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そして魔女は造られた  作者: 狐花
一章 吸血鬼騒動
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7.月下の少女


 シリルは耐えがたい睡魔と気怠さを振り払って重たい目蓋を開け、顔を地面から持ち上げた。


 その間にも彼の体温は上がり続けて、今や明らかな高熱に蝕まれつつある。眩暈で歪んだ異形の姿が近づいてきても、ただそれを見ているしかなかった。


 異形が緩慢な足取りで迫っている。湿った足音が鳴るたびに、恐怖感とも嫌悪感ともつかない悪寒が走って肌が鳥肌立つ。


 ほどなくして影絵のように黒い異形の姿が、地面に伏せたシリルを見下ろしていた。


 とどめを刺されるかと身構えたシリルの予想に反して、異形は複数の触手を使ってシリルの身体を持ち上げ始めた。


 異形の触手が全身に絡みつき、そのままゆっくりと空中へ縛り上げられる。べたりとまとわりつくような、気味の悪い感触にぞっと全身が総毛立つ。熱による発汗とは別に、じわりと冷や汗がにじみ出してくる。


 その強烈な恐怖感に身震いはしたが、手足の動きを奪われるほどではない。むしろシリルの抵抗の意思を妨害しているのは、彼の身にのしかかるひどい倦怠感と高熱の方だった。


 そして一切の動きを封じられた絶体絶命の状態にあるなかで、シリルは冷静に状況を把握しようと努めていた。


 異形はシリルを吊り上げて、やがて彼の方が異形を見下ろすような形になった。それでも特に何かをされるわけでもなく、シリルはただプラプラと空中を漂っている。


 シリルが真っ先に危惧していたのは有無を言わさずとどめを刺されることだった。身体に力が戻りつつあると言っても、現状は万全どころか及第点にも程遠い。先ほどまでの容赦ない攻撃に曝されていたら、ろくな抵抗もできなかったのは間違いないだろう。


 目的があってのことなのか、ただ弄んでいるだけなのか。異形が何を企んでいるのかはわからないが、いずれにしてもこのまま拘束され続けられるのであれば好都合だった。


 異形がすぐそばにいる以上、難しく考える必要もない。声が出て手も動くのだから火の切断術で触手を切り落とし、異形の動きを抑えたうえで、ゼロ距離から火の騎槍(ランス)を最低でも二発連続で撃ち込むだけだ。


 ……問題は本当にそれができるかどうか。例え万全の状態でも分の悪い賭けにしかならない行いだ。まして愚鈍な身体では良くて相打ち、ほとんどの確率で無駄死になる恐れが高い。


 動きを抑えるにしても確実な手段がない。あるいは氷の騎槍を応用すれば不可能ではないかもしれないが、それも不確実なうえにどこまで通用するか不明だった。


 思考に詰まったシリルは不意に、自分を縛っている触手に目が向いた。


 触手から滴り落ちる液体に見えていたそれは、意外にも液体そのものではなかった。現に服装はまったく濡れておらず、肌に直接触れている個所も湿り気の一つと感じられない。


 にもかかわらず、触手と異形の本体からは、まるで液体が蒸発したように黒くて薄い蒸気が上っている。


 その様子を見て、ふとある可能性がシリルの頭をよぎった。


 シリル達は当初、異形の杭も触手もなんらかの形で魔法を行使した結果、魔力によって形造られ、顕現したものだと思っていた。


 しかしそれが間違いなのだとしたら。杭も触手も……もしかしたら異形の本体も、魔力で顕現した物体ではなく、魔力そのものではないのかと、シリルは思い始めていた。


 確証はない。けれどもし本当に魔力そのものなら、話は少し変わってくる。


 魔力で顕現した物体に、魔力で直接干渉することはできない。例えば氷の防壁に手を置いて火の防壁術を唱えたところで、氷を火に描き変えることはできない。


 だがこれが魔力そのもので形造られたモノなら、干渉の余地があってもおかしくはない……。


 そこまで考えが至ったとき、不意に触手が動いて異形の方へと身体が引っ張られた。みるみるうちに距離が縮まって、もはや互いの間には目と鼻の先程度の空間しかない。


 異形は宙に浮いたシリルの顔をじっと見つめていた。顔も表情もない、口元だけがぱっくりと割れた奇怪な相貌が左右に揺れている。何をするでもなく、ただシリルの顔立ちを嘗め回すように見つめている。


 耐え難い恐怖と嫌悪感に目を閉じずにはいられなかった。この行動にどんな意図があるのかはわからない。しかし異形に最接近している今が最大の好機であるに違いない。


 シリルは大きく息を吸って吐き出した。右手に意識を集中させて目を開き、呪文を唱えるべく口を動かそうとした、まさにその時だった。


 ――――グオオオオォォオオォオォオオオオォォォオオオオォォ……!!


