帰る場所は、ここ
店の扉を開ける。
カラン、と少し間の抜けた鈴の音が鳴った。
途端に、薬草の青臭さと、煮詰めたスパイスの匂いが肺に流れ込んでくる。
埃っぽくて、ひだまりみたいに温かい。
俺の、いつもの空気だ。
「うおー! 帰ってきたぞ! 生還祝いだ生還祝い!」
ガイルが両腕を広げて、我が物顔で店に転がり込む。
さっきまで死にかけていた男の出す声じゃない。
「声がでかい」
「生きて帰ったんだぞ!?」
ハイドはカウンターの定位置に勝手に座り込み、棚を眺めた。
「……なぁ、店主。出発前より瓶、増えてない?」
「気のせいだ」
「嘘つけ。絶対に増えてる」
エドが無言で頷き、ミスティはカウンターに突っ伏して深々と息を吸い込んだ。
「……ああ、薬草の匂い……落ち着く……」
「わかる」
ミーナが店内をゆっくりと見回して、ひどく柔らかく笑う。
「……本当に、戻ってきたんですね」
クリムが俺の肩から定位置の棚の上へ飛び移り、「きゅっ」と短く鳴く。
ルゥは入口の脇にどっしりと陣取り、床をばたばたと尻尾で叩いた。
番犬の顔じゃない。
完全に、我が家で寛ぐ犬の顔だった。
そこへ、外からどやどやと足音が雪崩れ込んできた。
「店主! 開いてるよな!? 二日酔いのやつ、急ぎで!」
「雨の日だるいの、まだ残ってる?」
「例の集中のやつ、三本頼む!」
「子どもを寝かせるお香、ください……もう限界……」
死線を越えてきた探索者の帰還なんか関係ない。
みんな自分の今日で手一杯だ。
「はいはい、並べ。命は一列で頼む」
俺がカウンター越しに指示を出すと、常連たちは素直に列を作った。
ガイルたちが顔を見合わせる。
「……お前んとこ、いつもこんなか?」
「いつも、こんなだ」
その時だった。
バーン!!
蝶番が悲鳴を上げる勢いで、扉が開け放たれた。
「店主!! 俺は!! 人生を変えたい!!!!」
飛び込んできたのは、ひょろひょろの若い男だった。
筋肉の欠片もない。
覇気もない。
あるのは、無駄にでかい声と血走った目だけだ。
「今すぐ! ナイスミドルなボディが欲しい!! そういう薬、あるだろ!?」
俺は、二日酔いの常連へ渡す小瓶を拭く手を止め、男を真っ直ぐに見た。
「何年かかるか、聞く覚悟はあるか」
「……え?」
男の勢いが、ぴたりと止まる。
「ポーションは補助だ。主役はお前の継続だ」
男が、ぱくぱくと口を動かして黙り込む。
「いいか。まず寝ろ。次にしっかり食え。それから、正しく動け」
「……ポーションは、ないんですか?」
「最初は三日坊主防止の集中補助だ。筋肉は瓶からは生えない」
男は、その場に崩れ落ちるように膝をつき、深く、深く頷いた。
「……俺、人生舐めてました……」
「知ってる。出直してこい」
男は立ち上がり、静かに、ひどく神妙な顔をして去っていった。
開け放たれた扉が閉まり、店内に一拍の沈黙が落ちる。
そして。
「……ぶっ、ははっ!」
ハイドが、こらえきれずに吹き出した。
「あはははは!! ナイスミドルって!! お前、客に説教してんじゃん!!」
「もう、やめてよ……っ、お腹痛い……!」
ミスティが笑いながらハイドの肩を叩く。
ガイルが腕を組み、真面目な顔で深く頷いた。
「……だが、全くもって正論だったな。筋肉は瓶からは生えん」
ミーナがくすくすと笑いながら、俺を見る。
「ここ、人生相談所でしたっけ?」
クリムが棚の上から「きゅっ」と鳴き、ルゥが「わふっ」と続く。
俺はため息をついて、肩をすくめた。
「……しがないポーション屋だよ。ただし――」
棚を見渡す。
整然と並んだ小瓶たち。
どれも、世界を救うような派手なものじゃない。
「疲れたやつが来る場所で、少しだけ前に進むための手伝いをするだけだ」
ガイルが腹を抱えて笑い、ミスティが目元を押さえる。
エドが珍しく肩を揺らした。
ミーナは小声で「やっぱり人生相談所じゃないですか」と呟いて、自分でもまた吹き出した。
「やれやれ」
俺はカウンターに戻り、新しい空瓶を引き寄せてラベルを書く。
【今日をなんとかするポーション】
――結局のところ、人の生活にはこれが一番よく売れる。
カラン、とまた扉の鈴が鳴る。
俺は顔を上げた。
今日も、誰かが来る。
疲れた顔で、重い扉を開ける。
棚の陣形は整っている。
ラベルの文字は揃っている。
栓は緩んでいない。
瓶底の澱も、きちんと沈んでいる。
「いらっしゃい。疲れた身体には――」
いつもの決まり文句が、口をついて出る。
「……やっぱりこれ、だな」
俺は小さく笑って、客を迎え入れた。




