全てを解決するもの(ミゲル)
年を跨ぐようにして、積もるほどの雪が降った。
自分の故郷アツーカ村では年に何度か雪が積もるが、麓の街であるイブーロで積もるのは珍しいそうだ。
イブーロの学校はかつて軍の施設だったそうで、頑丈な石造りのせいか冬は底冷えがする。
校舎だけでなく学生たちが使う寮も同じで、雪が降ったせいで一層冷え込んでいる。
他の街から来ている者は年末年始の間も寮に残っているが、殆どの者は暖を求めて暖炉がある食堂や談話室に集まっていた。
そうした者達を横目で見ながら、自分は動きやすい服装で男子寮を出た。
玄関も寒いと感じていたが、扉を開けて外に出ると刺すような冷気に包まれた。
引き返してベッドに潜り込んでしまいたい誘惑が頭をもたげてくるが、ブルブルっと首を振ってから両手で頬を叩いて気合いを入れ直した。
二度、三度と屈伸運動をした後、学校の施設を繋ぐ渡り廊下を食堂とは逆の方向に向かってゆっくりと走り始める。
最初は腕や首を回しながら、速足よりも少し速い程度のペースで走った。
渡り廊下の突き当りまで来たら、向きを変えて元来た方へと走る。
男子寮の前まで戻ったら、また向きを変えて戻る。
徐々に走るペースを上げてながら三往復半、体が暖まったところで渡り廊下の突き当りを右に折れて騎士団の施設へと足を向けた。
イブーロの学校はかつての軍の施設であり、現在もラガート騎士団の施設が併設されている。
この施設で騎士見習いとして訓練を受け、成績に問題が無ければ正式に騎士として採用されるのだ。
つまりイブーロの学校は一般の子供のための学校であると共に、騎士の卵にとっての学校でもあるのだ。
自分が足を向けたのは、騎士団の身体訓練施設だ。
昨年の雨季のはじめ、自分は幼馴染であるキダイ村の村長の娘オリビエに手酷く振られ、その時に一人の騎士見習いと出会った。
ヒューゴと名乗ったヒョウ人の騎士見習いは、泣きわめく自分を宥め、根気よく情けない話を聞いてくれた。
そして、自分が立ち直る切っ掛けとして、この身体訓練施設へと連れて来てくれたのだ。
「明けましておめでとうございます、キエラスさん」
「うむ、明けましておめでとう、ミゲル」
自分が姿勢を正して大きな声で挨拶すると、訓練場の管理人キエラスは満足気に頷いた。
「今年もよろしくお願いいたします」
ここまで羽織ってきた上着を脱いで、ぐっと右腕で力こぶを作ってみせると、キエラスさんはニヤリと口許を緩めた。
「うむ、順調に育っているようだな。こちらこそ、よろしく頼む……ぞ!」
言葉を切ると同時に、キエラスは両腕で力こぶを作ってみせた。
その二の腕は自分の二倍以上、同級生の女子の胴回りぐらいある。
ここで鍛錬を重ねることで、自分の肉体は大きく変化、成長を遂げているが、キエラスや騎士団の人達に比べると足元にも及ばない。
「さぁ、みんな始めているぞ、遅れを取るなよ、ミゲル」
「大丈夫です。学校が休みなので時間はたっぷりありますから」
「そうか、追い込むのだな?」
「はい、這って帰るぐらいまで」
「ならば、行くがいい」
「はい!」
会話の間もキエラスはポーズを変えて、様々な筋肉を俺に見せつけてくる。
そこに劣等感を感じて心折れているようでは、ここではやっていけないのだ。
身体訓練場には暖房設備など何も無いのだが、既にむせ返るような熱気に溢れていた。
様々な重りや器具を使い、何人もの騎士見習いが己の肉体を苛め抜いていた。
その中にはヒューゴの姿もあったが、思わぬ事故に繋がる恐れがあるので、鍛錬の最中には声を掛けないのがルールだ。
ヒューゴは天井から吊るされた太いロープを握り、腕だけで登っていた。
スルスルと登るのではなく、片手を離し、片手だけで体を引き上げたところで逆の手でロープを掴み、また片腕だけで体を引上げる動作を繰り返している。
いってみれば、交互に片手懸垂を繰り返しているようなものだ。
筋肉の鎧で覆われた屈強な肉体そのものを鍛錬のための重しとして使っている。
腕はブルブルと震え、硬く歯を食いしばることで首には太い筋が浮かんでいるが、ヒューゴは真っ直ぐロープの上端だけを見据えていた。
そこには、決して折れない強い意志が感じられた。
ヒューゴへの挨拶は後回しにすることにして、自分も空いている訓練設備を使って肉体を苛める。
騎士見習いの人が使う三分の二程度の重さだが、今の自分には十回連続で上げるのが限界の重さだ。
設備を移動しながら、腕や足、胸、腹、背中など、全身の筋肉を苛め抜く。