 異形が空に向かって咆哮した。


 耳をつんざく、獣のような雄たけびが周囲に響き渡る。


 地を這うような、くぐもった叫びを聞いてシリルはより一層のおぞましさを覚える一方で、それ以上に異形の不可解極まる行動を目の当たりにして呆気にとられるしかなかった。


 異形の本体が頭部をそらしてもがき苦しみ、触手は空中を激しく右往左往したり、あるものは地面に落ちてのたうち回っている。


 咆哮が収まっても異形の様子は変わらない。それどころか時間が経つにつれて、異形と触手の動きがだんだんと大きくなる。


 それはシリルを縛っている触手も例外ではなかった。だが何回か空中を振り回されるうちに触手の拘束がすっかり緩み、するりと抜け落ちて地面に落下した。高さがほとんどなかったこともあって、背中を軽く打ち付けるだけで済んだのも幸運だった。


 暴れ狂う異形の動きを見極めようとシリルは空を見やる。


 その視線の先に見えた光景に思わず目を見開いて、はっと息をのんだ。


 異形の背後、その奥にそびえ立つ廃屋敷。異形との死闘おいてはただの背景に過ぎなかった屋敷の頂上に、尖塔の上に誰かが立っている。


「誰……だ……?」


 シリルが無意識に呟くと、その問いに答えるかのように塔の上の人影が空高く跳躍した。


 弧を描いて夜空に跳び上がった人影が、シリルのいる方に向かってまっすぐ落ちてくる。上弦が欠けた月を縦に割り、その逆光に塗りつぶされた輪郭が次第に大きくなる。


 そして人影の姿かたちが鮮明に映りかけたその刹那、月の光にきらめく白刃が一閃し、異形の胴体を腰から真っ二つに切り裂いた。寸断された下半身が崩れ落ちて、暗闇に消え失せた。


 剣の主がシリルの目の前へと軽やかに降り立つ。月明りを背負って屹立するその人物は――はたして少女であった。


 白磁を思わせる透き通った肌と、人形のように整った端正な顔立ち。風に吹き揺れる長い銀髪に、薄闇にあってもなお目を引く鮮やかな碧眼。


 モノトーンの衣装を身に纏い、小柄な体躯に不釣り合いな長剣を鞘に納めながら、鋭くもどこか虚ろげな瞳でシリルを見下ろしている。


 絵画の世界から現れたような、この異様な空間には似つかわしくない存在を前にして、シリルは息をのんで呆然と少女を見つめていた。


「まだ、死んでいないようね」


 よく通る、物憂げな声色で少女が言う。シリルはそれが自分に向けられた言葉だと理解するのに少し時間がかかった。


「君は……一体……」


 少女に問いかけようとしてシリルは我に返る。突然の乱入者に気を取られて、意識の外に追い出されていた今の状況を思い出す。 


 気がつけば少女の後ろで、彼女によって一刀のもとに斬り捨てられたはずの異形が、何事もなかったかのように立ち上がっていた。


「――っ! 後ろだっ!」


 シリルの叫び声に反応した少女が背後を振り返り、表情が険しくなる。複数の触手を振り被る異形を目にした少女は、倒れているシリルの身体を素早く抱きかかえると、あろうことかそのまま大きく地面から飛び退いた。


「え?――って、うわっ!」


 シリルの視界が宙に浮いた直後に触手が地面を打つ。


 突然の浮遊感と、いとも容易く身体を持ち上げられた事実にシリルは目を丸くした。


 華奢な少女のどこにそんな力があるのか。少女は体格差をものともせずにシリルを悠々と抱えたまま、一歩が十歩にも匹敵する跳躍力で異形から離れていく。


 到底人間業には思えない芸当だった。


 シリルも線が細い方だが羽根のように軽いわけではないし、むしろ鎖帷子(チェインメイル)を着ている分、普段より重量がかさんでいるくらいだ。


 本来なら抱き上げるのがやっとであろうにも関わらず、少女の顔には汗一つと浮かんでいない。か細い両腕は震えるどころか、痛いくらいの力でしっかりとシリルを掴んでいた。


 ジグザグに何度か退がったところでシリルは地面に下ろされた。全身の自由が少しずつ戻っていることもあって、ふらつきながらも崩れ落ちることなく立ち上がる。


 いつの間にか攻撃開始地点――粉々になった噴水のところまで後退していた。油断は禁物だが現状では比較的安全ともいえる間合いだ。


 少女がシリルに背を向けて長剣を引き抜いた。


「逃げて。あいつは私が引き受ける」  


 無事な様子のシリルを一瞥した少女が静かに、しかし猛然とした勢いで異形の方へと駆け出す。シリルが声をかける間もなく、少女は銀色の髪をなびかせながら遠のいていった。


 シリルは理解が追い付かなかった……というより理解の範疇を超える出来事が立て続けに起き過ぎていた。異常事態の連続に頭は混乱から抜け切っていなかったが、とはいえ一つ明白な事実があるのは間違いなかった。


「逃げて……か」


 あの少女に助けられたという事実。正確には、今も助けてくれいるという明白な事実。


 シリルは自らの遠く背後にある庭園の出口に目をやる。行く手を阻むものはない。少女が異形に立ち向かっていて、シリルに注意が向いていない今が絶好の機会だ。


 仮に杭が飛んできても、対処するだけの魔力は十分に残っている。身体も……倦怠感と高熱で苦しいが痛みはマシになってきている。限界が迫っているは確かだが、この程度の距離ならなんの問題もなく逃げ切れるだろう。


 それでもシリルは前を向いた。左腰に差した短剣を抜いて柄を強く握りしめると、深く大きく息を吸い込む。胸元を刺す激痛に呼吸が苦しくなるが、逆に熱と気怠さに曇った頭の中が少しだけ晴れていく。


 白銀の少女は縦横無尽に襲いかかってくる触手の数々を斬り捨て、あるいはかわしている。シリルが見た限り形勢はほとんど互角といった具合だった。


 魔法も使わず単騎であの怪物と渡り合えていること自体が驚異的であったが、少女は異形の急所と思われる水晶の存在を知らないまま戦っている。


 本体を一刀両断しても倒せなかった以上、やはり水晶が弱点に違いないとシリルは確信を得ていた。


 せめてそのことを伝えなければ、このままでは勝ち目がない。身を挺した少女の行為を無下にするとわかっていても、彼女を見捨てるような真似はできなかった。


 シリルは短剣を手に地面を蹴り出した。


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