淮南王 劉安について
紀元前210年に秦の始皇帝が崩御すると、宦官である趙高は始皇帝の息子の中でも特に優秀であった長男・扶蘇を自死させ(始皇帝は、扶蘇に跡を継がせる予定であった)、暗愚であった末子の胡亥を第二代皇帝とした。
胡亥は、趙高にとって操り人形でしかなかった。
胡亥は自身の威信を示す為、始皇帝が始めた万里の長城や阿房宮、咸陽宮建設などの大規模工事を再開させた。
一方、趙高は胡亥を利用しながら恐怖政治を敷いた。
万里の長城や阿房宮、咸陽宮の建設は、人々に多大なる負担を負わせた。
また趙高による有能な人物の虐殺や粛清は、悪臣による政治の腐敗を招く事になった。
其れらは人々を疲弊させ、秦王朝に恨みを抱かせるには十分な理由となった。
そして、各地で反乱が勃発した。
紀元前209年、圧政に苦しむ農民達を率いた陳勝と呉広が挙兵。
此の乱を、『陳勝・呉広の乱(紀元前209年~紀元前208年)』と言う(中国史上初の農民による反乱)。
≪陳勝の言葉≫
【王侯将相寧有種乎】
(王候・将軍・宰相となるのに、出自など関係ない。
実力のある者がなるべきである)
反乱は約6か月と言う短い期間ではあったが、秦王朝を衰退させるきっかけとなった。
乱が終結しても、秦に対する恨みや憎しみや野心は人々に引き継がれた。
其れらを引き継いだ者の中に、楚の項羽と漢の劉邦がいた。
項羽と劉邦は蜂起し、各地で反乱を起こした。
しかし、各地で反乱が起きている事を趙高は第二代皇帝・胡亥に伝えなかった。
趙高の甘言に踊らされ酒色に耽っていた胡亥だったが、暫くして漸く真実を知り、趙高を誅殺しようとする。
しかし、逆に趙高によって自死に追い込まれる(紀元前207年)。
趙高は胡亥に代わって皇帝に即位しようとしたが人々の同意を得られず、人徳のある子嬰(胡亥の兄、若しくは胡亥の兄の子、若しくは始皇帝の弟と言われている)を第三代皇帝として擁立した(紀元前207年)。
趙高は子嬰を皇帝とする事によって我が身の安全を図ろうと考えていたが、直ぐに子嬰に殺される(紀元前207年)。
其の後、第三代皇帝として即位した子嬰は咸陽に入城した劉邦に降伏。
即位して、僅か46日後の事であった。
劉邦は『法三章(殺す者、傷つける者、盗む者は死罪)』には従わず、降伏した子嬰ら秦王一族の命を救おうとした。
しかし、項羽は其れを許さなかった。
項羽は秦王一族や官吏を惨殺し、宝物を略奪し、宮殿を焼き払い、始皇帝の墓を暴くなどの暴挙を振るった。
其の為、項羽は大いに人望を失った。
項羽は、嘗て秦に滅ぼされた楚の貴族の末裔であった。
其の恨みが、項羽を凶行に走らせたのかもしれない。
紀元前206年、秦王一族虐殺により秦は滅亡する。
秦王朝滅亡後、楚の項羽と漢の劉邦が覇権を争う『楚漢戦争』へと突入する。
そして紀元前202年、『垓下の戦い』で項羽を下した劉邦が漢を建国。
漢は、其の後400年(前漢200年+後漢200年。前漢と後漢の間に、『新王朝』あり)続く。
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≪項羽・劉邦に関わる故事≫
【鴻門之会】
劉邦が項羽にとって脅威であると見抜いていた楚の参謀・范増は、項羽の本陣である鴻門で酒宴を催し、項荘(項羽の従弟)に剣舞の際に劉邦を殺せと指示する。
しかし、項羽の叔父である項伯、劉邦の腹臣である樊噲や張良らが劉邦を庇い、劉邦は其の場から脱出する事に成功。
劉邦を殺せなかった范増は天を仰ぎ、呟いた。
〚唉 豎子 不足与謀
奪項王天下者 必沛公也
吾属今為之虜一矣〛
(ああ。
小僧と共に謀など出来ぬ。
項羽の天下を奪う者は、劉邦であろう。
我が一族は、劉邦の捕虜になるであろう)
其の後も何度も劉邦を殺せる機会はあったが、項羽は全ての機会を逃した。
そして范増の言葉通り、劉邦が項羽を倒し覇者となる。
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【四面楚歌】
『垓下の戦い』の際、垓下の城壁の中に立て籠っていた項羽軍は漢軍に包囲される。
そして夜、四方から楚の歌が聞こえてきた。
項羽は「漢軍は既に項羽の祖国である楚を陥落させ、楚の人々は漢軍に寝返った」と思い込み、絶望した。
【四面楚歌】とは、『敵に囲まれ、孤立している』と言う意味。
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【虞美人草】
漢軍に包囲され祖国も奪われたと思い込んだ項羽軍は別れの夜宴を開き、愛妾である虞美人と愛馬である騅との別れを惜しんで詩を詠んだ。
《垓下の歌》
〚力拔山兮 氣蓋世
時不利兮 騅不逝
騅不逝兮 可奈何
虞兮虞兮 奈若何〛
(我が力は山をも突き破り、我が気迫は世を覆う程であった。
しかし時勢は私に味方せず、騅も疲れて進まなくなってしまった。
騅が進まない事を、私はどうする事も出来ない。
虞よ。
虞よ。
私は、お前をどうすれば良いのか?)
《虞美人の返歌》
〚漢兵已略地
四方楚歌聲
大王意氣盡
賤妾何聊生〛
(漢兵は既に楚を侵略し、四方からは楚の歌が聞こえます。
貴方が生きる気力をなくされていると言うのに、どうして賤しい身分の私が
生きながらえる事が出来ましょうか?)
