(2)準備
(視点:少女)
朝の光が、灰の塔の研究室を静かに照らしていた。
机の上には、一枚の術式。
昨日完成したばかりのその理論は、丁寧に清書され、余計な書き込み一つない。
少女はその紙へ視線を落とし、小さく息を吐いた。
「……本当に、完成したんだ。」
昨夜は何度読み返しても実感が湧かなかった。
けれど朝になって改めて見ても、答えは変わらない。
術式は完成していた。
扉が静かに開く。
「おはよう。」
ベラトリスだった。
「おはようございます。」
少女は立ち上がり、一礼する。
ベラトリスは術式を受け取ると、研究机へ広げた。
部屋には紙をめくる音だけが響く。
少女は何も言わず、その様子を見守る。
やがてベラトリスは最後の一枚を机へ戻し、ゆっくりと頷いた。
「理論に矛盾は見当たらないわ。」
少女の肩から、少しだけ力が抜ける。
「ありがとうございます。」
「けれど──」
ベラトリスは少女を見つめる。
「理論は、実証して初めて完成するものよ。」
その言葉に、少女は静かに頷いた。
「はい。」
研究とは、紙の上で終わるものではない。
結果を観測し、記録し、初めて一つの答えになる。
それは理永の研究記録から、何度も学んできたことだった。
ベラトリスは窓の外へ視線を向ける。
塔の奥では、金色の炎が今日も穏やかに揺れている。
「明日。」
その一言で、部屋の空気が少しだけ引き締まった。
「金の炎の前で、術式の実証を行いましょう。」
少女は胸の奥が静かに高鳴るのを感じた。
怖くないと言えば嘘になる。
けれど、不思議と迷いはなかった。
「……はい。」
その返事は、思っていたよりも穏やかだった。
その時、再び扉が開く。
「失礼する。」
由良だった。
ベラトリスは由良へ向き直る。
「ちょうど良かったわ。」
由良は少女の表情を見て、小さく何かを察したように視線を術式へ移す。
「決まったのか。」
「ええ。」
ベラトリスは静かに頷く。
「明日、実証を行います。」
由良は術式へ目を落としたあと、少女を見る。
「そうか。」
短い言葉だった。
それでも少女は、その一言だけで十分だった。
由良は静かに続ける。
「俺も立ち会おう。」
少女は少し驚いたように目を瞬かせる。
「ありがとうございます。」
由良は小さく頷くだけだった。
誰も大げさなことは言わない。
成功するとも、失敗するとも。
ただ、積み重ねてきた研究の先へ、一歩進むだけ。
それだけだった。
窓から吹き込む風が、机の上の観測帳を一枚だけめくる。
理永が遺した記録。
少女が積み重ねた観測。
そして、完成した術式。
三つの歩みは、明日、一つの答えを迎えようとしていた。
塔の奥では、金色の炎が静かに揺れている。
その穏やかな光は、まるで訪れようとしている未来を、誰よりも早く見つめているようだった。




