8.ささやかな協力関係
シリルの視線の先で、触手を切り上げた少女の長剣がひるがえる。足元に迫る影へと刃を叩き落とし、横合いから振るわれた新手を反対方向へ跳び下がりながら払いのける。少女は着地時の体勢からさらに姿勢を低く構えると、触手達の間隙へと向かって矢のごとく突き進んだ。
地面を叩きつけた触手を逆に少女が踏みつけて、それを足場にして空中へと躍り出る。少女を直接狙った一撃が紙一重で空を切り、本体の防御ががら空きとなった。身軽という言葉では済まない、少女の圧倒的な機動力に翻弄され、異形は対処が遅れているようにも見えた。
一直線に宙を舞う少女が長剣を大上段に構え、落下の勢いを乗せながら着地と同時に剣を振り抜く。異形の左肩を斜めに切り裂いた刃は、しかし身体の中心部に達した途端に、甲高い金属音を立てて派手に折れた。
「――ちっ!」
舌打ちした少女が異形から飛び退く。極端に下がり過ぎず、仕切り直せる程度の間合いを保って地面に足を着けたとき、着地の瞬間を狙いすましていた触手達が振り下ろされる。
シリルはそれを見逃さなかった。
「“水よ 六つの刃 流れを鎮め 凍る槍となり 貫け”!」
襲い来る触手を氷槍が一つ残らず撃ち落とす。ようやく少女の背中に追いついたシリルは、間髪入れずに詠唱を続ける。
「――“水の精霊達よ 集い 流れを鎮め給え 蒼き欠片 一つの結晶となり 我が身を守りし楯を掲げ給え”!!」
少女の前に飛び出たシリルが、青白い魔法陣を空に掲げる。氷の防壁が魔法陣を中心に勢いよく広がり始め、シリルと少女を冷気が包み込む。防壁は一瞬の間に二人の前面と側面を覆う、巨大な半円状の形となって顕現した。
「これなら、持ちこたえ……」
眩暈と吐き気が押し寄せてシリルは片膝をつく。範囲も強度も普段とは比較にならない大規模な防壁の形成するため、瞬間的に大量の魔力を消費したのが相当な負担になったらしい。
鋭利な空気が肌を突き刺し、荒い息が白く凍えるほどに冷え切った空間にありながら、シリルの身体は熱病に侵されたように煮えたぎっていた。
「あなたは、どうしてここに!?」
多分の驚きとわずかな怒りに滲んだ少女の声を背後にシリルが立ち上がる。
「……聞いてくれ。あいつはただ斬っても意味がない。身体の中心に、君が今斬りつけたところに水晶のような核がある。それを魔法で破壊するんだ」
困惑気味な声色で少女が言う。
「逃げろって言ったのに、それを言うために戻って来たの?」
「ごめん。だけど闇雲に戦っても勝ち目はない、それだけでも伝えないとって思ったんだ」
少女は折れた長剣を苦々しそうに見下ろした。
「そう、そういうことね……。それならあとは私がやるから、あなたは――」
「いや、俺も一緒に戦う」
シリルが少女に振り返って言った。少女の鋭利で青い瞳が揺らいだと思えば、一層鋭い眼差しとなってシリルを射抜く。
「馬鹿なことを言わないで。そんなぼろぼろの身体で何ができるの? 私だけで十分よ」
「これでも魔力はまだ余裕があるし、身体もどうにか動くから問題ない。なら、一人で戦うより二人で戦った方が勝算は高いだろ?」
少女の足が一歩、後ろへと下がる。
「……何が目的なの?」
たじろぐ少女をシリルは見据えた。
「目的も何も、あいつを倒したいだけだ。それに……」
あの異形こそが今回の行方不明事件の元凶である可能性は高い。これ以上の犠牲を出さないためにも、ここで絶対に決着をつける必要があるのは事実だ。
しかしシリルの脳裏を真っ先によぎったのは、さっきまで異形を猛然と攻め立てていた少女の姿だった。
「……君の戦い方は、どこか危なかしい感じがする」
最初こそ人並外れた身体能力を前に錯覚していたが、改めて振り返ってみると少女の戦い方は自分の身を顧みないほどに激しく攻撃的なもの――シリルから見ると無謀極まりない戦い方にしか思えなかった。
何か一つでも歯車が狂えば簡単に砕け散ってしまう、薄氷を踏むような少女の姿を見て、このままでは取り返しのつかないことになるかもしれないと、シリルは湧き上がる不安を抑えきれずにいた。
「余計なお世話よ。それに、見ず知らずの他人を信用しろというの?」