虞美人は項羽の足手まといにならない為に此の時自殺したと言われているが、不明。
ただ虞美人が自殺した翌年、彼女が自殺した地に雛罌粟の花が咲いたと言われている。
此の雛罌粟は虞美人の生まれ変わりと考えられ、雛罌粟の別名を『虞美人草』とも言う。
宴の後、項羽は約八百人の兵を率いて漢軍の囲みを突破し南へ向かった。
其れに気付いた漢軍の猛攻撃により、楚軍兵は二十八人まで減少。
烏江(長江のほとり)に辿り着いた項羽軍は、追って来た漢軍を迎え撃つ事を決意。
騅から下馬した項羽も戦い、十数か所の傷を受ける。
死を覚悟した項羽は戦いの中、漢軍の中に旧知の仲である呂馬童を見つける。
項羽の首には、恩賞が懸けられていた。
項羽は旧友に恩賞を与える為、自死した(享年三十一歳)。
項羽の遺体を得た呂馬童は、領地を与えられた。
其の後、劉邦は項羽の遺体を手厚く葬った。
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劉邦が中国を統一した後も、各地で反乱が起きた。
劉邦は『韓王信の乱』平定の帰り、趙に立ち寄る。
趙に訪れた劉邦を趙王はもてなした。
趙王は、自らの側室であった女性(趙王美人)を劉邦に差し出した。
劉邦の寵愛を受けた女性は、子を授かった。
其の生まれた子が、劉安の父・劉長であった。
其の後、漢の暴挙に耐える事が出来なくなった趙は謀反を企む。
しかし此の謀反は事前に発覚し、趙王一族は獄に繋がれる事になった。
趙王美人も同様の扱いを受けたが、せめて劉邦の子である劉長だけでも生かそうと『辟陽侯』審食其を通じて劉邦の正室である『呂后』に助けを求めた。
しかし嫉妬深い『呂后』も、『呂后』の怒りを買いたくない審食其も、劉長を助ける事を拒んだ。
趙王美人は世を儚み自殺したが、其れを聞いた劉邦は残された劉長を助け、『呂后』へ預けた。
二年後、劉長は淮南国(九江・盧江・衝山・予章)を与えられ、『淮南王』となる。
其の後、劉長は『呂后』と異母兄である第二代皇帝『恵帝』に従い、何不自由なく暮らした。
第二代皇帝『恵帝』は、『高祖』と『呂后』との間に生まれた。
『恵帝』は凡庸な人物であったと言われているが、決してそのような人物ではなかった。
ある時、『恵帝』は異母兄・劉肥(『高祖』の庶子)を宴席に招いた。
劉肥は劉邦の長子であった為、『呂后』にとって劉肥は自身の子である『恵帝』を脅かす存在であった。
『呂后』は、劉肥に毒入りの酒を飲ませて殺害する事を企んだ。
しかし其の事を事前に察知した『恵帝』は、『呂后』から劉肥に渡されようとした毒杯を自ら手に取った。
其れを見た『呂后』は、慌てて『恵帝』から毒杯を奪い捨てた。
『恵帝』の機転により、劉肥の命は救われた。
また始皇帝の行った『焚書坑儒』を終わらせたのも、『恵帝』であった。
『恵帝』は勇気もあり、行動力もあり、また穏やかで優しく正義感の強い人物であった。
自分の意志を曲げず生きる人間が、凡庸な人物であるわけがない。
時代に合わなかっただけに過ぎない。
『恵帝』は真面目で優し過ぎた為、母の残虐な行為に次第に心を保つ事が出来なくなっていく。
劉邦の死後、『呂后』は劉邦の寵愛を受けていた戚夫人を残酷な殺し方で殺した。
戚夫人の姿を『呂后』に見せられた『恵帝』は心を病み、酒食に溺れ、二十六歳で崩御。
※ 『呂后』は其の残忍な行いから、中国三大悪女(『漢の『呂后』』
『唐の則天武后』『清の西太后』)の一人に数えられている。
『恵帝』の死後、『呂后』は自分の血縁者である『前少帝(名は不明。『恵帝』の子)』を第三代皇帝に立て実権を握ろうとした。
しかし、其の為には『前少帝』の実母が邪魔であった。
『呂后』は、『前少帝』の実母に権力が移る事を恐れた。
そして、『呂后』は『前少帝』の実母を殺害。
しかし母を『呂后』に殺された事を知った『前少帝』は『呂后』を憎むようになり、其れを察知した『呂后』は『前少帝』を殺害。
其の後、『呂后』は次々と劉邦の庶子を殺し、第四代皇帝として『後少帝(『恵帝』の子と言われているが、不明)』を即位させた。
自分の思うがままに生きた『呂后』は多くの呂一族を政府の要職に就け、死去(病死。享年六十一歳)。
『呂后』の死後は、呂氏が政権を握った。
しかし呂氏に全ての政権を奪われる事を危惧した劉氏と彼らを擁護する派閥が手を組み、呂氏を滅亡させる。
此れを『呂氏の乱(紀元前180年)』と言う。
其の後、第五代皇帝として『文帝(劉邦の四男)』が即位。
『文帝』は、劉安の父・劉長の異母兄であった。
『文帝』は肉刑の一部廃止や民への減税、匈奴(※)との戦の中止など、平和への政策を重点的に行った(第五代皇帝『文帝』と第六代皇帝『景帝(『文帝』の子)』の治世を『文景の治』と言う)。
しかし劉長は、穏やかで優しく田舎育ちの『文帝』を軽んじていた。
劉長は、自分に流れる劉邦の血に誇りを持っていた。
『呂后』によって多くの庶子が殺され、劉邦の血筋を引き継ぐ正統なる後継者は『文帝』と劉長しかいなかった。
『呂后』の許で何不自由なく育てられた劉長は若く逞しく、そして傲岸不遜な人物に育った。
劉長には、絶対的自信があった。
〚自分は、何をしても許される〛
そう思っていたのだろう。
劉長は、自分の母を見殺しにした審食其をずっと恨み続けていた。
そして劉長は、『呂氏の乱』後も生きながらえていた審食其を自らの手で殺害。
本来であれば政府の重鎮を殺害した劉長は罰せられるべきであったが、『文帝』は彼を咎めなかった。
『文帝』にとって劉長は弟であり、また審食其によって母を見殺しにされた劉長の境遇に対して同情もしていた。
此の『文帝』の甘さが、却って劉長を増長させる事になった。
劉長は淮南国に帰った後、漢の法を無視して自ら法を作るなど、まるで自らが皇帝であるかの様な振舞をするようになる。
『文帝』は、劉長を諫めた。
もしかしたら、其れは弟を守る為であったのかもしれない。
しかし、誰も劉長を止める事は出来なかった。
紀元前174年、劉長は自らが皇帝となる為に謀反を企む。
しかし、事前に発覚。
丞相(最高位の官吏)達は、劉長の死罪を主張した。
しかし『文帝』は死罪だけは免じ、王位を剥奪して蜀に配流するに留めた。
此処に来て、漸く劉長は自らの傲慢さに気付く。
「誰が、私を勇者と言ったのか?
私が、勇者であるはずがない!
私は自らの驕りの為に、誰の諫言も聞き容れなかった!
自分の過ちに気付かず、此の様な憂き目に遭おうとは!
