哲学の道・結「初恋は桜が散るように」
高校卒業後の春休み。日常を取り戻した観光客でごった返す京都で、春先には一番混んでいると言ってもおかしくない哲学の道。哲学者たちが歩いたという石畳の小道は、淡いピンクで埋め尽くされていた。川沿いの小道に並ぶ桜の枝が、淡いピンクの天井を作っている。風が吹くたびに花弁が舞い、道の上にゆっくりと降り積もっていった。疏水の水面も桜の花弁が染め上げている。
「うわ……桜すげえ。これは写真じゃなくて動画を撮らないと!」
「おい、綿貫! 歩くの遅せえよ。京大生ならもっとシャキシャキ歩け!」
清水 拓也が綿貫 蓮に呼びかける。蓮は勉強漬けと航一の病気の心配で頰がこけ、少し瘦せ細った体で、仲間たちから少し遅れてしまったのを友人達に詫びながら追いついた。
京都大学に合格したのは蓮ただ一人だった。 中島 航一は惜しくも落ち、両親の母校である同志社大学へ進むことになった。清水 拓也は大阪大学、広瀬 昴晴と高木 壮真は立命館大学。それぞれの道が今日を最後に別れていく。
「バラバラになるけど、友情は不滅だからな!」
拓也が拳を突き上げ、明るく宣言した。昴晴が「当たり前だろ。」と笑い、壮真が「ずっとLINEするぞ!」と頷く。航一も静かに微笑みながら、「……そうだな。」と小さく応えた。その声は病み上がりの体でも、いつものように優しかった。
その瞬間、強い風が吹いた。 桜吹雪が一斉に舞い上がり、道全体が淡いピンクの渦となった。周囲の観光客から「わあっ!」という感嘆の声が上がる。花弁はまるで雪のように舞い、疏水の水面に落ちてはまた舞い上がり、哲学の道を幻想的な舞台に変えた。
「綺麗だな……高校生という青春時代に出会えた奇跡に、友情に、感謝!」
「最高の仲間だったよな。」
「これからも、たまに集まろうぜ。」
「夏休みにまたみんなで集まらないか。」
「……………」
壮真がしみじみと言い、昴晴が目を細めた。拓也が相槌を打ち笑う。航一は星型のキーホルダーを指先でそっと撫で、逸る気持ちからなのか、夏休みの予定を提案した。
蓮は無言で散っていく桜の花弁をじっと見つめていた。――初恋。ずっと抱えてきた気持ち。それは多分もう終わる。桜吹雪が舞う光景をじっと見つめていると、初恋をきれいに終わらせてあげたい航一の気持ちに気付いた。ずっと前から傍で航一を見ていたから知っていたハズなのに、今になってようやく気付くだなんて。航一は最初から恋愛よりも大切なものがあると貫いていた。勉強は出来ても他人の心の機微までわからない、勉強では教えてくれない恋愛の仕方なんて、蓮には今までずっとわからなかった。
航一の教師になる夢、教育の現場を変えたいという想い。生徒たちの心に寄り添う教育者になりたい。そんな夢を持っているから、好きだと告白した蓮にも寄り添ってくれた航一。蓮を傷つけたくないから、言葉で「好きだ」とも「嫌いだ」とも一度も言わず曖昧に浮かせたまま。でも、友達としてずっと笑顔を返してくれていた。ちょこちょこと態度で優しさを示し、心を傷つけないよう、そっと傍で寄り添ってくれていた航一。
その優しさが蓮には痛かった。胸の奥が熱くなり涙が自然と溢れて頰を伝う。
「うわ、綿貫、泣いてるぞ!」
「ほらほら、綿貫。未来の京大生が泣き虫じゃ格好悪いって!」
「わたぬ~、感極まって泣くなよ、またいつでも集まろうぜ。」
拓也が茶化し、昴晴が蓮の肩を叩く。壮真が蓮を励まそうと声を掛けたが、何かを思いついたように、蓮の後ろへとこっそりと移動した。航一は無言でポケットからハンカチを取り出し、蓮に差し出した。白い布地に微かな金木犀の香りが残っていた気がした。蓮はそれを受け取り涙を拭いながら小さく頷くと、話題を変えるかのように情報通の拓也がにやりと笑った。
「そういや、哲学の道の近くにドイツパンの店があってさ。壮真が好きそうな『シュヴァルツヴェルダー キルシュシュニット』っていうのを売ってるらしいぞ。ほら、復唱してみろよ、蓮!」
「へっ…しゅ……しゅわ……えっと、しゅべるちゅ……ひゃはっ!?」
急に拓也に復唱を要求された蓮が、悪戦苦闘で舌を噛みそうになりながら何度もつっかえていると、壮真が意地悪な顔で絶妙なタイミングを見計らったかのように、蓮の脇腹をコチョコチョとくすぐった。蓮は変な声を出して飛び上がり涙が一瞬で引っ込んだ。
「わたぬー、クリスマス・プレゼントの時のお返しだ!」
「ハハハッ!! めっちゃツボに入ったわ!」
「……ぐぅ~! みんなして未来の京大生様を馬鹿にするんじゃねーし! 学歴マウント取ってやるからな!」
昴晴が大笑いし、蓮は顔を真っ赤にしてムキになって言い返した。その瞬間、一枚の桜の花弁がフワリと蓮の頭の上に舞い降りた。ピタリと乗ったまま、まるで「まだまだお子様だな」とからかうように。航一が小さく笑い、そっと手を伸ばしてその花弁を取った。
「相も変わらず、まだまだお子様だな、蓮。」
その笑顔はいつものクールな横顔ではなく、春の陽射しのように温かかった。蓮の胸が痛いほどに締め付けられる。初恋は叶わなかった。けれど、この「痛み」を忘れたくないと言ったあの日の決意に嘘は無い。蓮は散りゆく桜を踏みしめて、新しい一歩を踏み出した。
遠くの桜の木陰で、老女と黒猫が静かに蓮を見つめていた。老女――クロミツ婆ちゃんは、藍色の着物の袖を風に揺らしながら優しく微笑んだ。
「不器用な子だねえ……でも、もう見守るのも終わりだね。」
「にゃ~?」
「大人になったんだから。あとは自分の道をちゃんと歩いていけるよ。」
桜吹雪はまだ舞い続けていた。散っていく花弁の向こうに、みんなの未来が別々の空の下で輝き始めていた。厳しくも理不尽な、それでも美しい明日が、それぞれの道へと続いている。
この物語はここで完結です。ここまで読んでいただいて、ありがとうございました。この小説では書ききれないほどの素晴らしい景色が、京都には数多く存在するので、ぜひ一度皆様訪れてみてください。また、この小説は最近SNSで炎上した某BL作品に関して思う所があったので、しばらくしたら「小説家になろう」→「ムーンライトノベルズ」に移動させる予定です。




