第92話
ここ最近、豊田家をとある災厄が襲っている。
そいつは決まって朝早く、まだ俺たちが起き出す前を狙ってやってくる。そして、今から寝ようとするババアを邪魔するように続く。
朝帰り。
スタッフに任せられないと、自分で買って出た夜勤。
四十路間近の老体に鞭打ってのハードワーク。
コンビニから帰宅したババアは、目が合うなり俺にため息を吐きかけてくる。
ただ、仕事疲れでこんな顔はしない。
ババアは根っからのワーカーホリック。
仕事を苦とも思わないようにできている。
ではなんでそんな顔をするのかと言えば、取り出したスマホに答えはある。
そう、ババアと俺がターゲットになっている時点でお察しだろう。
「……陽介。お前の所にも来たか?」
「きた、ろこもこどんのめしてろがぞう。ちぃちゃんだいかんき」
「……ロコモコ丼かぁ。楽でいいけど、楽でいいんだけれどもなぁ」
「ロブスターとか入手困難な食材出されるよりはマシでしょ」
二人にライン経由で送られてきたのは本場のロコモコ丼のお写真。
それと共に、めっちゃはしゃいでいる笑顔の美香さん。
そう。
美香さんからの、容赦のない写真攻撃により、豊田家は今、絶賛ハワイ自慢勘弁してくれ症候群に陥っているのだった。
そう。
ノーハワイアンシンドロームに陥っているのだった。
一人の少女を除いて。
「おかーさん!! みかちゃんからろおもおのしゃしんきたー!!」
「……そーだね、ちぃ。おいしそうだったね」
「ちぃもろおもおたべたい!! つくってー!!」
言うと思ったという顔をして、胡乱な目をしてキッチンに向かうババア。
昨日はステーキ、おとといはハンバーガーアメリカンスタイル、その前はなぜか讃岐うどん。マカデミアナッツを送ってきた日には、なんで日本ではマカデミアナッツのチョコレートが売っていないんだとブチギレていた。
今は遠く、太平洋の果てにいる美香さんに向かってブチギレていた。
「おかーさん、はやくはやく。ろおもおたべたいー」
「インスタに上げればいいのに。どうして私たちに送ってくるかな。美香は」
「インスタ見てくれる友達がいないんでしょ」
察してさしあげろよと言いつつ、俺もぐっすり寝ているところをアラートで起こされるのでぶっちゃけ勘弁してほしかった。
ほんともう、美香さんてばハワイくらいではしゃぎすぎだろまったく。
俺も行ったことないんだけれどさ。
ババアも行ったことないんだけれどさ。
「……ハワイかぁ」
「一生に一度くらいは行っておきたい場所ではあるが。まぁ、普通に仕事があるから無理だろう。ちぃが大きくなってからだな」
「そんなリアルにババアになってから行っても楽しくないんじゃない?」
あぁいうのって、若いからこそ楽しめるものだと思う――やめてください、その構えやめてください。神原さん所の奥義を放つための構えやめてください。その怒りは本来、海の果てにいるみかさんに向け、へぶあっ!!
◇ ◇ ◇ ◇
「という訳でさ、美香さんのハワイ満喫飽和攻撃にまいっちゃってる訳よ。なんなのあの人。自慢? 自慢なの? こんなにハワイが似合う私は、アラフォー独身でもセレブリティな大人レディとかでも言いたいの? もうやだぁ、付き合うこっちの身にもなってちょうだいよ」
「……確か一人旅じゃなかったっけ?」
「ごめん美香さん!! 前言撤回!! 一人でハワイ行ってたら、そりゃ身内に画像くらい送らないとやってられないわ!! というかなんで行ったハワイ!!」
「……まぁ、いろいろとストレスたまってたんだろ」
ところ変わって、貴方の町のお袋の店マミミーマート玉椿店。
今日も今日とて、アロハな頭しているくせに日本語しか話せない、廸子ちゃんを相手に俺は話し込んでいた。
やれやれまったく、英語は義務教育になったというのに、困った子ですね。
まぁ、俺もTOEIC酷い点数なんですけれどね。
顔を合わすなり共通の知人の話になるのはしかたない。
ただいま、絶賛ハワイ旅行中の美香さんについて、俺はもちろん廸子もそれなりに悩まされていた。彼女もまた、美香さんのアロハ写真爆撃のターゲットなのだ。
とか、言っている傍から――。
「また着信音だよ。もう勘弁してほしいなぁ」
「けど、返信しないと拗ねるでしょ、美香さん」
「ほんと面倒くさい人だよな。だから一緒にハワイ行く相手も見つからないんだよ。というか、こんな新年度前の大事な時期に行きますかね、ハワイ旅行。普通正月とか、夏休みとかでしょ。なんでこの時期?」
