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幽蘭  作者: 野口 ゆき
3/3

淮南王 劉安について



挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)



挿絵(By みてみん)



紀元前210年に(しん)始皇帝(しこうてい)崩御(ほうぎょ)すると、宦官(かんがん)である趙高(ちょうこう)は始皇帝の息子の中でも特に優秀であった長男・扶蘇(ふそ)を自死させ(始皇帝は、扶蘇に跡を継がせる予定であった)、暗愚(あんぐ)であった末子の胡亥(こがい)を第二代皇帝とした。

胡亥は、趙高にとって(あやつ)り人形でしかなかった。

胡亥は自身の威信(いしん)を示す為、始皇帝が始めた万里(ばんり)長城(ちょうじょう)阿房宮(あぼうきゅう)咸陽宮(かんようきゅう)建設などの大規模工事を再開させた。

一方、趙高は胡亥を利用しながら恐怖政治を敷いた。

万里の長城や阿房宮、咸陽宮の建設は、人々に多大なる負担を負わせた。

また趙高による有能な人物の虐殺(ぎゃくさつ)粛清(しゅくせい)は、悪臣による政治の腐敗(ふはい)を招く事になった。

()れらは人々を疲弊(ひへい)させ、秦王朝に恨みを抱かせるには十分な理由となった。

そして、各地で反乱が勃発(ぼっぱつ)した。

紀元前209年、圧政(あっせい)に苦しむ農民達を率いた陳勝(ちんしょう)呉広(ごこう)が挙兵。

()の乱を、『陳勝・呉広の乱(紀元前209年~紀元前208年)』と言う(中国史上初の農民による反乱)。


≪陳勝の言葉≫


王侯将相(おうこうしょうしょう)寧有種乎いずくんぞしゅあらんや


王候(おうこう)将軍(しょうぐん)宰相(さいしょう)となるのに、出自(しゅつじ)など関係ない。

 実力のある者がなるべきである)


反乱は約6か月と言う短い期間ではあったが、秦王朝を衰退(すいたい)させるきっかけとなった。

乱が終結しても、秦に対する恨みや憎しみや野心は人々に引き継がれた。

其れらを引き継いだ者の中に、()項羽(こうう)(かん)劉邦(りゅうほう)がいた。

項羽と劉邦は蜂起(ほうき)し、各地で反乱を起こした。

しかし、各地で反乱が起きている事を趙高は第二代皇帝・胡亥に伝えなかった。

趙高の甘言(かんげん)に踊らされ酒色に(ふけ)っていた胡亥だったが、(しばら)くして(ようや)く真実を知り、趙高を誅殺(ちゅうさつ)しようとする。

しかし、逆に趙高によって自死に追い込まれる(紀元前207年)。

趙高は胡亥に代わって皇帝に即位しようとしたが人々の同意を得られず、人徳のある子嬰(しえい)(胡亥の兄、()しくは胡亥の兄の子、若しくは始皇帝の弟と言われている)を第三代皇帝として擁立(ようりつ)した(紀元前207年)。

趙高は子嬰を皇帝とする事によって我が身の安全を(はか)ろうと考えていたが、直ぐに子嬰に殺される(紀元前207年)。

其の後、第三代皇帝として即位した子嬰は咸陽に入城した劉邦に降伏。

即位して、(わず)か46日後の事であった。

劉邦は『法三章(殺す者、傷つける者、盗む者は死罪)』には従わず、降伏した子嬰ら秦王一族の命を救おうとした。

しかし、項羽は其れを許さなかった。

項羽は秦王一族や官吏を惨殺(ざんさつ)し、宝物(ほうもつ)略奪(りゃくだつ)し、宮殿を焼き払い、始皇帝の墓を(あば)くなどの暴挙(ぼうきょ)を振るった。

其の為、項羽は大いに人望を失った。

項羽は、(かつ)て秦に滅ぼされた楚の貴族の末裔(まつえい)であった。

其の恨みが、項羽を凶行(きょうこう)に走らせたのかもしれない。

紀元前206年、秦王一族虐殺により秦は滅亡する。

秦王朝滅亡後、楚の項羽と漢の劉邦が覇権(はけん)を争う『楚漢戦争』へと突入する。

そして紀元前202年、『垓下(がいか)の戦い』で項羽を下した劉邦が漢を建国。

漢は、其の後400年(前漢200年+後漢200年。前漢と後漢の間に、『新王朝』あり)続く。


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≪項羽・劉邦に関わる故事≫



鴻門之会(こうもんのかい)


劉邦が項羽にとって脅威(きょうい)であると見抜いていた楚の参謀(さんぼう)范増(はんぞう)は、項羽の本陣である鴻門で酒宴を催し、項荘(こうそう)(項羽の従弟(いとこ))に剣舞(けんぶ)の際に劉邦を殺せと指示する。

しかし、項羽の叔父(おじ)である項伯(こうはく)、劉邦の腹臣である樊噲(はんかい)張良(ちょうりょう)らが劉邦を(かば)い、劉邦は其の場から脱出する事に成功。

劉邦を殺せなかった范増は天を仰ぎ、呟いた。


(ああ) 豎子(じゅし) 不足与謀(ともにはかるにたらず)

 奪項王天下者こうおうのてんかをうばうものは 必沛公也かならずはいこうならん

 吾属今為之虜一矣わがぞくいまにこれがとりことならん


(ああ。

 小僧(こぞう)と共に(はかりごと)など出来ぬ。

 項羽の天下を奪う者は、劉邦であろう。

 我が一族は、劉邦の捕虜(ほりょ)になるであろう)


其の後も何度も劉邦を殺せる機会はあったが、項羽は全ての機会を逃した。

そして范増の言葉通り、劉邦が項羽を倒し覇者(はしゃ)となる。


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四面楚歌(しめんそか)


『垓下の戦い』の際、垓下の城壁の中に立て籠っていた項羽軍は漢軍に包囲される。

そして夜、四方から楚の歌が聞こえてきた。


項羽は「漢軍は既に項羽の祖国である楚を陥落(かんらく)させ、楚の人々は漢軍に寝返った」と思い込み、絶望した。


【四面楚歌】とは、『敵に囲まれ、孤立している』と言う意味。


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虞美人草(ぐびじんそう)


漢軍に包囲され祖国も奪われたと思い込んだ項羽軍は別れの夜宴(やえん)を開き、愛妾(あいしょう)である虞美人と愛馬である(すい)との別れを惜しんで詩を詠んだ。


《垓下の歌》


力拔山兮(ちからはやまをぬき) 氣蓋世(きはよをおおう) 

 時不利兮(ときにりあらず) 騅不逝(すいはゆかず)

 騅不逝兮(すいのゆかざるを) 可奈何(いかにすべき) 

 虞兮虞兮(ぐやぐや) 奈若何(なんじをいかにせん)

 

(我が力は山をも突き破り、我が気迫は世を覆う程であった。 

 しかし時勢(じせい)は私に味方せず、(すい)も疲れて進まなくなってしまった。

 騅が進まない事を、私はどうする事も出来ない。

 虞よ。

 虞よ。

 私は、お前をどうすれば良いのか?)


《虞美人の返歌》


漢兵已略地かんぺいすでにちをりゃくし

 四方楚歌聲(しほうはそかのこえ)

 大王意氣盡(だいおうのいきはつき)

 賤妾何聊生せんしょういずくんぞせいをやすんぜん


(漢兵は既に楚を侵略し、四方からは楚の歌が聞こえます。

 貴方が生きる気力をなくされていると言うのに、どうして(いや)しい身分の私が

 生きながらえる事が出来ましょうか?)


虞美人は項羽の足手まといにならない為に此の時自殺したと言われているが、不明。

ただ虞美人が自殺した翌年、彼女が自殺した地に雛罌粟(ひなげし)の花が咲いたと言われている。

此の雛罌粟は虞美人の生まれ変わりと考えられ、雛罌粟の別名を『虞美人草』とも言う。


(うたげ)の後、項羽は約八百人の兵を率いて漢軍の囲みを突破し南へ向かった。

其れに気付いた漢軍の猛攻撃により、楚軍兵は二十八人まで減少。

烏江(うこう)(長江のほとり)に辿(たど)り着いた項羽軍は、追って来た漢軍を迎え撃つ事を決意。

(すい)から下馬した項羽も戦い、十数か所の傷を受ける。

死を覚悟した項羽は戦いの中、漢軍の中に旧知の仲である呂馬童(りょばどう)を見つける。

項羽の首には、恩賞が懸けられていた。

項羽は旧友に恩賞を与える為、自死した(享年(きょうねん)三十一歳)。

項羽の遺体を得た呂馬童は、領地を与えられた。

其の後、劉邦は項羽の遺体を手厚く葬った。


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劉邦が中国を統一した後も、各地で反乱が起きた。

劉邦は『韓王信(かんおうしん)の乱』平定(へいてい)の帰り、(ちょう)に立ち寄る。

趙に訪れた劉邦を趙王はもてなした。

趙王は、自らの側室(そくしつ)であった女性(趙王美人)を劉邦に差し出した。

劉邦の寵愛(ちょうあい)を受けた女性は、子を授かった。

其の生まれた子が、劉安の父・劉長(りゅうちょう)であった。

其の後、漢の暴挙(ぼうきょ)に耐える事が出来なくなった趙は謀反(むほん)を企む。

しかし此の謀反は事前に発覚し、趙王一族は(ごく)(つな)がれる事になった。

趙王美人も同様の扱いを受けたが、せめて劉邦の子である劉長だけでも生かそうと『辟陽侯(へきようこう)審食其(しんいき)を通じて劉邦の正室である『呂后(りょこう)』に助けを求めた。

しかし嫉妬(しっと)深い『呂后』も、『呂后』の怒りを買いたくない審食其も、劉長を助ける事を拒んだ。

趙王美人は世を(はかな)み自殺したが、其れを聞いた劉邦は残された劉長を助け、『呂后』へ預けた。

二年後、劉長は淮南国(わいなんこく)九江(きゅうこう)盧江(ろこう)衝山(こうざん)予章(よしょう))を与えられ、『淮南王』となる。

其の後、劉長は『呂后』と異母兄(いぼけい)である第二代皇帝『恵帝(けいてい)』に従い、何不自由なく暮らした。

第二代皇帝『恵帝』は、『高祖』と『呂后』との間に生まれた。

『恵帝』は凡庸(ぼんよう)な人物であったと言われているが、決してそのような人物ではなかった。

ある時、『恵帝』は異母兄・劉肥(りゅうひ)(『高祖』の庶子(しょし))を宴席に招いた。

劉肥は劉邦の長子であった為、『呂后』にとって劉肥は自身の子である『恵帝』を(おびや)かす存在であった。

『呂后』は、劉肥に毒入りの酒を飲ませて殺害する事を企んだ。

しかし其の事を事前に察知した『恵帝』は、『呂后』から劉肥に渡されようとした毒杯(どくはい)を自ら手に取った。

其れを見た『呂后』は、慌てて『恵帝』から毒杯を奪い捨てた。

『恵帝』の機転により、劉肥の命は救われた。

また始皇帝の行った『焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)』を終わらせたのも、『恵帝』であった。

『恵帝』は勇気もあり、行動力もあり、また穏やかで優しく正義感の強い人物であった。

自分の意志を曲げず生きる人間が、凡庸な人物であるわけがない。

時代に合わなかっただけに過ぎない。

『恵帝』は真面目で優し過ぎた為、母の残虐な行為に次第に心を保つ事が出来なくなっていく。

劉邦の死後、『呂后』は劉邦の寵愛を受けていた戚夫人(せきふじん)を残酷な殺し方で殺した。

戚夫人の姿を『呂后』に見せられた『恵帝』は心を病み、酒食に(おぼ)れ、二十六歳で崩御(ほうぎょ)

※ 『呂后』は其の残忍(ざんにん)な行いから、中国三大悪女(『(かん)の『呂后』』

  『(とう)則天武后(そくてんぶこう)』『(しん)西太后(せいたいごう)』)の一人に数えられている。


『恵帝』の死後、『呂后』は自分の血縁者である『前少帝(ぜんしょうてい)(名は不明。『恵帝』の子)』を第三代皇帝に立て実権を握ろうとした。

しかし、其の為には『前少帝』の実母が邪魔であった。

『呂后』は、『前少帝』の実母に権力が移る事を恐れた。

そして、『呂后』は『前少帝』の実母を殺害。

しかし母を『呂后』に殺された事を知った『前少帝』は『呂后』を憎むようになり、其れを察知した『呂后』は『前少帝』を殺害。

其の後、『呂后』は次々と劉邦の庶子を殺し、第四代皇帝として『後少帝(ごしょうてい)(『恵帝』の子と言われているが、不明)』を即位させた。

自分の思うがままに生きた『呂后』は多くの呂一族を政府の要職に就け、死去(病死。享年六十一歳)。

『呂后』の死後は、呂氏が政権を握った。

しかし呂氏に全ての政権を奪われる事を危惧(きぐ)した劉氏と彼らを擁護(ようご)する派閥(はばつ)が手を組み、呂氏を滅亡させる。

此れを『呂氏の乱(紀元前180年)』と言う。

其の後、第五代皇帝として『文帝(ぶんてい)(劉邦の四男)』が即位。

『文帝』は、劉安の父・劉長の異母兄であった。

『文帝』は肉刑の一部廃止や民への減税、匈奴(きょうど)(※)との戦の中止など、平和への政策を重点的に行った(第五代皇帝『文帝』と第六代皇帝『景帝(けいてい)(『文帝』の子)』の治世(ちせい)を『文景の治』と言う)。

しかし劉長は、穏やかで優しく田舎(いなか)育ちの『文帝』を軽んじていた。

劉長は、自分に流れる劉邦の血に誇りを持っていた。

『呂后』によって多くの庶子が殺され、劉邦の血筋(ちすじ)を引き継ぐ正統なる後継者は『文帝』と劉長しかいなかった。

『呂后』の許で何不自由なく育てられた劉長は若く(たくま)しく、そして傲岸不遜(ごうがんふそん)な人物に育った。


劉長には、絶対的自信があった。


〚自分は、何をしても許される〛


そう思っていたのだろう。


劉長は、自分の母を見殺しにした審食其をずっと恨み続けていた。

そして劉長は、『呂氏の乱』後も生きながらえていた審食其を自らの手で殺害。

本来であれば政府の重鎮を殺害した劉長は罰せられるべきであったが、『文帝』は彼を(とが)めなかった。

『文帝』にとって劉長は弟であり、また審食其によって母を見殺しにされた劉長の境遇に対して同情もしていた。

此の『文帝』の甘さが、(かえ)って劉長を増長させる事になった。

劉長は淮南国に帰った後、漢の法を無視して自ら法を作るなど、まるで自らが皇帝であるかの様な振舞(ふるまい)をするようになる。

『文帝』は、劉長を(いさ)めた。

もしかしたら、其れは弟を守る為であったのかもしれない。

しかし、誰も劉長を止める事は出来なかった。

紀元前174年、劉長は自らが皇帝となる為に謀反を企む。

しかし、事前に発覚。

丞相(じょうしょう)(最高位の官吏)達は、劉長の死罪を主張した。

しかし『文帝』は死罪だけは免じ、王位を剥奪(はくだつ)して(しょく)配流(はいる)するに留めた。

此処に来て、漸く劉長は自らの傲慢(ごうまん)さに気付く。


「誰が、私を勇者と言ったのか?

 私が、勇者であるはずがない!

 私は自らの(おご)りの為に、誰の諫言(かんげん)も聞き()れなかった!

 自分の過ちに気付かず、此の様な()き目に()おうとは!

