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第76話

「いやぁあああん!! 誠一郎さんのエッチぃイイイ!!」


「……いや、一緒によく温泉とか行く仲だろうがよ。なに言ってんだ陽介」


「一応、これ、言っておかないと俺ただの露出狂になってしまうので」


 股間を手ぬぐいで隠しつつまじめな顔をする。

 旅館の屋上から眺める有馬温泉の景色は壮大で、ほんと、こんな目立つところで全裸になっていることが、どうしようもなく申し訳なくなった。


 警察とかやってこないでね、お願いだから。


 あと、遮蔽物がなくていろんなところから丸見え。

 誠一郎さんでも、工藤ちゃん改め松田ちゃんでもいいから服貸してくれというもんである。しかしながらそんな都合良く服なんて人間持っていないのであった。

 まる。 


 さて。


 有馬の町並みを見下ろして誠一郎さん。

 哀愁漂う爺の背中に夕日が降り注ぐ。

 その横顔にはなんともいえない寂寞感が。


 身内、と、彼は言った。

 するとやはり、そうなのだろうか。


「さて、陽介。すまんかったな。今回は俺の家のごたごたにお前を巻き込んじまってよ。いやさ、まさかここまでの大ごとになるとは俺も思っていなかった。俺としたことが配慮が足りなかったぜ」


「いや、誠一郎さんに配慮とか求めてないっすから、それは別にいいっす」


「んだよぉ、素直に謝ってんじゃんよぉ。怒ってんのか陽介ぇ?」


「いいから、きっちり説明してもらえます?」


「まぁ、そうだわな。しなきゃ納得しねえだろうよ。というか、流石にお前ももう察しているだろうが。このホテル――炭泉閣ってのは、俺の実家なんだよ」


 やっぱり。

 そんなことだろうとは思っていたよ。


 若いころの経歴が割と不明な廸子の祖父――神原誠一郎さん。


 玉椿町にやって来て所帯を持ったが、それ以前に何をしていたのかは親しい人しか知らない。というか、親しい人でもどのあたりの出身くらいしか知らない。


 おそらく、もっとも町で親しい親父でさえ――。


「誠一郎さんには誠一郎さんの事情があるんだ。そういうの、黙って受け入れてやるのが本当の友情ってもんだろう」


 てなこと言って、知らないのだからたぶん誰も知っている者はいない。

 いや、廸子のお婆ちゃんや父・母は知っていたかもしれないが、もう彼らも過去の人である。彼がどのような出自か、正確に知るものは今の玉椿にはいなかった。


 ただ、おそらく。


 まともな家には生まれていないのだろう。


 裸一貫で町に嫁と転がり込み、そこからなんでも屋みたいなことをして、町に居ついた彼。昔の人の中には、今でも誠一郎さんを悪く言う人も多い。

 そこに加えて借金踏み倒しの事件や、町内の会議での問題提起など。彼は町の顔役でありながら、町の因習にノーをたたきつける問題児でもあった。


 そんな変わり者など、普通に育ってできあがるもんじゃない。


 ヤク〇か。

 はたまた名士のボンボンか。

 学生運動崩れか。


 長らく、玉椿町で論じられてきた彼の出自が、いまようやく、長らくの時を経て明らかになった。


 とはいえ。


「どーでもいいよ!! なんで誠一郎さんの実家が、俺にちょっかいかけてくるの!! あれかい!! 廸子にセクハラし過ぎて、ちょっと問題になってるの!! 一族総出で怒ってるの!! だとしたらごめんなさい!! やりすぎちゃいました、すいません!!」


