(5)浄化
屋敷の修繕が始まって、
数日。
大工たちは、
屋根の修理を進めていた。
けれど。
「……なあ」
一人の大工が、
作業の手を止めた。
「なんだ?」
「今……誰か、歩かなかったか?」
「えっ?」
「二階の方から」
大工たちは、
顔を見合わせる。
けれど。
二階には、
誰もいない。
「……気のせいじゃないか?」
「そうかなぁ……」
別の日。
作業をしていた石材職人が、
ふと振り返った。
「……誰かいるか?」
「いないぞ」
「いや……今、後ろに気配が……」
誰もいない。
「……やっぱり、何かいるんじゃないか?」
「昨夜もまた、二階から物音がした」
屋敷の中では、
時折、小さな物音がする。
床が軋む音。
誰かが歩くような音。
置いてある物の場所が変わっていた。
閉めたはずの扉が、
いつの間にか少し開いていることもあった。
「……」
由良は、
それを黙って見ていた。
大工たちは、
明らかに怯えている。
「この家……本当に大丈夫なんだろうな」
「噂だけじゃなかったんじゃ……」
「夜には絶対来たくないぞ」
そんな声まで聞こえる。
由良は、
小さく息を吐いた。
「……面倒だな」
職人たちは、
日に日に落ち着かなくなっていった。
そして――
ガタンッ。
誰も触れていない椅子が、
部屋の隅で倒れた。
「うわっ!」
「またかよ!」
ミケも、
耳を伏せ、
屋敷の中を警戒している。
由良は、
そんなミケを見た。
「……そうか」
幽霊そのものは、
怖くない。
由良には、
神聖力がある。
この程度のものなら、
問題はない。
だが。
このままでは、
修繕を頼んだ者たちが困る。
それに。
「…………」
由良は、
屋敷の入口に立ち、
中を見やった。
――理永が来るかもしれない。
ここへ来たとき。
もし、この気配を感じたら。
「……嫌がるかもしれないな」
理永は、
魔女として生き始めたばかりだ。
妖精や精霊には慣れている。
けれど。
死者の気配まで、
平気とは限らない。
そして。
「ミケも……」
いつもなら、
由良の近くへ来るはずなのに。
今日も、
屋敷の入口で立ち止まっている。
耳を動かし、
落ち着かない様子で毛を逆立てている。
睨むように、
屋敷の中を見ていた。
「……やはり、お前も嫌か」
ミケは、
返事をするように尻尾を揺らした。
けれど、
中には入ろうとしない。
由良は、
屋敷を見上げた。
「……浄化するか」
その日の夕方。
大工たちが帰ったあと。
由良は、
一人で屋敷の中へ入った。
玄関を閉める。
静かになった屋敷の中。
昼間よりも、
気配がはっきりしている。
由良には見えていた。
長い年月、
この屋敷に留まり続けている者たち。
ただそこにいるだけの者。
自分が死んだことさえ、
もう忘れてしまった者。
そして。
怯えながら、
逃げることもできずにいる者。
その奥に――
異質な気配があった。
黒く濁った何かが、
他の幽霊たちに絡みついている。
喰らっている。
長い年月をかけて、
他の魂を取り込みながら、
この屋敷に居座っていた存在。
由良は、
しばらくそれを眺めた。
「……出てこい」
悪霊が、
こちらを向いた。
次の瞬間。
屋敷中の扉が、
一斉に開いた。
バンッ!!
窓ガラスが震える。
古い家具が浮かび上がり、
廊下を埋め尽くす。
けれど。
由良は、
動かなかった。
「……騒がしいな」
その声と同時に。
手を上げる。
白い光が、
手のひらに集まった。
淡い光だった。
神聖力。
魔力や妖力とは違う、
静かで清らかな光。
「ここは、もう俺の家だ」
次の瞬間。
空気が、
わずかに揺れた。
そして。
神聖力が、
一気に膨れ上がった。
屋敷全体が、
白く染まる。
廊下を。
階段を。
部屋を。
壁を。
床を。
天井を。
すべてを包み込むように、
神聖な光が広がっていく。
窓から溢れた光が、
夜の森まで照らした。
森の木々が、
白く浮かび上がる。
悪霊が、
悲鳴を上げた。
黒い影が、
光から逃げようとする。
けれど。
逃げられない。
白い光が触れるたび、
黒い身体が崩れていく。
それでも、
悪霊は他の幽霊へ手を伸ばし。
喰らおうとする。
だが。
その手が触れるより先に、
光が悪霊を包み込んだ。
黒い影が、
大きく揺らぐ。
そして。
音もなく、
消えた。
それと同時に。
屋敷に残っていた幽霊たちへ、
柔らかな光が降り注いだ。
怯えていた者。
長い間、
この場所から離れられなかった者。
悪霊に喰われ、
逃げることさえできなかった者。
その身体から、
黒い影が少しずつ剥がれていく。
やがて。
一人。
また一人。
淡い光へと変わっていく。
苦しむ者はいなかった。
ただ。
長い眠りから、
ようやく目を覚ましたように。
どこからともなく、
小さな声が聞こえた。
――……。
由良は、
静かに目を閉じる。
「もう、ここに留まる必要はない」
幽霊たちは、
静かに由良の前を通り過ぎていく。
そして。
それぞれの場所へ向かうように、
夜の闇へ溶けていった。
由良の前を通り過ぎるとき、
一人の幽霊が、
小さく頭を下げた。
最後の一人が消えると。
光も、
少しずつ薄れていく。
やがて。
屋敷は、
静まり返った。
軋んでいた床も。
開閉していたはずの扉も。
風もないのに揺れていたカーテンも。
静かになった。
何十年も、
何かが潜んでいたとは思えないほどに。
由良は、
周囲を見回した。
「……終わったか」
それだけだった。
ミケが、
ゆっくりと屋敷の中へ入ってくる。
先ほどまで警戒していた場所を、
何事もなかったように歩いていく。
由良は、
ミケを見る。
「大丈夫そうだな」
そして。
誰もいなくなった廊下を、
もう一度見渡す。
「……これなら」
少しだけ考えて。
「理永が来ても問題ないな」
そう呟いた。
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本当の意味で。
誰もいない、
ただの古い屋敷になった。
翌朝。
大工たちがやって来る。
「……あれ?」
昨日まで感じていた、
妙な気配がない。
「なんか……」
大工が、
屋敷の中を見回す。
「今日は静かだな」
「そういえば……」
別の大工も、
首を傾げる。
「昨日まで、変な音がしてたのに」
「気のせいだったのか?」
「……まあ、いいか」
大工たちは、
何事もなかったように作業へ戻っていった。
少し離れたところでは。
ミケが、
いつものように木陰で丸くなっている。
もう、
落ち着かない様子はない。
由良は、
そんなミケを見ていた。