 誇り高き身分に生まれながら、希望も見えないまま此の先

 生きていくなど我慢ならない!!」


そして劉長は蜀への護送(ごそう)中、自ら食を断ち車中で餓死(がし)(享年25歳)。


もし劉長の傍に彼を理解する人がいて、劉長自身も自分を諫める人の声に耳を傾けるような人物であれば、彼の人生も違うものになっていたのかもしれない。


もしかしたら、劉長も利用されただけなのかもしれない。


劉長が死んだ時、劉安は5歳であった。


(※)匈奴

異民族の事。

中国には、春秋戦国(しゅんじゅうせんごく)時代から【世界の中心は中華であり、中華以外は夷狄(いてき)野蛮人(やばんじん))の国である】と言う思想があった。

夷狄とは、『東夷(とうい)(東アジア)』『西戎(せいじゅう)(中央アジア)』『北狄(ほくてき)(北方地域)』『南蛮(なんばん)(東南アジア)』の事である。

此れら四つの地の人々を漢民族は『四夷(しい)』、または『夷狄戎蛮(いてきじゅうばん)』と呼んだ。

漢民族は中原(ちゅうげん)黄河(こうが)中下流域にある平原)から起こり、漢民族にとって中原は中華(文明国)であった。

中華は広く平らかであった為、周辺国から狙われ(やす)かった。

漢民族は中華を守る為にも、周辺国との優位性を示す必要があった。

やがて【『天』から選ばれた天子は『徳』や『礼』により夷狄を教化(きょうか)し、支配しなければならない】と言う思想が生まれた。

此の思想を『中華思想』、または『華狄(かい)思想』と言う。



挿絵(By みてみん)



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劉安(りゅうあん)】 紀元前179年 ~ 紀元前122年   


●紀元前179年

劉安、劉長の長男として生まれる。


●紀元前174年(劉安5歳)

父の劉長は謀反を企て、配流。

その後、劉長は絶食死。


●紀元前172年(劉安7歳)

劉安、第五代皇帝『文帝』により『阜陵侯(ふりょうこう)』となる。

劉安の弟達も、それぞれ列侯に報ぜられる。

劉勃(りゅうぼつ)安陽侯(あんようこう)』・劉賜(りゅうし)陽周侯(ようしゅうこう)』・劉良(りゅうりょう)東城侯(とうじょうこう)』。


●紀元前164年(劉安15歳)

劉安、第五代皇帝『文帝』により『淮南王』となる。

父の領地であった淮南国を弟達と三分し、劉安の弟達もそれぞれ王となる

(弟の一人である劉良は、若くして死亡)。

劉勃(りゅうぼつ)衡山王(こうざんおう)』・劉賜(りゅうし)廬江王(ろこうおう)』。


淮南国を与えられた劉安は、様々な思想を受け容れる人物に成長。

武芸を好まず、書を好む『好文(こうぶん)の王』として名を()せる。

其の噂を聞いた多くの食客(しょっかく)が、淮南国に()かれ向かう。


●紀元前154年(劉安25歳)

第六代皇帝『景帝』の頃、『呉楚七国(ごそしちこく)の乱』勃発(ぼっぱつ)

『呉楚七国の乱』とは、七国の諸侯王『呉王』『楚王』『趙王』『膠西王(こうせいおう)』『膠東王(こうとうおう)』『菑川王(しせんおう)』『済南王(さいなんおう)』が漢王室に対して起こした反乱の事。

劉安は呉の使者に参戦を進められたが、宰相に諫められた為、乱には加担しなかった。


『呉楚七国の乱』以後、漢王朝は国を統一する為に儒教(じゅきょう)以外の思想を弾圧するようになり、方士(ほうし)(神仙術を身に付けた者)など多くの食客が更に淮南国に集まるようになる。


●紀元前139年(劉安40歳)

劉安、〖楚辞(そじ)〗〔離騒(りそう)〕を短時間で要約して第七代皇帝『武帝(ぶてい)』に献上(けんじょう)

楚辞(そじ)〗は、漢王朝の人々にとって難解な文章であった。

此れにより劉安の名声が益々高まり、『稷下(しょくか)の学(戦国時代、(せい)の都・臨淄(りんし)に集まった思想家達の学問)』の様に、様々な思想を持った人々が淮南国に引き寄せられる。

特に淮南国はシャーマニズム(巫術(ふじゅつ))の強かった嘗ての楚の地にあったので、淮南国では道家(どうか)の神仙思想が盛んとなった。


●紀元前122年(劉安57、58歳)

積極的に匈奴討伐を進めていた『武帝』に対し、劉安は消極的な態度をとり続けた。

また、『武帝』に討伐を諫める文書も上奏(じょうそう)した。

其の行為が『武帝』に不信感を抱かせ、劉安は二県の所領を削減される。

劉安は漢王室に対し、謀反を画策。

しかし、臣下である伍被(ごひ)の密告により謀反は事前に発覚。

劉安は首を()き切って自死し、一族は処刑されて領地は没収された。

淮南国の食客も処罰され、劉安の謀反に加担したとされる数万人が殺された。


そして劉安の死後、伝説が生まれた。


『劉安は、仙人になった』



挿絵(By みてみん)


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≪劉安の伝説≫


一人得道(ひとりがみちをえれば) 鶏犬昇天けいけんもてんにのぼる】 

劉安は、死んだのではない。

劉安は神仙術を極め、昇天(しょうてん)して仙人となったのだ。

劉安だけでなく、其の家族も、鶏や犬までも不死となったのだ。

 

八公仙(はちこうせん)】 

ある時、八人の老人が劉安の許を訪れた。

劉安は、門番を通して言った。

「貴方達は、不老の術を極めていないようだ」

其れを聞いた八人の老人は、桃の花の様な(わらべ)に変身した。

劉安は、八人を招き入れた。


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≪劉安と八公の著作≫


淮南子(えなんじ)


・ 紀元前139年成立

・ 元は、〖淮南鴻烈(えなんこうれつ)〗と言われた(『鴻烈』とは、大いなる偉業と言う意味)

・ 八公(蘇非(そひ)李尚(りしょう)左呉(さご)陳由(ちんゆう)伍被(ごひ)毛周(もうしゅう)雷被(らいひ)晋昌(しんしょう))とは、

  淮南国に集った食客の中で特に劉安に近しい優秀な八人のこと

・ 内篇二十一篇のみ現存(外篇三十三篇、中篇八篇は散佚(さんいつ)

  巻一〔原道訓(げんどうくん)〕、巻二〔俶真訓(しゅくしんくん)〕、巻三〔天文訓(てんもんくん)〕、巻四〔墬形訓(ついけいくん)

  巻五〔時則訓(じそくくん)〕、巻六〔覧冥訓(らんめいくん)〕、巻七〔精神訓(せいしんくん)〕、巻八〔本経訓(ほんけいくん)

  巻九〔主術訓(しゅじゅつくん)〕、巻十〔齊俗訓(せいぞくくん)〕、巻十一〔齊俗訓(せいぞくくん)〕、巻十二〔道応訓(どうおうくん)

  巻十三〔氾論訓(はんろんくん)〕、巻十四〔詮言訓(せんげんくん)〕、巻十五〔兵略訓(へいりゃくくん)

  巻十六〔説山訓(せつざんくん)〕、巻十七〔説林訓(ぜいりんくん)〕、巻十八〔人間訓(じんかんくん)

  巻十九〔脩務訓(しゅうむくん)〕、巻二十〔泰族訓(たいぞくくん)〕、巻二十一〔要略(ようりゃく)

・『雑家(ざっか)(『儒家(じゅか)』『道家(どうか)』『法家(ほうか)』『兵家(へいか)』『墨家(ぼっか)』『小説家(しょうせつか)』『農家(のうか)

 『陰陽家(いんようか)』など様々な思想が含まれている)』とされるが、

  特に『道家』の思想が強い。

・『淮南子』は『雑家(ざっか)』に分類されるが、様々な思想を取り入れ、それぞれを

  尊重し融和(ゆうわ)昇華(しょうか)させたものなので、他の『雑家』とも異なる。

・ 百科全書

 

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●巻一〔原道訓(げんどうくん)


夫道者(それみちは) 覆天載地(てんをおおいちをのせ)

 廓四方(しほうにはり) 柝八極(はっきょくをひらけ)

 高不可際たかきこときわむべからず 深不可測ふかきことはかるべからず

 包裹天地(てんちをほうかし) 稟授無形(むけいにひんじゅす)

 原流泉浡みなもとよりながれいずみのわくがごとく 沖而徐盈むなしけれどもおもむろにみち

 混混滑滑こんこんこつこつとして 濁而徐清にごれどもおもむろにすむ

 故植之而塞於天地ゆえにこれをたつればてんちにふさがり 橫之而彌于四海これをよこたうればしかいにわたり

 施之無窮これをほどこせばきわまりなくして 而無所朝夕ちょうせきするところなし

 舒之幎於六合これをのぶればりくごうにおおい 卷之不盈於一握これをまけばいちあくにみたず

 約而能張(やくしてよくちょう)

 幽而能明(ゆうにしてよくめい)

 弱而能強じゃくにしてよくきょう

 柔而能剛(じゅうにしてよくごう)

 橫四維而含陰陽しいによこたわりていんようをふくみ

 紘宇宙而章三光うちゅうをこうしてさんこうをあきらかにす

 甚淖而滒(はなはだとうにしてか) 甚纖而微(はなはだせんにしてび)

 山以之高やまはこれをもってたかく 淵以之深ふちはこれをもってふかく

 獸以之走けものはこれをもってはしり 鳥以之飛とりはこれをもってとび 

 日月以之明じつげつはこれをもってあきらかに 星曆以之行せいれきはこれをもってめぐり

 麟以之遊りんはこれをもってあそび 鳳以之翔ほうはこれをもっうてかける】 

『道』は『天』を(おお)い、『地』を()せる。

『道』は、四方八方に広がる。

『道』は無限に高く、深い。

『道』は『天地』を包み、『無形』に『形』を与える。

『道』は源より生まれ泉のように湧き出て、少しずつだが次第に満ちる。

『道』は何も無いものから少しずつ満ち、始め(にご)っていたとしても

清らかになる。

『道』を立てると『天地』を(ふさ)ぎ、横たえると四海(しかい)に広がる。

『道』は、昼夜問わず永遠に影響を及ぼすであろう。

『道』は広がれば『天地』を覆い、(まと)まれば一握りの大きさとなる。

『道』は、『小』であり『大』である。

『道』は、『暗』であり『明』である。

『道』は、『弱』であり『強』である。    

『道』は、『柔』であり『剛』である。

『道』は『天地』の四隅(よすみ)

(いぬい)(西北)・(ひつじさる)(西南)・(うしとら)(東北)・(たつみ)(東南))を支え、

其の地で『陰陽(いんよう)』を含む。

『道』は『天地』を(つな)(つな)となって、日月星(じつげつせい)を輝かせる。

『道』はしなやかで、微細である。

其れにより山は高く、(ふち)は深い。

其れにより獣は走り、鳥は飛ぶ。

其れにより日月は輝き、星は巡る。

其れにより麒麟(きりん)は現れ、鳳凰(ほうおう)は飛翔する。    



夫性命者(それせいめいは) 與形俱出其宗けいとともにそのそうをいず

 形備而性命成けいそなわりてせいめいなり

 性命成而好憎生矣せいめいなりてこうぞうしょうず

 故士有一定之論ゆえにしにいっていのろんあり

 女有不易之行じょにふえきのこうあり

 規矩不能方圓きくもほうえんすることあたわず

 鉤繩不能曲直こうじょうもきょくちょくすることあたわず

 天地之永(てんちのながきは) 登丘不可為脩おかにのぼれりとてながしとなすべからず

 居卑不可為短ひくきにおれりとてみじかしなすべからず 

 是故得道者このゆえにみちをうるものは

 窮而不懾きゅうすれどもおそれず

 達而不榮たっすれどもえいとせず

 處高而不機たかきにおれどもあやうからず

 持盈而不傾みつるをじすれどもかたむかず

 新而不朗あたらしけれどもあきらかならず

 久而不渝ひさしけれどもかわらず

 入火不焦(ひにいれどもこげず)

 入水不濡(みずにいれどもぬれず)

 是故不待勢而尊このゆえにせいをもたずしてとうとく 

 不待財而富(ざいをもたずしてとみ)

 不待力而強ちからをまたずしてつよく

 平虛下流(へいきょかりゅうし) 與化翱翔(かとこうしょうす)

 若然者(しかるがごときものは) 藏金于山(きんをやまにぞうし)

 藏珠於淵(たまをふちにぞうし)

 不利貨財(かざいをりとせず)

 不貪勢名(せいめいをむさぼらず) 

 是故不以康為樂このゆえにこうをもってらくとなさず

 不以為悲けんをもってひとなさず

 不以貴為安きをもってあんとなさず

 不以賤為危せんをもってきとなさず

 形神氣志(けいしんきし) 各居其宜おのおのそのよろしきにおりて

 以隨天地之所為もっててんちのなすところをしたがう】 

『命』と『形』の根源は、同じである。

『形』が備われば、『命』が成る。

『命』が成ると、『愛憎(あいぞう)』が生じる。

男には、変わらぬ『徳』がある。

女には、変わらぬ『意志』がある。

故に『命』を円規(えんき)(コンパス)や定規(じょうぎ)で以て、円形や方形にする事は出来ない。

故に『命』を縄墨(じゅうぼく)で以て、直線の様に引く事は出来ない。

『天地』との距離は、丘に登ろうとも測る事は出来ない。

『天地』との距離は、低地に居ようとも測る事は出来ない。

故に『道』を得た人は、困窮(こんきゅう)を恐れない。

故に『道』を得た人は、栄誉を誇らない。

故に『道』を得た人は、高所に居ても(ひる)まない。

故に『道』を得た人は、満ち足りていても慎重(しんちょう)である。

故に『道』を得た人は、新しくとも華美(かび)ではない。

故に『道』を得た人は、古くとも変わらない。

故に『道』を得た人は、火中でも焦げない。

故に『道』を得た人は、水中でも濡れない。

此の為、『道』を得た人は権勢が無くとも尊い。

此の為、『道』を得た人は財が無くとも満たされてる。

此の為、『道』を得た人は力弱くとも強い。

此の為、『道』を得た人は低く空虚(くうきょ)な所でも生き、変化しながら飛翔する。

『道』を得た人は、金を山から掘り起こさない。

『道』を得た人は、淵に沈む珠玉(しゅぎょく)にも見向きもしない。

『道』を得た人は、家財を『利』としない。

『道』を得た人は、権勢や栄誉を(むさぼ)らない。

故に『道』を得た人は、奔走(ほんそう)する。

故に『道』を得た人は、困窮を悲しまない

故に『道』を得た人は、身分が高くとも驕らない。

故に『道』を得た人は、身分の低い者に対しても(あなど)らない。

『形』『心』『気』は、それぞれ在るべき所に在る。

其れらは、『天地』の為す事に従う。



夫形者生之舎也それけいはせいのしゃなり

 氣者生之充也(きはせいのじゅうなり)

 神者生之制也(しんはせいのせいなり)

 一失位いつもくらいうしなえば 則二者傷矣(すなわちにしゃやぶる)

 是故聖人使人このゆえにせいじんはひとをして各處其位おのおのそのくらいにおり

 守其職(そのしょくをまもりて)

 而不得相干也あいおかすをえざらしむ 

 故夫形者非其所ゆえにかのけいはそのやすんずるところに安也而處之則廢あらずしてこれにおればすなわちすたれ

 氣不當其所充きはそのみつるところにあたらずして而用之則泄これをもちうればすなわちもれ

 神非其所宜しんはそのよろしきところにあらずして而行之則昧これをおこなえばすなわちくらし

 此三者(このさんしゃは) 不可不慎守也つつしんでまもらざるべからず】 

『形』は、『命』が宿るところである。

『気』は、『命の根本』となるものである。

『心』は、『命』を統べるものである。

一つでも失えば、残りの二つは傷を負う。

故に聖人は、人々に此れら三つが在るべき所に在るようにさせた。

故に聖人は、人々に己の役目を果たさせた。

故に聖人は、人々にそれぞれの領域を侵させないようにした。

『形』は在るべき所に在らねば、(すた)れる。

『気』は満つるべき所で用いらねば、外に()れる。

『心』は適正な所に在らねば、蒙昧(もうまい)となる。

此れら三つは、(つつし)んで守らなければならない事である。



不貴尺之璧せきのたまをたっとばずして 而重寸之陰(すんのいんをおもんず)

どれほど素晴らしい宝よりも、僅かな時間を重んじる。

時間とは、とても大切なものなのだ。


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●巻二〔俶真訓(しゅくしんくん)


夫趨舍行偽者それすうしゃのおこないいつわるは 為精求於外也せいそとにもとむるがためなり

 精有湫盡せいしょうじんすることありて

 而行無窮極おこないきゅうきょくなければ

 則滑心濁神すなわちこころをみだりしんを而惑亂其本矣にごしてそのもとをわくらんす

 其所守者不定そのまもるところのさだまらずして 而外淫於世俗之風そとせぞくのふうにいんし

 所斷差跌者だんずるところのものさてつして 而內以濁其清明うちもってそのせいめいをにごす

 是故躊躇以終このゆえにちゅうちょしてもっておわりて 而不得須臾恬澹矣しゅゆもてんたんたることをえず 

 是故聖人內このゆえにせいじんはうちに修道術(どうじゅつをおさめて) 而不外飾仁義そとにじんぎをかざらず

 不知耳目之宣じもくのぎをしらずして 而游於精神之和(せいしんのわにあそぶ)

 若然者(しかるがごときものは) 下揆三泉しもはさんせんをはかり 上尋九天かみはきゅうてんをたずね

 橫廓六合りくごうにおうかくして 揲貫萬物(ばんぶつをせっかんす) 

 此聖人之游也これせいじんのゆうなり】 

『進退』に『迷い』があるのは、根源となる『気』が外に流れているからである。

根源となる『気』が外に流れている為、根源となる『気』は尽き果ててしまう。

根源となる『気』が尽き果ててしまうので、『行い』に『迷い』が生じる。

『行い』に『迷い』が生じると『心』は濁り、『根本』が(まど)い乱れる。

根源となる『気』が安定していないから、世俗に惑わされる。

世俗を断ち切るべきなのに其れが出来ず、清く美しいものが濁る。

故に人は躊躇(ためら)い迷いながら、心安らぐことなく一生を終える。

故に道術を会得した聖人は、外に『仁義(じんぎ)』を振りかざさない。

そして耳で聞き、目で見たものに惑わされず、精神の調和を図る。

このような聖人は黄泉(よみ)の国を探り、九つの『天』を尋ねる。

聖人は世界の果てまで足を延ばし、万物を知る事が出来る。

此れこそが、『聖人の何ものにも(とら)われない絶対的自由』である。



若夫真人かのしんじんのごときは 則動溶於至虛すなわちしきょにどうようして

 而游於滅亡之野(めつぼうのやにあそび) 騎蜚廉而從敦圄ひれんにのりてとんぎょをしたがえ

 馳於外方(ほうがいにはせ) 休乎宇內(うだいにきゅうし)