「……たしか、前の仕事が片付いて、その休日出勤やらなにやらを消化するために、まとめて大きな休みをもらったんだと」
福利厚生ばっちりしていやがるなぁ。
うちなんて、休出買い取ってくれもしなかったのに。ほんと、大手企業ってのは懐が大きいこって羨ましい限りでごぜえますよ。
それで、欧米人よろしくアバンチュールってか。
かーもうやってらんねえぜ。
「……サービスショット。おニューの水着だぜイェーって言われてもなぁ」
「反応に困るよな」
「そもそも四十路間近の女がきわどいビキニとか着てる時点であれだし、体つきも結構崩れているからあれだし、マニアックな人には需要あるかもだけれど、控えめに言ってちょっと体型隠しとけって感じだし」
「陽介、やめて、それはアタシの耳にも痛い」
廸子は大丈夫だよ。
なんだかんだで、プロポーションしっかり保ってるし。
ちょっとマニアックに腹回りがぽっちゃりしてるけど、それはそれで全然ありな範囲の奴だし。なんていうか、逆に年相応に健康的な体つきでエロい。
対して美香さんはと言えば、細身っちゃ細身なんだけれど。
なんてーか明らかに無理して身体を整えましたって感じがすげーするんだよな。
腰周りとか、太もももとか、シュッとしているんだけれど、よく見るとこう腕回りとか足首とかが武骨なんだよ。あきらかに、工場内勤務バリバリしてまっせ旦那って感じの体つきなんだよ。
あと、さりげなく腹筋われてるのよね、この人。
普通の女気取ってるけど、武術クラスタ感が隠しきれてないのよね。
そういうとこが残念なのよほんと。
いやいいんだよ、そういうの好きな人もいるだろうからさ。
けど、俺はあんまり好きじゃない。
そういうの。
それだけの話。
ということで、この話はおしまい。以上。
あんまいうと廸子にも飛び火する可能性があるからね。
こんなん、ほんと人の好みだってーの。
「しかしまぁ、何が悲しくて水着新調してまでハワイなんぞに行ったのか。向こうでナンパされるとか思ってるのかね。どんだけ頭が常夏なんだろうあの人」
「そんな言い方酷いだろ。美香さん、割とマジで婚期焦ってるんだからさ」
「ま?」
「ま!!」
まぁ、ことあるごとにそういう話題で突っかかってくるけど、そこはそれ、ジョークかと思っていた。
もうなんていうか、本社の課長補佐なんでしょ。
完全に仕事に人生をささげちゃってるようなものじゃない。
なのに、まだこれ以上欲するのかね。
そして、こうして俺たちにそれを見せつけるのかね。
うぅむ。
「ここは持たざる者の意地という奴を見せる時が来たのかもしれん」
「持たざる者の意地?」
「廸子。ちょっとこっち来て。そんでもって俺の隣に立って――はいチーズ」
自撮り。
俺は廸子と二人で写真を撮ると、それに文字を書いて送る。
僕たちいつまでもおさななじみ。
ずっとずっとこの絆は永遠。
見てて吹き出しそうになる台詞を、きらきら絵文字で張り付けて送信すれば、俺は一仕事終えた感じで額をぬぐった。
お前なぁ、と、恥ずかしそうな顔をする廸子をよそに――。
「ほい、返信。さすが美香さん、釣られやすいったらありゃしない」
「……美香さん」
「金も、地位も、そして有給があっても、手に入らないものがある。それを思い知ったか美香さんふっはっは」
どれどれ、どんな激オコ文面が返ってきたかなと思えば。
着信。
「陽介ェア!! オラァっ!! どういういつもりじゃこの野郎、馬鹿野郎、このアホンダラァ!!」
「美香さん!! 美香さん、落ち着いて!! これ国際電話!!」
「関係あるかボケこらぁ!! 先に幼馴染自慢してきたのはおまえじゃろが!! その喧嘩言い値で買ったるっちゅうねん、覚悟せえやボケェ!!」
「だから国際電話!! 高いことになるから、ね、いったん落ち着こう!!」
荒ぶる我らが美香さん先輩は、国際電話なぞなにするものぞと言う感じで、俺たちに対して電話をかけてきたのだった。
やっかむためだけに電話をかけてきたのだった。
ほんと、もう、いらんことすなや。
そんなことを言いたくなる感じで。
うぅん。
美香さん、ほんと、重症だな。
この旅で素敵な男性と出会えるといいけど――。
けど、送られてくる写真が、風景と食べ物ばかりだから、たぶん無理だな。




