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『救済ではなく、継承の物語』― アストラル継承記 ―  作者: 龍の末裔
【三幕】第59章|『原初』
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(1)旅人

(視点:由良)


街を出るのは、いつも夜だった。


人の少ない時間を選んで、

荷物をまとめる。


必要なものは、多くない。


少しの食料。

替えの服。

古びた地図。


そして――

身分を示すものは、何も持たない。


「……」


由良は、最後に一度だけ街を振り返った。


何かを置いてきたわけではない。


誰かと別れるわけでもない。


それでも。


ひとつの場所に長く留まることは、

もうできなかった。


理由は、分かっている。


「……また、来るか」


遠くから、そんな声が聞こえた。


由良は振り返らない。


ただ、片手を軽く上げる。


それだけで十分だった。


旅人。


そう名乗るようになってから、

もう随分と経つ。


どこかの街に長く滞在することもなく、

いくつもの国を渡り歩く。


宿を借り、

仕事を受け、

必要な分だけ金を稼ぐ。


そして――

気配を感じれば、また移動する。


「……」


夜の街道を歩く。


月明かりが、

遠くまで伸びた道を淡く照らしていた。


静かな夜だった。


だからこそ、

周囲の気配がよく分かる。


鳥の鳴き声。

風に揺れる木々。


遠くの獣の気配。


そして。


「……」


ほんの僅かな、

異質な気配。


由良の足が止まる。


振り返る。


誰もいない。


それでも、

感じる。


――また、来た。


「……」


あの存在について、

由良が知っていることは多くない。


名前すら、

本当にそれが名前なのかは分からない。


ただ。


何度も現れる。


そして、

自分を追ってくる。


理由も、

目的も分からない。


ただ一つだけ。


――自分を排除しようとしている。


それだけは、

何度も繰り返されることで分かっていた。


「……しつこいな」


小さく呟く。


戦えば、

勝てる可能性はある。


由良には、

それだけの力がある。


特に――

自分の中に宿る神聖力。


この力が、

何らかの関係を持っているのではないか。


そう考えたことは、

何度もあった。


けれど、

確かめる術はない。


だから。


戦う必要もない。


勝つために、

わざわざ正面から向き合う理由もない。


逃げればいい。


それが、

今の由良にとって一番簡単な方法だった。


由良は再び歩き出す。


夜の街道を、

ひとりで進む。


しばらくすると、

森を抜けた先に小さな町が見えてきた。


明かりがある。


人の気配がある。


「……」


少しだけ、

歩く速度を緩める。


こうして知らない場所へ行くことは、

嫌いではなかった。


知らない街。

知らない文化。

知らない魔法。

知らない人々。


自分が生まれ育った場所だけでは、

知ることのできなかったものが、

世界にはいくらでもある。


「……広いな」


ぽつりと呟く。


それは、

旅を始めてから何度も思ったことだった。


世界は広い。


そして。


自分の中にある力について、

由良は詳しいことを知らなかった。


神聖力。


それが、自分の家系に受け継がれてきたものなのか。


それとも――

自分だけに宿ったものなのか。


幼い頃から使えていた。

だから、それが特別なものだという感覚も、

それほど強くはなかった。


ただ。


時折、思うことはある。


なぜ、自分にはこれほど強い力があるのか。


何のために、

この力が自分に与えられたのか。


答えは、まだない。


けれど。


今すぐ、それを知る必要があるとも思っていなかった。


旅をしていれば、

知らないものに出会う。


知らない土地があり、

知らない人がいて、

自分の知らない力や魔法もある。


そういうものを見ていくうちに、

いつか何か分かることもあるのだろう。


――それくらいでいい。


今はただ、

知らない世界を見てみたかった。


それだけだった。


「……」


町へ入る。


夜遅くでも、

酒場にはまだ人が残っている。


笑い声。


食器の音。


誰かが歌っている声。


由良は、

その前を静かに通り過ぎる。


そのまま、

安い宿を探す。


旅人として生きるなら、

目立たない方がいい。


余計なことは話さない。


自分の力についても、

語らない。


そして――

あの気配を感じたら、

また別の場所へ行く。


それでいい。


「……」


宿の扉を開ける。


受付の男が、

眠そうに顔を上げた。


「一人か?」


「ああ」


「何泊?」


「……分からない」


男が少しだけ眉を上げる。


「珍しい客だな」


由良は答えない。


ただ、

宿代を置く。


「まあいい。空いてる部屋は二階だ」


「ありがとう」


鍵を受け取る。


階段を上がる。


部屋に入り、

窓を開ける。


冷たい風が入ってくる。


由良は窓辺に立ち、

夜の街を見下ろした。


知らない街。


知らない景色。


それなのに、

どこか落ち着く。


「……」


この世界には、

まだ知らない場所がある。


まだ見ていない景色がある。


まだ知らない人がいる。


それを思うと、

ほんの少しだけ――


旅を続けることが楽しみに思えた。


「……もう少し、見て回るか」


誰に聞かせるでもなく、

呟く。


あの存在から逃げるため。


それも確かに、

旅を続ける理由だった。


けれど。


それだけではない。


世界を知りたい。


自分の力を知りたい。


そして。


まだ知らない何かを、

見つけたい。


それだけで、

歩き続ける理由には十分だった。


由良は窓を閉める。


そして、

静かに灯りを消した。


この時の由良は、

まだ知らない。


この先で出会う二人が――


自分の長い旅の中で、

決して忘れることのできない存在になることを。


まだ。


何も知らなかった。





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