 燭十日而じゅうじつをしょくとして使風雨(ふううをつかいとし)

 臣雷公(らいこうをしんとし) 役夸父(こほをえきとし)

 妾宓妃(ふくひをしょうとし) 妻織女(しょくじょをつまとす)

 天地之間何てんちのかんなんぞもってその足以留其志こころざしをとどむるにたらんや

 是故虛無者道之舍このゆえにきょむはみちのしゃ

 平易者道之素(へいいはみちのそなり)】 

真人(しんじん)(仙人・道士)』は、『無』を浮遊する。

『真人』は荒野を彷徨(さまよ)い、蜚廉(ひれん)(風の神獣)に乗って敦圄(とんぎょ)(虎に似た神獣)を従える。

『真人』は、世界の内外を自由に行き来する。

『真人』は十の太陽を灯し、風伯(ふうはく)(風神)・雨師(うし)(雨神)・雷公(らいこう)(雷神)・夸父(こほ)(巨人)を従える。

『真人』は宓妃(ふくひ)側女(そばめ)とし、織女(しょくじょ)を妻とする。

『天地』の間に、『真人』の志を(さえぎ)るものなど存在しない。

故に、『無は道の在るべき処』『静謐(せいひつ)は道の源』と言うのである。



道出一原(みちはいちげんにいで) 通九門(きゅうもんにつうじ) 散六衢(りっくにさんず)】    

『道』は、一つである。

其の『道』は、城中の九つの『門』に通じている。

其の九つの『門』は、六つの『町』へと広がっている。

『道』は一つであるが、其の『道』は四方に広がる。


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●巻三〔天文訓(てんもんくん)


天地之襲精為陰陽てんちのしゅうせいはいんようとなり

 陰陽之專精為四時いんようのせんせいはしいじとなり

 四時之散精為萬物しいじのさんせいはばんぶつとなる

 積陽之熱氣生火せきようのねっきはひをしょうじ

 火氣之精者為日かきのせいなるものはひとなり

 積陰之寒氣為水せきいんのかんきはみずとなり 

 水氣之精者為月すいきのせいなるものはつきとなり

 日月之淫為じつげつのいんきせいなる精者為星辰(ものはせいしんとなる)

 天受日月星辰てんはじつげつせいしんをうけ

 地受水潦塵埃ちはすいりょうじんあいをうく】 

『天地』の根源となる『気』は、重なると『陰陽』となる。

『陰陽』の根源となる『気』は、集中すると『四季』となる。

『四季』の根源となる『気』は、四散すると『万物(ばんぶつ)』となる。

『陽気』が蓄積した『熱気』は、『火』を生じる。

『火』の根源となる『気』は、『日』となる。

『陰気』が蓄積した『寒気』は、『水』を生じる。

『水』の根源となる『気』は、『月』となる。

『日』『月』から溢れ出たものは、『星』となる。

『天』は、『日』『月』『星』を受ける。

『地』は、『雨水』『塵埃(じんあい)』を受ける。



昔者共工與むかしきょうこうはせんぎょくとて顓頊爭為帝いたらんことをあらそい

 怒而觸不周之山いかりてふしゅうのやまにふる

 天柱折(てんちゅうおれ) 地維絕(ちいたえ)

 天傾西北てんはせいほくにかたむく

 故日月星辰移焉ゆえにじつげつせいしんうつる

 地不滿東南(ちはとうなんにみたず)

 故水潦塵埃歸焉ゆえにすいりょうじんあいきす】    

(いにしえ)の時代、水神(すいじん)である共工(きょうこう)は五帝の一人である顓頊(せんぎょく)と帝位を争った。

争いの最中、共工は激怒し西北の不周山(ふしゅうざん)を破壊した。

『天』を支える柱は折れ、『地』を繋ぐ綱は切れた。

『天』を支える柱は折れた為、『天』は西北に傾いた。

故に『日』『月』『星』は、西北へと移った。

『地』を繋ぐ綱は切れた為、『地』は東南が沈下(ちんか)した。

故に『雨水』『塵埃』は、東南に流れる。


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●巻四〔墬形訓(ついけいくん)


崑崙之丘(こんろんのきゅう) 或上倍之もしのぼることこれにばいすれば

 是謂涼風之山これをりょうふうのやまという

 登之而不死(これにのぼればしせず)

 或上倍之もしのぼることこれにばいすれば

 是謂懸圃(これをけんぽという)

 登之乃靈これにのぼればすなわちれい 能使風雨(よくふうをつかう)

 或上倍之もしのぼることこれにばいすれば

 乃維上天すなわちこれじょうてんなり

 登之乃神これにのぼればすなわちかみ 

 是謂太帝之居これをたいていのきょという】   

崑崙山(こんろんざん)の倍の高さを登る。

すると、其処には涼風山(りょうふうざん)がある。

此の涼風山に登ると、不死となる。

涼風山の倍の高さを登る。

すると、其処には懸圃山(けんぽざん)がある。

此の懸圃山に登ると霊力を得て、風伯・雨師を使役(しえき)する事が出来るようになる。

懸圃山の倍の高さを登る。

すると、其処には『上天(じょうてん)』がある。

此の『上天』に登ると神霊(しんれい)を得る。

此処が則ち、太帝(たいてい)御座(おわ)す処である。


   

扶木在陽州ふぼくはようしゅうにあり 日之所曊(ひのてらすところ)

 建木在都廣けんぼくはとこうにあり 眾帝所自上下しゅうていのよりてしょうかするところ

 日中無景(にっちゅうにかげなく) 呼而無響(よべどもひびきなし)

 蓋天地之中也けだしてんちのちゅうなり

 若木在建木西じゃくぼくはけんぼくのにしにあり 末有十日すえにじゅうじつありて

 其華照下地(そのかかちをてらす)】 

扶木(ふぼく)(東海の海中にある神樹)は、陽州(ようしゅう)に在る。

陽州は、日の昇る処である。

建木(けんぼく)(『天』と『地』を結ぶ神樹)は都広山(とこうざん)にあり、其処から神々は『天地』を行き来する。

都広山は日中は影が出来ず、声も響かない。

都広山は、『天地』の中央に在るのであろう。

若木(じゃくぼく)は建木の西に在り、枝には十の太陽が在る。

其の光は、『地』を照らす。


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●巻五〔時則訓(じそくくん)

 

孟春行夏令もうしゅんにかれいをおこなえば 則風雨不時すなわちふううときならず

 草木旱落(そうもくはやくおち) 國乃有恐くにすなわちきょうあり

 行秋令しゅうれいをおこなえば 則其民大疫すなわちそのたみおおいにえきし

 飄風暴雨總至ひょうふうぼううすべていたり 黎莠蓬蒿並興れいゆうほうこうならびおこる

 行冬令(とうれいおこなえば) 則水潦為敗すなわちすいろうはいをなし 

 雨霜大雹しもをふらしたいはくふり 首稼不入(しゅかいらず)】 

初春であるにも(かかわ)らず夏に行うべき(まつりごと)を行えば、想定外の風雨に見舞われ、

草木は早々に枯れ落ち、国は恐慌(きょうこう)状態に陥る。

初春であるにも拘らず秋に行うべき政を行えば、民の間に疫病が蔓延(まんえん)し、

旋風(つむじかぜ)や暴風雨に襲われ、雑草が生い茂る。

初春であるにも拘らず冬に行うべき政を行えば、大雨が災害をもたらし、

(しも)()り、大きな(ひょう)()り、作物は実らない。


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●巻六〔覧冥訓(らんめいくん)

   

専精厲意せいをもっぱらにしいをはげまし 委務積神つとめをつみしんをつめば 

 上通九天かみはきゅうてんにつうじて 激厲至精(しせいをげきれいす) 

 由此觀之これによりてこれをみれば 上天之誅也(じょうてんのちゅうは) 

 雖在壙虚幽間(こうきょたるゆうかん) 遼遠陰匿りょうえんたるいんとく 

 重襲石室ちょうしゅうたるせきしつ 界障險阻かいしょうたるけんそにありといえども 

 其無所逃之そのこれをのがるるところなきこと 亦明矣(またあきらかなり)】   

誠心誠意(せいしんせいい)尽くし、努力を積み重ねれば、

其の『至誠(しせい)真心(まごころ))』は『天』の最も高い所に通じ、『天』も其の『至誠』を激励する。

故に『天』が(ちゅう)する際、たとえ荒地や奥深い場所、

遥か遠く人の目に触れない場所、幾重(いくえ)にも重なった石室、

外と隔絶(かくぜつ)された険しい場所に隠れても、『天』は必ず見つける。

『天』からは、決して逃げ切る事など出来ない。

※ 【天網恢恢疎(てんもうかいかいそ)にして漏らさず】

   書経【皇天無親(こうてんしんなく) 惟徳是輔(ただとくをこれたすく) 民心無常(みんしんつねなく) 惟恵之懐(ただけいをこれなつく)



乞火(ひをこうは) 不若取燧(ひうちをとるにしかず)

誰かに火を求めるより、自分で火打ちで火を起こした方が良い。

『他人任せにせず、自ら行動しなさい』


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●巻七〔精神訓(せいしんくん)


生乃徭役也せいはすなわちようえきにして 而死乃休息也しはすなわちきゅうそくなるを 天下茫茫(てんかぼうぼうとして) 孰知之哉(たれかこれをしらんや)

 其生我也不強求已そのわれをいかすやしいてやむをもとめず

 殺我也そのわれをころすやきゅうそく不強求止なるをしいてやむをもとめず 

 欲生而不事せいをほっすれどもこととせず 憎死而不辭(しをにくめどもじせず) 

 賤之而弗憎いやしまるるもにくまず 貴之而弗喜たっとばるるもよろこばず 

 隨其天資(そのてんしにしたがい)而安之不極これにやすんじてせまらず】   

『生きる事』は苦役(くえき)であり、『死ぬ事』は休息であると、天下広しと言えど、誰が知っているのであろうか?

私を『生かす』と言うのであれば、私は生きよう。

私を『殺す』と言うのであれば、私は死のう。

『生きる事』を欲しても執着(しゅうちゃく)せず、『死ぬ事』を憎んでも(こば)まず、

賤しい身分であっても憎まず、(とうと)い身分であっても喜ばず、『天命(てんめい)』に従い、全てを受け容れる。


   

夫悲樂者(それひらくは)德之邪也(とくのじゃなり)

 而喜怒者(きどは)道之過也(みちのかなり)

 好憎者(こうぞうは)心之累也(こころのるいなり)

 故曰(ゆえにいわく) 其生也天行(そのせいやてんこう) 其死也物化(そのしやぶっか) 

 靜則與陰俱閉合德しずかなればすなわちいんととくをあわせ

 動則與陽俱開合波うごけばすなわちようとなみをおなじくす

 精神澹然無極せいしんたんぜんとしてつくることなく 不與物散もののためにさんざれば

 而天下自服すなわちてんかおのずからふくす

 故心者(ゆえにこころは)形之主也(けいのしゅにして)

 而神者(しんは)心之寶也(こころのほうなり)

 形勞而不休則蹶けいろうしてやすまざればすなわちつまずき 

 精用而不已則竭せいもちいてやまざればすなわちつく

 是故聖人(このゆえにせいじんは)貴而尊之きとしてこれをたっとび

 不敢越也(あえてちらさざるなり)】 

悲楽(ひらく)』は、『徳』を妨げる。

喜怒(きど)』は、『道』を誤らせる。

好憎(こうぞう)』は、『心』を(わずら)わせる。

故に聖人は生きる時は『天』と共に行き、死ぬ時は『物』と共に変化し、静まる時は『陰の気』と『徳』を融合し、動く時は『陽の気』と『動き』を同じくする。

精神が完全に穏やかであり、物事に一喜一憂(いっきいちゆう)しなければ、天下は己に服するであろう。

故に『心』は『肉体の(あるじ)』であり、『精神』は『心の宝』である。

『肉体』を酷使(こくし)すれば疲弊し、『精気』を使い過ぎれば尽きる。

故に聖人は『心』と『精神』を尊び、失うまいとする。



夫有夏后氏之璜者かのかこうしのこうをたもつものは 匣匱而藏之こうきしてこれをぞうす

 寶之至也ほうのいたりなればなり

 夫精神之可寶也それせいしんのほうとすべきや

 非直夏后氏之璜也ただかこうしのこうのみにあらざるなり 

 是故聖人このゆえにせいじんはむを以無應有(もってゆうにおうじて)

 必究其理かならずそのりをきわめ

 以虛受實きょをもってじつをうけて 必窮其節かならずそのせつをきわめ

 恬愉虛靜(てんゆきょせいにして) 以終其命(もってそのめいをおう)

 是故無所このゆえにはなはだうとん甚疏(ずるところなくして) 而無所甚親はなはだしたしむところなく

 抱德煬和とくをいだきわをあたためて 以順於天(もっててんにしたがい)

 與道為際(みちとさいをなし) 與德為鄰(とくととなりをなし)

 不為福始(ふくのはじめとならず) 不為禍先(かのさきとならず)

 魂魄處其宅こんぱくはそのたくにおり

 而精神守其根せいしんはそのこんをまもり

 死生無變於己しせいおのれにへんずるなし

 故曰至神(ゆえにししんという)】  

()王朝伝来の(ぎょく)を所持する者は、其の玉を大切に保管する。

其れは、其の玉が至上の宝であるからだ。

しかし『精神の宝』は、此の玉に比するものではない。

故に聖人は『無』を以て『有』に応じ、『(ことわり)』を(きわ)める。

(きょ)(いつわ)り)』を以て『真実』を受け容れ、必ず『節度』を以て対する。

穏やかで己を『無』とし、天命を全うする。

其の為、特に(うと)んずる事も親しむ事も無く、『徳』を抱きながら『和』を重んじ、『天』に(したが)う。

『道』と共に、『徳』の傍に、『福』の始めとならず、『(わざわい)』の先とならず、魂魄(こんぱく)は在るべき場所にある。

『精神』は其の『(みなもと)』を守り、『死生』は己の『心』を変える事は無い。

此れを『至神(ししん)』と言う。



聖人法天せいじんはてんにのっとりて順情(じょうにしたがい) 不拘於俗(ぞくにこだわらず) 不誘於人(ひとにさそわれず)

聖人は『天道』に法り、己の『心』に順って自らの『道』を進み、世俗や誘惑に心乱される事も無い。

雑音など気にせず、平常心をもって自分の信じる『道』を貫き通せば良い。


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●巻八〔本経訓(ほんけいくん)


凡人之性(およそひとのせい) 心和欲得則樂こころやわらぎよくうればすなわちたのしみ 

 樂斯動たのしめばここにうごき 動斯蹈(うごけばここにふみ)

 蹈斯蕩(ふめばここにとろけ) 蕩斯歌とろくればここにうたい

 歌斯舞(うたえばここにまい) 舞節則禽獸跳矣まえばすなわちきんじゅうにおどる

 人之性(ひとのせい) 心有憂喪則悲こころにゆうそうあればすなわちかなしみ

 悲則哀かなしめばすなわちかなしみ 哀斯憤かなしめばここにいきどおり

 憤斯怒いきどおればここにいかり 怒斯動(いかればここにうごき)

 動則手足不靜うごけばすなわちしゅそくしずかならず

 人之性(ひとのせい) 有侵犯則怒しんぱんするあればすなわちいかり

 怒則血充いかればすなわちちみち 血充則氣激ちみつればすなわちきげきし

 氣激則發怒きげきすればすなわちいかりをはっし 發怒則有いかりをはっすればすなわち所釋憾矣うらみをとくところあり

 故鐘鼓管簫ゆえにしょうこかんしょう 干鏚羽旄(かんせきうぼうは)

 所以飾喜也よろこびをかざるゆえんなり

 衰苴杖(さいてつしょじょう) 哭踴有節(こくようのせつあるは)

 所以飾哀也かなしみをかざるゆえんなり

 兵革羽旄(へいかくうぼう) 金鼓斧鉞(きんこふえつは) 

 所以飾怒也いかりをかざるゆえんなり 

 必有其質かならずそのしつありて 乃為之文すなわちこれがぶんをなす】 

人の『本性(ほんしょう)』は、『心』が(なご)やかであり望みが叶えば楽しい。

楽しければ『心』は動き、『心』が動けば足踏みをする。

足踏みをすれば身体が揺れ動き、身体が揺れ動けば歌う。

歌えば舞い、舞えば(けもの)が飛び()ねる様になる。

人の『本性』は、『心』が憂えていれば悲しい。

悲しければ(かな)しみ、哀しめば(いきどお)る。

憤れば怒り、怒れば身体が動く。

身体が動けば、手足は怒りで震える。

人の『本性』は、『心』を侵食(しんしょく)されれば怒る。

怒れば感情が高ぶり、感情が高ぶれば激高(げきこう)する。

激高すれば怒りを発し、怒りを発すれば恨みは消える。

故に人が(しょう)()太鼓(たいこ))・(かん)(しょう)(笛)などの楽器を(かな)で、干鏚(かんせき)(武の舞)・羽旄(うぼう)(文の舞)などの舞を舞うのは、『喜び』を表現しているのである。

