30 会えばこれがルーチン
「わ、小っさ! あれ、本当に大丈夫? 走り切れる?」
地下馬道から、一番、二番と、馬が出てきた。
その四頭目。
電光掲示板に三百キロ足らずの表示。
「え、初出走だって。新馬なのね。未勝利戦だけど」
「ということは、陣営、自信あるのかな。知らんけど」
「馬体重に制限ってあるのかな。何キロ以上じゃないと駆けっこに出ちゃダメって」
「さあ」
「でも、陣営が自信あるなら、あれにしようかな」
「私もそうしよ。ちっちゃいから、私にピッタリ」
「そういや、メイメイもそんなこと、言ってたな」
「あなたたち、それより馬を見なくちゃ。せっかく生で見てるんだし」
「うわ、出た。ハルニナ先輩の口癖。馬が教えてくれる」
「そうよ。当然でしょ。それ、サークルの第一モットー」
「それにしても、競馬場、いいよねえ。ウンチの臭いも芳しいし」
「あんたこそ、それ、毎回、口癖」
すでに、三年生も全員集合している。
スズカ、ブルータグとピンクタグの姉妹、ンラナーラ、ミカン。
全員、授業を受けている娘たち。
例年、全学五百名から入部してくるのは授業を受けている子たちだけ。
寂しい気もするが、こじんまり、しっとりしたサークル活動になるからいい、と思っておこう。
パドックのフェンスの最前列に並んだ八人の娘たち。
少し後ろから眺めながら、今年は特にバラエティ豊かな子たちが揃ったなと、頬も緩む。
髪色も髪型もバラバラ。
スズカは、フォグカラーのセミロングをくるりんぱにしている。
ブルータグは、濃い茶色の髪のミニお団子。
ピンクタグは、くびれカールのキャラメルカラーのセミロング。
ンラナーラは、シナモンカラーの髪を腰まで伸ばし、かなり下の方で束ねたローポニーテール。
ミカンは、水色の髪をいつも黒いリボンでツインテールにしている。
性格もかなり違う。
部長ジンは、コントロールが大変だ。
部員同士、学年の垣根を越えて混じりあってほしいが、スズカが三年生だけでまとまろうとしているようで、そこが少し心配。
ともあれ、また競馬のシーズンスタート。
この子たちと一緒にいれる幸せの始まり。
ランやスペーシアも、何レースからか知らないが、来てくれるらしい。
唯一、寂しく複雑な思いがあるとすれば、昨年度のサークル部長フウカのこと。
就職先の傾聴財団でうまくやっているだろうか。
京都競馬場で行われる財団のイベントで、たまに見かけ、あいさつ程度はかわす。
しかし、以前のように親しく話す機会はない。
たぶん、これからも。
「間に合ったー」
と、やってきたのはミャー・ラン。
やってくるなり、金色の瞳を輝かせ、胸元に手を伸ばしてくる。
最近、会うことはぐんと減ったが、会えばこれがルーチン。
ランがくれたお守り。
肌身離さず、首から下げている。
四年生以上は誰もが知るところ。ヨウドウやガリでさえ。
ぷっくりした涙袋の下の二つほくろを少し大きくし、にこりと笑った。
「元気やった?」
「ああ」
そして、声を潜めて言った。
「最近、ミリッサのごはん、作りに行けてないね」
余計なことを平気で言うのもランならでは。
気にしてもしかたがない。
ランは今、三年生のまま留年、休学中。
もう復学する気はないのかもしれない。
それでも、競馬場での部活には、ごくまれに参加してくれる。
「どうした、その爪」
ランは、長い爪をルビーのように赤く塗っていた。
つい、口が滑った。
普段から、学生の服装や髪型や装身具、ましてや化粧を話題にすることはない。
たとえどんなに素敵であろうと、逆に、今から海水浴に行くのかというような露出度の高い格好であろうと。
褒めたら褒めたで、指摘すれば指摘したで、どう受け取られるか、分かったものではない。
毎年、契約更改時に渡される講師行動指針には、節度と見識ある紅焔生としてふさわしい服装がどうのこうの。
つまり、華美な服装の学生には注意して是正させよと書かれてあるが、いまだかつて、その指針を守ったことがない。
「いいでしょ」
慎重に言葉を選ぶ。
「まあな」
「それだけ? がっかり」
しかし、ランは、
「おはよ」
「おはよー」
と、すぐ輪の中に入っていき、無料配布のレーシングプログラムと馬たちとを見比べ始めた。
三年生はだれもランが何者か、知らない。
ハルニナやメイメイやアイボリーの素性も知らない。
あえて伝えることではない。むしろ、秘密にしておくべきこと。
ランの小さな後姿。
紫色にピンクとシルバーが混じったいわゆるフェアリーカラー。
レイヤーカットのセミロングの髪が、さらさらと肩にかかっている。
最近はいつも黒っぽい服装。
今日も黒いタイトなTシャツにスリムなパンツ。
細いけれど起伏に富んだ体つき。
ほほえましい気持ちで眺めた。
それにしても、あいつがネイル?
いったい、何を考えているんだか。




