調査隊
シュレンドル王国南部の港町タハリに漂着した幽霊船の調査に向かう朝、待ち合わせの場所である学院の門前には、ユゴー学院長の他に二人の男性が待っていた。
「おはようございます、エルメール卿」
「おはようございます、ケスリング教授」
落ち着いたトーンの声で挨拶してきたのは、新王都の学院のケスリング教授だ。
ケスリング教授はレンボルト先生の上司で、ダンジョンの家電量販店と思われる建物の先行調査を一緒に行ったので、もうよく知った仲だ。
「はじめまして、エルメール卿。私は学院で生物学の教授をしておりますマシップと申します」
「ニャンゴ・エルメールです、よろしくお願いいたします」
マシップ教授は、四十代後半から五十代前半ぐらいに見える犬人で、こちらも落ち着いた雰囲気の男性だ。
タハリまで同行するのは、ケスリング教授とマシップ教授だけで、ユゴー学院長は見送りに来てくれたそうだ。
「エルメール卿、今回の話はどう思われますか?」
「そうですね、まだ現地に行って確かめてみないと何とも言えませんが、先史時代の人類の子孫である可能性はありますね」
「やはりそうですか……おっと、調査前にあまり先入観を持つのは良くありませんね。マシップ教授は人から獣、魔物まで幅広く研究、分類作業を行っているので、今回の調査ではお役に立てると思っております」
「はい、俺は直感的な発見は出来ると思いますが、学術的な検証には知識が足りませんので頼りにさせていただきます」
今回は王家から命じられた調査隊が入る前に、ちょっと覗かせてもらう感じなので、ダンジョンの学術調査とは違って三人だけで行うそうだ。
まずは、今回のメンバーが見て、確認して、保全の必要性があるか否かを判断し、タハリの人達にアドバイスするのが目的だ。
とにかく、貴重な資料が失われることだけは防がなければならない。
「では、出発いたしましょう」
タハリまでは馬車で二日程の距離なので、飛んで行くのも簡単だが、ケスリング教授とマシップ教授が一緒なので馬車での移動となる。
学院が教授のために用意した馬車なので、貴族が使う物と同等の乗り心地の良いものだ。
馬車には大公家の騎士二名が護衛として同行するが、護衛というよりもタハリでの行動を円滑に運ぶための名刺代わりのようなものだ。
大公家の紋章が入ったピカピカの鎧を着た騎士が一緒ならば、身分は保証されていると見た目で主張しているのと同じなのだ。
「まぁ、エルメール卿が一緒ですから何の心配もありませんけどね」
「いやいや、ギルドのカードを忘れて騎士服も着ていなかったら、俺なんてただの猫人ですから」
「とんでもない、空属性魔法を使って宙を歩く猫人なんて、エルメール卿以外にはいらっしゃいませんよ」
走り始めた馬車の中でケスリング教授から言われたのだが、例の演劇のおかげで宙を歩く猫人=エルメール卿という認識は広く知られているらしい。
なるほど、そもそも空属性を使う人にも出会ったことが無いし、更に猫人で、毛色が黒となると相当限定されてしまうのは確かだ。
馬車の中では、自己紹介のための談笑をした後で、調査のための打ち合わせを行った。
「エルメール卿、我々は互いの得意分野を活かして、二つの点を中心に調査を行いたいと思っています。一つは、私が考古学の観点から漂着した船と乗組員たちの生活レベルを推測すること。もう一つは、マシップ教授が生物学の観点から乗組員の人種の特定をおこないたいと考えております」
「分かりました。マシップ教授は先史時代の人類について、どのような知識というか認識をお持ちですか?」
「それです! 私は、そのことについてエルメール卿にお礼を申し上げたいと常々思っておりました。本当にありがとうございます」
話を振ったマシップ教授は、いきなり俺に向かって深々と頭を下げてみせた。
「えっ、ちょっ……お礼を言われるようなことをした覚えは無いのですが……」
「とんでもない! 頭頂部の耳が無く、尻尾を持たない単一種族……そのような考えは、これまでには全く検討すらされていませんでした」
マシップ教授の話によれば、今までは現代と同様に多くの種族が遠い昔から暮らしていたと考えられていたそうだ。
まぁ、普通に考えればそうなるだろうし、むしろ先史時代の人類の流れを汲む者が存在せずに、いわゆる獣人と呼んでもおかしくない者が闊歩しているのが異常だ。
現代に生きている我々は、先史時代の人類の手で、遺伝子操作によって生み出されたのではないかと俺は考えている。
何らかの理由で、先史時代の人類が滅亡し、遺伝子操作によって生み出された我々が生き残ったと考えると辻褄が合うような気がする。
ただし、遺伝子操作なんて前世の知識を披露する訳にはいかないので、その辺りの説明は厄介だ。
「エルメール卿が発見してくださった資料によって、先史時代には我々と違う単一人種が世界の大勢を占めていたらしい……ということが分かったのです。これは生物学にとっては大きな大きな発見なんです」