喪服(もふく)を着て喪中の際に使用する黒色の竹の杖をついて泣哭(きゅうこく)するのは、『哀しみ』を表現しているのである。

兵革(へいかく)(武器や(よろい))・羽旄(うぼう)(軍隊を指揮する為の(ほこ))・金鼓(きんこ)銅鑼(どら)と太鼓)・斧鉞(ふえつ)(おの)(まさかり))などの武具を用いるのは、『怒り』を表現しているのである。

必ず『理由』があり、其れらを『表現』するのである。



兵者(へいはぼうを)所以討暴(うつゆえんにして) 非所以為暴也ぼうをなすゆえんにあらず 

 樂者(がくは)所以致和わをいたすゆえんにして 非所以為淫也(いんをなすにあらず)

 喪者(もは)所以盡哀かなしみをつくすゆえんにして 非所以為偽也ぎをなすゆえんにあらず

 故事親有道矣ゆえにおやにつかうるにみちあるも  而愛為務(あいをつとめとなす)

 朝廷有容矣ちょうていにようあるも 而敬為上(けいをかみとなす)

 處喪有禮矣(もにおるにれいあるも) 而哀為主(かなしみをしゅとなす)

 用兵有術矣へいをもちうるにじゅつあるも 而義為本(ぎをもととなす)

 本立而道行もとたちてみちおこなわれ 本傷而道廢もとそこなわれてみちすたる】   

『戦』は暴挙を止める為のものであり、暴挙を行う事ではない。

『楽』は和合の為であり、淫蕩(いんとう)の為のものではない。

『喪』は哀しみを放つものであり、表面上の哀しみを表現する為のものではない。

故に父母に尽くす際、『愛情』を以て尽くしなさい。

朝廷に仕える際、『畏敬(いけい)の念』を以て尽くしなさい。

喪に服す際、『哀情(あいじょう)』を以て尽くしなさい。

兵術を用いる際、『正義』を以て尽くしなさい。

『根本』が確立されていれば『道』は正しく行われ、『根本』が不確立であれば『道』は廃れる。


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●巻九〔主術訓(しゅじゅつくん)

 

人主者(じんしゅは) 以天下之目視(てんかのめをもってみ) 以天下之耳聽てんかのみみをもってきく

 以天下之智慮てんかのちをもっておもんぱかり 以天下之力爭てんかのちからをもってうごく

 是故號令能下究このゆえにごうれいはよくしもにきわまりて 而臣情得上聞しんのじょうはかみにきこゆるをえ

 百官修通ひゃっかんおさまりつうじ 群臣輻湊(ぐんしんふくそうす)

 喜不以賞賜よろこぶももってしょうしせず 怒不以罪誅いかるをもってざいちゅうせず

 是故威立而不廢このゆえにいれいたちてすたれず 聰明光而不蔽そうめいかがやきておおわれず 

 法令察而不苛ほうれいあきらかにしてかならず 耳目達而不暗じもくたっしてくらかず

 善否之情(ぜんひのじょう) 日陳於前而無所逆ひにまえにちんじてさからうところなし

 是故賢者盡其智このゆえにけんじゃはそのちをつくし 而不肖者竭其力ふしょうしゃはそのちからをつくし

 德澤兼覆而不偏とくたくかねおおいてかたよらず 群臣勸務而不怠ぐんしんすすめつとめておこたらず

 近者安其性ちかきものはそのせいにやすんじ 遠者懷其德とおきものはそのとくになつく

 所以然者(しかるゆえんは)何也(なんぞや)

 得用人之道ひとをもちうるのみちをえて 而不任己之才者也おのれがさいににんぜざるものなればなり

 故假輿馬者ゆえによばをかるものは 足不勞而致千里あしろうせざれどもせんりをいたし

 乘舟楫者しゅうしゅうにのるものは 不能游而絕江海およぐことあたわざれどもこうかいをわたる】 

人主は民の『目』で見て、民の『耳』で聞いて政を行わなければならない。

民の『智』を以て考え、民の『力』を以て動かなければならない。

そうすれば人主の号令は下の者にまで届き、民の『心』は上の者に伝わる。

多くの役人は互いに協力し合い、多くの臣下は人主の許に集まる。

寵愛しているからと言って、無闇(むやみ)に賞を与えてはならない。

嫌悪(けんお)しているからと言って、無闇に罰を与えてはならない。

そうすれば人生の威厳(いげん)は保たれ廃れる事は無く、聡明(そうめい)さは光り輝き曇る事は無い。

『法』を明確にし、『情報』を明らかにし、『善悪』を明瞭(めいりょう)にしていれば、(たが)う事など無い。

故に賢者(けんじゃ)は其の『智』を以て世に尽くし、愚者(ぐしゃ)(不才の者)は其の『力』を以て世に尽くす。

『徳』は世界に広がり、多くの臣下は一生懸命働き、近国(きんごく)の人々は安心し、遠国(おんごく)の人々は『徳』に親しむようになる。

何故、其の様な事になるのか?

其れは、人主が『人を活かす法』を知っているからである。

人主が、己の才知のみで政を行う事が出来ない事を知っているからである。

つまり、馬車の操縦が出来れば足を使わずして千里を走る事が出来る。

船を漕ぐ事が出来れば、泳ぐ事が出来なくとも川や海を渡る事が出来る。

※ 【積力衆智(せきりょくしゅうち)



是非之所在(ぜひのあるところは) 不可以貴賤(きせんそんぴをもって)尊卑論也ろんずべからざればなり

 是明主之聽於群臣これめいしゅのぐんしんにきくや

 其計乃可用そのけいすなわちもちうべくんば 不羞其位(そのくらいをはじず)

 其言可行そのげんにしておこなうべくんば 而不責其辯(そのべんをせめず)】 

『正』であるか『非』であるか、其れは貴賤尊卑(きせんそんぴ)によって論ずられるべき事ではない。

名君が家臣に政について聴く際、其の計画を受け容れるべきであれば、たとえ其の者の位が低くとも拒否する事は無い。

其の言葉を受け容れるべきであれば、たとえ其の者の話し方に問題があろうとも責める事は無い。



法者(ほうは) 天下之度量(てんかのどりょう)

 而人主之準繩也しこうしてじんしゅのじゅんじょうなり

 縣法者(ほうをかくるは) 法不法也ふほうにほうあらしむるなり

 設賞者(しょうをもうくるは) 賞當賞也まさにしょうすべきをしょうするなり

 法定之後(ほうさだまるののち) 中程者賞ていにあたるものはしょうし 缺繩者誅じょうをかくものはちゅうす 

 尊貴者不輕其罰そんきなるものにもそのばつをかるくせず

 而卑賤者不重其刑ひせんなるものにもそのけいをおもくせず

 犯法者雖ほうをおかすものはけんなり賢必誅といえどもかならずちゅうし

 中度者雖どにあたるものはふしょうなり不肖必無罪といえどもかならずつみなし

 是故公道通而私道塞矣このゆえにこうどうつうじてしどうふさがる】   

『法』は、『天下の規範(きはん)』である。

『法』は、『人主の規則(きそく)』である。

『法』を定めるのは、『不法』を(いまし)める為である。

『賞』を与えるのは、与えるべき『賞』を正しく与える為である。

『法』を定めた後、『法』を守る者は賞し、『法』を犯した者は罰す。

たとえ貴い身分であっても、刑罰を軽くしてはならない。

たとえ賤しい身分であっても、刑罰を重くしてはならない。

『法』を犯す者は、たとえ賢者であっても罰しなければならない。

『法』を守る者は、たとえ愚者であっても罰してはならない。

此れこそが、『法の(もと)の平等』である。

※ 韓非(かんぴ)信賞必罰(しんしょうひつばつ)】【私怨不入公門しえんはこうもんにいらず



有術則制人じゅつあればすなわちひとをせいし 無術則じゅつなければすなわち制於人(ひとにせいされる)

『術』が有れば、人を制御出来る。

『術』が無ければ、人に制御される。

※ 韓非【七術(しちじゅつ)



智欲圓而ちはえんならんことをほっしおこ行欲方ないはほうならんことをほっす

『智恵』は、臨機応変(りんきおうへん)に使うべきである。

『行動』は、厳格でなければならない。



日慎一日ひにいちにちをつつしむ

昨日よりも今日、今日よりも明日。

一日一日を大切に生きなさい。



以天下之目視(てんかのめをもってみ) 以天下之耳聽てんかのみみをもってきく

民と同じ目で見なさい。

民と同じ耳で聴きなさい。

そうでなければ、政など出来ない。


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●巻十〔繆称訓(びゅうしょうくん)


君子見過忘罰くんしはあやまちをみてばつをわする

 故能諫(ゆえによくいさむ)

 見賢忘賤けんをみていやしきをわする

 故能讓(ゆえによくゆずる)

 見不足忘貧たらざるをみてまずしきをわする

 故能施(ゆえによくほどこす)

 情系於中じょうはうちにかかりて

 行形於外(こうはそとにあらわる)

 凡行戴情およそおこないじょうをいただけば 

 雖過無怨あやまつといえどもうらみなく

 不戴其情そのじょうをいただかざれば

 雖忠來惡ちゅうなりといえどもにくみをきたす

君子は主君の過ちを見て、主君を諫める事が出来る。

たとえ其れにより、己が罰せられようとも。

君子は賢人を見て、『謙譲(けんじょう)の心』を持つ事が出来る。

たとえ其の賢人が、賤しい身分であったとしても。

君子は己が不足している事を見て、人に施す事が出来る。

たとえ己が貧しくとも。

『真心』は内に秘め、『行動』は表に表れる。

其の『行動』が『真心』より発せられたものであれば、たとえ其の『行動』が過ちであっても恨まれる事は無い。

しかし『真心』より発せられたものでなければ、憎まれる。



凡人各賢およそひとはおのおのその其所說よろこぶところをけんとして 而說其所快そのこころよきところをよろこぶ

 世莫不舉賢よよけんをあげざるはなけれど 或以治あるいはもっておさまり 或以亂あるいはもってみだるるは

 非自遁みずからあざむくにあらず

 求同乎己者也おのれにおなじきものをもとむればなり

 己未必おのれいまだかならずしも得賢けんなることをえずして

 而求與己同者しかもおのれとおなじきものをもとめて 而欲得賢亦不幾矣けんをえんとほっするもまたちかからず】   

人はそれぞれ己の寵愛する者を賢人とし、傍に置く事によって快感を得る。

いつの世でも賢人を用いて政は行われたが、其れにより世が治まったり乱れたりしたのは、己が優柔不断(ゆうじゅうふだん)だったからではなく、己と同類の人間を求めたからである。

己が賢人でないにも拘わらず、己と同類の人間を求めて賢人を得ようと望んでも、真の賢人を得る事など出来はしない。



聖人在上(せいじんうえにあれば) 則民樂其治すなわちたみそのちをたのしみ

 在下(したにあれば) 則民慕其意すなわちたみそのいをしたう

 小人在上位しょうじんのじょういにあれば

 如寢關曝纊かんにいねこうをさらすがごとく 不得須臾寧しゅゆもやすんずるをえず

 故易曰(ゆえにえきいわく)

乘馬班如うまにのるにはんじょたり 泣血漣如きゅうけつれんじょたり

 言小人處(しょうじんのおること)非其位そのくらいにあらざれば 不可長也ながかるべからずをいうなり】 

聖人が上にいれば、其の治世(ちせい)は民にとって楽しいものとなるであろう。

聖人が下にいれば、其の志は民にとって慕うものとなるであろう。

凡人(ぼんじん)が上にいれば、関門の上で寝たり、(まゆ)を日にさらす時の様に、戦々恐々(せんせんきょうきょう)として安心して過ごす事が出来ない。

故に『易経(えききょう)』には、こう書かれている。

〚馬に乗って無駄に彷徨(さまよ)えば、落馬して血の涙を流す事になる〛

凡人が分不相応(ぶんふそうおう)の位にいれば、長続きしないと言う意味である。


  

日不知夜(ひはよをしらず) 月不知昼(つきはひるをしらず)

太陽も月も、空を照らす。

しかし、太陽は夜を知らない。

月は、昼を知らない。

両方を兼ねる事は出来ない。



有声之声(ゆうせいのこえは)不过百里(ひゃくりにすぎず)

 無声之声(むせいのこえは)施于四海(しかいにほどこす)

『思いやりの無い言葉』は、たとえ大きな声でも百里までしか届かない。

『思いやりの有る言葉』は、たとえ小さな声でも遠くまで伝わり広まる。


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●巻十一〔齊俗訓(せいぞくくん)


形殊性詭かたちことなりせいことなれば

 所以為樂者たのしとなすゆえんのものは 乃所以為哀すなわちかなしとなすゆえん

 所以為安者やすしとなすゆえんのものは 乃所以為危也すなわちあやうしとなすゆえんなり

 乃至天地之所覆載すなわちてんちのふうさいするところ 日月之所昭誋じつげつのしょうきするところにいたりては

 使各便其性おのおのをしてそのせいをべんとし 安其居(そのきょをやすしとし) 處其宜(そのよろしきにおり)

 為其能(そののうをなさしむ)

 故愚者有所修ゆえにぐしゃもながきところあり 智者有所不足ちしゃもたらざるところあり】   

『形体』や『性質』が異なれば、『楽しい』と思われるものが、他方では『哀しい』と思われる。

『安心』だとされるものが、他方では『危険』だとされる。

『天』を覆い『地』を支える所や『日』と『月』が照らす所とは、其処に住む人々にとって便利であり、安心して暮らせ、適切であり、各々の能力を発揮出来る所である。

故に愚者にも長所があり、賢者にも短所がある。



各用之於其所適おのおのこれをそのてきするところにもちい 施之於其所宜これをそのよろしきところにほどこせば

 即萬物一齊すなわちばんぶついっせいにして 而無由相過(あいすぐるによしなし)】   

各々適する所に用いれば、宜しき所に施せば、万事うまくいく。

※ 【適材適所(てきざいてきしょ)



物無貴賤(ものにはきせんなし)

 因其所貴そのたっときところによりて而貴之(これをたっとべば) 物無不貴也ものたっとからざるはなきなり

 因其所賤そのいやしきところによりて而賤之(これをいやしめば) 物無不賤也ものいやしからざるはなきなり】 

万物に、貴賤など無い。

貴きものを貴べば、其れは『貴いもの』である。

賤しきものを賤しめば、其れは『賤しいもの』である。



入其國者(そのくにいるものは) 從其俗(そのぞくにしたがう)】   

其の国に入る者は、其の国の風習に従うべきである。

()を通さず、他を理解し、協調するようにしなさい』

※ 【(ごう)()っては郷に従え】


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●巻十二〔道応訓(どうおうくん)


太清問於無窮子曰たいせいむきゅうにとうていわく

子知道乎(しみちをしるか)

 無窮子曰(むきゅういわく)

吾弗知道也(われはしらず)

 又問于無為またむいにといていわく

子知道乎(しみちをしるか)

 無為曰(むいいわく)

吾知道(われみちをしる)

子之知道(しのみちをしる) 亦有數乎(またすうあるか)

 無為曰(むいいわく)

吾知道有數われみちをしるにすうあり

 いわく

其數奈何(そのすういかん)

 無為曰(むいいわく)

吾知道之可以弱われみちのもってじゃくなるべく 可以強(もってきょうなるべく)

 可以柔(もってじゅうなるべく) 可以剛(もってごうなるべく)

 可以陰(もっていんなるべく) 可以陽(もってようなるべく)

 可以窈(もってようなるべく) 可以明(もってめいなるべく)

 可以包裹天地もっててんちをほうかすべく 可以應待無方もってむほうにおうたいすべきをしる

 此吾所以知道之數也これわれのみちをしるゆえんのすうなり」】   

太清(たいせい)無窮(むきゅう)に問う。

「お前は、『道』とは『何』か知っているか?」

無窮、曰く。

「私は、知らない」

太清、無為(むい)に問う。

「お前は、『道』とは『何』か知っているか?」

無為、曰く。

「私は、知っている」

太清、無為に問う。

「お前が『道』を知るには、何か秘訣(ひけつ)が有るのか?」

無為、曰く。

「私が『道』を知るには、秘訣が有る」

太清、無為に問う。

「其れは、どの様な秘訣か?」

無為、曰く。

「『道』には『強弱』があり、『剛柔』があり、『陰陽』があり、

 『明暗』があり、『天地』を覆い、『臨機応変』に対応する事が出来る。

 私が『道』を知る事が出来たのは、此の事を知っているからだ」


※ 太清は、『三清(さんせい)(道教の神)』の一柱。

  『三清』とは『元始天尊(げんしてんそん)』『霊宝天尊(れいほうてんそん)太上道君(たいじょうどうくん))』

  『道徳天尊(どうとくてんそん)(太清。太上老君(たいじょうろうくん)』の事である。

  太清は『道徳天尊』『太上老君』の他、『混元老君(こんげんろうくん)』『降生天尊(ごうせいてんそん)

  『太清大帝(たいせいたいてい)』とも言う。

※ 『無窮』とは、『無限』と言う意味。

  『無為』とは、『ありのまま』と言う意味。

  『無始』とは、『永遠』と言う意味。



太清又問於無始曰たいせいまたむしにといていわく

郷者吾道於無窮さきにわれみちをむきゅうにとう

 無窮子曰(むきゅういわく)