誇り高き身分に生まれながら、希望も見えないまま此の先
生きていくなど我慢ならない!!」
そして劉長は蜀への護送中、自ら食を断ち車中で餓死(享年25歳)。
もし劉長の傍に彼を理解する人がいて、劉長自身も自分を諫める人の声に耳を傾けるような人物であれば、彼の人生も違うものになっていたのかもしれない。
もしかしたら、劉長も利用されただけなのかもしれない。
劉長が死んだ時、劉安は5歳であった。
(※)匈奴
異民族の事。
中国には、春秋戦国時代から【世界の中心は中華であり、中華以外は夷狄(野蛮人)の国である】と言う思想があった。
夷狄とは、『東夷(東アジア)』『西戎(中央アジア)』『北狄(北方地域)』『南蛮(東南アジア)』の事である。
此れら四つの地の人々を漢民族は『四夷』、または『夷狄戎蛮』と呼んだ。
漢民族は中原(黄河中下流域にある平原)から起こり、漢民族にとって中原は中華(文明国)であった。
中華は広く平らかであった為、周辺国から狙われ易かった。
漢民族は中華を守る為にも、周辺国との優位性を示す必要があった。
やがて【『天』から選ばれた天子は『徳』や『礼』により夷狄を教化し、支配しなければならない】と言う思想が生まれた。
此の思想を『中華思想』、または『華狄思想』と言う。
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【劉安】 紀元前179年 ~ 紀元前122年
●紀元前179年
劉安、劉長の長男として生まれる。
●紀元前174年(劉安5歳)
父の劉長は謀反を企て、配流。
その後、劉長は絶食死。
●紀元前172年(劉安7歳)
劉安、第五代皇帝『文帝』により『阜陵侯』となる。
劉安の弟達も、それぞれ列侯に報ぜられる。
劉勃『安陽侯』・劉賜『陽周侯』・劉良『東城侯』。
●紀元前164年(劉安15歳)
劉安、第五代皇帝『文帝』により『淮南王』となる。
父の領地であった淮南国を弟達と三分し、劉安の弟達もそれぞれ王となる
(弟の一人である劉良は、若くして死亡)。
劉勃『衡山王』・劉賜『廬江王』。
淮南国を与えられた劉安は、様々な思想を受け容れる人物に成長。
武芸を好まず、書を好む『好文の王』として名を馳せる。
其の噂を聞いた多くの食客が、淮南国に魅かれ向かう。
●紀元前154年(劉安25歳)
第六代皇帝『景帝』の頃、『呉楚七国の乱』勃発。
『呉楚七国の乱』とは、七国の諸侯王『呉王』『楚王』『趙王』『膠西王』『膠東王』『菑川王』『済南王』が漢王室に対して起こした反乱の事。
劉安は呉の使者に参戦を進められたが、宰相に諫められた為、乱には加担しなかった。
『呉楚七国の乱』以後、漢王朝は国を統一する為に儒教以外の思想を弾圧するようになり、方士(神仙術を身に付けた者)など多くの食客が更に淮南国に集まるようになる。
●紀元前139年(劉安40歳)
劉安、〖楚辞〗〔離騒〕を短時間で要約して第七代皇帝『武帝』に献上。
〖楚辞〗は、漢王朝の人々にとって難解な文章であった。
此れにより劉安の名声が益々高まり、『稷下の学(戦国時代、斉の都・臨淄に集まった思想家達の学問)』の様に、様々な思想を持った人々が淮南国に引き寄せられる。
特に淮南国はシャーマニズム(巫術)の強かった嘗ての楚の地にあったので、淮南国では道家の神仙思想が盛んとなった。
●紀元前122年(劉安57、58歳)
積極的に匈奴討伐を進めていた『武帝』に対し、劉安は消極的な態度をとり続けた。
また、『武帝』に討伐を諫める文書も上奏した。
其の行為が『武帝』に不信感を抱かせ、劉安は二県の所領を削減される。
劉安は漢王室に対し、謀反を画策。
しかし、臣下である伍被の密告により謀反は事前に発覚。
劉安は首を掻き切って自死し、一族は処刑されて領地は没収された。
淮南国の食客も処罰され、劉安の謀反に加担したとされる数万人が殺された。
そして劉安の死後、伝説が生まれた。
『劉安は、仙人になった』
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≪劉安の伝説≫
【一人得道 鶏犬昇天】
劉安は、死んだのではない。
劉安は神仙術を極め、昇天して仙人となったのだ。
劉安だけでなく、其の家族も、鶏や犬までも不死となったのだ。
【八公仙】
ある時、八人の老人が劉安の許を訪れた。
劉安は、門番を通して言った。
「貴方達は、不老の術を極めていないようだ」
其れを聞いた八人の老人は、桃の花の様な童に変身した。
劉安は、八人を招き入れた。
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≪劉安と八公の著作≫
〖淮南子〗
・ 紀元前139年成立
・ 元は、〖淮南鴻烈〗と言われた(『鴻烈』とは、大いなる偉業と言う意味)
・ 八公(蘇非・李尚・左呉・陳由・伍被・毛周・雷被・晋昌)とは、
淮南国に集った食客の中で特に劉安に近しい優秀な八人のこと
・ 内篇二十一篇のみ現存(外篇三十三篇、中篇八篇は散佚)
巻一〔原道訓〕、巻二〔俶真訓〕、巻三〔天文訓〕、巻四〔墬形訓〕
巻五〔時則訓〕、巻六〔覧冥訓〕、巻七〔精神訓〕、巻八〔本経訓〕
巻九〔主術訓〕、巻十〔齊俗訓〕、巻十一〔齊俗訓〕、巻十二〔道応訓〕
巻十三〔氾論訓〕、巻十四〔詮言訓〕、巻十五〔兵略訓〕
巻十六〔説山訓〕、巻十七〔説林訓〕、巻十八〔人間訓〕
巻十九〔脩務訓〕、巻二十〔泰族訓〕、巻二十一〔要略〕
・『雑家(『儒家』『道家』『法家』『兵家』『墨家』『小説家』『農家』
『陰陽家』など様々な思想が含まれている)』とされるが、
特に『道家』の思想が強い。
・『淮南子』は『雑家』に分類されるが、様々な思想を取り入れ、それぞれを
尊重し融和・昇華させたものなので、他の『雑家』とも異なる。
・ 百科全書
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●巻一〔原道訓〕
【夫道者 覆天載地
廓四方 柝八極
高不可際 深不可測
包裹天地 稟授無形
原流泉浡 沖而徐盈
混混滑滑 濁而徐清
故植之而塞於天地 橫之而彌于四海
施之無窮 而無所朝夕
舒之幎於六合 卷之不盈於一握
約而能張
幽而能明
弱而能強
柔而能剛
橫四維而含陰陽
紘宇宙而章三光
甚淖而滒 甚纖而微
山以之高 淵以之深
獸以之走 鳥以之飛
日月以之明 星曆以之行
麟以之遊 鳳以之翔】
『道』は『天』を覆い、『地』を載せる。
『道』は、四方八方に広がる。
『道』は無限に高く、深い。
『道』は『天地』を包み、『無形』に『形』を与える。
『道』は源より生まれ泉のように湧き出て、少しずつだが次第に満ちる。
『道』は何も無いものから少しずつ満ち、始め濁っていたとしても
清らかになる。
『道』を立てると『天地』を塞ぎ、横たえると四海に広がる。
『道』は、昼夜問わず永遠に影響を及ぼすであろう。
『道』は広がれば『天地』を覆い、纏まれば一握りの大きさとなる。
『道』は、『小』であり『大』である。
『道』は、『暗』であり『明』である。
『道』は、『弱』であり『強』である。
『道』は、『柔』であり『剛』である。
『道』は『天地』の四隅
(乾(西北)・坤(西南)・艮(東北)・巽(東南))を支え、
其の地で『陰陽』を含む。
『道』は『天地』を繋ぐ綱となって、日月星を輝かせる。
『道』はしなやかで、微細である。
其れにより山は高く、淵は深い。
其れにより獣は走り、鳥は飛ぶ。
其れにより日月は輝き、星は巡る。
其れにより麒麟は現れ、鳳凰は飛翔する。
【夫性命者 與形俱出其宗
形備而性命成
性命成而好憎生矣
故士有一定之論
女有不易之行
規矩不能方圓
鉤繩不能曲直
天地之永 登丘不可為脩
居卑不可為短
是故得道者
窮而不懾
達而不榮
處高而不機
持盈而不傾
新而不朗
久而不渝
入火不焦
入水不濡
是故不待勢而尊
不待財而富
不待力而強
平虛下流 與化翱翔
若然者 藏金于山
藏珠於淵
不利貨財
不貪勢名
是故不以康為樂
不以為悲
不以貴為安
不以賤為危
形神氣志 各居其宜
以隨天地之所為】
『命』と『形』の根源は、同じである。
『形』が備われば、『命』が成る。
『命』が成ると、『愛憎』が生じる。
男には、変わらぬ『徳』がある。
女には、変わらぬ『意志』がある。
故に『命』を円規(コンパス)や定規で以て、円形や方形にする事は出来ない。
故に『命』を縄墨で以て、直線の様に引く事は出来ない。
『天地』との距離は、丘に登ろうとも測る事は出来ない。
『天地』との距離は、低地に居ようとも測る事は出来ない。
故に『道』を得た人は、困窮を恐れない。
故に『道』を得た人は、栄誉を誇らない。
故に『道』を得た人は、高所に居ても怯まない。
故に『道』を得た人は、満ち足りていても慎重である。
故に『道』を得た人は、新しくとも華美ではない。
故に『道』を得た人は、古くとも変わらない。
故に『道』を得た人は、火中でも焦げない。