シリルの視線から逃げるように少女は目を逸らした。
「少なくとも俺は信じている。君は見ず知らずの俺を助けてくれたんだからな。こっちが信じる理由はそれで十分だ」
「それとこれは別よ……けど……」
少女の語気が弱くなる。そして何も言えないまま、少女はばつが悪そうに目を伏せた。
「確かにこの状況で他人を信じられないのは仕方がないし、無理に信じろとも言わない。それでもせめてここは協力してくれないか? それが確実だし……時間もない」
氷の防壁を殴りつける音が先ほどから絶え間なく続いている。地響きのような重たい音が鳴るたびに、小さな氷の結晶がぱらぱらと降ってくる。規格外の規模と防御力を持つ楯はすべての攻撃を受け止めながらも、ところどころが大きくひび割れていた。
短い沈黙を経て、少女は観念した様子でため息をついた。
「…………そこまで言うなら協力する。でもあいつを倒すのは私にまかせて。どのみちその身体じゃ接近戦は難しいでしょうし、あなたはあいつの動きを封じるのに専念してくれればいい」
少女に言われるまでもなく、今のシリルには白兵戦を挑むだけの余力は残されていない。しかし仮に少女が魔法を使えないなら、無理をしてでも攻撃役を引き受ける必要がある。
「攻撃魔法は使えるのか? あれは剣は通っても魔法に対する防御力は桁が違う、完全詠唱の火の騎槍を平然と防ぐような化物だ。生半可な攻撃だと効果がないぞ」
シリルの杞憂をよそに少女はあっさりと言う。
「使えるわ。倒す手段もあるから心配しないで。もう一度あいつに近づけたら、今度こそ確実に仕留める」
目を細めた少女の白い手が長剣の腹を撫でる。綺麗に折れた刃は元の二割も残っておらず、武器としての機能を失っているように見えた。
シリルは短剣を回して刃をつかみ、少女に差し出した。
「武器が無いのなら使ってくれ。根本だけの剣よりはマシだろう」
短剣を一瞥した少女は、にべもなく言った。
「これだけあれば十分よ。それよりあなたのほうこそ、協力なんて言い出すくらいだから、そっちもなにか手があるんでしょ?」
もちろん、とシリルは首を縦に振った。
「……と言いたいところだが、所詮は氷の騎槍を使った応用術だ。全力は尽くすけど、完全に動きを止めるのは難しいと思ってくれ」
シリルとて本当なら断言したかったが、確実な方法など存在しないのが現状だ。
最初のように手数で抑え込むのは人手が足りずに不可能。しかも通常の攻撃魔法だと怯ませるのが精一杯で、防壁術を使って閉じ込めるのは時間がかかり過ぎて現実的ではない。
大きな時間を必要とせず、かつ攻撃後も一定の行動を阻害できる、不確かな選択肢の中で最も可能性が高い手段を取るしかなかった。
「不確実でもかまわないわ。さっきも言ったけど、あなたはあいつを止めることに集中して。私のことは気にしなくていい。……それにしても、さすがに長話が過ぎたようね」
少女の視線につられてシリルは防壁の天井部を見上げる。真っ白な楯には深々とした亀裂が無数に走っていて、いつ崩れてきてもおかしくない様相となっていた。
「防壁術を解除したら俺は奴に向かって突っ込む。突っ込んで動きを止めて、可能なら君を援護する。あとのことは頼んだ」
「……気にしなくていいって言ったでしょ。私は私のやるべきことをやる。だから、あなたもそうしてくれればいいわ」
少女は素っ気なく言ってシリルから離れる。防壁が消えた瞬間に何が襲ってくるかわからない以上は、互いに距離を取った方がいい。シリルは防壁に近づくと、霜が降りた氷の表面に手を触れる。
少女に目配せをしたシリルは、凍える手の平に神経を集中させて、解除の呪文を唱えた。
「行くぞ――“水の精霊達よ 在るべきところへ 還り給え”」
魔法陣が消失し、間を置かずして氷の防壁が粉々に崩れ散る。月夜に輝く氷の結晶が風に舞い、塵となって飛んでいく。
シリルは解除と同時に走り出すと氷槍を空に放つ。しかし触手が来ることを見越して撃たれた六つの氷槍は、シリルの予想に反してほとんどが空を切った。