「いや、そうじゃねえんだ。そうじゃねえ。そうじゃねえんだけども、こっからが難しいんだよな」


 言って分かってくれるだろうか。

 って感じで、顎先を撫でる誠一郎さん。

 なに、そんなに複雑な事情がおありなの。


 まぁそりゃそうか。

 そういう事情でもなけりゃ、こんな有名な観光地の、そこそこ歴史あるホテルほっぽってまで町にやってこないわな。


 面倒くさそうに、刈り上げた襟首をゆすると、うっしと誠一郎さんが妙な気合を入れる。どうやら説明の仕方が彼の中で整ったらしい。


 はてさていったいどのような話か。

 俺にはもう、彼の話を聞くことしかできなかった。


「こいつをきっちり話そうと思うと、まずは俺の親父の話から始まる。ここ、有馬温泉炭泉閣に生まれた俺の親父は、まぁ、手の付けられない道楽息子でな」


「え、それ、誠一郎さんが言います?」


「どういう意味だ? 俺は仕事一筋で道楽はほどほどだろうがよ?」


 仕事が道楽みたいな人に言われたくないなー。

 甘い見積もりで事業やり始めて、失敗して借金取りと大立ち回り繰り広げておいて、手の付けられない道楽息子っていうのはどうかと思うなー。


 というか、誠一郎さんもどっちかっていうとそのカテゴリの人間じゃん。


 ぎろり誠一郎さんの眼光が鋭くなったので、おとなしくする。

 うん、門外不出の神原道場の技をこんなところで披露するのはよくないよね。

 ほんとよくない。


 まぁ、神原道場。

 これも流行ってなかったんだけれどさ。


「んでまぁだな、長男の俺をこさえたのが13歳の時だ」


「……13歳!? えっ、ちょっと待って!? 普通に中学生じゃん!?」


「そうだよ。住み込みの仲居に粉かけてたぶらかして孕ませた。まぁ、その時代ならよくある話よ。けどまぁ、それで味をしめちまったんだろうね――親父は器量のいい女を見かけりゃ、手当たり次第に手籠めにした」


「えぇ、そんな、エロ漫画みたいな」


「まぁ、時代が時代だからな」


 ほんでもって、このホテルだからなとあきれた調子で肩を落とす誠一郎さん。


 確かに。

 今はくたびれて、ちょっと古ぼけているが、誠一郎さんが生まれたころには、有馬でも一・二を争う立派なホテルだったことだろう。


 なるほど、これでようやく話が見えてきた。

 誠一郎さんが、なんで俺たちの町――玉椿町にやってきたのか。彼が何者だったのか。いろんなものが。


 そして、おそらく、今回の事件に至る因縁も。


「次々に増える兄弟たち。正妻をついぞ持たずに俺の親父は、気に入った女を次々に手にかけ、勝手に家族を増やしていった。最初は賑やかでよかったが、さすがに二十も越えて兄弟ができた時にはもうついていけなくなった。挙句、俺のかかぁにも手を出しそうになったからよ。てめえふざけんな、いい加減にしろよこの好色爺と、ぶん殴ってこの街を出たって訳さ」


「それで玉椿町に……なんでまた?」


「あんな辺鄙な所、誰も来る訳ないから、絶対見つからないだろうって思ってさ。事実、つい最近まで見つからなかったんだけれどもな――なぁ、九十九?」


 屋上に紅色の着物を身にまとった少女が姿を現す。

 忌々しそうに歯を食いしばり、誠一郎さんに向けるのは憎悪の視線。おそらく、彼女もまた親類縁者の類なのだろう。


 本来ならば、ホテルを継いでしかるべき立場にある、誠一郎さんを責めているのか。それとも、俺を逃がすのに加担したのを責めているのか。

 あるいはその両方か。


 なんにしても、小学生女将は、年相応に感情を露わにして、俺たちの前に姿を現した。


「お父さまがお亡くなりになって、全国に散っていった親類縁者に連絡を取る過程で見付けました。せっかく、葬儀の案内をお出ししたのに、来ないだなんて」


「悪いなぁ。絶縁なもんで顔を出すきにゃなれなくてな。あと、その時期はちと、体の調子も悪かった」


「それでも!! 墓前に花を添えるくらいはいいでしょう、誠一郎兄さま!!」


 誠一郎。

 兄さま。


 ううん。僕の聞き間違いかな。

 絶対にありえない感じの台詞が聞こえた気がするんだけれど。

 えっと、なに、誠一郎叔父様じゃないの。


「……陽介。よく覚えておけ」


「え、ちょっと、なに?」


「女に閉経はあるけれど、男に性欲がなくなることはないんだぜ?」


「マジなの!? ちょっと、え、マジで九十九さんのお兄さんなの、誠一郎さん!? というか、九十九さんのお父さんって、えぇっ!?」


「九十九の時にできた子供だから九十九とは、洒落たことしてくれるよなぁ」


「お父さまの付けてくれた名前です。侮辱するなら、誠一郎兄さまでも許しません」


 淡々と繰り広げられる昼ドラ会話に胃が痛む。

 うん、誠一郎さん、いま、ようやくわかったよ。


 こりゃ逃げるのは仕方ないよ。


 セクハラについては一日の長のある俺でもわかる。

 これ、セクハラの一つ上のレベルにある、ヤベー状況ですよ。

 インモラルな家族の奴ですよ。


 ちょっと昔の、エロゲー的な感じの一族ですよ。


 こんなえぐいハラスメント俺は受けとうなかった。


「ということだ。九十九は俺の末の妹。でもって、廸子の大叔母ってことになる」


「そういうことです」


「そんななんでもない顔で重大なこと言うなよ!! ほんと!!」


 やっぱ爺さんの一族だわ。

 ちくしょう廸子。お前の一族、俺たちより上手のセクハラ一族だったわ。

 インモラル一族だったわ。


 だから爺さん俺のセクハラあんまり効かないのね。あんたも好きねぇ。

 とか、そんな冗談も言えない奴だったわ。

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