故に『道』を得た人は、水中でも濡れない。
此の為、『道』を得た人は権勢が無くとも尊い。
此の為、『道』を得た人は財が無くとも満たされてる。
此の為、『道』を得た人は力弱くとも強い。
此の為、『道』を得た人は低く空虚な所でも生き、変化しながら飛翔する。
『道』を得た人は、金を山から掘り起こさない。
『道』を得た人は、淵に沈む珠玉にも見向きもしない。
『道』を得た人は、家財を『利』としない。
『道』を得た人は、権勢や栄誉を貪らない。
故に『道』を得た人は、奔走する。
故に『道』を得た人は、困窮を悲しまない
故に『道』を得た人は、身分が高くとも驕らない。
故に『道』を得た人は、身分の低い者に対しても侮らない。
『形』『心』『気』は、それぞれ在るべき所に在る。
其れらは、『天地』の為す事に従う。
【夫形者生之舎也
氣者生之充也
神者生之制也
一失位 則二者傷矣
是故聖人使人各處其位
守其職
而不得相干也
故夫形者非其所安也而處之則廢
氣不當其所充而用之則泄
神非其所宜而行之則昧
此三者 不可不慎守也】
『形』は、『命』が宿るところである。
『気』は、『命の根本』となるものである。
『心』は、『命』を統べるものである。
一つでも失えば、残りの二つは傷を負う。
故に聖人は、人々に此れら三つが在るべき所に在るようにさせた。
故に聖人は、人々に己の役目を果たさせた。
故に聖人は、人々にそれぞれの領域を侵させないようにした。
『形』は在るべき所に在らねば、廃れる。
『気』は満つるべき所で用いらねば、外に漏れる。
『心』は適正な所に在らねば、蒙昧となる。
此れら三つは、謹んで守らなければならない事である。
【不貴尺之璧 而重寸之陰】
どれほど素晴らしい宝よりも、僅かな時間を重んじる。
時間とは、とても大切なものなのだ。
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●巻二〔俶真訓〕
【夫趨舍行偽者 為精求於外也
精有湫盡
而行無窮極
則滑心濁神而惑亂其本矣
其所守者不定 而外淫於世俗之風
所斷差跌者 而內以濁其清明
是故躊躇以終 而不得須臾恬澹矣
是故聖人內修道術 而不外飾仁義
不知耳目之宣 而游於精神之和
若然者 下揆三泉 上尋九天
橫廓六合 揲貫萬物
此聖人之游也】
『進退』に『迷い』があるのは、根源となる『気』が外に流れているからである。
根源となる『気』が外に流れている為、根源となる『気』は尽き果ててしまう。
根源となる『気』が尽き果ててしまうので、『行い』に『迷い』が生じる。
『行い』に『迷い』が生じると『心』は濁り、『根本』が惑い乱れる。
根源となる『気』が安定していないから、世俗に惑わされる。
世俗を断ち切るべきなのに其れが出来ず、清く美しいものが濁る。
故に人は躊躇い迷いながら、心安らぐことなく一生を終える。
故に道術を会得した聖人は、外に『仁義』を振りかざさない。
そして耳で聞き、目で見たものに惑わされず、精神の調和を図る。
このような聖人は黄泉の国を探り、九つの『天』を尋ねる。
聖人は世界の果てまで足を延ばし、万物を知る事が出来る。
此れこそが、『聖人の何ものにも囚われない絶対的自由』である。
【若夫真人 則動溶於至虛
而游於滅亡之野 騎蜚廉而從敦圄
馳於外方 休乎宇內
燭十日而使風雨
臣雷公 役夸父
妾宓妃 妻織女
天地之間何足以留其志
是故虛無者道之舍
平易者道之素】
『真人(仙人・道士)』は、『無』を浮遊する。
『真人』は荒野を彷徨い、蜚廉(風の神獣)に乗って敦圄(虎に似た神獣)を従える。
『真人』は、世界の内外を自由に行き来する。
『真人』は十の太陽を灯し、風伯(風神)・雨師(雨神)・雷公(雷神)・夸父(巨人)を従える。
『真人』は宓妃を側女とし、織女を妻とする。
『天地』の間に、『真人』の志を遮るものなど存在しない。
故に、『無は道の在るべき処』『静謐は道の源』と言うのである。
【道出一原 通九門 散六衢】
『道』は、一つである。
其の『道』は、城中の九つの『門』に通じている。
其の九つの『門』は、六つの『町』へと広がっている。
『道』は一つであるが、其の『道』は四方に広がる。
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●巻三〔天文訓〕
【天地之襲精為陰陽
陰陽之專精為四時
四時之散精為萬物
積陽之熱氣生火
火氣之精者為日
積陰之寒氣為水
水氣之精者為月
日月之淫為精者為星辰
天受日月星辰
地受水潦塵埃】
『天地』の根源となる『気』は、重なると『陰陽』となる。
『陰陽』の根源となる『気』は、集中すると『四季』となる。
『四季』の根源となる『気』は、四散すると『万物』となる。
『陽気』が蓄積した『熱気』は、『火』を生じる。
『火』の根源となる『気』は、『日』となる。
『陰気』が蓄積した『寒気』は、『水』を生じる。
『水』の根源となる『気』は、『月』となる。
『日』『月』から溢れ出たものは、『星』となる。
『天』は、『日』『月』『星』を受ける。
『地』は、『雨水』『塵埃』を受ける。
【昔者共工與顓頊爭為帝
怒而觸不周之山
天柱折 地維絕
天傾西北
故日月星辰移焉
地不滿東南
故水潦塵埃歸焉】
古の時代、水神である共工は五帝の一人である顓頊と帝位を争った。
争いの最中、共工は激怒し西北の不周山を破壊した。
『天』を支える柱は折れ、『地』を繋ぐ綱は切れた。
『天』を支える柱は折れた為、『天』は西北に傾いた。
故に『日』『月』『星』は、西北へと移った。
『地』を繋ぐ綱は切れた為、『地』は東南が沈下した。
故に『雨水』『塵埃』は、東南に流れる。
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●巻四〔墬形訓〕
【崑崙之丘 或上倍之
是謂涼風之山
登之而不死
或上倍之
是謂懸圃
登之乃靈 能使風雨
或上倍之
乃維上天
登之乃神
是謂太帝之居】
崑崙山の倍の高さを登る。
すると、其処には涼風山がある。
此の涼風山に登ると、不死となる。
涼風山の倍の高さを登る。
すると、其処には懸圃山がある。
此の懸圃山に登ると霊力を得て、風伯・雨師を使役する事が出来るようになる。
懸圃山の倍の高さを登る。
すると、其処には『上天』がある。
此の『上天』に登ると神霊を得る。
此処が則ち、太帝が御座す処である。
【扶木在陽州 日之所曊
建木在都廣 眾帝所自上下
日中無景 呼而無響
蓋天地之中也
若木在建木西 末有十日
其華照下地】
扶木(東海の海中にある神樹)は、陽州に在る。
陽州は、日の昇る処である。
建木(『天』と『地』を結ぶ神樹)は都広山にあり、其処から神々は『天地』を行き来する。
都広山は日中は影が出来ず、声も響かない。
都広山は、『天地』の中央に在るのであろう。
若木は建木の西に在り、枝には十の太陽が在る。
其の光は、『地』を照らす。
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●巻五〔時則訓〕
【孟春行夏令 則風雨不時
草木旱落 國乃有恐
行秋令 則其民大疫
飄風暴雨總至 黎莠蓬蒿並興
行冬令 則水潦為敗
雨霜大雹 首稼不入】
初春であるにも拘らず夏に行うべき政を行えば、想定外の風雨に見舞われ、
草木は早々に枯れ落ち、国は恐慌状態に陥る。
初春であるにも拘らず秋に行うべき政を行えば、民の間に疫病が蔓延し、
旋風や暴風雨に襲われ、雑草が生い茂る。
初春であるにも拘らず冬に行うべき政を行えば、大雨が災害をもたらし、
霜が降り、大きな雹が降り、作物は実らない。
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●巻六〔覧冥訓〕
【専精厲意 委務積神
上通九天 激厲至精
由此觀之 上天之誅也
雖在壙虚幽間 遼遠陰匿
重襲石室 界障險阻
其無所逃之 亦明矣】
誠心誠意尽くし、努力を積み重ねれば、
其の『至誠(真心)』は『天』の最も高い所に通じ、『天』も其の『至誠』を激励する。
故に『天』が誅する際、たとえ荒地や奥深い場所、
遥か遠く人の目に触れない場所、幾重にも重なった石室、
外と隔絶された険しい場所に隠れても、『天』は必ず見つける。
『天』からは、決して逃げ切る事など出来ない。
※ 【天網恢恢疎にして漏らさず】
書経【皇天無親 惟徳是輔 民心無常 惟恵之懐】
【乞火 不若取燧】
誰かに火を求めるより、自分で火打ちで火を起こした方が良い。
『他人任せにせず、自ら行動しなさい』
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●巻七〔精神訓〕
【生乃徭役也 而死乃休息也 天下茫茫 孰知之哉
其生我也不強求已
殺我也不強求止
欲生而不事 憎死而不辭
賤之而弗憎 貴之而弗喜
隨其天資而安之不極】
『生きる事』は苦役であり、『死ぬ事』は休息であると、天下広しと言えど、誰が知っているのであろうか?
