林檎と大蜘蛛
書きたて、どうぞ。
───エレクを苦しめたお前らを俺は許さない! 本当はみんなわかってんだろ! 目を覚ませよ! こんなの間違ってるッ! こんなのが聖だというのなら、俺は喜んで悪魔になることを選ぶぜッ!
イオの最期の言葉は、いかにもイオが言いそうよ。だとしたら、やはり言い伝えのお話は事実に基づいている。
───罪無き魔女の名を貶め、無垢なる愛しいイオを殺すこの国に必ずや滅亡を贈る。この恨み忘れまじ‥‥
ネビュラ王国にかけられたら呪いの言葉。
不安な気持ちが渦巻いてる。
このネビュラ王国は魔女エレクトラに呪われているの? アステローペ、出て来て教えてちょうだい。当時のことを。
「アステローペ! どこなの!!」
広くもない部屋の中なのに、どこにもいない。
もしかして────
魔女エレクトラの伝承をカペラおじいさんが話したから、恥ずかしくなって隠れてるとか? ‥‥なわけないよね。自分語り大好きそうだったもん。照れて隠れてるなんてない。
あ‥‥‥壁に隙間を見つけてどこかに去ってしまった‥‥とか‥‥?
「アステローペーーー! いるなら返事をしてくださらない?」
耳を澄ませても気配すら感じない。
「アステローペちゃーん! 本当にいないの?」
何回呼びかけても同じ‥‥‥
ひとりきりの薄暗い部屋で、刻々と時間が過ぎてく────
***
───アステローペは出てこない。あれから何時間たった?
体の大きさを変えられそうだって言ってたし、やはり隙間からどこかに行ってしまった‥‥?
私は一人不安に駆られたまま、悶々と時間が過ぎてゆく。半日は経ったと思うの。
グウウゥー‥‥‥お腹。‥‥‥‥クスン。
お腹はすごく空いてるのに、スズランの花のポーションを口にする気すら起きない。
落ち着かない気持ちがそうさせているの。ねぇ、アステローペは戻って来る‥‥‥?
ここに来て初めて泣きたくなった。石棺の中で膝を抱え、うつむく私。
「‥‥‥グスンッ‥‥ううう‥‥‥ふぇっ‥‥‥‥」
───抑えきれない声が漏れ出して、あと数秒で大泣きになる直前だった。
「おーい、メローペー! たっだいま〜。いいもん持って来てやったぜぇ!」
ドキンと大きく心臓が鳴った。どこからか、くぐもったアステローペの声。
幻聴じゃないよね? ううん、絶対に聞こえたわ! 私のアステローペちゃんが、戻って来たんだッ!!
私は石棺から慌てて出て、カンテラをかざしながら部屋をぐるぐる見回す。
「アステローペ! どこなのッッ!」
ガサゴソ音がして、ホコリを纏った大きな蜘蛛が暖炉の口から出て来た!
キャッ、もしかして煙突を登っていたのね。いなくなってしまったのかと心配したのよ?
「ふあ~、疲れたー‥‥。ちょっと? いやいや、すっげぇ迷った。ここめっちゃ広くて複雑。まさしくダンジョンだな」
アステローペはこの部屋から出られて、大聖堂の中を探検していたのね!
「あー、スリル満点! 楽しかったなぁ。殻が無い生活って、いいよな〜」
アステローペの脳天気な声が憎たらしい‥‥
‥‥‥なによ。魔物のくせに聖堂で生まれで聖堂探検って、変なのッ! でもってアステローペったら『楽しかった』って‥‥‥‥。私、長時間不安にかられて損したわ。
キライ‥‥‥キライ、キライッ! アステローペなんて。私‥もう戻って‥‥来ないかもって‥‥心配してたのに‥‥‥
「‥‥アステローペちゃんのバカッ‥‥‥ふぇっ‥‥クスン‥‥」
「おいおい、いきなりバカって言われてもな?‥‥ふふ、わかってるって。メローペは腹減ってっから怒ってんだろ? ほーら、戦利品だぜ! 人目を盗んで持ってくんの大変だった。ヘヘッ」
アステローペが、手のひら大の白い玉を私に向かって転がした。
「な‥‥何これッ! キャーッ! 大きな繭じゃない‥‥‥どこから持って来たのよ! まさかまた魔物が生まれるんじゃないでしょうね!」
「ハッズレー! 魔物じゃねーよ。汚れないように俺の糸で包んで来ただけだって。開けてみろよ」
恐る恐る拾い上げ、繭を割ると、赤い色が見えた。あ、‥‥‥林檎。
甘酸っぱいいい香りがする。神様へのお供え物かしら? 私のために探して来てくれたの?