 〚吾弗知之(われこれをしらずと)

 又問于無為(またむいにとう)

 無為曰(むいいわく)

 〚吾知道(われみちをしると)

 (いわく)

 〚子之知道(しのみちをしる) 亦有數乎(またすうあるかと)

 無為曰(むいいわく)

 〚吾知道有數われみちをしるにすうありと

 (いわく)

 〚其數奈何(そのすういかんと)

 無為曰(むいいわく)

 吾知道之可以弱われみちのもってじゃくなるべく 可以強(もってきょうなるべく)

 〚可以柔(もってじゅうなるべく) 可以剛(もってごうなるべく)

  可以陰(もっていんなるべく) 可以陽(もってようなるべく)

  可以窈(もってようなるべく) 可以明(もってめいなるべく)

  可以包裹天地もっててんちをほうかすべく 可以應待無方もってむほうにおうたいすべきをしる

  吾所以知道之數也われのみちをしるゆえんのすうなりと

 若是(かくのごとくなれば) 則無為知與無窮之弗知すなわちむいのしるとむきゅうのしらざると

 孰是孰非いずれかぜにしていずれかひなるか

 無始曰(むしいわく)

弗知之深(しらざるはふかくして) 而知之淺(これをしるはあさし)

 弗知內(しらざるはうちにして) 而知之外(これをしるはそとなり)

 弗知精(しらざるはせいにして) 而知之粗(これをしるはそなり)」】   

太清、無始(むし)に問う。

「先程、私は〚『道』とは『何』か知っているか?〛と無窮に問うた。

 無窮、曰く。

 〚私は、知らない〛

 私は、無為に問うた。

 〚お前は、『道』とは『何』か知っているか?〛

 無為、曰く。

 〚私は、知っている〛

 私は、更に無為に問うた。

 〚お前が『道』を知るには、何か秘訣が有るのか?〛

 無為、曰く。

 〚私が『道』を知るには、秘訣が有る〛 

 私は、無為に問うた。

 〚其れは、どの様な秘訣か?〛

 無為、曰く。

 〚『道』には『強弱』があり、『剛柔』があり、『陰陽』があり、

  『明暗』があり、『天地』を覆い、『臨機応変』に対応する事が出来る。

  私が『道』を知る事が出来たのは、此の事を知っているからだ〛

 此の様であるが、無為が『知る』と答えた事と、無窮が『知らぬ』と答えた事、

 どちらが正しいのか?」

無始、曰く。

「『知らぬ』は深く、『知る』は浅い。

 『知らぬ』は内であり、『知る』は外である。

 『知らぬ』は丁重(ていちょう)であり、『知る』は粗略(そりゃく)である」



太清仰而歎曰たいせいあおごてたんじていわく

然則不知乃知邪しからばすなわちふちはすなわちちか

 知乃不知邪(ちはすなわちふちか)

 孰知知之為弗知(たれかちのふちたり)

 弗知之為知邪ふちのちたるをしらんや

 無始曰(むしいわく)

道不可聞(みちはきくべからず) 聞而非也(きけばすなわちひなり)

 道不可見(みちはみるべからず) 見而非也(みればすなわちひなり) 

 道不可言(みちはいうべからず) 言而非也(いえばすなわちひなり)

 孰知形之たれかけいをけいとせばこれけい不形者乎あらざるものなるをしらんや

 故老子曰(ゆえにろうしいわく)

 〚天下皆知善之為善てんかみなぜんのぜんたるをしるも 斯不善也(これふぜんなり)

  (ゆえに)知者不言(しるものはいわず) 言者不知也(いうものはしらず)」】   

太清は、『天』を仰いで呟いた。

「では『知らぬ』と言う意味は、『知らぬ』事を本当は『知っている』

 と言う事か?

 『知る』と言う意味は、本当は『知らぬ』事を『知っている』と言う事か?

 誰が『知る』が『知らぬ』で、『知らぬ』が『知る』と判断出来るのか?」

無始、曰く。

「『道』は聞くべき事ではないから、聞けるものは『道』ではない。

 『道』は見えるべき事ではないから、見えるものは『道』ではない。

 『道』は言えるべき事ではないから、言えるものは『道』ではない。

 誰が『形』有るものに、『形』が無いと知る事が出来るのか?

 老子、曰く。

 〚世の人々は皆『善』が何たるかを『知る』と言うが、

  其れは真の『善』ではない〛

 故に『知る』者は言わず、『知る』と言う者は本当は『知らぬ』のだ」



石上不生五穀せきじょうにはごこくをしょうぜず

石の上には、五穀(米・麦・(あわ)(きび)・豆)は生えない。

清廉潔白(せいれんけっぱく)すぎると、人は敬遠(けいえん)する』


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●巻十三〔氾論訓(はんろんくん)


百川異源ひゃくせんはみなもとをことにすれども 而皆歸于海(みなうみにきす)

 百家殊業ひゃっかはぎょうをことにすれども 而皆務于治(みなちにつとむ)】    

数多(あまた)の川の源は異なるけれど、全て海へ帰る。

百家の説は異なるけれど、其の『願い』は世を治める事である。

方法が異なるだけであって、『想い』は同じである。



夫人之情(それひとのじょう) 莫不有所短たんなるところあらざるはなし 

 誠其大略是也まことにそのたいりゃくぜなれば 雖有小過しょうかありといえども 不足以為累もってわずらいとなすにはたらず

 若其大略非也もしそのたいりゃくひなれば 雖有閭里之行りょりのこうありといえども 未足大舉いまだおおいにあぐるにたらじ】    

人には、必ず短所がある。

大体が良ければ、小さな誤りなど気にする事は無い。

しかし大体が悪ければ、僅かな善行(ぜんこう)があったとしても重用(ちょうよう)すべきではない。



小謹者無成功しょうきんなるものはせいこうなく 

 訾行者不容于眾しこうあるものはしゅうにいれられず 

 體大者節疏たいだいなるものはせつながく 

 蹠距者舉遠あしおおいなるものはあぐることとおし 

 自古及今いにしえよりいまにおよぶまで 五帝三王(ごていさんおうも) 未有能全いまだよくそのこうをまったく其行者也(せるものあらざるなり) 

 故易曰(ゆえにえきにいわく) 

 〖小過亨(しょうかはとおる) 利貞(ただしきによろし)〗 

 言人莫不有過ひとにあやまちあらざることなけれども 

 而不欲其大也そのだいなるをほっせざるをいうなり】       

小さな事を気にするような者には、大成(たいせい)は難しい。

孤高(ここう)を貫く者は、衆人(しゅうじん)に受け容れられない。

身体の大きな者は、関節が長い。

足が大きい者は、遠くへ行く事が出来る。

古より今に至るまで、三皇(さんこう)伏羲(ふくぎ)神農(しんのう)女媧(じょか)五帝(ごてい)黄帝(こうてい)顓頊(せんぎょく)(こく)(ぎょう)(しゅん))でさえも未だ其の行いが完璧であった事などない。

故に『易経』には、こう書かれている。

〖小さな過ちは仕方のない事である 誠実に生きていれば其れで良い〗

人には必ず過ちがある。

しかし、大きな過ちはあってはならない。



君子不責備于一人くんしはそなわることをいちにんにせめず 

 方正而不以割ほうせいなれどももってさかず 

 廉直而不以切れんちょくなれどももってきらず 

 博通而不以訾はくつうなれどももってそしらず 

 文武而不以責ぶんぶなれどももってせめず 

 求于一人則ひとにもとむるにはすなわち任以人力にんずるにじんりょくをもってし 

 自修則以みずからおさむるにはすなわち道德(どうとくをもってす) 

 責人以人力ひとにせむるにじんりょくをもってするは 易償也(つぐないやすきなり) 

 自修以道德みずからおさむるにどうとくをもってするは 難為也(なしがたきなり) 

 難為則行高矣なしがたければすなわちこうたかく 償則求澹矣つぐないやすければすなわちもとめたる】    

君子は、人に完璧である事を求めない。

自分が品行方正(ひんこうほうせい)であるからと言って、他人を傷つける事はない。

自分が清廉潔白であるからと言って、他人を非難する事はない。

自分が博識(はくしき)であるからと言って、他人を愚弄(ぐろう)する事はない。

自分が文武に優れているからと言って、他人を責める事はない。

人には分相応(ぶんそうおう)のものを求め、自らは『道徳』を以て身を修める事を課す。

人が分相応の事を行う事は為し易いが、自らが『道徳』を以て身を修める事は為し難い。

しかし為し難い事を自らに課していれば其の行動は高尚(こうしょう)となり、人に為し易い事を課していれば要求は満たされる。


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●巻十四〔詮言訓(せんげんくん)


自信者みずからしんずるものは 不可以誹譽遷也ひよをもってうつすべからざるなり

 知足者(たるをしるものは) 不可以勢利誘也せいりをもってさそうべからざるなり

 故通性情者ゆえにせいのじょうにつうずるものは 不務性之所無以為せいのもってなすなきところをつとめず 

 通命之情者めいのじょうにつうずるものは 不憂命之所無奈何めいのいかんともするなきところをうれえず 

 通于道者(みちにつうずつものは) 物莫不足滑其調ものそのわをみだすにたるはなし

 詹何曰(せんかいわく) 

 〖未嘗聞身治いまだかつてみおさまりてくに而國亂者也みだるるものをきかざるなり〗 

 〖未嘗聞身亂いまだかつてみみだれてくに而國治(おさまるものを)|者也《きかざるなり〗

 矩不正(くただしからざれば) 不可以為方もってほうをなすべからず 

 規不正(きただしからざれば) 不可以為員もってえんをなすべからず 

 身者事之規矩也(みはことのきくなり)

 未聞枉己而能いまだおのれまがりてよくひとを正人者也ただすものをきかざるなり 

 原天命(てんめいにもとづき) 治心術(しんじゅつをおさめ) 理好憎(こうぞうをおさめ) 適情性じょうせいにてきすれば 則治道通矣(すなわちちどうつうず)

 原天命(てんめいにもとづけば) 則不惑禍福すなわちかふくにまどわず 

 治心術しんじゅつをおさむれば 則不妄喜怒すなわちみだりにきどせず 

 理好憎(こうぞうをおさむれば) 則不貪無用すなわちむようをむさぼらず 

 適情性じょうせいにてきすれば 則欲不過節すなわちよくせつにすぎず 

 不惑禍福(かふくにまどわざれば) 則動靜循理すなわちどうせいりにしたがう

 不妄喜怒(みだりにきどせざれば) 則賞罰不阿すなわちしょうばつまがらず 

 不貪無用むようをむさぼらざれば 則不以欲用害性すなわちよくをもってせいをがいせず

 欲不過節(よくせつにすぎざれば) 則養性知足すなわちせいをやしないたるをしる

 凡此四者(およそこのよんしゃは) 弗求於外(そとにもとめず) 弗假於人(ひとにからず) 反己而得矣おのれにかえりてうるなり】    

『自分を信じる者』は、世の中の評判に惑わされない。

『足るを知る者』は、権力や利欲に『心』は動かされない。

故に人の『本性』と言うものを知っている者は、『本性』が望んでいないものは求めない。

人の『運命』とは何であるかを知っている者は、抗う事の出来ない『運命』を受け容れる。

人の『道』に通ずる者に対して、どの様なものも其の和を乱す事は出来ない。

詹何(せんか)曰く。

〖未だ嘗て、人徳者が治める国が乱れた事は無い〗

〖未だ嘗て、不徳者が治める国が治まった事は無い〗

定規が正しくなけれ、方形を作る事は出来ない。

円規が正しくなければ、円形を作る事は出来ない。

『人』こそが、『規矩(きく)(規則)』である。

己が曲がっているにも拘らず、人を正す事など出来ない。

天命に従い心術を修め、憎悪を制御し、感情を環境に適応させれば、人は『道』に通じる事が出来る。

天命に従えば、『不幸』や『幸福』に惑わされる事は無い。

心術を修めれば、(みだ)りに喜んだり怒ったりしない。

憎悪を制御すれば、無暗(むやみ)に欲しようとはしない。

感情を環境に適応させれば、過欲(かよく)を抑える事が出来る。

『不幸』や『幸福』に惑わされる事が無ければ、世の中の『道理(どうり)』に(かな)う。

妄りに喜んだり怒ったりしなければ、賞罰に(かたよ)りは無い。

無暗に欲しようとはしなければ、人の『本性』を害する事は無い。

過欲を抑える事が出来れば、『足るを知る』事が出来る。

此の四つは自分の外に求めず、他人に頼らず、自分を顧みて得るものである。



天下不可以智為也てんかはちをもっておさむべからず 

 不可以慧識也けいをもってしるべからず 

 不可以事治也ことをもっておさむべからず 

 不可以仁附也じんをもってつかすべからず 

 不可以強勝也きょうをもってかつべからず 

 五者皆人才也ごしゃはみなじんさいなり 

 德不盛(とくさかんならざれば) 不能成一焉いつをもなすことあたわず

 德立則五無殆とくたてばすなわちごあやうきことなし 

 五見則德無位矣ごあらわるればすなわちとくくらいなし 

 故得道則ゆえにみちをうればすなわち愚者有餘(ぐしゃもあまりあり) 

 失道則智者不足みちをうしなえばすなわちちしゃもたらず

 渡水而無遊數みずをわたりてゆうすうなければ 雖強必沉つよしといえどもかならずしずみ

 有遊數(ゆうすうあれば) 雖羸必遂よわしといえどもかならずとぐ 

 又況托於舟航またいわんやしゅうこうの之上乎(うえにたくするをや)】 

天下は、『智(知識)』を以て為す事は出来ない。

天下は、『慧(知恵)』を以て識る事は出来ない。

天下は、『事(政)』を以て治める事は出来ない。

天下は、『仁(思いやり)』を以て服従(ふくじゅう)させる事は出来ない。

天下は、『強(力)』を以て勝利を得る事は出来ない。 

『智』『慧』『事』『仁』『強』此の五つは皆、人の『才能』である。

しかし『徳』が無ければ、此の五つの内一つとして成し遂げる事は出来ない。

『徳』があれば、此の五つは機能する。

但し此の五つのみであれば、『徳』は機能しない。

故に『道』を得れば、愚者と言えども此の五つを活かす事が出来る。

『道』を失えば、智者と言えども此の五つを活かす事が出来ない。

水の中を泳ぐ際、泳ぎ方を知らなければ仮令(たとえ)強くても溺れる。

泳ぎ方を知っていれば、弱くとも必ず泳ぎ切る事が出来る。

舟を漕ぐ際も、同様である。


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●巻十五〔兵略訓(へいりゃくくん)〕 

 

古之用兵者いにしえのへいをもちうるは 非利土壤之廣而どじょうのひろきをむさぼりてきんぎょく貪金玉之略のりゃくをむさぼるにあらず

 將以存亡繼絕まさにもってぼうをそんしぜつをつぎ 平天下之亂てんかのらんをたいらげて 而除萬民之害也ばんみんのがいをのぞかんとするなり

 凡有血氣之蟲およそけっきあるのむし 含牙帶角きばをふくみつのをおび 前爪後距つめをまえにしけづめをあとにす 

 有角者觸(つのあるものはふれ) 有齒者噬(はあるものはかみ) 有毒者螫(どくあるものはさし) 有蹄者趹(ひづめあるものはける)

喜而相戲よろこべばすなわちあいたわむれ 怒而相害いかればすなわちあいがいするは

 天之性也(てんのせいなり)

 人有衣食之情ひといしょくのじょうあれども

 而物弗能足也ものたることをあたわず 

故群居雜處ゆえにぐんきょざっしょして 分不均(ぶんひとしからず) 求不澹則爭もとめたらざればすなわちあらそう

 爭則強脅弱あらそえばすなわちきょうはじゃくを 而勇侵怯(ゆうはきょうをおかす) 

人無筋骨之強ひとにきんこつのきょう 爪牙之利(そうがのりなし) 

 故割革而為甲ゆえにかくをさいてこうとなし  鑠鐵而為刃てつをとかしてじんとなす 

 貪昧饕餮之人たんまいとうてつのひと 殘賊天下てんかをざんぞくすれば 萬人搔動(ばんにんそうどうして) 莫寧其所そのところにやすんずるなし 

 有聖人勃然而起せいじんありてぼつぜんとしておこり 乃討強暴すなわちきょうぼうをうち 平亂世(らんせをたいらげ) 夷險除穢けんをたいらげあいをのぞき 

以濁為清だくをもってせいとなし 以危為寧(きをもってねいとなす)

