(4)帰る場所
(視点:由良)
その街に滞在して、
しばらく経った。
長く留まるつもりはなかった。
いつものように、
仕事を見つけて。
必要な分だけ金を稼いで。
頃合いを見て、
また次の街へ向かう。
そのはずだった。
「……」
けれど。
最近は、
街を出ることを考える時間が少し減っていた。
理由は、
自分でもよく分からない。
昼下がり。
街の外れにある大きな木の下で、
由良は本を開いていた。
風が、葉を揺らしている。
人の声も、
街の喧騒も遠い。
静かな場所だった。
「……」
ページをめくる。
古い魔法について書かれた本。
旅の途中で手に入れたものだった。
内容は悪くない。
けれど。
「由良ー!」
遠くから声がする。
由良は顔を上げる。
ベラトリスが、
こちらへ向かって歩いてくる。
その後ろには、
理永もいた。
「またここにいたの?」
「ああ」
「本ばっかり読んでるわね」
「暇だから」
「だったら私たちと話しましょうよ」
「……」
由良は、
手にしていた本を見る。
それから二人を見る。
「……分かった」
本を閉じる。
ベラトリスが満足そうに笑った。
「最初からそうすればいいのよ」
「……最初から、来るつもりだっただろう」
「ばれた?」
「分かる」
「さすがね」
その隣で、
理永が小さく笑った。
ほんのわずかだった。
けれど。
由良は気づいた。
「……何か面白いことでもあった?」
「ううん」
「……」
「二人が話してるのが、少し面白いだけ」
「ほら!」
ベラトリスが理永を見る。
「理永もちゃんと私のこと分かってるじゃない」
「……うん」
「もう、姉妹みたいじゃない?」
「……そう?」
「そうよ」
由良は、
二人のやり取りを眺めていた。
ベラトリスは、相も変わらずよく喋る。
思ったことを、
そのまま口にする。
魔法の話をしていたかと思えば、
街で見つけた店の話になり、
次には旅の話を聞きたがる。
理永は、
それを静かに聞いている。
時々、短い言葉を返す。
けれど。
二人の間には、
長い沈黙がない。
不思議な関係だった。
「ねえ、由良」
「何だ」
「この前言ってた、北の街の話」
「……雪の街か」
「そう、それ!」
ベラトリスが身を乗り出す。
「本当に一年中雪があるの?」
「冬以外はない」
「なんだ、じゃあ普通じゃない」
「ただ、冬になると街全体が雪に埋まる」
「へえ……」
ベラトリスの目が輝く。
理永も、
黙って由良を見る。
「……どんな植物が生えてるの?」
「雪の下でも育つものがある」
「……見てみたい」
「持っている」
「……え?」
由良は、
荷物の中から小さな袋を取り出した。
「種だ」
理永が目を見開く。
「……いつの間に」
「前に採った」
袋を開く。
中には、
小さな種がいくつか入っている。
「育てられるかは分からない」
「……見せて」
理永が、
少しだけ身を寄せる。
由良は袋を渡した。
理永は種を一つ、
指先で確認する。
「……珍しい」
「そうか」
「うん」
その声は、
いつもより少しだけ弾んでいた。
由良は、
その様子を見ていた。
そして。
ふと、思う。
――また見つけたら、
持って帰ろう。
その考えが浮かんでから、
少しだけ間があった。
「……」
帰る。
その言葉が、
妙に自然に浮かんだ。
どこへ?
そう考える。
今までなら、
次の街へ。
けれど。
今は。
「……」
目の前にいる二人を見る。
ベラトリスが、
種を覗き込みながら何かを話している。
理永は、
それを聞きながら静かに頷いている。
「……」
由良は、
視線を逸らした。
まだ、
理由は分からない。
ただ。
この街を出る時に、
少しだけ寂しいと思うかもしれない。
そんな予感がした。
夕方。
由良は、
二人と別れて一人で街道を歩いていた。
宿へ戻る道。
いつもなら、
明日の仕事を考える。
次に向かう街を考える。
けれど今日は。
「……」
頭に浮かぶのは、
昼間の二人だった。
ベラトリスの声。
理永の短い返事。
そして。
「……」
あの種を見た時の、
理永の表情。
由良は、
小さく息を吐いた。
何故だろう。
一人で旅をすることに、不満があったわけではない。
静かな場所も好きだった。
誰にも縛られず、
自分の好きな場所へ行ける。
それで十分だった。
それなのに。
今は。
誰かと話すことも、
悪くないと思っている。
知らない世界の話をして。
知らないものを見せて。
自分が見てきたものを、
誰かと分ける。
そんな時間が、
思っていたより心地よかった。
「……」
宿の前まで来る。
扉を開けようとして、
ふと足を止めた。
振り返る。
夕暮れの街。
今日も、
いつもと変わらない景色。
けれど。
ここに来てから、
少しだけ違う。
――帰る場所。
そんな言葉が、
一瞬だけ頭をよぎった。
「……違うな」
小さく呟く。
ここは、
ただの宿だ。
明日になれば、
別の場所へ行くかもしれない。
それでも。
「……」
由良は、
もう一度だけ街の方を見る。
そして、
静かに扉を開けた。
まだ知らない。
この街を離れることを、
いつか躊躇うようになることも。
この二人の姿を、
探すようになることも。
ただ今は。
初めて。
旅の途中で、
「もう少しここにいたい」と思っていた。