私を『生かす』と言うのであれば、私は生きよう。
私を『殺す』と言うのであれば、私は死のう。
『生きる事』を欲しても執着せず、『死ぬ事』を憎んでも拒まず、
賤しい身分であっても憎まず、貴い身分であっても喜ばず、『天命』に従い、全てを受け容れる。
【夫悲樂者德之邪也
而喜怒者道之過也
好憎者心之累也
故曰 其生也天行 其死也物化
靜則與陰俱閉合德
動則與陽俱開合波
精神澹然無極 不與物散
而天下自服
故心者形之主也
而神者心之寶也
形勞而不休則蹶
精用而不已則竭
是故聖人貴而尊之
不敢越也】
『悲楽』は、『徳』を妨げる。
『喜怒』は、『道』を誤らせる。
『好憎』は、『心』を煩わせる。
故に聖人は生きる時は『天』と共に行き、死ぬ時は『物』と共に変化し、静まる時は『陰の気』と『徳』を融合し、動く時は『陽の気』と『動き』を同じくする。
精神が完全に穏やかであり、物事に一喜一憂しなければ、天下は己に服するであろう。
故に『心』は『肉体の主』であり、『精神』は『心の宝』である。
『肉体』を酷使すれば疲弊し、『精気』を使い過ぎれば尽きる。
故に聖人は『心』と『精神』を尊び、失うまいとする。
【夫有夏后氏之璜者 匣匱而藏之
寶之至也
夫精神之可寶也
非直夏后氏之璜也
是故聖人以無應有
必究其理
以虛受實 必窮其節
恬愉虛靜 以終其命
是故無所甚疏 而無所甚親
抱德煬和 以順於天
與道為際 與德為鄰
不為福始 不為禍先
魂魄處其宅
而精神守其根
死生無變於己
故曰至神】
夏王朝伝来の玉を所持する者は、其の玉を大切に保管する。
其れは、其の玉が至上の宝であるからだ。
しかし『精神の宝』は、此の玉に比するものではない。
故に聖人は『無』を以て『有』に応じ、『理』を究める。
『虛(偽り)』を以て『真実』を受け容れ、必ず『節度』を以て対する。
穏やかで己を『無』とし、天命を全うする。
其の為、特に疎んずる事も親しむ事も無く、『徳』を抱きながら『和』を重んじ、『天』に順う。
『道』と共に、『徳』の傍に、『福』の始めとならず、『禍』の先とならず、魂魄は在るべき場所にある。
『精神』は其の『源』を守り、『死生』は己の『心』を変える事は無い。
此れを『至神』と言う。
【聖人法天順情 不拘於俗 不誘於人】
聖人は『天道』に法り、己の『心』に順って自らの『道』を進み、世俗や誘惑に心乱される事も無い。
雑音など気にせず、平常心をもって自分の信じる『道』を貫き通せば良い。
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●巻八〔本経訓〕
【凡人之性 心和欲得則樂
樂斯動 動斯蹈
蹈斯蕩 蕩斯歌
歌斯舞 舞節則禽獸跳矣
人之性 心有憂喪則悲
悲則哀 哀斯憤
憤斯怒 怒斯動
動則手足不靜
人之性 有侵犯則怒
怒則血充 血充則氣激
氣激則發怒 發怒則有所釋憾矣
故鐘鼓管簫 干鏚羽旄
所以飾喜也
衰苴杖 哭踴有節
所以飾哀也
兵革羽旄 金鼓斧鉞
所以飾怒也
必有其質 乃為之文】
人の『本性』は、『心』が和やかであり望みが叶えば楽しい。
楽しければ『心』は動き、『心』が動けば足踏みをする。
足踏みをすれば身体が揺れ動き、身体が揺れ動けば歌う。
歌えば舞い、舞えば獣が飛び跳ねる様になる。
人の『本性』は、『心』が憂えていれば悲しい。
悲しければ哀しみ、哀しめば憤る。
憤れば怒り、怒れば身体が動く。
身体が動けば、手足は怒りで震える。
人の『本性』は、『心』を侵食されれば怒る。
怒れば感情が高ぶり、感情が高ぶれば激高する。
激高すれば怒りを発し、怒りを発すれば恨みは消える。
故に人が鐘・鼓(太鼓)・管・簫(笛)などの楽器を奏で、干鏚(武の舞)・羽旄(文の舞)などの舞を舞うのは、『喜び』を表現しているのである。
喪服を着て喪中の際に使用する黒色の竹の杖をついて泣哭するのは、『哀しみ』を表現しているのである。
兵革(武器や鎧)・羽旄(軍隊を指揮する為の鉾)・金鼓(銅鑼と太鼓)・斧鉞(斧と鉞)などの武具を用いるのは、『怒り』を表現しているのである。
必ず『理由』があり、其れらを『表現』するのである。
【兵者所以討暴 非所以為暴也
樂者所以致和 非所以為淫也
喪者所以盡哀 非所以為偽也
故事親有道矣 而愛為務
朝廷有容矣 而敬為上
處喪有禮矣 而哀為主
用兵有術矣 而義為本
本立而道行 本傷而道廢】
『戦』は暴挙を止める為のものであり、暴挙を行う事ではない。
『楽』は和合の為であり、淫蕩の為のものではない。
『喪』は哀しみを放つものであり、表面上の哀しみを表現する為のものではない。
故に父母に尽くす際、『愛情』を以て尽くしなさい。
朝廷に仕える際、『畏敬の念』を以て尽くしなさい。
喪に服す際、『哀情』を以て尽くしなさい。
兵術を用いる際、『正義』を以て尽くしなさい。
『根本』が確立されていれば『道』は正しく行われ、『根本』が不確立であれば『道』は廃れる。
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●巻九〔主術訓〕
【人主者 以天下之目視 以天下之耳聽
以天下之智慮 以天下之力爭
是故號令能下究 而臣情得上聞
百官修通 群臣輻湊
喜不以賞賜 怒不以罪誅
是故威立而不廢 聰明光而不蔽
法令察而不苛 耳目達而不暗
善否之情 日陳於前而無所逆
是故賢者盡其智 而不肖者竭其力
德澤兼覆而不偏 群臣勸務而不怠
近者安其性 遠者懷其德
所以然者何也
得用人之道 而不任己之才者也
故假輿馬者 足不勞而致千里
乘舟楫者 不能游而絕江海】
人主は民の『目』で見て、民の『耳』で聞いて政を行わなければならない。
民の『智』を以て考え、民の『力』を以て動かなければならない。
そうすれば人主の号令は下の者にまで届き、民の『心』は上の者に伝わる。
多くの役人は互いに協力し合い、多くの臣下は人主の許に集まる。
寵愛しているからと言って、無闇に賞を与えてはならない。
嫌悪しているからと言って、無闇に罰を与えてはならない。
そうすれば人生の威厳は保たれ廃れる事は無く、聡明さは光り輝き曇る事は無い。
『法』を明確にし、『情報』を明らかにし、『善悪』を明瞭にしていれば、違う事など無い。
故に賢者は其の『智』を以て世に尽くし、愚者(不才の者)は其の『力』を以て世に尽くす。
『徳』は世界に広がり、多くの臣下は一生懸命働き、近国の人々は安心し、遠国の人々は『徳』に親しむようになる。
何故、其の様な事になるのか?
