はツいてない」
藍色の髪を後ろで束ねたその女は、興味なさそうに溜息をついた。
背中越し見えるテントの中には、既に息絶えた男性騎士が三人倒れていた。
その中には、セラの事を案じていた三十代半ばの騎士も含まれていた。
セラが私を握る手に力が入っていく。
そしてそれは恐怖からではなく、喜びだったのが私の誤算だった。
敵を背にして、ここから逃げて欲しかったのだが――彼はやはり"カルラの子"なのだ。
「お前、敵だな」セラは黒曜石の穂先を向ける。
しかし、女は更に溜息をついて、手の甲を仰いで見せる。
「私はゴア帝国四天将、ゾーイ・バッケンだ。そこの少年、今は見逃してあげるから行きなさい。子供だし、君は男だろう。ゴア帝国の者は弱者を虐げない。」
――この女は天才だな。
こうも的確に、セラの怒天をつく言葉を選ぶとは。
「......子供とか、男とか、煩わしいんだよっ!戦士が向かい合ったなら、あとはどっちが強いか決めるだけじゃあねえか!」
バッケンと名乗った女は、血の滴る剣をゆっくりとセラに向けた。
さっきのあきれ顔はなりを潜め、表情は氷のように冷たい。
それと同時に、感じ取れる”憂慮"の二文字――この女、割とまともらしい。
戦争に当てられた者の中には、命を奪う事に快楽を覚えてしまう者もいれば、逆に何も感じなくなってしまった者も少なくない。
この女は自分がこれから行うことを背負う覚悟があるからこそ、あんな表情をしたのではないだろうか。
「...分かった。君の覚悟は理解したよ。すまなかったね、少年。」
バッケンは軽く息を吸うと、詠唱を始めた。
「水よ、湧き出よ。水弾術<アクアショット>」
バッケンから放たれた水弾は、通常の魔法とは明らかに異なっていた。
本来拳大であるはずの水の塊は、指先ほどの大きさに圧縮され――
空気を切り裂きながらセラに向かって飛翔する。
常軌を逸したその速度と密度。
直撃すれば鎧でも紙のように貫通する威力。
セラは咄嗟に槍を水平に構え―――こともなく切っ先で水弾の軌道を変えた。
圧縮された水の塊は背後のテントを貫通し、岩壁に穴を開ける。
正直に言うが、常人が出来る技ではない――神業だ。
「む...偶然か?」バッケンの表情が曇る。間髪いれずに次の詠唱に入る。
「凍てつく鋼は北からの使者。氷刃斬<アイスブレード>」
今度は五本の鋭い氷の刃がセラに向かって飛翔した。
氷の刃は薄く、鋭く、まるで名工が鍛えた業物のような美しさ。
セラは槍を縦横無尽に振るい、次々と氷刃を叩き落とす。
氷の破片が砂埃と共に舞い散り、テントの布を切り裂いていく。
全ての氷刃をしのいだセラは、元の姿勢に戻った。
疑念は、確信へ――バッケンは声を荒げた。
「馬鹿なっ!"至達"だとでも言うのか!」
バッケンの表情は険しいものとなった。
セラの動きは、明らかに素人のそれではない。
バッケンの魔法の練度は申し分なかった。
それを、ここまで的確に対処する戦士はそう出会えるものではない。
全盛期のカルラなら、難なくこなしただろうが――彼はまだ子供だった。
セラは反撃に転じた。
姿勢は低いままバッケンに向かって風のように突進する。
バッケンは咄嗟に剣で受け止めた。
刃がぶつかりあつ鋭い音が、火花が、砦内を灰色に彩る。
衝撃で周囲のテントが揺れ、他の騎士達が異変に気付き始めた。
しかし、セラの攻撃はそれで終わりではなかった。
槍を引き戻すと同時に、石突で地面を突き――体を浮上させながら回し蹴りと横薙ぎを同時に行う。
バッケンは大きく上体を反らしてそれを避けたが、槍先が彼女の頬を僅かに掠めた。
一筋の血が流れ、バッケンの表情が一層厳しくなった。
目をひそめ、深く息を吸う。
彼女は一瞬で落ち着きを取り戻した。
そこは流石に四天将というべきだな。
セラに対する評価をすぐに修正し――脅威として再認識した。
「少年。名を、聞かせてくれ」
「獣人族カルラの子、セラ・ドゥルパだ!」
バッケンは剣を構え直した。
両者は動かない。
静かに、しかし確実に空気が張り詰めていった。
刹那、バッケンは突進し上段から剣を振る。
美しくも残酷な剣筋は、確実に敵の息の根を止める一撃。
セラは最小限の動きで避ける。
しかし同時にバッケンは呪文を詠唱していたのだ。
「氷刃斬<アイスブレード>!」
飛翔する氷の刃と鋼の剣の波状攻撃に、セラはかなり苦戦した。
バッケンの剣を振った後の隙を完璧なタイミングで氷の刃がカバーした。
一連の攻撃により、セラはわき腹に斬撃を受けた。
流れ出る血は多く、長引けば敗北が待ち受けていると分かるほどに――致命的な、傷だったのだ。
セラは飛びのいて距離をとったが、バッケンはさらに距離を詰める。
地面に刺さったままの氷刃を素早く引き抜き、両手に構えた剣は更なる変則攻撃を生み出していく。
槍と体さばきでかろうじて避けつつ、崩された態勢から突き出された槍は、バッケンの左目に深く刺さった。
「ぐうっ!貴様っ!」
互いに重傷を負ったセラとバッケンは、息が荒くなりながらも目前の強敵から目を逸らさない。
バッケンは戦慄した事だろう。
この少年が今後どれほど成長するのか。
もし生かしておけば、将来大きな脅威となるのは間違いない。
「君は...”ダメ"だな」
もはや憐憫もない。
油断もない。
氷の刃に宿るのは、ただ純粋な殺意のみ――
「君はここで殺さないとダメだ。危険すぎる」
ゾーイ・バッケンに、もう躊躇いはない。
長期戦を想定した平原の戦いは、早くも佳境を迎えていたのだった。




