ページをめくれば、檻の中
放課後。
わたしは図書館に向かっていた。
やはり、あの〈屍香蘭〉のことが気になる。
部屋に侵入したのが誰だったか、結局わからずじまいだった。
それにしても、誰が、なんのために、あの忌まわしい花を置いたのだろう?
たんなる嫌がらせか、それとも意味があったのか――。
問いつめたくても、答えてくれる相手はいない。
ならば、自分で確かめるしかない。
図書館は昼間でも薄暗く、紙やインクの匂いがただよっていた。
先客の上級生たちが何人かいたが、わたしが入ると気まずそうに顔をそらし、ゾロゾロと退出していく。
気がつけば、広い閲覧室にポツンとひとり取り残されていた。
……上級生にも噂が広まっているのか。
わかっていたが憂うつな気持ちになる。
いや、誰にも邪魔されず調べものができて、かえってよかったじゃないか。
わたしは気合を入れなおすと、まずは植物図鑑を探した。
とはいえ、〈屍香蘭〉について詳しい記述が載っている書籍は少ない。
一般的な植物図鑑で紹介されている内容としては、こうだ。
「〈屍香蘭〉。強烈な腐臭を放つ、赤黒い大きな蘭。地面から生えてくる〈地生蘭〉で、花は手のひらくらいの大きさ。〈死人蘭〉とか〈墓地草〉なんて呼ばれていて、昔から不吉な植物として知られている……うーん、どれも知っていることばかりだな」
あらゆる植物図鑑を開いては棚に戻し、めくっては閉じを繰り返す。
ようやく見つけたのは、H.G.ルドロウ著『わたしはこうして死にかけた――禁断の魔草探索記』という本だった。
「普通の蘭みたいに虫を誘うんじゃなくて、吸血性の魔法生物を呼び寄せる? しかも、夜になると臭いが強くなる傾向あり……そうか、あの時は夕飯の後だったから……」
つまり、一番いいタイミングで置かれていたのだ。
やはり偶然とは思えない。
「生えるのは、戦場跡とか墓地とか、獣の死体が転がる渓谷とか……ようするに、“死”が積もった土地限定ってことね。しかも自然発生は十年に一株あるかないか……厄介なうえに貴重でもある。――やはりおかしい。そんなに貴重な花が、どうしてこんなところに?」
ほんとうに、ただの嫌がらせなのだろうか。
いや、貴族出身の生徒であれば、入手は可能かもしれない。
わたしへの当てつけのためだけに、わざわざ入手困難な植物を取り寄せる気が知れないが。
「なになに……採取はきわめて困難。花を傷つけると臭いがさらにひどくなるから、防臭と結界の両方が必須。……結界魔法? そんなもの、一年生が習うはずがない。だとすると、三年生以上が犯人?」
先ほどの反応を見るかぎり、わたしは上級生にも嫌われているみたいだし。……いや、別に、まったく気にしてないけど。うん。
ともあれ、改めて考えても、あの状況は不自然だった。
やはり誰かの意図を感じるな。
問題は、どうやって部屋に侵入したか、ということだが……。
こちらに関しては、調べれば調べるほど謎が深まるばかりだった。
『ソロモナリエの歴史』という本に書かれた記述を読んで、わたしはため息をつく。
「……つまり、学院は昔の偉い魔導士たちが作ったから、建物のあちこちに古代魔導技術が使われてるってことね。特に扉の鍵なんかは、今じゃ再現できないくらい複雑な術式でできている。現代魔法じゃ複製も解析もほぼ不可能。下手に壊したりすれば、二度と開かなくなるってわけ」
こんなの、実質不可能犯罪じゃないか。
まさか、扉を開けずに直接ワープで届けたとか?
いや、そんなことをしたら魔力痕が残ってしまうし、そもそもそんなことができる魔法があれば、国家表彰ものである。
けっきょく、ろくな収穫もなく、今日のところはあきらめて帰ることにした。
積みあげた本を元の棚に戻し、図書館のドアノブに手をかける。
――ガチッ。
にぶい音が、やけに大きく聞こえた。
……開かない。
もう一度、今度は思いきり回す。だが、手ごたえは変わらず重いままだ。
ありえない。閉館時間にはまだ余裕があるはず――。
ドアを押して、引いて、叩いてみる。何度も、何度も。
けれど、びくともしない。
「……うそ、でしょ」
全身から冷たい汗がにじむ。
背筋にじわじわと、深いな恐怖が這いのぼってくる。
まさか、閉じこめられた……?
誰かが、わたしを――意図的に?
サッと血の気が引く。
まさか、あの時の上級生たちか――!?
くそっ、陰湿な嫌がらせを!
恐怖と怒りがないまぜになって、喉の奥がつかえるような苦しさを感じた。
……いや、やられっぱなしでいるものか。
「――〈解錠〉!」
杖を取り出し、呪文をとなえる。
室内の灯りで赤色に変色しているアレキサンドライトが、解錠呪文にバフを与えてくれる――はずだった。
だが、ドアノブから返ってくるのは、相変わらず重たい感触。
「くそ……ダメか」
赤色アレキサンドライトの効果上昇があってなお、微動だにしないとは。
腐っても上級生ということか……。
このままここに閉じこめられていては、消灯時間をすぎてしまう。
図書館の貸出・返却が魔法で自動化されているのがあだとなった。
見まわりの先生は気づいてくれるだろうか……。
ぐっと唇を噛みしめる。
このまま、また無力のままでいるのか。
誰かの悪意に気づきながら、なにもできずに閉じこめられているなんて。
ひとりきりの静かな空間にいると、思考まで沈みこんでいくようだった。
夏の蒸し暑さが嘘のように、閲覧室の空気がひやりと肌にまとわりついていた。
高く積まれた書架、人気のない空間。
どこかの棚から、ギィ……と軋む音がした気がして、わたしは首を横に振った。
……気のせいだ。誰もいない。そのはずだ。
でも、どこからか得体の知れないものが忍び寄ってきそうな気がして、足がすくむ。
ここで声を出したところで、聞こえるはずもない。
学院の裏手にあるこの一帯は、日中でも人通りが少ない。図書館利用者くらいしか寄りつかないだろう。
その利用者も、閉館ギリギリの時間帯とあっては、期待できそうにない。
わたしが部屋の隅でひざを抱えていると、とつぜんドンドンッと激しいノックの音が響いた。
「――イザベル! そこにいるのか!?」
……ああ、ヴァレンティアス。
どうしておまえはいつも、わたしが困っていると現れるんだ。
よろしければ感想やブックマーク、下記の⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎で評価していただけると嬉しいです。