其れは、人主が『人を活かす法』を知っているからである。
人主が、己の才知のみで政を行う事が出来ない事を知っているからである。
つまり、馬車の操縦が出来れば足を使わずして千里を走る事が出来る。
船を漕ぐ事が出来れば、泳ぐ事が出来なくとも川や海を渡る事が出来る。
※ 【積力衆智】
【是非之所在 不可以貴賤尊卑論也
是明主之聽於群臣
其計乃可用 不羞其位
其言可行 而不責其辯】
『正』であるか『非』であるか、其れは貴賤尊卑によって論ずられるべき事ではない。
名君が家臣に政について聴く際、其の計画を受け容れるべきであれば、たとえ其の者の位が低くとも拒否する事は無い。
其の言葉を受け容れるべきであれば、たとえ其の者の話し方に問題があろうとも責める事は無い。
【法者 天下之度量
而人主之準繩也
縣法者 法不法也
設賞者 賞當賞也
法定之後 中程者賞 缺繩者誅
尊貴者不輕其罰
而卑賤者不重其刑
犯法者雖賢必誅
中度者雖不肖必無罪
是故公道通而私道塞矣】
『法』は、『天下の規範』である。
『法』は、『人主の規則』である。
『法』を定めるのは、『不法』を戒める為である。
『賞』を与えるのは、与えるべき『賞』を正しく与える為である。
『法』を定めた後、『法』を守る者は賞し、『法』を犯した者は罰す。
たとえ貴い身分であっても、刑罰を軽くしてはならない。
たとえ賤しい身分であっても、刑罰を重くしてはならない。
『法』を犯す者は、たとえ賢者であっても罰しなければならない。
『法』を守る者は、たとえ愚者であっても罰してはならない。
此れこそが、『法の下の平等』である。
※ 韓非【信賞必罰】【私怨不入公門】
【有術則制人 無術則制於人】
『術』が有れば、人を制御出来る。
『術』が無ければ、人に制御される。
※ 韓非【七術】
【智欲圓而行欲方】
『智恵』は、臨機応変に使うべきである。
『行動』は、厳格でなければならない。
【日慎一日】
昨日よりも今日、今日よりも明日。
一日一日を大切に生きなさい。
【以天下之目視 以天下之耳聽】
民と同じ目で見なさい。
民と同じ耳で聴きなさい。
そうでなければ、政など出来ない。
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●巻十〔繆称訓〕
【君子見過忘罰
故能諫
見賢忘賤
故能讓
見不足忘貧
故能施
情系於中
行形於外
凡行戴情
雖過無怨
不戴其情
雖忠來惡】
君子は主君の過ちを見て、主君を諫める事が出来る。
たとえ其れにより、己が罰せられようとも。
君子は賢人を見て、『謙譲の心』を持つ事が出来る。
たとえ其の賢人が、賤しい身分であったとしても。
君子は己が不足している事を見て、人に施す事が出来る。
たとえ己が貧しくとも。
『真心』は内に秘め、『行動』は表に表れる。
其の『行動』が『真心』より発せられたものであれば、たとえ其の『行動』が過ちであっても恨まれる事は無い。
しかし『真心』より発せられたものでなければ、憎まれる。
【凡人各賢其所說 而說其所快
世莫不舉賢 或以治 或以亂
非自遁
求同乎己者也
己未必得賢
而求與己同者 而欲得賢亦不幾矣】
人はそれぞれ己の寵愛する者を賢人とし、傍に置く事によって快感を得る。
いつの世でも賢人を用いて政は行われたが、其れにより世が治まったり乱れたりしたのは、己が優柔不断だったからではなく、己と同類の人間を求めたからである。
己が賢人でないにも拘わらず、己と同類の人間を求めて賢人を得ようと望んでも、真の賢人を得る事など出来はしない。
【聖人在上 則民樂其治
在下 則民慕其意
小人在上位
如寢關曝纊 不得須臾寧
故易曰
〚乘馬班如 泣血漣如〛
言小人處非其位 不可長也】
聖人が上にいれば、其の治世は民にとって楽しいものとなるであろう。
聖人が下にいれば、其の志は民にとって慕うものとなるであろう。
凡人が上にいれば、関門の上で寝たり、繭を日にさらす時の様に、戦々恐々として安心して過ごす事が出来ない。
故に『易経』には、こう書かれている。
〚馬に乗って無駄に彷徨えば、落馬して血の涙を流す事になる〛
凡人が分不相応の位にいれば、長続きしないと言う意味である。
【日不知夜 月不知昼】
太陽も月も、空を照らす。
しかし、太陽は夜を知らない。
月は、昼を知らない。
両方を兼ねる事は出来ない。
【有声之声不过百里
無声之声施于四海】
『思いやりの無い言葉』は、たとえ大きな声でも百里までしか届かない。
『思いやりの有る言葉』は、たとえ小さな声でも遠くまで伝わり広まる。
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●巻十一〔齊俗訓〕
【形殊性詭
所以為樂者 乃所以為哀
所以為安者 乃所以為危也
乃至天地之所覆載 日月之所昭誋
使各便其性 安其居 處其宜
為其能
故愚者有所修 智者有所不足】
『形体』や『性質』が異なれば、『楽しい』と思われるものが、他方では『哀しい』と思われる。
『安心』だとされるものが、他方では『危険』だとされる。
『天』を覆い『地』を支える所や『日』と『月』が照らす所とは、其処に住む人々にとって便利であり、安心して暮らせ、適切であり、各々の能力を発揮出来る所である。
故に愚者にも長所があり、賢者にも短所がある。
【各用之於其所適 施之於其所宜
即萬物一齊 而無由相過】
各々適する所に用いれば、宜しき所に施せば、万事うまくいく。
※ 【適材適所】
【物無貴賤
因其所貴而貴之 物無不貴也
因其所賤而賤之 物無不賤也】
万物に、貴賤など無い。
貴きものを貴べば、其れは『貴いもの』である。
賤しきものを賤しめば、其れは『賤しいもの』である。
【入其國者 從其俗】
其の国に入る者は、其の国の風習に従うべきである。
『我を通さず、他を理解し、協調するようにしなさい』
※ 【郷に入っては郷に従え】
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●巻十二〔道応訓〕
【太清問於無窮子曰
「子知道乎」
無窮子曰
「吾弗知道也」
又問于無為
「子知道乎」
無為曰
「吾知道」
「子之知道 亦有數乎」
無為曰
「吾知道有數」
曰
「其數奈何」
無為曰
「吾知道之可以弱 可以強
可以柔 可以剛
可以陰 可以陽
可以窈 可以明
可以包裹天地 可以應待無方
此吾所以知道之數也」】
太清、無窮に問う。
「お前は、『道』とは『何』か知っているか?」
無窮、曰く。
「私は、知らない」
太清、無為に問う。
「お前は、『道』とは『何』か知っているか?」
無為、曰く。
「私は、知っている」
太清、無為に問う。
「お前が『道』を知るには、何か秘訣が有るのか?」