 故不得不中絕ゆえにひとちゅうぜつせざるをえたり】 

古の時代、兵を用いたのは国土を(ひろ)げ、財宝を(むさぼ)る為ではなかった。

(まさ)に滅亡しようとする国を存続させ、天下の乱を平定し、万民の害を取り除く為であった。

血の気の多い動物は牙が有り、頭には角が生えており、前足には爪、後ろ足には 蹴爪(けづめ)が有る。

角有る者は突き、歯有る者は噛み、毒有る者は刺し、(ひづめ)有る者は蹴る。

喜べば共に戯れ、怒れば危害を加える。

此れは、『本性』である。

人には、衣食に対する『欲』が在る。

しかし、其の『欲』を全て満たすだけの『モノ』は無い。

故に人は群れをなし雑居(ざっきょ)する際、分配に差があり己の『欲』が満たされなければ争いが起こる。

争えば強い者が弱い者を(おど)し、勇ましい者が臆病な者を脅かす。

人には強い筋骨も、(きば)も無い。

故に人は革を()いて鎧を作り、鉄を溶かして刃を作った。

悪人が此れ等を用いて天下に害をなすと、万人は逃げ惑い、安住(あんじゅう)する所を失う。

其の様な世を正す為、聖人は立ち、悪を討ち、乱を平定し、危険を除き、(けが)れを清らかにし、穏やかな世へと導いた。

故に、人類は絶滅しなかった。



虎豹不外其爪こひょうはそのつめをそとにせず 而噬不見齒(かむにはをあらわさず)

猛獣は、爪や牙を表に出さない。

『本当に強い者は威を振るわず、能力をひけらかさない』


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●巻十六〔説山訓(せつざんくん)


魄問於魂曰はくこんにといていわく

道何以為體みちはなにをもってたいとなすや

 (いわく)

以無有為體むゆうをもってたいとなす

 魄曰(はくいわく)

無有有形乎(むゆうはかたちありや)

 魂曰(こんいわく)

無有(あることなし)

 魄曰(はくいわく)

何得而聞也あることなければなんすれぞえてきくべき

 魂曰(こんいわく)

吾直有所遇之耳われただにこれにあうところあるのみ

 視之無形これをみれどもかたちなく 聽之無聲これをきけどもこえなし

 謂之幽冥(これをゆうめいという)

 幽冥者(ゆうめいとは) 所以喻道みちをたとうるゆえんにして 而非道也(みちにあらざるなり)

 魄曰(はくいわく)

吾聞得之矣(われこれをえたり)

 乃內視而自反也すなわちうちにみてみずからかえるなり

 魂曰(こんいわく)

凡得道者およそみちをえるものは 形不可得而見かたちえてみるべからず

 名不可得而揚(なえてあぐべからず)

 今汝已有形名矣いまなんじすでにけいめいあり

 何道之所能乎なんのみちかこれよくするところならんや

 魄曰(はくいわく)

言者(いうものは) 獨何為者(ひとりなんするものぞ)

 魂曰(こんいわく)

吾將反吾宗矣われまさにわがそうにかえらんとす」 

 魄反顧(はくはんこするに) 魂忽然不見こんこつぜんとしてみえず

 反而自存かえればすなわちそんするも 亦以淪於無形矣またもってむけいにしずむ】   

(はく)は、(こん)に問うた。

「『道』とは、どの様な『形』をしているのか?」

魂、曰く。

「『無有(むゆう)』が、其の『形』である」

魄、曰く。

「『無有』には、『形』があるのか?」

魂、曰く。

「『形』は無い」

魄、曰く。

「『形』が無いのであれば、どうやって『形』が無い事を知るのか?」

魂、曰く。

「私は、『形』に会った事がある。

 しかし見ようとしても『形』は無く、聴こうとしても『声』も無い。

 此れを『幽冥(ゆうめい)』と言う。

 『幽冥』とは、『道』を例える為の言葉であり、真の『道』では無い」

魄、曰く。

「心得た。

 則ち『道』とは、己を(かえり)みる事を言うのか」

魂、曰く。

「『道』を『知る』者は、『道』を見る事も名を挙げる事も出来ない。

 今、魄には『形』も『名』もある。

 其れでは、『道』を知る事など出来ない」

魄、曰く。

「では魂よ。

 貴方は一体何者なのか?」

魂、曰く。

「私は、そろそろ本来の自分に戻る」

魄が振り返ると、魂は忽然(こつぜん)と消えた。

魄は自分を省みると確かに存在するが、『無形』の中にいた。 

※ 『魄』とは、肉体を(つかさど)る『陰の気』の事。

  『魂』とは、精神を司る『陽の気』の事。



先針而後縷はりをさきにしてるをあとにす 可以成帷もってとばりをなすべし

針に糸を通して準備をしてから、少しずつ縫う事によって垂れ幕は出来る。

『何事も、準備と順番が重要である』



知遠(とおきをしって) 而不知近(ちかきをしらず)

遠くの事は良く知っているが、近くの事は知らない。

『他人の事ばかりを気にして、自分が見えていない』



欲滅迹あとをめっせんとほっして 而走雪中(せっちゅうをはしる)

足跡を残さないようにする為に、雪の中を走る。

雪の中では、足跡は残る。

『思っている事と実際の行為が、一致していない』



衆曲不容直しゅうきょくはちょくをいれず】 

曲がった容れ物の中に、真っ直ぐなものは入らない。

堕落(だらく)した世の中で、君子は生きてはいけない』



不飮盗泉(とうせんをのまず)

喉が渇いていても、『盗泉』と言う名の泉の水は決して飲まない。

『どれ程困窮していようとも、不正は行わない』



掲斧入淵おのをかかげてふちにいる

斧を持って、淵に入る。

斧は木を伐る為のものであって、淵で使うものではない。

『其の人の地位や仕事が、適正でない』



執彈而招鳥弾いしゆみをとってとりをまねく

はじき弓を持ちながら、鳥を呼び寄せる。

来るわけがない。

『方法に問題があれば、目的は達成出来ない』



治國者(くにをおさむるものは)若鎒田(たをくさぎるがごとし) 去害苗者而巳なえをがいするものをさるのみ

国を治める事は、草を除く事と同じである。

雑草のみ除けば、苗は育つ。

『為政者は、国や民に害をなすものさえ取り除けば良い』



山有猛獣やまにもうじゅうあれば 林木爲之不斬りんぼくはこれがためにきられず

山に猛獣が棲んでいれば人は山に入ろうとせず、木は伐採される事はない。

『信頼でき頼れる人が傍にいれば、被害を避ける事が出来る』



嘗一臠肉いちれんのにくをなめて 知一鑊之味(いっかくのあじをしる)

一切れの肉を食べて、料理全体の味を知る。

『一部を知って、全部を把握する』

※ 【一を聞いて十を知る】


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●巻十七〔説林訓(ぜいりんくん)


矢疾(やのはやきも) 不過二里也(にりをすぎざるなり)

 步之遲(ほのおそきも) 百舍不休ひゃくしゃやすまざれば 千里可致(せんりいたすべし)

 聖人處於陰(せいじんはいんにおり) 眾人處於陽しゅうじんはようにおる

 聖人行于水(せいじんはみずにゆく) 眾人行於霜しゅうじんはしもにゆく

 異音者不可おとをことにするものはいちりつり聽以一律(をもってきくべからず)

 異形者不可かたちをことにするものはいったいにり合於一體(がっすべからず)】 

矢が速く飛ぶと言っても、二里(約8キロメートル)を過ぎる事は無い。

歩く速度が遅くとも、百泊休みながらならば千里(約4千キロメートル)に到達する事が出来る。

聖人は『陰』に居て目立たず、衆人は『陽』に居るので目立つ。

聖人は水の中を歩くので跡を残さないが、衆人は(しも)の上を歩くので跡が残る。

異なった『音』は合奏(がっそう)しても、一つとならない。

異なった『形』は合体(がったい)しても、一つとならない。



見之明白これをみることめいはくなれば 處之如玉石これをしょすることぎょくせきのごとし

 見之暗晦これをみることあんかいなれば 必留其謀かならずそのぼうをとどむ

 以天下之大(てんかのだいをもって) 托於一人之才いちにんのさいにたくするは

 譬若懸千鈞之たとえばせんきんのおもきを重於木之一枝きのいっしにかくるがごとし

 負子而登牆こをおいてかきにのぼるは 謂之不祥(これをふしょうという)

 為其一人隕そのいちにんおちてりょうにん而兩人傷(きずつくがためなり) 

 善舉事者よくことをあぐるものは 若乘舟而悲謌ふねにのりてひかするがごとし

 一人唱而千人和いちにんとなえてせんにんわす

 不能耕而たがやすことあたわずして欲黍粱(しょりょうをほっし)

 不能織而喜采裳おることあたわずしてさいしょうをよろこび

 無事而求其功ことなくしてそのこうをもとむるは 難矣(かたし)

 有榮華者(えいかあるものは) 必有憔悴かならずしょうすいあり

 有羅紈者(らがんあるものは) 必有麻蒯(かならずまかいあり)】 

『見る』事が明白ならば、対処する時も玉石の(ごと)く美しい。

『見る』事が曖昧ならば、必ず躊躇(ちゅうちょ)する。

天下の大事を決める際、一人の才に託する事は、例えば極めて重い重石を一本の枝に掛ける様なものである。

子供を背負いながら垣根(かきね)に登る事を『不祥(ふしょう)』と言う。

もし一人が垣根から落ちれば、二人とも傷つくからである。

しかし【転禍為福(てんかいふく)】の(ことわり)を知っている者は、船の上で悲しい歌を一人が歌えば千人が合唱(がっしょう)する事を知っている。

耕す事が出来ないにも拘らず黍や粟などの穀物を欲し、織る事が出来ないにも拘らず色鮮やかな衣装を喜び、何もしていないにも拘わらず功績を求める事は難しい事である。

栄華(えいが)があれば、必ず衰亡(すいぼう)がある。

美しい絹の衣服があれば、麻で織られた粗末な衣服がある。 

※ 【盛者必衰(じょうしゃひっすい)】【栄枯盛衰(えいこせいすい)】【諸行無常(しょぎょうむじょう)



削足而適履あしをけずってくつにてきし 殺頭而便冠あたまをそいでかんむりにべんす

履物に合わせる為に足を削り、冠に合わせる為に頭を削ぐ。

※ 【本末転倒(ほんまつてんとう)



舟覆乃(ふねくつがえりてすな)見善游(わちよくおよぐをみる)

舟が転覆して初めて、誰が泳ぎが得意かが分かる。

『非常時にこそ、其の人の本当の能力が分かる』



禍中有福也わざわいのなかにふくあり】 

『不幸』の中にも、必ず『幸福』がある。

決して諦めてはならない。



逐獸者(けものをおうものは) 目不見太山(めにたいざんをみず)

 嗜欲在外(しよくそとにあるは) 則明所蔽矣すなわちめいのおおわるるところなり

獣を追う者は、太山が目に入らない。

『欲に囚われていると、周りが見えなくなる』



臨河而羨魚かにのぞんでうおをうらやむは 不如結網(あみをむすぶにしかず)

河を見て魚が欲しいと考えるより、魚を捕る網を編んだ方が良い。

『先ずは努力しなさい』



一目之羅(いちもくのあみは) 不可以得鳥もってとりをうべからず

網の目が一つでは、鳥を捕まえる事は出来ない。

幾つもの網の目が無ければ、鳥を捕まえる事は出来ない。

『何かを成し遂げる時、多くの人の協力が不可欠である。

 一人で成し遂げられるものなど無い』


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●巻十八〔人間訓(じんかんくん)


夫言出於口者それげんのくちよりいずるものは 不可止於人(ひとにとどむべからず) 

 行發於邇者こうのちかきにはっするものは 不可禁於遠とおきにきんずべからず

 事者難成而易敗也ことはなりがたくしてやぶれやすく

 名者難立而易廢也なはたちがたくしてすたれやすし

 千里之堤(せんりのつつみも) 以螻蟻之穴漏ろうぎのあなをもってもれ

 百尋之屋(ひゃくじんのおくも) 以突隙之煙焚とつげきのひょうをもってやく

 堯戒曰(ぎょうのかいにいわく)

 〖戰戰慄栗(せんせんりつりつ) 日慎一日ひにいちじつをつつしめ

 〖人莫蹪於山ひとはやまにつまづくなくして 而蹪於蛭(てつにつまづく)

 是故人皆輕小害このゆえにひとはみなしょうがいをかろんじ 易微事(びじをあなどりて) 以多悔(もってくいおおく)

 患至而多後憂之かんいたりてのちにこれをうれう

 是猶病者已惓これなおびょうしゃすでにはげしくして而索良醫也りょういをもとむるがごとく

 雖有扁鵲俞跗之巧へんじゃくゆふのこうありといえども 猶不能生也なおいかすあたわざるなり

一度発した『言葉』は、必ず人から人へと伝わる。

身近に起こった『出来事』も、遠くへと広がる。

『事』は成り難く、壊れ易い。

『名』は立ち難く、廃れ易い。

長い堤防も、螻蛄(けいし)(あり)などの小さな虫の穴があれば崩れる。

広い建物も、煙突から漏れ出る火によって焼かれてしまう。

聖王である(ぎょう)訓戒(くんかい)には、こう書かれている。

〖常に恐怖心や不安を抱きながら、一日一日を慎重に生きよ〗

〖人は大きな山にひざまづく事は無いけれど、小さな蟻塚には躓く〗

故に人は小さな『(わざわい)』を軽んじ些細(ささい)なものであると軽視する為、其の小さな『禍』が大きな『禍』になった時に後悔し、病が重くなってから心配する。   

此れは、手の施しようがなくなってから良医を求める事と同じである。

名医である扁鵲(へんじゃく)俞跗(ゆふ)であっても、患者を救う事は出来ないであろう。



夫禍之來也(それかのきたるや) 人自生之ひとみずからこれをしょうじ

 福之來也(ふくのきたるや) 人自成之ひとみずからこれをなす

 禍與福同門かとふくともんをおなじくし 利與害為鄰りとがいととなりをなす

 非神聖人しんせいのひとあらざれば 莫之能分(これをよくわかつなし)

 凡人之舉事およそひとのことをあぐる 莫不先以其知規慮揣度まづそのちをもってきりょしたくし 

 而後敢以しかるのちにあえてもってはかりごと定謀(をさだめざるはなし)

 其或利或害そのあるいはりしあるいはがいするは

 此愚智之所以異也これぐちのことなるゆえんなり

 曉自然以為智ぎょうぜんとしてみずからもって知存亡之樞機(そんぼうのすうき)禍福之門戶かふくのもんこをしるとなし

 舉而用之(あげてこれをもちいて)陷溺於難者なんにかんできするもの不可勝計也(あげてはかるべからず)

 使知所為是者ちのぜとなすところのものをして 事必可行ことかならずおこなうべからしむれば

 則天下無不達之途矣すなわちてんかにたっせざるのみちなからん

 是故知慮者(このゆえにちりょは)禍福之門戶也(かふくのもんこなり)

 動靜者(どうせいは)利害之樞機也(りがいのすうきなり)

 百事之變化(ひゃくじのへんか) 國家之治亂(こっかのちらん) 待而後成(まちてのちになる)

 是故不溺于難者成このゆえになんにおぼれざるものはなる

 是故不可不慎也このゆえにつつしまざるべからず】 

人が『禍』に遭うのは、人が自ら生み出しているからである。

人が『福』を得るのは、人が自ら招いているからである。

『禍福』は門を同じくし、『利害』は隣り合わせである。

神聖の人でなければ、此れ等を見分ける事は出来ない。

人が何かを成そうとする時、先ず己の『知識』を以て様々な事を考慮し、推察し、其の後に計画を立てる。

ある者は『利益』を得、ある者は『損失』を(こうむ)る。

此れこそが、『知者』と『愚者』の違いである。

自分は『存亡の要』や『禍福の門戸』を知っていると思い込み、自らの『知恵』を以て解決策を見出そうとして、却って自分の策に溺れる者が沢山いる。

己の持ち得る全ての『知恵』を以て、諦めず必ず実行すれば、天下に達する事の出来ない『道』など無い。

故に『知恵』を働かせる事こそが、『禍福の門戸』を見分ける極意(ごくい)である。

『動静』を見極める事こそが、『利害の要』を見分ける極意である。

此れ等を修得すれば、全ての変化や国家の治乱にも対応する事が出来る。

故に『禍福』や『利害』を見分け、困難に飲まれない者が成功するのである。

故に、常に慎重でなければならないのである。



天下有三危(てんかにさんきあり)

 少德而多寵とくすくなくしてちょうおおきは 一危也(いつのあやうきなり) 

 才下而位高さいひくくしてくらいたかきは 二危也(にのあやうきなり)

 身無大功而受厚祿みにたいこうなくしてこうろくをうくるは 三危也(さんのあっやうきなり)

 故物或損之而益ゆえにものこれをそんしてえきすることあり

 或益之而損これをえきしてそんすることあり

天下には、『三つの危うき事』がある。

〖一.人徳が少ないのに寵愛が多い事〗

〖二.才能が無いのに位が高い事〗

〖三.功績も無いのに高禄を()む事〗

物事には、『損』をして『益』を得る事がある。

また『益』を得た事により、『損』を招く事がある。



有功者(こうあるは) 人臣之所務也じんしんのつとむるところなり

 有罪者(つみあるは) 人臣之所辟也じんしんのさくるところなり 

 或有功而見疑こうありてうたがわるることあり

 或有罪而益信つみありてしんをますことあり】 

功績があって褒賞を得る事は、人臣の求める事である。

罪があって罰せられる事は、人臣が避けたい事である。

功績があっても、却って疑われる事がある。

罪があっても、信頼が増す事がある。



聖王布德施惠せいおうのとくをしきめぐみをほどこすは 非求其報于百姓也そのほうをひゃくせいにもとむるにあらず

 郊望褅嘗こうぼうていしょうするは 非求福於鬼神也ふくをきしんにもとむるにあらず 

 山致其高やまはそのたかきをいたして 而雲起焉(うんうおこり)

