第75話
俺の名前は工藤良作。
というのは偽名だ。
本名、松田良作。
神戸は三宮、ショッピングセンタープラザの空き店舗を借りて、探偵事務所をやっている。
いつだって探偵事務所は閑古鳥。
陽介のことをどうこうということはできない、俺も結構な社会不適合者だ。
さて、そんな俺がどうしてこんな有馬くんだりまでやって来て、このろくでなしの危機を救う羽目になったのかと問われれば答えは簡単。
そういう依頼を受けたからだ。
俺の新たな雇い主は、今回の一件について――チケットがそのポストに投函された時からそれをいぶかしんでいたのだ。
やれやれ。
厄介毎に巻き込まれるのは、探偵稼業の宿命。
しかしながらまさかこんなことになるとはね。
昨日までの雇い主に背を向けるのは因果なもんだ。
もっとも計画の全貌を知った今となっては、依頼を受けたことを後悔している。
だからまぁ、なんだ。
「……なんで工藤ちゃんが助けてくれたの? えっ? これ、どういうこと?」
「俺にとっての罪滅ぼしなんだよ。けじめくらいは自分でつけるさ」
◇ ◇ ◇ ◇
家族風呂から逃げ出して、ここはどこだか旅館の外。
屋上まで続く非常階段を昇って、俺と工藤ちゃんは逃走していた。
素直に、玄関から外に出てしまいたいところだが、手ぬぐいしか装備のない俺には、旅館の中を逃げ回ることしかできない。
それはそれとして――。
「工藤ちゃん。いったい何を君は知っているんだい? というか、偽名とか、探偵とか言っていたけど、いったいそれはどういう意味なの?」
「……すまねえな、陽介。お前と接触するに当たって俺は身分を偽った。お前には警戒されちゃいけなかったからな。そう、調査対象のお前には」
「調査対象って?」
もう、知人から出てくる言葉さえも信じられない。
こんな漫画かドラマか映画でしか出てこないような言葉を、どう信じろって言うんだよ。
探偵に調査って。
そんなの普通に生きていたら聞かない単語じゃない。
けれども、目の前の工藤ちゃんの視線は真剣だ。
あれはそう――パチ屋で設定六のコカトリス選んでいる時にも見せた、真剣な奴だ。間違いない。あの真剣な表情を、俺は見ているから分かる。
工藤ちゃんは真剣だ。
「まず最初に、俺の名前は工藤じゃねえ」
「え?」
「松田良作。神戸で私立探偵をやっている。今回、俺は玉椿町にある人間の素行調査を行うためにやってきた」
「……ちょっと、ちょっと待って、情報が追いつかない。えっ、俺と同じニートなんじゃないの?」
「ニートではない」
「そんなあきらかに仕事できない堅気じゃない格好しているのに?」
「格好のことは今はどうでもいいでしょうよ!! というか、ニートだったらこんなスーツ買い揃えられないでしょ!! これで結構、俺、稼いでんの!!」
「……マジで?」
「まじだよ!!」
嘘だろ工藤ちゃん。
絶対、俺、工藤ちゃんのこと、いいところのボンボンとか、なんかいろんな事情を抱えていて、とりあえず生活をするのには困らない収入を得られる、そういう感じの暇を持て余している人だと思っていたよ。
なのにそんな、ニートじゃなかっただなんて。
「俺を騙したのか!! ニートだと騙したんだな、工藤ちゃん!!」
「いや、騙してねえよ。お前が勝手にそう思い込んでただけだろ」
「俺の、俺の心を弄んだんだな!! 工藤ちゃん!!」
「あーもー、そこは悪かったよ。ごめんごめん。けどまぁ、本当に大切なのはそこじゃないだろう、陽介」
分かっているよ。
本当に大事なのは、そこなんかじゃ決してない。
そう、工藤ちゃんが俺を尾行していたこと事態はどうでもいい。
身分を偽って接触してきたのも、お仕事なんだからしかたない。
それよりも大切なのは――。
「……どうして俺の素行調査なんてここの女将さんに頼まれたんだ。おかしいだろ。俺と彼女はどう考えても赤の他人だぜ」