「ぐぅあ……ぐぅあ……」
悲鳴を上げる筋肉は、かつての弱くて情けない自分だ。
こいつらを作り変えることで、自分自身が変わるのだ。
正直に言うと、最初は嫌で嫌でたまらなかったが、逃げても逃げてもヒューゴさんに捕まり、根気よく諭され、足腰が立たなくなるまで訓練をさせられた。
騎士と交わした約束は絶対だと言われれば逆らえない……いや、騎士見習いの筋肉には逆らいようが無かった。
気持ちに変化が現れたのは、最初の筋肉痛のピークが過ぎた頃に受けた武術の授業だった。
いつもと同じ木剣を握って振った瞬間、自分の肉体の変化に驚いた。
木剣が、まるで別物のように軽く感じられたのだ。
立ち合いでも、これまで全く相手にされなかった同級生とも互角に打ち合いができた。
変われるという手応えを感じて、自分は更に鍛錬に打ち込み、そして調子に乗ってしまった。
同級生で一番強いジャスパーには歯がたたなかったが、これまで自分と同じ位置にいた弱い連中を手合せの相手に選び、叩きのめして悦に入っていたのだが……。
そんな様子を武術の講師であるメンデス先生に見咎められて、手合わせで叩きのめされ、さらにはヒューゴにも連絡されてしまった。
「貴様が変わりたかったのは、そんな弱いもの苛めをするクソ野郎なのか!」
「す、すみませんでした!」
「筋肉は弱いものをいたぶるためのものではない! 弱者を護るためのものだ! 貴様の捻じ曲がった根性を叩き直し、筋肉道と騎士道の精神を叩き込んでやる!」
髪を逆立て、烈火のごとく怒ったヒューゴの迫力に圧倒され、震え上がり、ちょっとチビった。
全寮制の学校に併設された騎士団の施設……自分に逃げ場などあるはずも無く、その日からの鍛錬は苛烈の一言だった。
鍛錬だけでなく、普段の言動、行動の全てが監視され、騎士見習いと同レベルの振る舞いを課せられた。
久々に出くわしたアツーカ村の幼馴染ニャンゴ……いや、エルメール卿にも、以前のような舐めた口の利き方はできなかった。
苦しい、痛い、悔しい、腹立たしい……様々な負の感情を鍛錬に使う重りにぶつけた。
これまで三回しか上げられなかった重しを五回上げられるようになり、登りきれなかったロープを天井まで登りきれるようになった。
「よーし、いいぞ、ミゲル! よくやった!」
「頑張ったな、やるじゃないか!」
「いいぞ、いい筋肉だ!」
これまで出来なかったことが出来るようになると、訓練場を共に利用する騎士見習いたちが褒めてくれた。
挫けそうな時には励まし、助言をしてくれ、達成すると手放しで褒めてくれる。
それは、これまでの俺の生活には存在しないものだった。
生まれた頃から、自分は周囲の人から一目置かれていたが、それは祖父が村長だからであって、自分自身が優れているからではなかった。
生まれて初めて、本当の意味で自分に向けられる賞賛の言葉は、厳しい鍛錬の末に手にしたものであるが故に、たとえようもなく甘美に感じられた。
正しく努力を重ね、正しい振る舞いを続けていれば、周囲の者は自分自身を見て、評価してくれるのだと知って考えが変わった。
これまでの自分が、どれだけ祖父の地位に甘え、何もせずに要求するだけの甘ったれたガキだったか、ようやく気付くことが出来た。
アツーカ村の幼馴染エルメール卿には、とても追い付けるとは思えないほどの差を付けられてしまった。
もう一人の幼馴染オラシオとは、『巣立ちの儀』の後に村を出たきり会っていないが、王国騎士となるべく訓練を受けているのだから、遥か先にいるのは間違いない。
そう考えると、自分一人取り残されている現状に焦りを覚えてしまうが、筋肉は一日では成長してくれない。
人格もまた一日だけでは成長しない。
日々、地道な鍛錬を続けることでしか成長出来ないのだ。
「ななぁ……はぁち……きゅう……じゅうぅぅぅう! はぁ、はぁ、はぁ……」
「よーし、よくやったミゲル!」
「あっ、ヒューゴさん、明けましておめでとうございます」
「おめでとう、ミゲル、切りが良ければ昼飯にしよう。今日は騎士団の食堂で奢ってやる」
「ありがとうございます、筋肉は食って育てろ……ですね」
「そうだ、行くぞ、ミゲル!」
「はいっ!」
自分は幸せ者だ。あんな情けなかった自分を拾い上げて、叩き直してくれた人と出会えた。
高い高い目標を見せてくれる幼馴染たちがいる。
そして、いつか自分はオリビエに相応しい男になってみせる。
大丈夫だ、筋肉は裏切らない!