 水致其深みずはそのふかきをいたして 而蛟龍生焉(こうりょうしょうじ)

 君子致其道くんしはそのみちをいたして 而福祿歸焉(ふくろくきす)

 夫有陰德者それいんとくあるものは 必有陽報(かならずようほうあり) 

 有陰行者(いんこうあるものは) 必有昭名かならずしょうめいあり】 

聖王が『徳』を積み恵みを施すのは、人々に見返りを求める為ではない。

天日月星辰山川てんじつげつせいしんさんせん(あが)めるのは、鬼神(きしん)に『福』を(もたら)してもらいたいからではない。

山は、高さを極めて雲を生む。

水は、深さを極めて雨と共に『天』に昇る蛟龍(こうりょう)を生む。

君子は、『道』を極めて『福禄(ふくろく)』を得る。    

陰ながら『徳』を積む者には、必ず『良い報い』がある。

陰ながら『善行』をする者は、必ず『名声』を得る。

※ 【陰徳陽報(いんとくようほう)】【因果応報(いんがおうほう)



義者人之大本也ぎはひとのたいほんなり

『義』は、人の根源である。



聖人敬小慎微せいじんはしょうをつつしみびをつつしみ 動不失時うごくにときをうしなわず

聖人は、小さな事にも手を抜かないで慎重に行動する。

聖人は、機を逃さない。



或直於辭(ことばはちょくにして)而於事者ことにがいあるものあり

言葉は正しいが、其の言葉が害を及ぼす事がある。



巧不若拙(こうはせつにしかず)

技巧を凝らしたものは、時には稚拙なものよりも劣る。

『不器用でも、真っ直ぐな方が良い』



人間万事塞翁馬にんげんばんじさいおうがうま】 

何が『不幸』となるか、何が『幸福』となるかは、分からない。

『不幸』であっても、邁進(まいしん)しなければならない。

『幸福』であっても、慢心(まんしん)してはならない。



ただ、どれ程強くあろうと思っていても


辛い時は、辛い。

苦しい時は、苦しい。

悔しい時は、悔しい。

悲しい時は、悲しい。

痛い時は、痛い。


我慢しなくて良い。

一人で抱え込まず、『誰か』を頼れば良い。

『誰か』が必ず支えてくれる。


何も考えず泣けば良い。

思い切り泣けば良い。


そして、前に踏み出せば良い。


支えてくれる人達がいる限り、絶対に大丈夫だから。


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●巻十九〔脩務訓(しゅうむくん)


世俗廢衰(せぞくはいすいして) 而非學者多がくをそしるものおおし

 人性各有ひとのせいはおのおのしゅう所修短たんとするところありて

 若魚之躍(うおのおどるがごとく) 若鵲之駁じゃくのはくなるがごとく

 此自然者(このしぜんなるものは) 不可損益(そんえきすべからず)

 吾以為不然われおもえらくしからず

 夫魚者躍(それうおのおどり) 鵲者駁也(じゃくのはくなるや) 猶人馬之為人馬なおじんばのじんばたるがごとく

 筋骨形體(きんこつけいたいは) 受於天てんよりうくるところにして 不可變(へんずべからず)

 以此論之これをもってこれをろんずれば 則不類矣(すなわちるいせず)

 夫馬之為草駒之時それうまのそうくたるのとき 跳躍揚蹄ちょうやくしてていをあげ

 翹尾而走(おをあげてはしり) 人不能制ひとせいすることあたわず

 齧咋足以こつさくはもってはだを噆肌碎骨かみほねをくだくにたり

 蹶蹄足以けつていはもってろをやぶり破顱陷匈(むねをやぶるにたる)

 及至圉人擾之(ぎょじんこれをならし) 良御教之りょうぎょこれをおしえ

 掩以衡扼おおうにこうやくをもってし 連以つらぬるにひかんをもってする轡銜(にいたるにおよびては)

 則雖歷險すなわちけんをへせんをこゆ超塹弗敢辭といえどもあえてじさず

 故其形之為馬ゆえにそのけいのうまたる 馬不可化うまはかすべからざるも

 其可駕御(そのがぎょすべきは) 教之所為也おしえのなすところなり

 馬聾蟲也(うまはろうちゅうなり)

 而可以通氣志しかれどももってきしをつうずべく

 猶待教而成なおおしえをまちてなる

 又況人乎(またいわんやひとをや)】 

世の中が衰え廃ると、学問を(そし)る者が増える。

人の『本性』には、それぞれ『得意』『不得意』がある。

其れは魚が川の中で躍り、(かささぎ)の毛色が違うのと同じである。

自然の為す事には、人の力を加えようがない。

しかし、私は其れは違うと思う。

魚が川の中で踊り、鵲の毛色が違うのは、人は人であり、馬が馬であると言う事と同じである。

筋骨形体は『天』より授けられたものであり、変える事は出来ない。

此の事から論ずると、やはり人と馬は異類である。

馬が草原に放たれた時、馬は跳躍(ちょうやく)して蹄を上げ、尾を振りながら走る為、人は其れを止める事が出来ない。

其の様な馬がもし人を噛めば、肌を(つらぬ)き骨まで砕き、馬の蹄で蹴られれば頭蓋骨(ずがいこつ)を割り胸も潰す。

しかし馬飼(うまかい)が馬を飼い慣らし、御者(ぎょしゃ)が調教し、馬の首の後ろに横木を掛けて自由を奪い、手綱(たづな)や首輪を付けると、馬は険しい道も歩き、堀をも越える。

故に馬の形態を変える事は出来ないが、人が馬を制御する事が出来るのは、人が調教した為である。

馬は、人の言葉を理解出来ない。

しかし、人と『心』を通わせる事は出来る。

『心』を通わす事が出来れば、馬は教えた通りに動く。

人も同じである。



夫怯夫操利劍それきょうふのりけんをとるや 擊則不能斷うてばすなわちたつことあたわず

 刺則不能入させばすなわちいることあたわず

 及至勇武ゆうぶじょうけんしてひとたび攘卷一搗うつにいたるにおよびては

 則摺肋傷幹すなわちあばらをおりほねをやぶるも

 為此棄干將これがためにかんしょうばくやをすてて鏌邪而以手戰(てをもってたたかうは)

 則悖矣(すなわちもとれり)

 所謂言者(いわゆるげんとは) 齊於眾而同於俗しゅうにひとしくしてぞくにおなじきにあり 

 今不稱九天之頂いまきゅうてんのいただきをしょうせざれば

 則言黃泉之底すなわちこうせんのそこをいう

 是兩末之端議これりょうまつのたんぎなり

 何可以公論乎なんぞもってこうろんとすべけんや】 

臆病な者が鋭利(えいり)(つるぎ)を手にして其の剣を打ち下ろしたとしても、断つ事は出来ない。

また刺したとしても、突き通す事は出来ない。

勇猛な者が拳で一打ちすれば、肋骨(ろっこつ)を折り背骨を傷つける事が出来る。

其の為、勇猛な者は名剣である干將(かんしょう)鏌邪(ばくや)を捨て素手(すで)で戦おうとする。

しかし此れは、『道理』に(そむ)いている。

いわゆる言論と言うものは、大衆と意を(いつ)にし、世俗と同調しなければならないものである。

今、『九天(きゅうてん)(九つに区分された天)』の(いただき)について話したと思ったら、今度は『黄泉』の底について話す。

『九天』も『黄泉』も、真逆の事である。

真逆の事を話す事を、果たして世間一般の意見と言えようか?



夫亭歴冬生それていれきはふゆしょうずれども 而人曰冬死(ひとふゆかるという)

 死者眾かるるものおおければなり

 薺麥夏死せいばくはなつかるれども 人曰夏生ひとなつしょうずという

 生者眾しょうずるものおおければなり

 江河之回曲こうかのかいきょくするや 亦時有南北者またときになんぼくするものあれども

 而人謂江河東流ひとこうかはひがしにながるといい

 攝提鎮星日せっていちんせいじつうげつは月東行(ひがしにめぐれども)

 而人謂星辰日ひとせいしんじつげつは月西移者(にしにうつるというは)

 以大氐為本たいていをもってもととなせばなり

 胡人有知利者こじんにりをしるものあれども 而人謂之駤(ひとこれをちといい)

 越人有重遲者えつじんにじゅうちなるものあれども 而人謂之訬ひとこれをしょうというは

 以多者名之おおきをもってこれをなづくればなり】 

亭歴子(ていれきし)生薬(しょうやく))は冬に生じるけれど、人は〖草木は冬に枯れる〗と言う。

其れは、冬に枯れる草木が多いからである。

(なずな)や麦は夏に枯れるけれど、人は〖草木は夏に生ずる〗と言う。  

其れは、夏に生ずる草木が多いからである。

揚子江(ようすこう)黄河(こうが)は曲がりながら流れ、また時には南北に流れる。

しかし、人は〖揚子江と黄河は東に流れる〗と言う。

北斗七星(ほくとしちせい)の部分である三星や土星は東へ移動するが、人は〖星・太陽・月は西へ移る〗と言う。

其れらは、大多数の意見を基本とするからである。

胡人(こじん)(西域人)の中にも理知的な者もいれば、感情的な者もいる。

越人(えつじん)(中国南部からベトナムの人々)の中にも緩慢(かんまん)な者もいれば、鋭敏(えいびん)な者もいる。

大多数の人々が〖そうだ〗と言うから、其れが基本となるのだ。



若夫堯眉八彩もしそれぎょうはまゆにはっさいあり

 九竅通洞きゅうきょうつうどうし 而公正無私こうせいにしてわたくしなく

 一言而萬民齊いちげんにしてばんみんととのう

 舜二瞳子(しゅんはにどうしあり)

 是謂重明これをちょうめいという

 作事成法ことをなせばほうをなし 出言成章げんをいだせばしょうをなす

 禹耳參漏うのみみはさんろうあり 是謂大通(これをだいつうという) 

 興利除害りをおこしがいをのぞき 疏河決江(かをそしこうをけっす)

 文王四乳ぶんおうはしにゅうあり 是謂大仁(これをたいじんという)

 天下所歸(てんかのきするところ) 百姓所親ひゃくせいのしたしむところなり

 皋陶馬喙(こうようはばかいあり) 是謂至信(これをししんという)

 決獄明白ごくをけっすることめいはくにして 察於人情にんじょうにあきらかなり

 啓生於石けいはいしよりしょうじ 契生於卵せつはたまごよりしょうじ

 史皇產而能書しこうはうまれてよくしょし 羿左臂修而善射げいはさひながくしてよくいる

 若此九賢者このきゅうけんのごときは 千歲而一出せんざいにしてひとたびいずるも

 猶繼踵而生なおきびすをつぎてうまるるがごとし

 今無五聖之天奉(いまごせいのてんぽう) 四俊之才難ししゅんのさいなんなくして

 欲棄學而循性がくをすててせいにしたがわんとほっするは 

 是謂猶釋船これをなおふねをすててみずをふまん欲蹍水也とほっするがごとしという】 

(ぎょう)(五帝の一人)の眉は美しく整っており、九竅(きゅうきょう)(身体にある九つの穴)は全て通っており、政は公正無私(こうせいむし)で、堯が一言声を発すれば万民が従った。

(しゅん)(五帝の一人)の眼球には二つの瞳が有り、此れを『重明(ちょうめい)』と言う。

事を為せば其れは『法』となり、言葉を発すれば其れは『格言(かくげん)』となった。

()の耳には三つの穴があり、此れを『大通(だいつう)』と言う。

『利益』になる事を始め、『弊害(へいがい)』を取り除き、揚子江と黄河を通した。

文王には乳が四つあり、此れを『大仁(たいじん)』と言う。

天下は文王の許に集まり、まるで親の様に慕われた。

皋陶(こうよう)(堯や舜の時代の裁判官)は馬の様な口をしており、此れを『至信(ししん)』と言う。

皋陶は公平に裁決し、裁判は『人情』を以て行われた。

(けい)()の王)は石より生まれ、(せつ)(いん)始祖神(しそしん))は卵から生まれ、史皇(しこう)黄帝(こうてい)(五帝の一人)の史官(しかん))は生まれて直ぐに字を書く事が出来、 羿(げい)(堯の頃の弓の名人)は左腕が長く弓の名手であった。

彼ら九人の賢者は千年に一度しか生まれないが、次から次へと現れた。

五聖(ごせい)(堯・舜・兎・文王・皋陶)』の様な『天性(てんせい)』や『四俊(ししゅん)(啓・契・史皇・羿)』の様な『才能』も無いにも拘わらず、学ぶ事もせず『本性』のまま生きようとするのは、船を捨てて水上を歩くようなものである。



夫純鉤(それじゅんこう) 魚腸之始下型ぎょちょうのはじめてけいにくだるや

 擊則不能斷うつもすなわちたつことあたわず 刺則不能入さすもすなわちいることあたわず

 及加之以砥礪(これにしれいをくわえ) 摩其鋒鍔そのほうがくをとぐにおよびては

 則水斷龍舟すなわちみずにはりょうしゅうをたち 陸剸犀甲りくにはさいこうをきる

 明鏡之始下型めいきょうのはじめてけいにくだるや 矇然未見形容もうぜんとしていまだけいようをみず 

 及其粉以玄錫そのするにげんせきをもってし 摩以白旃まするにはくせんをもってするにおよびては

 鬢眉微豪(びんびびごう) 可得而察(えてさっすべし)

 夫學亦人之砥錫也それがくもまたひとのしせきなり

 而謂學無益者しかるにがくはえきなしというは 所以論之過これをろんずるゆえんのものあやまてり】 

宝剣である純鉤(じゅんこう)魚腸(ぎょちょう)鋳型(いがた)に流し込まれたばかりの時は、打ち下ろしても断つ事は出来ず、刺しても貫く事は出来ない。

しかし刀剣も砥石(といし)(みが)けば水の中では長い船を断ち、陸では(さい)の革で作られた鎧を切る事が出来る。

また一点の曇りもない鏡が鋳型いがたに流し込まれたばかりの時は、たとえ鏡であっても何も映さない。

しかし鏡を黒い(すず)の粉で磨き白い毛氈(もうせん)(こす)れば、髪の毛や眉の細部まで映す事が出来る。

つまり学問も、人にとっては砥石の様なものである。

にも拘わらず学問に『利益』などないと言う者は、『根本』を知らない者である。



劍持砥而後能利けんはとをまってしかるのちによくりなり】 

剣は、砥石で()ぐ事によって鋭利な剣となる。

人も同様に。


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●巻二十〔泰族訓(たいぞくくん)


昔者(むかし) 五帝三王之蒞ごていさんおうのせいにのぞみ政施教(おしえをほどこすや)

 必用參五かならずさんごをもちう

 何謂參五(なにをかさんごという)

 仰取象於天あおいでしょうをてんにとり 俯取度於地(ふしてどをちにとり) 中取法於人なかはほうをひとにとる

 乃立明堂之朝すなわちめいどうのちょうをたて 行明堂之令めいどうのれいをおこない

 以調陰陽之氣もっていんようのきをととのえ 以和四時之節もってしいじのせつをわし

 以辟疾病之菑もってしっぺいのさいをさく

 俯視地理(ふしてちりをみて) 以制度量もってどりょうをせいし

 察陵陸水澤肥りょうりくすいたくひこうこうか墽高下之宜(のよろしきをさっし)

 立事生財ことをたてざいをしょうじ 以除饑寒之患もってきかんのうれいをのぞき

 中考乎人德なかはじんとくをかんがえて 以制禮樂もってれいがくをせいし

 行仁義之道じんぎのみちをおこない 以治人倫而除もってじんりんをおさめて暴亂之禍(ぼうらんのかをのぞき)

 乃澄列金木水火すなわちきんもくすいかどの土之性(せいをちょうれつし)

 故立父子之親而成家もってふしのしんをたてていえをなし

 別清濁五音六律せいだくごいんろくりつそう相生之數(しょうのすうをわかち)

 以立君臣之義而成國もってくんしんのぎをたててくにをなし

 察四時季孟之序しいじきもうのじょをさっし

 以立長幼之禮而成官もってちょうようのれいをたててかんをなす

 此之謂參(これをこれさんという)

 制君臣之義(くんしんのぎ) 父子之親(ふしのしん) 夫婦之辨(ふうふのべん)

 長幼之序(ちょうようのじょ) 朋友之際ほうゆうのさいをせいす

 此之謂五(これをこれごという)】 

古の時代、三皇五帝(さんこうごてい)が人々を訓え導き世を治める為に必ず用いたものがある。

其れは、『(さん)・五』である。

『参・五』とは、何か?