無為、曰く。
「私が『道』を知るには、秘訣が有る」
太清、無為に問う。
「其れは、どの様な秘訣か?」
無為、曰く。
「『道』には『強弱』があり、『剛柔』があり、『陰陽』があり、
『明暗』があり、『天地』を覆い、『臨機応変』に対応する事が出来る。
私が『道』を知る事が出来たのは、此の事を知っているからだ」
※ 太清は、『三清(道教の神)』の一柱。
『三清』とは『元始天尊』『霊宝天尊(太上道君)』
『道徳天尊(太清。太上老君』の事である。
太清は『道徳天尊』『太上老君』の他、『混元老君』『降生天尊』
『太清大帝』とも言う。
※ 『無窮』とは、『無限』と言う意味。
『無為』とは、『ありのまま』と言う意味。
『無始』とは、『永遠』と言う意味。
【太清又問於無始曰
「郷者吾道於無窮」
無窮子曰
〚吾弗知之〛
又問于無為
無為曰
〚吾知道〛
曰
〚子之知道 亦有數乎〛
無為曰
〚吾知道有數〛
曰
〚其數奈何〛
無為曰
吾知道之可以弱 可以強
〚可以柔 可以剛
可以陰 可以陽
可以窈 可以明
可以包裹天地 可以應待無方
吾所以知道之數也〛
若是 則無為知與無窮之弗知
孰是孰非」
無始曰
「弗知之深 而知之淺
弗知內 而知之外
弗知精 而知之粗」】
太清、無始に問う。
「先程、私は〚『道』とは『何』か知っているか?〛と無窮に問うた。
無窮、曰く。
〚私は、知らない〛
私は、無為に問うた。
〚お前は、『道』とは『何』か知っているか?〛
無為、曰く。
〚私は、知っている〛
私は、更に無為に問うた。
〚お前が『道』を知るには、何か秘訣が有るのか?〛
無為、曰く。
〚私が『道』を知るには、秘訣が有る〛
私は、無為に問うた。
〚其れは、どの様な秘訣か?〛
無為、曰く。
〚『道』には『強弱』があり、『剛柔』があり、『陰陽』があり、
『明暗』があり、『天地』を覆い、『臨機応変』に対応する事が出来る。
私が『道』を知る事が出来たのは、此の事を知っているからだ〛
此の様であるが、無為が『知る』と答えた事と、無窮が『知らぬ』と答えた事、
どちらが正しいのか?」
無始、曰く。
「『知らぬ』は深く、『知る』は浅い。
『知らぬ』は内であり、『知る』は外である。
『知らぬ』は丁重であり、『知る』は粗略である」
【太清仰而歎曰
「然則不知乃知邪
知乃不知邪
孰知知之為弗知
弗知之為知邪」
無始曰
「道不可聞 聞而非也
道不可見 見而非也
道不可言 言而非也
孰知形之不形者乎」
故老子曰
〚天下皆知善之為善 斯不善也〛
故知者不言 言者不知也」】
太清は、『天』を仰いで呟いた。
「では『知らぬ』と言う意味は、『知らぬ』事を本当は『知っている』
と言う事か?
『知る』と言う意味は、本当は『知らぬ』事を『知っている』と言う事か?
誰が『知る』が『知らぬ』で、『知らぬ』が『知る』と判断出来るのか?」
無始、曰く。
「『道』は聞くべき事ではないから、聞けるものは『道』ではない。
『道』は見えるべき事ではないから、見えるものは『道』ではない。
『道』は言えるべき事ではないから、言えるものは『道』ではない。
誰が『形』有るものに、『形』が無いと知る事が出来るのか?
老子、曰く。
〚世の人々は皆『善』が何たるかを『知る』と言うが、
其れは真の『善』ではない〛
故に『知る』者は言わず、『知る』と言う者は本当は『知らぬ』のだ」
【石上不生五穀】
石の上には、五穀(米・麦・粟・黍・豆)は生えない。
『清廉潔白すぎると、人は敬遠する』
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●巻十三〔氾論訓〕
【百川異源 而皆歸于海
百家殊業 而皆務于治】
数多の川の源は異なるけれど、全て海へ帰る。
百家の説は異なるけれど、其の『願い』は世を治める事である。
方法が異なるだけであって、『想い』は同じである。
【夫人之情 莫不有所短
誠其大略是也 雖有小過 不足以為累
若其大略非也 雖有閭里之行 未足大舉】
人には、必ず短所がある。
大体が良ければ、小さな誤りなど気にする事は無い。
しかし大体が悪ければ、僅かな善行があったとしても重用すべきではない。
【小謹者無成功
訾行者不容于眾
體大者節疏
蹠距者舉遠
自古及今 五帝三王 未有能全其行者也
故易曰
〖小過亨 利貞〗
言人莫不有過
而不欲其大也】
小さな事を気にするような者には、大成は難しい。
孤高を貫く者は、衆人に受け容れられない。
身体の大きな者は、関節が長い。
足が大きい者は、遠くへ行く事が出来る。
古より今に至るまで、三皇(伏羲・神農・女媧)五帝(黄帝・顓頊・嚳・堯・舜)でさえも未だ其の行いが完璧であった事などない。
故に『易経』には、こう書かれている。
〖小さな過ちは仕方のない事である 誠実に生きていれば其れで良い〗
人には必ず過ちがある。
しかし、大きな過ちはあってはならない。
【君子不責備于一人
方正而不以割
廉直而不以切
博通而不以訾
文武而不以責
求于一人則任以人力
自修則以道德
責人以人力 易償也
自修以道德 難為也
難為則行高矣 償則求澹矣】
君子は、人に完璧である事を求めない。
自分が品行方正であるからと言って、他人を傷つける事はない。
自分が清廉潔白であるからと言って、他人を非難する事はない。
自分が博識であるからと言って、他人を愚弄する事はない。
自分が文武に優れているからと言って、他人を責める事はない。
人には分相応のものを求め、自らは『道徳』を以て身を修める事を課す。
人が分相応の事を行う事は為し易いが、自らが『道徳』を以て身を修める事は為し難い。
しかし為し難い事を自らに課していれば其の行動は高尚となり、人に為し易い事を課していれば要求は満たされる。
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●巻十四〔詮言訓〕
【自信者 不可以誹譽遷也
知足者 不可以勢利誘也
故通性情者 不務性之所無以為
通命之情者 不憂命之所無奈何
通于道者 物莫不足滑其調
詹何曰
〖未嘗聞身治而國亂者也〗
〖未嘗聞身亂而國治|者也《きかざるなり〗
矩不正 不可以為方
規不正 不可以為員
身者事之規矩也
未聞枉己而能正人者也
原天命 治心術 理好憎 適情性 則治道通矣
原天命 則不惑禍福
治心術 則不妄喜怒
理好憎 則不貪無用
適情性 則欲不過節
不惑禍福 則動靜循理
不妄喜怒 則賞罰不阿
不貪無用 則不以欲用害性
欲不過節 則養性知足
凡此四者 弗求於外 弗假於人 反己而得矣】
『自分を信じる者』は、世の中の評判に惑わされない。
『足るを知る者』は、権力や利欲に『心』は動かされない。
故に人の『本性』と言うものを知っている者は、『本性』が望んでいないものは求めない。
