ボタン鍋
「お肉、お肉、イノシシ、お鍋!」
カリサ婆ちゃんの家の台所で、イネスが上機嫌で歌っている。
村長の家に挨拶に行った後、カリサ婆ちゃんの家で昼食を済ませて山に入ると、村の近くまで降りてきたイノシシを見つけた。
雪のせいで、食べ物を見つけられずに村の方へと降りて来たのだろう。
深く積もった雪に足を取られながら、モソモソと進んでいた。
空属性魔法で作ったボードに乗って、空に浮かんでいる俺には全く気付いていないようだ。
イノシシの真上に移動して狙いを定め、魔銃の魔法陣の一撃で脳天を貫いて仕留めた。
声すら上げずに倒れたイノシシを空属性魔法で作ったボードに載せ、川に運んで血抜きをした。
若いオスのイノシシのようで、冬に備えて秋のうちに栄養を貯め込んでいたのだろう、丸々と太っていて美味そうだ。
カリサ婆ちゃんの家へ持って帰ろうかと思ったが、考え直して村長の家へと持ち込む。
肉や毛皮を分ける代わりに、解体を頼んでしまおうと考えたのだ。
冬の間の備蓄として、どこの家も塩漬け肉などを準備しているが、やはり生の肉の方が美味い。
新鮮なイノシシ肉が手に入るとあって、村長は喜んで解体を引き受けてくれた。
村長の家の使用人たちが手際良く解体を進めてくれて、俺はバラ肉や背ロースやレバーなどの美味そうな部分を分けてもらった。
一部を実家に持ち帰り、残りをカリサ婆ちゃんの家へと持って帰ると、実家から戻ってきたイネスが待ち構えていたのだ。
「イネスは明日まで家にいるんじゃなかったの?」
「うん、最初はそのつもりだったんだけど、なーんか居づらくって」
「えっ、イネスでも居づらいなんて思うことがあるんだ」
「失礼ね、あたしだって気を遣うことぐらいあるわよ……ていうか、兄さんのところにお嫁さんが来たからさ……」
「そうなんだ、おめでとう」
「うん、確かにおめでたい話なんだけどね……」
お兄さんが嫁をもらえば家の跡継ぎが出来るし、めでたい話だと思うのだが、何だかイネスは複雑そうな表情をしている。
もしかして、嫁姑の冷戦が勃発しているのだろうか。
「お嫁さんとお母さんの折り合いが悪いとか?」
「ううん、すっごく仲良いよ」
「じゃあ、お父さんと上手くいってないとか?」
「とんでもない、本当の娘みたいに可愛がってるわよ」
「じゃあ、何にも問題無いんじゃないの?」
「問題あるわよ。お父さんも、お母さんも、お兄ちゃんも、みーんなお嫁さんばっかり可愛がってさ、あたしのことなんかどうでも良いみたいなんだよ」
「あぁ、なるほどね……」
これまでだったら、一家のアイドル的ポジションに君臨してきたイネスが、兄嫁に地位を奪われたらしい。
カリサ婆ちゃんの家に住み込みで弟子入りしているイネスは、久々に戻った実家でチヤホヤされる予定だったのが、当てが外れて憤慨しているらしい。
「イネスの家は俺の実家に比べれば全然マシだよ。今朝帰ってみたら、みんな布団に潜って寝てたんだぜ」
「えっ、新年早々から?」
「うん、冒険者になって稼げるようになったから、家族全員分の布団を買ってやったんだけど……雪降って寒いし、ぬくぬくの布団から出られなくなってた」
「あははは……でも気持ちは分かる。あたしも寝てられるなら寝ていたかったもん」
イネスの家では全員が揃って新年の挨拶をして、ちょっと豪華な食事をしたそうだ。
うちの実家も、その程度は出来るだけのお金は置いてきたはずなんだけどねぇ。
結局は、面倒くさいの一言なんだろうなぁ……。
「ほらほら、あんた達、そろそろお鍋を始めるよ」
「は~い、お鍋、お鍋、イノシシ、お鍋」
初めは凄く心配だったけど、なんだかんだでイネスとカリサ婆ちゃんは馴染んでいるみたいだ。
カリサ婆ちゃんは、ちょっと偏屈なところがあるけど、イネスは天然だから少々の小言は右の耳から左の耳に抜けていくから良いコンビなのかもしれない。
「よーし、麺も切り終えたぞ」
俺が獲物を捕りに行っている間に、ゼオルさんが麺を打ってくれていた。
粉を捏ねるのに力が必要なので、力持ちのゼオルさんが打った麺は腰があって美味しい。
土間に七輪を大きくしたような炭台を置いて、そこに大きな鍋を置き、周りに椅子と袖机を並べる。
鍋にはイノシシの骨で取った出し汁が、たっぷりと張られ、先に入れた芋が沸々と煮えていた。
そこへカリサ婆ちゃんが、イノシシの肉、白菜、キノコなどを入れていく。
「お肉、お肉、イノシシ、お鍋……」
「まだだよ、イネス。イノシシの肉は、ちゃんと火を通してからだよ」
「分かってるよ」
うん、実家に帰ったイネスの気分が少し分かったような気がする。