『天』を仰いで吉凶(きっきょう)を占い、『地』を()して地上を測定し、『天地』の間では『法』を定めた。

(すなわ)ち、三皇五帝は『天』を仰いで明堂(めいどう)(政務を行う宮殿)にて政令(せいれい)を発し、『陰陽』の気を調和して世の情勢に応じ『禍』を回避した。

また『地』に俯して地理を見て度量衡(どりょうこう)を制定し、丘陵(きゅうりょう)や陸地や湿地の肥痩(ひそう)や高低を調べ、対策を講じて財を生み、人々を飢饉(ききん)や寒気から守った。

『天地』の間では『人徳(じんとく)品性(ひんせい))』を考慮こうりょして『礼楽(れいがく)礼節(れいせつ)と音楽)』を制定し、『仁義(じんぎ)仁愛(じんあい)正義(せいぎ))の道』を行い、『人倫(じんりん)秩序(ちつじょ))』を治め、暴乱(ぼうらん)の『禍』を除いた。

つまり『参・五』の『参』とは、以下の三つである。


一.互いに影響を与え合う『金木水火土(きんもくすいかど)の性』の序列を明らかにし、

  『父子の(しん)』を立てて家を()す事。

二.『二音(にいん)(「清音(せいおん)」「濁音(だくおん)」)』『五音(ごいん)(「(きゅう)」「(しょう)」「(かく)」「()

  「()」)』『六律(ろくりつ)(「一.黄鐘(こうしょう)」「二.大呂(たいりょ)」「三.太簇(たいそう)」「四.夾鐘(きょうしょう)

  「五.姑洗(こせん)」「六.仲呂(ちゅうりょ)」「七.蕤賓(すいひん)」「八.林鐘(りんしょう)」「九.夷則(いそく)

  「十.南呂(なんりょ)」「十一.無射(ぶえき)」「十二.応鐘(おうしょう)」の内

  六つの奇数(きすう)の律(陽律(ようりつ)))』の数を分け、

  『君臣(くんしん)の義』を以て国を安定させる事。

三.世の情勢を把握(はあく)し、『長幼(ちょうよう)(れい)』を以て官職を任命する事。


また『君臣の義』『父子の親』『夫婦の(べん)』『長幼の(じょ)』『朋友(ほうゆう)(さい)

此れを『参・五』の『五』と言う。



乃裂地而州之すなわちちをさきてこれをしゅうにし 分職而治之しょくをわかちてこれをおさめ

 築城而居之しろをきずきてこれをおり 割宅而異之たくをさきてこれをことにし

 分財而衣食之ざいをわかちてこれにいしょくせしめ 立大學而教誨之だいがくをたててこれをきょうかいし

 夙興夜寐而勞力之つとにおきよわにいねてこれにろうりょくす

 此治之綱紀也(これちのこうきなり) 

 然得其人則舉しかれどもそのひとをうればすなわちあがり

 失其人則廢そのひとをうしなえばすなわちすたる】 

乃ち、土地を分けて州を置く。

人々に、職を与えて従事させる。

人々に、個別の居住地を与えて財貨を渡す。

人々が、安心して生活出来る環境を整える。

大学を設立して、人々を教育する。

早寝早起きをして、人々に此れらに(いそ)しむ様にさせる。

此れが、国を治める『法則』である。

しかし『人』を得る事が出来れば成功するが、得る事が出来なければ失敗する。

結局、『人』次第である。



天地之道(てんちのみちは) 極則反きわまればすなわちかえり 盈則損みつればすなわちそんす】 

春が来て、夏が来て、秋が来て、冬が来て、そして再び春が来る。

月は満つれば『十六夜(いざよい)』となり、『下弦(かげん)の月』となり、『明けの三日月(みかづき)』となり、そして再び『新月(しんげつ)』となる。

極まれば返り、満つれば欠ける。



寸而度之すんにしてこれはかれば 至丈必差じょうにいたってかならずたがう

大きなものを一寸(約3cm)ずつ測っていくと少しずつ誤差が溜まり、一丈(約3m)になった時に其の誤差は大きな誤差となる。

『モノを測る時は、適したもので測らなければならない』



貴冠履(かんりをたっとんで) 而忘頭足也(とうそくをわする)

冠や履物を『主』にして、頭と足を『従』とする。

本来であれば頭と足が『主』であり、冠や履物が『従』である。

『大切なものを忘れ、些末(さまつ)なものを大事にする』



守一隅而遺萬方いちぐうまもりてばんぽうをわする

四隅の内一隅をのみ守って、四方を忘れる。

『小さな事に固執(こしつ)して、大局(たいきょく)を失う』


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●巻二十一〔要略(ようりゃく)


文王欲以卑ぶんおうひじゃくをもって弱制強暴(きょうぼうをせいし)

 以為天下去殘除もっててんかのためにざんをさりぞくを賊而成王道のぞいておうどうをなさんとほっす

 故太公之謀生焉ゆえにたいこうのはかりごとしょうず】   

文王(ぶんおう)卑弱(ひじゃく)であったが、狂暴(きょうぼう)なる(いん)紂王(ちゅうおう)を制した。

文王は天下の為に残賊(ざんぞく)を退け、『王道(おうどう)』を以て国を治めようとした。

故に、『太公(たいこう)(はかりごと)』が生まれた。



孔子修成康之道こうしせいこうのみちをおさめ 述周公之訓しゅうこうのおしえをのべて

 以教七十子もってしちじっしにおしえ 使服其衣冠(そのいかんをふくし)

 修其篇籍そのへんせきをおさめしむ

 故儒者之學生焉ゆえにじゅしゃのがくしょうず】 

孔子は『成康(せいこう)()』と(うた)われた(しゅう)の成王と康王の『道』を(おさ)め、成王の摂政(せっしょう)であった周公旦(しゅうこうたん)の『(おし)え』を述べ、七十人の弟子を『訓え』、衣冠を身に付け、弟子達に儒学の書を学ばせた。

故に、『儒者(じゅしゃ)の学』が生まれた。



燒不暇撌やくれどもはらうにいとまあらず 濡不給扢うるおえどもぬぐうにいとまあらず

 死陵者葬陵おかにしするものはおかにほうむり 死澤者葬澤たくにしするものはたくにほうむる

 故節財薄葬ゆえにざいをせっしそうをうすくして

 閑服生焉(かんぷくしょうず)】 

降り懸かる火の粉を振り払う(いとま)も無く、掛かった水を(ぬぐ)う暇も無く、丘で死んだ者を丘に葬り、川で死んだ者は川に葬った。

故に、『節財(せつざい)節約(せつやく))』『薄葬(はくそう)埋葬(まいそう)簡略化(かんりゃくか))』『閑服(かんぷく)()に服す期間の短縮化)』が生まれた。



桓公(かんこう)憂中國之患ちゅうごくのうれいをうれえ 苦夷狄之亂いてきのらんにくるしみ

 欲以存亡繼絕もってぼうをそんしぜつをつぎ 崇天子之位てんしのくらいをあがめ

 廣文武之業ぶんぶのぎょうをひろめんとほっす

 故管子之書生焉ゆえにかんしのしょしょうず】 

(せい)桓公(かんこう)は国の運命を憂い、夷狄の乱に苦しみながらも、存亡が危ぶまれる国を継ぎ、天子を敬い、文武(ぶんぶ)の業を広めようとした。

故に、『管子(かんし)の書』が生まれた。



齊景公(せいのけいこう)內好聲色うちはせいしょおくをこのみ 外好狗馬(そとはくばをこのみ)

 獵射亡歸りょうしゃしてかえるをわすれ 好色無辨いろをこのんでわきまうることなし

 作為路寢之台ろしんのだいをさくいし 族鑄大鍾あつめてだいしょうをいて

 撞之庭下これをていかにつうけば 郊雉皆呴(こうちみななく)

 一朝用三千いっちょうにさんぜんしょう鍾贛(のたまものをもちう)

 梁丘據子家噲導於左右りょうきゅうきょしかかいさゆうにいさむ

 故晏子之諫生焉ゆえにあんしのかんしょうず

(せい)景公(けいこう)は内では音楽と女性に溺れ、外では犬馬(けんば)を好み、帰る事を忘れるほど狩猟に熱中し、好色(こうしょく)思慮分別(しりょぶんべつ)のない人物であった。

正殿(せいでん)を築いた時、景公は国中の銅を集めて大鐘(だいしょう)鋳造(ちゅうぞう)させた。

出来上がった大鐘を庭で()いたところ、其の音は遠くまで響き渡った。

遠くに居た(きじ)までも其の音に気付き、一斉(いっせい)に鳴いた。

喜んだ景公は、僅かな間に三千鍾もの褒賞を与えた。

梁丘據(りょうきゅうきょ)子家噲(しかかい)は其れを止める事無く、(むし)ろ勧めた。

故に、『晏子あんしかん』が生まれた。



晚世之時(ばんせいのとき) 六國諸侯(りくこくのしょこう)

 溪異谷別(たにことにたにべつに) 水絕山隔(みずたちやまへだて)

 各自治其境內おのおのみずからそのきょうないをおさめ 守其分地(そのぶんちをまもり)

 握其權柄(そのけんぺいをにぎり) 擅其政令そのせいれいをほしいままにし

 下無方伯(しもにほうはくなく) 上無天子(かみにてんしなく) 

 力征爭權りょくせいしてけんをあらそい 勝者為右(かつものをみぎとなす)

 恃連與國(れんよをたのみ) 約重致(じゅうちをやくし)

 剖信符(しんぷをさき) 結遠援(えんえんをむすび)

 以守其國家もってそのこっかをまもり 持其社稷(そのしゃしょくをじす)

 故縱橫修短生焉ゆえにしょうおうしゅうたんしょうず】 

近頃、六国(りくこく)(えん)・趙・楚・(かん)()・斉)の諸侯は渓谷(けいこく)や山河を境に各々の領地を治めて其の地を守り、権力を掌握(しょうあく)して自ら政令を発布(はっぷ)する。

最早、諸侯天子の区別はなく、武力を以て争い合い、戦の勝者こそが上に立つ者とされる。

他国と同盟を結び、財貨を約し、通行手形(つうこうてがた)を発行して遠国との往来を容易(たやす)くし、国を守り、社稷(しゃしょく)(土地神と五穀の神。国家)を得ようとする。

故に、『縱橫修短しょうおうしゅうたん』が生まれた。



韓晉別國也かんはしんのべつこくなり

 地墽民險ちこうにたみけんにして 而介於大國之間たいこくのかんにはさまれり

 晉國之故禮未滅しんこくのこれいいまだほろびずして 韓國之新法重出かんこくのしんほうかさねていで

 先君之令未收せんくんのれいいまだおさまらずして 後君之令又下こうくんのれいまたくだる

 新故相反(しんこあいはんし) 前後相繆(ぜんごあいみだり)

 百官背亂ひゃくかんはいらんして 不知所用もちうるところをしらず

 故刑名之書生焉ゆえにけいめいのしょしょうず】 

(かん)は、(しん)から分かれた国である。

韓の土地は荒れ、民は困難な生活を強いられており、大国に挟まれている。

しかも晋の政令は未だに残ったままであるにも拘らず、新しい政令が発布される為、新旧の政令が相反(あいはん)し、前後の政令が乱れ、多くの役人は混乱し、韓は()(すべ)がなかった。

故に、『刑名(けいめい)の書』が生まれた。



秦國之俗(しんこくのぞくは) 貪狼強力(たんろうきょうりょく)

 寡義而趨利ぎすくなくしてりにはしり 可威以刑おどすにけいをもってすべくして

 而不可化以善かするにぜんをおもおってすべからず 

 可勸以賞すすむるうにしょうをもってすべくして 而不可厲以名はげますになをもってすべからず 

 被險而帶河けんをこうむりてかをおび 四塞以為固しそくをもってかためとなし 

 地利形便ちはりにけいはべんにして 畜積殷富(ちくしいんぷうなり)

 孝公欲以虎狼之こうこうころうのいきおいをもってして勢而吞諸侯しょこうをのまんとほっす

 故商鞅之法生焉ゆえにしょうおうのほうしょうず】 

秦の風俗は貪欲(どんよく)であり、強力である。

『義』を重んじず『利』に走るので、『刑罰』で以て人を抑制する事は出来ても『善』で以て人を教化(きょうか)する事は出来ない。

『褒賞』で以て人を鼓舞する事は出来るが、『名誉』を以て人を激励する事は出来ない。 

秦の四方は険しい自然に囲まれており、黄河が流れていて、地形の利便性も高く、蓄えも豊富であった。

其の為、孝公(こうこう)虎狼(ころう)の欲の如く諸侯を飲み込もうとした。

故に、『商鞅(しょうおう)の法』が生まれた。



言道而不言事みちをいいてことをいわざれば 則無以與世浮沈すなわちもってよとふちんすることなく

 言事而不言道ことをいいてみちをいわざれば 則無以與化游息すなわちもってかとゆうそくすることなし

『道(理想)』だけ述べて『事(現実)』を述べなければ、世俗では生きていけない。

『事(現実)』だけ述べて『道(理想)』を述べなければ、安らぐ事は出来ない。

『理想』と『現実』、どちらも大切である。



若劉氏之書りゅうしのしょのごときは 觀天地之象(てんちのしょうをみ)

 通古今之事(ここんのことにつうじ) 權事而立制ことをはかりてせいをたて

 度形而施宜かたちをはかりてよろしきをほどこし 原道之心みちのこころにもとづき

 合三王之風さんおうのふうにあわせて 以儲與扈冶玄眇之中もってげんみょうのうちにちょよこやたり

 精搖靡覽(せいようびらんし)  棄其畛挈(そのしんけいをすて)

 斟其淑靜そのしゅくせいをくんで 以統天下(もっててんかをすべ)

 理萬物(ばんぶつをおさめ) 應變化(へんかにおうじ) 通殊類(しゅるいにつうず)

 非循一跡之路いっせきのみちにしたがい 守一隅之指いちぐうのむねをまもり

 拘系牽連之物ものにこうけいけんれんして 而不與世推移也よとおしうつらざるにあらざるなり

 故置之尋常ゆえにこれをじんじょう而不塞(におけどもふさがらず)

 布之天下而不窕これをてんかにしけどもくつろがず】 

〖淮南子〗は、我々に『天地のカタチ』を観て古今(ここん)の事に通じる事を訓えてくれる。

〖淮南子〗は、我々に『事』に応じて『法』を制定する事を訓えてくれる。

〖淮南子〗は、我々に『形』に応じて『道』の境地を目指す事を訓えてくれる。

〖淮南子〗は、我々に三王(さんおう)()禹王(うおう)(いん)湯王(とうおう)(しゅう)文王(ぶんおう))の様に『虚无渺茫(きょむびょうぼう)空虚くうきょで広くはるか遠く)』の中で逍遥(しょうよう)する(思いのままに歩く)事を訓えてくれる。

〖淮南子〗は其れらが、精進(しょうじん)し、驕らず、汚濁(おだく)()て、清澄(せいちょう)を以て天下を()べ、万物の『(ことわり)』を知り、変化に応じ、多くの『モノコト』に通じていると言う事を訓えてくれる。

〖淮南子〗は唯一人の足跡を追い、唯一つの訓えを守り、『モノコト』に(こだわ)り、世の推移を無視するような書物ではない。

故に〖淮南子〗は狭い世界でも、広大な世界でも受け入れられる書物なのである。



挿絵(By みてみん)



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『淮南子』は様々な思想を尊重し、ありのままを受け容れ、認め、それぞれの個性を重んじた。

『淮南子』は全ての思想を単に残しただけではなく、其れらを折衷(せっちゅう)・和合・融合し、変化・発展・昇華(しょうか)させた。


『淮南子』は、建設(けんせつ)的である。

『淮南子』は、合理(ごうり)的である。

『淮南子』は、論理(ろんり)的である。

『淮南子』は、理想的である。

『淮南子』は、現実的である。

『淮南子』は、神話的である。

『淮南子』は、世俗(せぞく)的である。

『淮南子』は、伝統的である。

『淮南子』は、革新的である。

『淮南子』は、形而上(けいじじょう)的である。

『淮南子』は、形而下(けいじか)的である。

『淮南子』は、普遍(ふへん)的である。

『淮南子』は、特殊(とくしゅ)的である。

『淮南子』は、不変(ふへん)的である。

『淮南子』は、可変(かへん)的である。

『淮南子』は、思想(しそう)的である。

『淮南子』は、内省(ないせい)的である。

『淮南子』は、正統(せいとう)的である。

『淮南子』は、変則(へんそく)的である。

『淮南子』は、主観(しゅかん)的である。

『淮南子』は、客観(きゃっかん)的である。

『淮南子』は、根本(こんぽん)的である。

『淮南子』は、個性(こせい)的である。

『淮南子』は、統一的である。

『淮南子』は、不統一である。

『淮南子』は、単純である。

『淮南子』は、複雑である。

『淮南子』は、斉一(せいいつ)である。

『淮南子』は、雑多(ざった)である。


『淮南子』には、矛盾(むじゅん)がある。


『淮南子』には、多様性(たようせい)がある。


『淮南子』は、自由である。


其れが、劉安が本当に伝えたい事だったのではないだろうか?


其れが、〚真実〛なのではないだろうか?



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〖参考文献〗


金谷治(かねやおさむ) 『淮南子の思想』(1992年)講談社


楠山春樹(くすやまはるき) 著 ・ 本田千恵子(ほんだちえこ) 編 『新書漢文大系24 淮南子』

(2007年)明治書院


小南一郎(こみなみいちろう)楚辞(そじ)』(2021年)岩波書店


鳥山石燕(とりやませきえん)『鳥山石燕 画図百鬼夜行(がずひゃっきやこう)全画集』(2005年)角川ソフィア文庫


諸橋轍次(もろはしてつじ)『中国古典名言事典』(1979年)講談社学術文庫

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