表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
13/13

第六話 仮面をかぶる理由

「……助けられるの?」


 シエンが問う。


「私は面屋だ。英雄ではない」

「なら、なんで出てきたの」

「今の君では、届かない」

「届かせる」


 立ち上がろうとして——膝が、崩れた。

 ユエンは手を貸さなかった。ただ、倒れきる前に、肩だけを支えた。


「四日もまともに眠らず、脇腹の傷は開いた。頭は二度打たれ、肩には矢傷。布で左は見えず、片手は顔を隠すために塞がっている」

「……分かっている」

「分かっていて同じやり方を続けるのは、勇気ではない」

「説教なら、後にして」


 熊の前脚が、振り下ろされる。

 ユエンはシエンを支えたまま、一歩も動かない。


「あの人たちが死ぬ!」

「——よく、見なさい」


 熊の爪が人々へ届く直前。その巨体が、不自然に逸れた。

 面屋の前だけを、避けたのだ。

 逃げてきた人々も、見えない何かに押し返されたように、この一角の手前で左右へ分かれていく。

 熊も。あの黒い目も。——この場所を、認識していない。


「ここへ入れば、少しは時間を稼げる」

「全員は入れない」

「そうだ」

「あなたなら……あの術を、止められないの?」

「止めることは、できるかもしれない」

「なら——」

「だが、しない」


 シエンは、ユエンの胸ぐらをつかんでいた。


「人が、死んでいるのよ」

「私は君に面を売るためにここへ来た。君の敵を代わりに倒すためではない」

「……最低ね」

「よく言われる」


 腹の底が煮える。

 それでも——ユエンの目に、死にゆく者を面白がる色は、なかった。


(助けられないんじゃない。……選ばないんだ、この男は)


 その理由を問い詰めている時間は、ない。


「方法を、教えて」

「美姫の仮面」


 ユエンは、屋台の奥へ視線を向けた。


「あの面には、人を魅了する力がある。ダージが生きていた時代から、それだけは分かっている」

「……力が及ぶかは、『可能性』の話?」

「君がかぶったとき、その力がどこまで作用するかは保証しない。面が君を受け入れた後に、何が起きるかも——私には分からない」

「売り物でしょう」

「無責任な商売人もいるということだ」


 黒い目が、街を巡っている。大鳥が、また次の屋根へ影の羽根を落とした。遠くで、子供が泣いている。


「……あれは、姉に似ている」

「君の姉ではない」

「分かっている!」


 声が、大きくなった。

 分かっている。数百年前に死んだ女。姉では、ない。

 ——だからこそ、嫌だった。

 姉に似た死者の顔を、道具として使うことが。

 その顔に、自分を重ねることが。

 そして……顔を隠すためだけに生きてきた自分が、見も知らぬ誰かの『顔』になろうとしていることが。


「別の面は?」

「ない」

「これだけ並んでいるのに?」

「今の君を受け入れ、今の敵へ届く可能性があるのは——あれだけだ」


 また、『面が選ぶ』という話。

 信じたくない。

 だが——美姫の仮面に触れたときの、あの温かさを。指が、覚えている。

 ——面が、君を嫌っていない。

 熊の影が吠えた。

 路地から逃げてきた母親が、幼い娘を抱いたまま転ぶ。その背後に、黒い猪が現れた。

 母親は娘を胸に抱き込み、自分の身体で覆い隠す。


(——あの砦で見た人たちと、同じ)


 捕らわれ、奪われ、傷つけられる理由なんて、何ひとつない。ただそこにいただけの、人々。

 シエンの脳裏に、姉の手が浮かんだ。

 あの日は、届かなかった。

 二度目の故郷も、守れなかった。


(今もまた……見ているだけで、いいの?)


 自分の傷を治すためじゃない。美しい顔が欲しいわけでも、姉の代わりにしたいわけでもない。

 あの親子を。この街の人々を。これ以上、傷つけさせないために——使う。


「……代金は?」


 シエンはユエンを見た。


「半両銭、一枚」

「安すぎる」

「残りは、いずれ受け取る」

「何を?」

「そのときに決める」


(やっぱり、信用できない)


 シエンは懐から銭を一枚取り出し、ユエンへ投げた。


「借りるだけよ」

「——客はみんな、最初はそう言う」


 ユエンは銭を受け取った。

 シエンは面屋へ駆け戻る。人波から一歩外れた瞬間、祭りの喧騒がまた、ふっと遠のいた。

 棚には、美姫の仮面が待っている。

 姉によく似た——けれど、姉ではない顔。

 黒い瞳が、シエンだけを見つめていた。

 背後では、影の猪が母子へ迫っている。

 迷っている時間は、ない。

 シエンは、美姫の仮面へ手を伸ばした。

 指先が、その白い頬に触れる。


 仮面は——生きているように、温かかった。

 シエンはそれを持ち上げ、そして——自分の顔へ、重ねようとした


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