空への誘い
飛空艇の試験飛行から三日後、俺は大公殿下の屋敷を訪ねた。
今日は、大公殿下を乗せて遊覧飛行を行う予定だ。
幸い、薄い雲は出ているものの天候は晴れ、風も比較的穏やかだ。
案内された応接間には、アルビーナ・カーライル侯爵令嬢と見慣れない羊人の男性が待っていた。
「冒険者ギルドの職員のボガーツと申します、よろしくお願いいたします。エルメール卿」
「どうも、こちらこそ……って、ボガーツさんも空を飛びたいのでしょうか?」
「あーいえいえ……いや、飛びたいのは飛びたいのですが、本日はリクエスト依頼の件でお邪魔しております」
「リクエスト? あっ、もしかして大公殿下を乗せて飛ぶことがリクエスト扱いになるのですか?」
「はい、おっしゃる通りです。詳しい内容につきましては、大公殿下から直接伺って下さい」
「分かりました」
待つこと暫し、普段とは違い、狩りに出掛けるような身軽な服装に身を包んだアンブロージョ様が現れた。
「エルメール卿、今日はよろしく頼む」
「はい、お任せ下さい。殿下、今日の飛行は冒険者ギルドのリクエスト依頼になるのですか?」
「その通りだ。我が屋敷から飛び立ち、旧王都の街の上空をぐるりと飛んでもらいたい」
「かしこまりました。今日は風も穏やかで、絶好の飛行日和ですから、景色も良く見えますよ」
「それは楽しみだ。それで報酬だが、大金貨五枚でどうだろう?」
「えっ、大金貨五枚ですか?」
「やはり不服か、それならば……」
「いえいえ、不足どころか多過ぎです」
大金貨五枚といえば、前世日本の金銭感覚では五百万円ぐらいの価値がある。
黒オークを仕留めて、良い状態でギルドに持ち込んだのと同等の金額だ。
「大公殿下にはお世話になっていますし、別に報酬は……」
「駄目だ。それでは、子爵以上の位を持つ貴族から頼まれたら、タダ働きさせられてしまうぞ」
「あぁ……そうですね」
「ワシの考えでは、もっと高くても良いと思っている。でないと、自分も自分もと貴族からせがまれてしまうぞ」
確かに、大公殿下を乗せて遊覧飛行を行ったという話が伝われば、自分も飛んでみたいと思う貴族が現れても不思議ではない。
というか、確実に国王陛下、バルドゥーイン殿下、ファビアン殿下、エルメリーヌ姫からは、早く乗せろと言われてしまうだろう。
そして、王族が飛んだなら、自分たちだって飛んでみたいと思うのが貴族という生き物なのだ。
よく考えずに引き受けてしまったが、大公殿下の遊覧飛行は更なるトラブルの原因となってしまいそうだ。
「だからな、エルメール卿、今回の報酬は大金貨十枚にした方が良いと思うのだ」
「旧王都一周ですと、時間にすると一時間程度ですが、それで大金貨十枚はさすがに……」
「いや、さすがに……と思わせなければ、その金額設定にする意味は無いぞ」
つまり、アンブロージョ様は、超高額といっても良い料金設定にすることで、貴族たちがこぞって依頼をだしてくる状況を食い止めようと考えていらっしゃるのだ。
「分かりました。では報酬は大金貨十枚、ただしアンブロージョ様には日頃からお世話になっているので半額の五枚でお受けいたします」
「ふむ、聞いたなボガーツ、基本は大金貨十枚だぞ」
「はい、かしこまりました」
冒険者ギルドは、基本的には国からも独立した組織だが、だからと言って全く干渉されない訳ではない。
今回のように、王族や貴族からの申し出があり、それが冒険者の利益に繋がると判断すれば、干渉を受け入れるそうだ。
ここまで高額だと、貴族であっても一部の人間しかリクエストしないだろう。
それに、猫人を見下しているような貴族もリクエストしないだろう。
仮に、腹立たしい人間がリクエストを出したとしても、ほんの少し我慢すれば大金貨十枚ならば、俺の精神的な負担も少なくなる……はずだ。