「そこ、なんだよ。そいつがどうにも解せなくてな。俺も、結局最後の最後まで、その謎を解くことができなかった。ほんと、ろくでもねえ探偵だよ。依頼人の真意の一つも見抜くことができないんだから」
依頼人の真意だ。
どうして俺がこの旅館に必要だったのか。
なぜ俺が社長にならなくてはならないのか。
俺の中に眠っている経営者としての資質を見抜いて、あおの女将が回りくどいオファーを行ったとはちょっと思えない。というか、そもそも俺の中に類まれなる経営者としての資質があるということ事態が疑わしい。
というかない。
きっとない。
たぶんない。
ぜったいない。
あるなら、前の会社で絶対にもうちょっと出世してたわ、バカヤロー。
だから、これには何か事情がある。
「そいつがなんなのか気づくのに、結局俺は次の依頼人との接触を待った。いや、むしろ、次の依頼人の方がこの裏について気づいていた」
「次の依頼人って?」
「お前がよく知っている奴だよ。そして、よくよく考えればおかしかったんだ、この旅館にお前と一緒に彼女も連れてこいっていう時点で気づくべきだった」
彼女とは廸子のことだろうか。
すると、廸子もこの件に関係している。
どういうことだ。
いろいろ情報があふれかえってきているが、いまいちピンとくるものがない。
全然情報が断片的で、すっと一つに話がつながらない。
もったいぶった話をせずに、手っ取り早くもう教えてくれと思ったその時。
「動くなや!!」
硬質な音と共に、階段の前に強面の男が現れる。
あれはたしか、今日、エレベーターの前で鉢合わせた埒外に間違いない。
凶悪そうな顔。
そして、鍛えられた身体。
しっかりと両手でグリップされたリボルバー。
艶消しされた砲身が狙いを済ましているのは俺の肩。
命は取らないつもりらしいが、勝手なことをすれば撃つという圧力はびんびんに伝わってきた。
こいつ、やはり――。
「おとなしく、九十九ちゃんの提案に乗っていればよかったのによう。まったく、くだらねえ男だぜ。ニートの癖に変なプライド持ちやがってさ」
「あえて言わせてもらうぜ。ニートにだってな、好きに生きる権利があるんだ。生き方は自分で選ぶ。矜持があるんだよ」
「ほざけ!! ほんま、なんでこんな奴がよりにもよって、社長候補なんや!!」
なんでだろね。
本当にね。
そこはちょっとちゃんと教えて欲しいよね。
というか、女将とやけに親し気だな、このヤク〇の者。
やっぱり、そういうのと癒着している系の旅館だったのか。
だったら尚の事社長なんてやりたくないんだけれど。
「物騒なモノは仕舞えよ。そんなもん一般人に向けてぶっ放したら始末書もんだろ。もうちょっと頭を使えよ」
「あぁん、私立如きが何をたてついてんねん!! しばき倒すぞ!!」
「ほーん、大きく出たなぁ。けどまぁ、後ろに気が回っとらん時点でだめだぜ。教えただろう、ステゴロする時には、周囲にまんべんなく気を配れってさ」
男の背後に突然覆いかぶさる影。
そして、耳に馴染みのある声のトーン。
あれはまさかと思った時には、そいつはヤク〇の者から銃を奪い取り、そのまま、腕をつかんで一本背負い。
螺旋階段の向かう先、屋上へと埒外漢を叩きこんでしまった。
その技、玉椿に生きる者で知らぬわけがない。
「……な、なんで、ここに、叔父貴が!?」
「なんでもへちまもあるかよ馬鹿野郎お前。孫娘とツレの息子が厄介毎に巻き込まれた。それも、ろくでもない俺の血筋が原因でとくりゃ、責任感じねえほうがどうかしてるってもんよ」
「……だったら、あんた」
もう喋んなと死体蹴りをかます影。
それは、こちらを向くといつもの――気さくな笑顔を俺に見せた。
知っている。
ナニモかも知っている。
この人のことを俺は知っている。
だって、彼は。
「誠一郎さん!?」
「いよっ!! 悪いね、せっかくのデートに水差しちまってよぉ!! しかもお前、そんな格好で!! こんな真昼間からお盛んじゃねえのよ!!」
廸子の祖父。
神原誠一郎さんであった。