攻撃を外したわけではなかった。触手のほぼすべてがシリルと別方向から突撃した少女に向いており、シリルを狙う触手の数が極端に少ないだけだった。
瞬発力の違いから先陣を切った少女であったが、触手の猛攻によって瞬く間に行く手を遮られて、早くも後退を強いられている。その執拗さを見る限り、異形が少女のことを相当の脅威とみなしているのは間違いなかった。
後退とはいっても苦戦しているようには見えず、少女は攻めあぐねているというよりも、一歩引いた距離から無理せずに機会をうかがっているような立ち回りをしている。
そして少女の側に触手が集中しているのなら、一方のシリルが異形の本体に接近するのは簡単だった。もとより大した距離でもない。二度目の氷槍を撃つまでもなく、すでに騎槍の間合いに入っていた。
「“水の精霊達よ 集い 流れを鎮め給え 凍土の騎士達よ――」
詠唱しながらシリルは短剣を逆手に構え、魔法陣を乗せた右手で強く握りながら姿勢を低く落とすと、身体が地面を擦るほどの勢いで異形の足元へと跳んだ。
「――凍てる騎槍 蒼き三十六の刃を以て 我が敵を穿ち貫き給え”!」
触手が髪を掠める。シリルは短剣を振り上げ、異形の足先近くへと振り下ろす。割れた石畳の隙間に滑り込んだ刃は、まるで一本の楔のように地面に打ち込まれた。
短剣を起点に青白い円形の光が地面を走った。異形の姿を収めてもなお余りある巨大な魔法陣がその足元に浮かび、地面と対になるような形でもう一つの魔法陣が空中へと刻まれる。
身を起こしたシリルが、今度は光の外側へと逃げるように身体を投げ出す。
異形の輪郭が光に照らされ浮かび上がった途端、両方の魔法陣から幾数もの巨大な氷柱が突き出す。鋭利な騎槍の群れが異形とその周囲すべてをまとめて刺し貫き、穂先を空に掲げるか、あるいは地面深くへと突き立たせていた。
異形は足元と頭上から、合わせて三十六本の騎槍に空間ごと噛みつかれるような格好となった。四方八方を騎槍に挟み込まれた触手は行き場を大幅に失って無力化するか、あるいは単調な動きしか取れなくなっていた。
騎槍の強度を最大限まで確保したことで手応えは十分だったが、やはり本体には致命傷を与えられず、ほぼ想定通りとはいえ抑え込めに成功した触手はおよそ半分ほど。
それでも脅威が半減した今が攻め時であることに変わりはない。シリルは追撃するべく詠唱を始めようとして――。
「――――っ!?」
これまでで一番強烈な嘔吐感と倦怠感に襲われ、その場に膝から崩れ落ちた。
心臓が激しく鼓動して息が詰まる。目の前の光景が歪んで霞がかかる。こらえきれずに吐瀉物を地面に吐き出して、シリルは己の身体がとっくに限界を超えていることを悟った。
燃料はとっくに尽き果てており、胸の奥に灯るのはわずかな残り火だけで、今はそれが消え去るまでの猶予期間でしかない。もはや気合と気力で誤魔化せるような段階ではなくなっていた。
魔力だけはいまだに余裕があるが、身体が魔法を行使するのを拒んでいる。使えても小規模の魔法を一、二回発動できるかどうか。これでは戦いどころか、自分の身を守ることすらも怪しい状況にシリルは陥っていた。
しかし最初からそれを見抜いていたのか、それとも脅威と見なさなくなったのか、動けないシリルに対する異形の攻撃は非常に手緩く、不自由な触手一本を使ってシリルを牽制するだけにとどまっている。異形はそれ以外の触手をすべて少女へ差し向け、接近の阻止に全力を挙げているようだった。
シリルには触手一本を突破する余力すらない。ましてや少女への援護射撃など到底不可能であり、今となっては歯がゆい思いをしながら彼女の行く末を祈るしかなかった。
少女は異形の側面から勢いよく突貫してきていた。武器がないのが影響しているのか、一直線とはいかないものの素早く着実に距離を詰めている。
半分に減った触手が時には薙ぎ払い、時には牽制を混ぜ込んで四方から振り下ろされる。触手は巧みに回避する少女を捉えられず、土煙が煙幕のように高く巻き上がっていた。
――その煙幕の内側、妨害の限りを尽くす触手達とは離れた位置で不自然に漂う触手を見つけたシリルは、背筋がにわかに凍りついていくのを感じた。