今までだったら、そこは俺のポジションだったような……いやいや、嫉妬なんかしてないからな。
「婆ちゃん、そろそろいいかな?」
「あぁ、もう良さそうだね。ニャンゴが捕ってきてくれたんだ、たんとおあがり」
「いただきます! ほら、キンブルも遠慮しないで食べろよ。じゃないと、イネスにみんな食べられちゃうぞ」
「はい、よく分かってます」
「ちょっと、キンブル……むぐむぐ……その言い方は……むぐむぐ……酷いんじゃ……」
「イネス! 食べながら喋るんじゃないよ、みっともない!」
「はぁい……」
カリサ婆ちゃんに怒られても、イネスはフォークを動かす手を止めるつもりは無いようだ。
「さぁ、カリサさん、一杯やろう」
「すまないね、ゼオルさん」
「ニャンゴも一杯やるか?」
「じゃあ、一杯だけ」
ゼオルさんが持ってきたお酒をちょっとだけ注いでもらう。
鍋の〆の麺まで楽しまないといけないから、デレデレに酔わないように気をつけないといけない。
お酒をチビチビ飲みながら、みんなで鍋を囲み、ダンジョンに行くまでに遭遇したツバサザメの騒動や船幽霊の騒動の話をした。
村にいた頃の俺では、絶対に経験できなかった出来事を話していると、冒険者になったんだなぁという実感が湧いてきた。
「そうだ、ゼオルさん。ダンジョンでバリッツという方に会いましたよ」
「ん? 赤髪の狼人のバリッツか、あいつまだダンジョンに潜ってやがるのか?」
「ダンジョンの最下層にあったベースの管理人をやってましたけど、ベースは封鎖になったんで地上に戻っているはずですよ」
「そうか、さすがにもう冒険者からは足を洗っているか」
「ゼオルさんは、あんまりダンジョンには興味が無かったって聞きましたけど……」
「そうだな、俺が旧王都にいた頃は、潜れば何かしらのお宝を手に入れたり、魔物を狩って素材を手に出来たりしたんだが、地下の空間に長くいるのは性に合わなかったな」
昼も夜も無く、空気が淀んだ空間にいるのが性に合わず、ゼオルさんは旧王都と各地を結ぶ馬車の護衛を主にしていたそうだ。
「今はどうか知らないが、あの頃は、旧王都と新王都、旧王都と港街タハリの間を引っ切り無しに馬車が行き交っていたから、護衛の仕事にも事欠かなかったもんさ」
「なるほど、地上にいればダンジョンが崩れる心配なんてしなくて良いですもんね」
「まぁ、そうだな。だが、そうそう崩れるものでもないだろう」
「えっ……あっ、そうか、まだ情報が伝わってないのか。ダンジョンが崩落して大騒ぎになったんですよ」
「なんだと、そりゃ本当か?」
「はい、真相は不明ですが、アースドラゴンを討伐するために、粉砕の魔道具を複数使ったのが原因だとされてます」
「アースドラゴンだと、そんなものが何処から出て来たんだ?」
「最下層の横穴からだと言われてますね」
「本当にアースドラゴンだったのか?」
「たぶん、調査隊が確認したようですし、地上まで咆哮が響いてきていたんですよ」
「ほぅ、そいつは本物みたいだな」
俺とゼオルさんの話を聞いて、カリサ婆ちゃんが心配そうな顔をしていたので、アースドラゴンとは直接関わっていないし、崩落にも巻き込まれていないと話しておいた。
「本当に大丈夫なのかい?」
「うん、アースドラゴンはダンジョンの崩落に巻き込まれたみたいで、咆哮も聞こえなくなったし、俺たちがいた新区画は全く影響を受けなかったから大丈夫だよ」
パーティーのメンバーも学術調査隊のメンバーも、誰一人怪我もせず、無事に地上に戻ってきていると話すと、ようやくカリサ婆ちゃんも安心したようだ。
というか、話に夢中になっている間に、イノシシの肉は殆どイネスに食べられてしまった。
「イネス、食べ過ぎ……」
「へへぇ……だって、ニャンゴが捕ってきてくれたイノシシは美味しいんだもん」
「そんな事を言っても、もうお肉は無いからね」
「大丈夫、まだ〆の麺が残ってるから」
「って、まだ食べるのかよ。そう言えば、イネス太ったんじゃない?」
「えっ……そ、そんな事は無いわよ。ほら、あたしって、いくら食べても太らない体質だし」
と言うイネスだが、明らかに輪郭や体型が丸くなっている。
「婆ちゃん、イネスを甘やかし過ぎなんじゃない?」
「そんな事ないわよ、ねぇ、カリサさん」
「そうだねぇ……すこし甘かったかもしれないから、今年はビシビシしごいてやろうかね」
「いやいや、いいです、いいです、今まで通りでお願いします」
イネスはブルブルと首を振って、これまで通りの待遇を懇願した。
なんだかんだと言ってもカリサ婆ちゃんは優しいから、まだイネスの体重は増えそうな気がする。
この夜も、しっかり〆の麺をお替りして食べていたしね。