「なるほど……マシップ教授、調査はどのように進めるおつもりですか?」
「そうですね、まずは遺体がどのような状態にあるかが問題です」
「最悪なのは、荼毘に付された後に骨まで砕かれてしまったケースです。この場合、私の出番は無くなってしまうでしょう」
シュレンドル王国では、複数の埋葬方法が行われている。
その中の一つが、遺体を火葬した上で、残った骨を砕くという方法だ。
これは、遺体がアンデッドな魔物として復活しないようにする措置で、貴族が亡くなった場合にはこの方法がとられる。
「荼毘には付されたが、骨は砕かずに埋葬された場合は、骨格の検証は辛うじて出来るかもしれません」
「我々と先史時代の人類とでは、骨格からして違っていそうですからね」
現代に生きている一般的な人類でも、耳の位置が違うので頭蓋骨の形が異なっているはずだ。
それに尻尾には骨があるので、尻から尾にかけての骨格も違っているだろう。
てか、俺達猫人は、骨格の時点で猫に近いので、比較の対象にはならないだろうな。
「遺体が腐乱していて、既に埋葬されていた場合は、掘り返すのは勇気のいる行為となりますが、この場合は頭髪や体毛などの組織も確保できますし、骨格も火葬されていた場合よりも良い状態で観察できるはずです」
「墓を暴くのは、確かに勇気がいりそうですね」
「はい、ですが、その状態であっても検証しない訳にはいきませんし、動物の死骸をしらべると割り切ってやるしかありませんね」
さすがは生物学の教授、普段から解剖などには慣れているようだ。
「最後に考えられるのは、遺体が白骨化した状態だった場合です。もし腐乱せず、干からびた状態であったなら、是非とも学院に持ち帰って調査を行いたい」
遺体がいわゆるミイラ化した状態で発見された場合、内臓の位置や内容物の確認も出来る場合があるそうだ。
ただし、今回発見された乗組員たちは餓死したと推定されるので、かりにミイラ化した状態で見つかっても胃や腸の内容物には期待できないようだ。
「マシップ教授は、先史時代の人類が魔法を使えなかった可能性があることはご存じですか?」
「えっ、何ですかその話、初耳です!」
新しい情報に接した途端、マシップ教授は立ち上がらんばかりに身を乗り出してきた。
うん、やっぱり学者さんって、こんな感じなんですかね。
「これまでに発見されているアーティファクトを見ていて、うちのパーティーのメンバーが気付いたのですが、現代で使われている自前の魔力を流して使う魔道具が一つも発見されていません」
「えっ、ですがエルメール卿が発見されたアーティファクトは魔道具じゃないんですか?」
「おっしゃる通り魔道具ですが、魔力を充填するための装置があり、その装置へ魔力を送る設備が整えられていたようで、全ての魔力はその設備を経由して送られ、使われていたようなのです」
今の時代、多くの人は魔道具の恩恵を受けて暮らしている。
属性魔法を発動させるには魔力を操作する練習をしないと上手く発動させられないが、自前の魔道具は所定の場所に触れて魔力を流せば失敗無しに魔法が使える。
魔力を流すだけで練習も無しに使える魔道具が存在せず、魔力を充填して使う高度な魔道具が使われていたことから、先史時代の人間は自前の魔力を持たず、魔法が使えなかった可能性が高い。
「なるほど、それは確かに魔法が使えなかった可能性が考えられますね」
「その辺りの違いは、遺体を検証して分かるものなんでしょうか?」
「うーん……遺体の状態次第ですが、良好な状態だったとしても難しいかもしれません」
「全ては遺体を見てから……ですね」
「そうですね。しかし……その人達は、一体どこから来たのでしょうね」
「さぁ? 俺は潮の流れとか詳しくありませんし、恐らく遥か南の……あっ」
「どうされました、エルメール卿」
「アーティファクトに先史時代の地図が入ってるんです。ちょっと見てみましょう」
考えてみれば、スマホに地図アプリが入っているのを忘れていた。
スマホを起動させて地図アプリを開くと、かつてのダンジョンの姿を示す海上都市の地図が表示された。
「それが、かつてのダンジョンの姿ですか?」
「はい、そうです。ここがダンジョンで、こっちが発掘が検討されている新区画、この赤い点が……ん?」
「どうされました、エルメール卿」
「移動している……?」
これまで、ダンジョンの外でも地図アプリを開いたことはある。
発掘のための地下道を新設するにあたり、正確な位置情報をギルドと大公家に提供した時などだ。
ただし、それは止まっている状態だった。
今、スマホの画面に表示されている赤い点は、ゆっくりとした速度ではあるが地図上の海の上を移動している。
地図の外側に表示されている、恐らく経度と緯度を示している数字も変化し続けている。
「にゃ、にゃんでだ? まさか衛星が生きてるのか?」
馬車の動きに合わせて現在地を示し続けるスマホは、俺に新たな可能性を示しているようだった。





