(1)約束
(視点:由良)
夜の草原は静かだった。
灰の塔の窓には、まだ明かりが灯っている。
由良はその光を見上げ、小さく目を細めた。
「……まだ起きているのか。」
思わず口元が緩む。
今日も少女は研究を続けているのだろう。
完成した術式を、何度も見直している姿が自然と浮かんだ。
焦れば見落とす。
だから一つひとつ確かめながら進む。
その歩き方は、誰かによく似ていた。
由良は静かに踵を返す。
灰の塔から少し離れた、小さな小屋。
今では誰も使わなくなったその場所へ足を運ぶ。
足元で、草むらを揺らす小さな足音がした。
「……ミケ。」
呼ぶと、三毛猫は短く「にゃあ」と鳴き、由良の足元へ寄り添う。
いつからそこにいたのか分からない。
気付けば、いつも隣にいる。
ミケは由良の歩みに合わせ、ときおり先へ出たり、振り返ったりしながら小屋まで案内するように歩いていく。
月明かりが窓から差し込み、室内を淡く照らしていた。
由良は棚の奥へ手を伸ばす。
そこには、小さな宝石箱が置かれている。
丁寧に磨かれた箱。
角は少しだけ丸くなり、長い年月を物語っていた。
由良は両手でそれを持ち上げ、静かに蓋を開く。
由良が箱を開くと、ミケは机の上へ飛び乗ることもせず、その足元へ静かに丸くなる。
この時間だけは邪魔をしない。
長い年月を共に過ごすうちに、それがミケなりの約束になっていた。
中に納められているのは、髪飾りではない。
黒く、小さな種。
その表面には、金色の光が細い筋となって静かに流れていた。
由良はそっと指先を添える。
温かい。
何百年触れていても変わらない、小さなぬくもり。
「……今日も無事だ。」
その言葉は、種へ向けたものだった。
静かな部屋に、声だけが小さく響く。
種を見つめていると、不思議と心が落ち着く。
理由は分からない。
けれど、これだけは決して手放そうとは思わなかった。
あの日から、ずっと。
由良は静かに目を閉じる。
脳裏を、淡い光がよぎる。
白い花が揺れていた。
風が吹く。
その向こうに、一人の少女が立っている。
輪郭はぼやけ、表情までは思い出せない。
それでも、その声だけは今も胸に残っていた。
『――また、会えるから。』
由良はゆっくりと目を開く。
「ああ。」
その返事は、千年前と何一つ変わらない。
「探している。」
それだけを静かに呟き、宝石箱の蓋を閉じた。
窓の外へ視線を向ける。
灰の塔には、まだ明かりが灯っている。
由良はその光を見つめ、小さく微笑んだ。
「……今日も頑張っているな。」
その声は夜風に溶けていく。
少女はまだ知らない。
自分が歩いている道が、遠い昔から誰かの願いと繋がっていることを。
由良もまた語らない。
約束は、まだ終わっていない。
だから今日も、待ち続ける。
ミケが小さく身体を伸ばし、由良の脚へ頬を寄せる。
由良は自然な手つきで、その背中を一度だけ撫でた。
「……行こうか。」
三毛猫は満足そうに目を細め、由良と並んで外へ出る。
灰の塔の灯りは夜の中で静かに揺れ、その傍らで金色の炎もまた、誰にも知られぬまま穏やかな光を灯し続けていた。




