選別される救いと、白亜の足跡
【幕間】
西の森、その最前線。
王宮の治癒魔術師たちが、青白い聖なる光を幾重にも展開していた。
騎士たちの負傷は即座に塞がれ、整った陣形が維持される。
彼らは守られていた。
「王」の権威と、潤沢な予算という名の分厚い防壁によって。
だが、その防壁の外側は、泥と羽音の地獄だった。
「隊長! 魔術部隊に許可を!
広域で焼けば一息に――」
「却下だ!!」
怒号が飛ぶ。
隊長格の騎士が、血走った目で怒鳴り返した。
「森のどこかに姫様がお倒れになっているかもしれんのだぞ!
火を入れて、万が一があったらどうする!!」
後方に控える魔術部隊の面々が、唇を噛み締めた。
本来なら、虫の群れなど相手にならない。
炎で面を焼き、爆裂でまとめて吹き飛ばせば済む。
彼らは、そのための術を持っている。
だが今日は、その最適解が使えなかった。
最重要人物の現在地が不明。
生きているかも、どこで倒れているかも分からない。
そんな状況で広域殲滅を撃てば、虫ごと姫を焼きかねない。
強い者ほど、その強さを封じられていた。
結果、剣と槍で羽虫を叩き落とし、木を一本ずつ切り倒しながら森を洗うしかない。
整った術式も、広域制圧の誇りも、王室という重石ひとつで地面に縫い留められていた。
その陣形の外側は、もっとひどい。
泥。
羽音。
悲鳴。
「助けてくれ……っ! こっちだ!」
「ポーションが足りない! 誰か、誰かいないのか!」
悲鳴を上げるのは、ギルドの若手冒険者や、逃げ遅れた一般の行商人たちだ。
騎士団の治癒魔術師たちは、自軍の防衛に手一杯で、そこへ手を伸ばす余裕がない。
あるいは、余裕があったとしても。
優先順位、という冷酷な言葉が、その足を止める。
そこへ、白亜の風が吹き抜けた。
キュポンッ!
キュポンッ、キュポンッ!
森のあちこちで、軽快な抜栓音が連鎖する。
白濁した霧が広がる。
次の瞬間、不浄な羽音が悲鳴へ変わった。
絶望に沈んでいた人々の頭上へ、視界を塞いでいた虫の死骸が、雨みたいに降り注ぐ。
「騎士様方は、立派な治癒魔術師様たちがついてて幸せそうだな!」
中年冒険者が鼻を鳴らしながら、虫の群れに囲まれてへたり込んでいた若い冒険者の襟首を掴み、泥濘から強引に引きずり出した。
「ゲホッ、がはっ……た、助かった……っ!」
「『討伐クエストが盛り上がってる』なんて話に釣られてノコノコ来るからそうなるんだよ、新米が」
中年冒険者が、呆れたように笑う。
「現実はこの地獄だ。よく覚えとけ」
「うぅ……っ」
「ほらよ。黙ってこれを飲め。……死にたくなければな」
無造作に顔面へ放られたのは、店主が徹夜で調合した下級回復薬。
味は最悪。
効き目だけは保証付きの劇薬だ。
「おい、職人! こっちの馬車を動かせるようにしろ!」
「おう、任せとけ!」
大柄な職人が、愛用のハンマーを翻して馬車の残骸へ飛びつく。
ひしゃげた車軸を一瞥。
周囲の倒木へ鋭く一撃。
木片が舞う。
次の瞬間には、木と木を噛み合わせる技だけで、即席の車輪と、負傷者を運ぶための強固な台車が組み上がっていた。
「立てる奴は馬車を引け!
動けねぇ奴は台車に乗れ!
変成、道を作れ!」
号令に応え、変成魔術師が杖を地面へ突き立てる。
泥濘だった森の地面が、みるみる硬く締まった。
馬車が滑るように走れる道が、一直線に穿たれていく。
「あいつら、正気か……!
もしあの中に姫様がいたらどうするつもりだ!」
遠巻きに見ていた騎士の誰かが、悲鳴みたいな声を上げる。
だが、その叫びは白亜の連中には届かない。
届いたところで、止まりもしない。
しかも、白亜だけは知っている。
騎士団が血眼になって探している火種が、今ごろ要塞の裏手で泥眠に沈んでいることを。
森にはいない。
巻き込む心配はない。
だから、躊躇う理由もない。
王宮側が最適解を握ったまま封じられている横で、白亜だけが何の枷もなく最適解を振り回していた。
「待て! そっちの騎士にも負傷者がいるんだ、手を貸せ!」
気づいた騎士のひとりが叫ぶ。
だが、中年冒険者は、救い出した行商人の子どもを背負い直し、ひどく冷たく言い放った。
「あんたたちには、専属の治癒魔術師様がいるだろ?
そっちで勝手にやりな。
俺たちは、俺たちにしか救えねぇ連中を運ぶんでね」
「貴様、不敬だぞ!」
「不敬で腹が膨れるかよ。
……これが、うちの番頭の指示だ」
背中の子どもの頭を、ぽん、と叩く。
白亜の連中は、拾う相手を迷わない。
手を伸ばすのは、そこから零れる側だった。
「……行くぞ。日が暮れる前に、要塞まで届ける」
白亜の有志たちが、生き残った人々を連れて森を抜けようとした。
その、直後だった。
「みんなーーーっ!!!」
森の入り口側から、息を切らした若いギルド職員が、転がるように走ってきた。
手には、緊急伝令用の魔導符。
「メテスくんから伝達だーー!!!」
要救助者を乗せた台車を引いていた職人たちが、ぴたりと足を止める。
「南だ!! 西の騎士団が森を荒らしすぎたせいで、追い出された虫の群れが、防備の薄い南の街道へ漏れたってよ!!」
その報告に、背後の騎士団が顔色を変えた。
「急ぎ南へ向かうぞ!」と騎士のひとりが叫ぶ。
だが隊長格が、即座に制する。
「待て! 我々は姫様の捜索とこの場の維持が最優先だ!」
命令。
組織。
責任。
彼らは、目の前の危機にすぐには動けなかった。
対する白亜の有志たちは、一瞬の静寂のあと――
「ひゅぅ」
中年冒険者が、ひどく楽しげに口笛を吹いた。
大柄な職人が、肩でハンマーを担ぎ直してニヤリと笑う。
変成魔術師が、泥だらけのローブの袖を捲り上げた。
「……聞いたか、野郎ども」
中年冒険者が、台車の取っ手を握り直して声を張り上げる。
「次の仕事だ! 南の街道の客も、全部俺たちがかっさらうぞ!!」
「「「「「よし! 行くぞお前らァァァッ!!!」」」」」
地響きみたいな歓声が、森の木々を激しく揺らした。
「おい、馬車の速度上げろ! こっちの要救助者を白亜へ放り込んだら、そのまま南へ乗り込むぞ!」
「店主のポーションの在庫、全部回せって白亜に伝令飛ばせ!」
「南の連中にも、白亜の劇薬の味を教えてやらぁ!」
呆然と立ち尽くす騎士団を泥の中に置き去りにして。
白亜の有志たちは、凄まじい熱量と活力を撒き散らしながら、次の戦場である南の街道へと爆走していった。
背後には、掃討された羽虫の死骸が霧みたいに舞っている。
名もなき人々が、台車の上で揺られながら、
その泥だらけの背中へ涙を流して感謝の言葉を投げかけた。
そのたびに、人々の口にのぼる名は、白亜になっていった。