「すごく嬉しいけど、勝手に持って来たらいけないわ」
「いいんだって。それ、街の人たちからメローペに捧げられてる食べ物だからメローペのだ。皆、苦しい生活ながら、祈りに来た時に少しづつ置いていくらしいぜ? 壁に貼られたメローペの姿絵の前に、お供えが集まってたぞ」
「私の姿絵?」
「なんだか知らんけどメローペは人気だな。そのうち彫像出来ちゃうかもな? フフフ‥‥」
「‥‥外ではどうなってるのか謎だけど。ま、そういうことならありがたく頂いておくわ」
「そういうことさ。細かいことは気にすんな」
私のために人目につく危険を侵して持って来てくれたの? 蜘蛛の表情はよくわからないけれど、私の反応をワクワク待ってるのがわかる。
‥‥‥さっきまで気がつかなかったけど。
恐ろしげな姿のアステローペだけど、よく見ると可愛いところもあるの。正面に4つ並んだ目の色は、冷たい水湖のように深く神秘的だし、背中はシルバーの光沢の柔らかそうな、艶のいいシルクの高級絨毯みたい。後でホコリをきれいに拭ってあげよう。
「‥‥‥近くへ来て」
私の足元まで屈託無くトコトコ来たアステローペの背中をそっと撫でてみた。わー、ふわふわ。
「ありがとう、アステローペ‥‥‥」
あなたが生まれてくれて嬉しい。
「林檎、美味しそうね。半分こして頂きましょう」
「あ、俺はいいよ。その辺にいたムカデとかネズミとか食っといたから。それはメローペの分」
「え?‥‥ううん、なんでもない。ではいただきます」
ちょーっと言いたいこともあったけど、飲み込んでおいた。アステローペは今は人ではないんだもの。好むものは違って当然よね。それが蜘蛛にとっては普通なのだわ。
丸ごとのままの林檎をしみじみ見つめてから一口かじる。これはアステローペが私のためにがんばって持って来てくれた林檎‥‥‥うふふ。
口の中に、爽やかな甘酸っぱさが広がる。
「‥‥‥すごくおいしい。今まで食べた中で一番‥‥」
なぜだか涙が出そう。
「マジ? ヤッホー! メローペが喜んでくれた! アハッ♡」
なんだか、エレクトラがイオを好きになった気持ちの一端が、わかるような気がした。
「林檎をいただきながらで申し訳ないけれど、イオのお話続きをして下さらない? イオがエレクと運命を共にするって誓いをしてからのこと。あと、転生の薬について、エレクはイオにどう説明したの?」
「かまわねーけど、その前にエレクは今どうしてるか教えてくれよ」
「私の知るエレクトラが、イオの恋人のエレクトラの生まれ変わりの可能性が高いとは思うけど、100%そうだと言い切れる? アステローペには決定的な確信はあるの? 匂いだけではなくて」
「決定的って言われるとなぁ‥‥‥。カン? 俺の本能がそう言ってるとしか言えない」
「‥‥そう。まあ、いいわ。そのうちに少しづつはっきりしてくるかも。では私の知っている魔女エレクトラについてお話するわね。でもその前に林檎をいただいてしまうわ。少し待っててね」
私がギリ芯だけになるまで味わったら、アステローペが私の手からヒョイと芯を取って、バリバリ食べ始めた。
「うまっ!」
なあに? アステローペも林檎食べたかったんじゃない! 私に食べさせたくて我慢してたのね。
なんだか私、切なくなって来た。
どうしてアステローペは魔物に生まれ変わってしまったのよ‥‥‥
もしかして、数日休むかもしれません。