こうして、俺が遊覧飛行を行う場合の基本料金が決定したのだが、一連の会話を見守っていたアルビーナ嬢が蒼ざめていた。
アンブロージョ様は大金貨五枚で俺にリクエストを出して受託された格好だが、アルビーナ嬢からは空を飛びたいという希望は聞いているが、報酬の話はしていない。
アルビーナ嬢は、現在大公家の屋敷に滞在している。
いつまで滞在するのか聞いていないが、他家の屋敷に滞在するのだから、当然相応の費用を支払うことになるはずだ。
しかも、アルビーナ嬢だけでなく、護衛の騎士達の滞在費も必要となる。
そこへ更に大金貨十枚の負担が圧し掛かったら……それは顔色も無くすよね。
「アンブロージョ様」
「なにかな、エルメール卿」
「本日の飛行ですが、荷物を持ち込んでいただいても構いませんよ」
「んっ、荷物だと?」
「はい、女性一人分の程度の大きさの荷物でしたら、サービスさせていただきます」
「はっはっ、なるほど……それでは、お言葉に甘えさせてもらおうか」
侯爵令嬢を荷物扱いするのは失礼だとは思いましたが、カーライル侯爵とは知り合ったばかりですし、変に割り引くと基本料金を決めた意味が無くなってしまうので、許してもらいましょう。
諸々の書類に署名を終えた後、大公家の前庭へと移動した。
正門から屋敷まで続く道が、一番広くて障害物が少ないので、ここから離陸して旧王都を一周した後に着陸する予定だ。
「では、アンブロージョ様、こちらから乗り込んでいただけますか?」
「何もないようだが、ちゃんと座席があるのだな」
「アルビーナ嬢、アンブロージョ様の隣にお願いします」
今回の飛行船は、試験飛行に使った物に近い形にしてある。
座席は前に一、後ろに二の三席で、典型的な飛行船の形にしてある。
既に気室にはヘリウムと思われる気体を満たしてあるので、キャビンのドアを閉めて固定を解除すれば離陸できる。
「準備はよろしいでしょうか?」
「いつでも良いぞ」
「よろしくお願いいたします」
「では、離陸いたします」
先に飛行船前方の固定を解き、機首が上がった所で後方の固定も解除し、同時に推進器を作動させた。
「おぉぉ……浮いた、浮いたぞ!」
「はい、地面が離れていきます」
普段は冷静なアンブロージョ様が、興奮気味に声を上ずらせている。
アルビーナ嬢は、ロックしたドアに張り付いて景色を眺めていた。
高さ三十メートル、旧王都で一番高い、教会の鐘楼よりも高い位置で高度を維持し、ゆっくりと旧王都の上空を巡回する。
「これが、エルメール卿が見ている世界か……」
「アンブロージョ様、旧王都を一周し終えたら、もう少し高度を上げますよ」
「高く飛べば新王都の街並みも見えるか?」
「それは、天候次第ですね。晴れているように見えても、靄が掛かっていると遠くの景色は遮られてしまいますから」
ダンジョンを中心にして、旧王都の旧市街、新市街と飛び続ける。
アンブロージョ様もアルビーナ嬢も、食い入るように空からの街並みを眺め続けていた。
旧王都をぐるりと一周したところで、再び機首を上げて更に高度を上げていく。
四十メートル、五十メートル、六十メートル……道を行き交う人の姿が、どんどんと小さくなっていく。
ゆっくりと旋回を続けながら高度を上げいくと、アンブロージョ様が声を上げた。
「おぉ、あれが新王都ではないか?」
「どこですか、アンブロージョ様!」
旧王都で再会して以来、不気味なほど静かだったアルビーナ嬢も、興奮気味で声のテンションが上がっている。
「鳥だ……正にこれは、鳥でしか味わえない景色だろう」
「広いです……こんなにも世界は広いのですね」
旧王都上空からは、西に新王都、南に海が見えた。
高度を二百メートルぐらいに上げた後で水平飛行に移り、旋回の半径を大きくして旧王都の上空を旋回した。
いやぁ、今回の遊覧飛行の感想が、どこかに洩れたりしたら、貴族からのリクエストが殺到しそうで怖ろしい。