人の『運命』とは何であるかを知っている者は、抗う事の出来ない『運命』を受け容れる。
人の『道』に通ずる者に対して、どの様なものも其の和を乱す事は出来ない。
詹何曰く。
〖未だ嘗て、人徳者が治める国が乱れた事は無い〗
〖未だ嘗て、不徳者が治める国が治まった事は無い〗
定規が正しくなけれ、方形を作る事は出来ない。
円規が正しくなければ、円形を作る事は出来ない。
『人』こそが、『規矩(規則)』である。
己が曲がっているにも拘らず、人を正す事など出来ない。
天命に従い心術を修め、憎悪を制御し、感情を環境に適応させれば、人は『道』に通じる事が出来る。
天命に従えば、『不幸』や『幸福』に惑わされる事は無い。
心術を修めれば、妄りに喜んだり怒ったりしない。
憎悪を制御すれば、無暗に欲しようとはしない。
感情を環境に適応させれば、過欲を抑える事が出来る。
『不幸』や『幸福』に惑わされる事が無ければ、世の中の『道理』に適う。
妄りに喜んだり怒ったりしなければ、賞罰に偏りは無い。
無暗に欲しようとはしなければ、人の『本性』を害する事は無い。
過欲を抑える事が出来れば、『足るを知る』事が出来る。
此の四つは自分の外に求めず、他人に頼らず、自分を顧みて得るものである。
【天下不可以智為也
不可以慧識也
不可以事治也
不可以仁附也
不可以強勝也
五者皆人才也
德不盛 不能成一焉
德立則五無殆
五見則德無位矣
故得道則愚者有餘
失道則智者不足
渡水而無遊數 雖強必沉
有遊數 雖羸必遂
又況托於舟航之上乎】
天下は、『智(知識)』を以て為す事は出来ない。
天下は、『慧(知恵)』を以て識る事は出来ない。
天下は、『事(政)』を以て治める事は出来ない。
天下は、『仁(思いやり)』を以て服従させる事は出来ない。
天下は、『強(力)』を以て勝利を得る事は出来ない。
『智』『慧』『事』『仁』『強』此の五つは皆、人の『才能』である。
しかし『徳』が無ければ、此の五つの内一つとして成し遂げる事は出来ない。
『徳』があれば、此の五つは機能する。
但し此の五つのみであれば、『徳』は機能しない。
故に『道』を得れば、愚者と言えども此の五つを活かす事が出来る。
『道』を失えば、智者と言えども此の五つを活かす事が出来ない。
水の中を泳ぐ際、泳ぎ方を知らなければ仮令強くても溺れる。
泳ぎ方を知っていれば、弱くとも必ず泳ぎ切る事が出来る。
舟を漕ぐ際も、同様である。
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●巻十五〔兵略訓〕
【古之用兵者 非利土壤之廣而貪金玉之略
將以存亡繼絕 平天下之亂 而除萬民之害也
凡有血氣之蟲 含牙帶角 前爪後距
有角者觸 有齒者噬 有毒者螫 有蹄者趹
喜而相戲 怒而相害
天之性也
人有衣食之情
而物弗能足也
故群居雜處 分不均 求不澹則爭
爭則強脅弱 而勇侵怯
人無筋骨之強 爪牙之利
故割革而為甲 鑠鐵而為刃
貪昧饕餮之人 殘賊天下 萬人搔動 莫寧其所
有聖人勃然而起 乃討強暴 平亂世 夷險除穢
以濁為清 以危為寧
故不得不中絕】
古の時代、兵を用いたのは国土を拡げ、財宝を貪る為ではなかった。
将に滅亡しようとする国を存続させ、天下の乱を平定し、万民の害を取り除く為であった。
血の気の多い動物は牙が有り、頭には角が生えており、前足には爪、後ろ足には 蹴爪が有る。
角有る者は突き、歯有る者は噛み、毒有る者は刺し、蹄有る者は蹴る。
喜べば共に戯れ、怒れば危害を加える。
此れは、『本性』である。
人には、衣食に対する『欲』が在る。
しかし、其の『欲』を全て満たすだけの『モノ』は無い。
故に人は群れをなし雑居する際、分配に差があり己の『欲』が満たされなければ争いが起こる。
争えば強い者が弱い者を脅し、勇ましい者が臆病な者を脅かす。
人には強い筋骨も、牙も無い。
故に人は革を割いて鎧を作り、鉄を溶かして刃を作った。
悪人が此れ等を用いて天下に害をなすと、万人は逃げ惑い、安住する所を失う。
其の様な世を正す為、聖人は立ち、悪を討ち、乱を平定し、危険を除き、穢れを清らかにし、穏やかな世へと導いた。
故に、人類は絶滅しなかった。
【虎豹不外其爪 而噬不見齒】
猛獣は、爪や牙を表に出さない。
『本当に強い者は威を振るわず、能力をひけらかさない』
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●巻十六〔説山訓〕
【魄問於魂曰
「道何以為體」
曰
「以無有為體」
魄曰
「無有有形乎」
魂曰
「無有」
魄曰
「何得而聞也」
魂曰
「吾直有所遇之耳
視之無形 聽之無聲
謂之幽冥
幽冥者 所以喻道 而非道也」
魄曰
「吾聞得之矣
乃內視而自反也」
魂曰
「凡得道者 形不可得而見
名不可得而揚
今汝已有形名矣
何道之所能乎」
魄曰
「言者 獨何為者」
魂曰
「吾將反吾宗矣」
魄反顧 魂忽然不見
反而自存 亦以淪於無形矣】
魄は、魂に問うた。
「『道』とは、どの様な『形』をしているのか?」
魂、曰く。
「『無有』が、其の『形』である」
魄、曰く。
「『無有』には、『形』があるのか?」
魂、曰く。
「『形』は無い」
魄、曰く。
「『形』が無いのであれば、どうやって『形』が無い事を知るのか?」
魂、曰く。
「私は、『形』に会った事がある。
しかし見ようとしても『形』は無く、聴こうとしても『声』も無い。
此れを『幽冥』と言う。
『幽冥』とは、『道』を例える為の言葉であり、真の『道』では無い」
魄、曰く。
「心得た。
則ち『道』とは、己を省みる事を言うのか」
魂、曰く。
「『道』を『知る』者は、『道』を見る事も名を挙げる事も出来ない。
今、魄には『形』も『名』もある。
其れでは、『道』を知る事など出来ない」
魄、曰く。
「では魂よ。
貴方は一体何者なのか?」
魂、曰く。
「私は、そろそろ本来の自分に戻る」
魄が振り返ると、魂は忽然と消えた。
魄は自分を省みると確かに存在するが、『無形』の中にいた。
※ 『魄』とは、肉体を司る『陰の気』の事。
『魂』とは、精神を司る『陽の気』の事。
【先針而後縷 可以成帷】
針に糸を通して準備をしてから、少しずつ縫う事によって垂れ幕は出来る。
『何事も、準備と順番が重要である』
【知遠 而不知近】
遠くの事は良く知っているが、近くの事は知らない。
『他人の事ばかりを気にして、自分が見えていない』
【欲滅迹 而走雪中】
足跡を残さないようにする為に、雪の中を走る。
雪の中では、足跡は残る。
『思っている事と実際の行為が、一致していない』
【衆曲不容直】
曲がった容れ物の中に、真っ直ぐなものは入らない。
『堕落した世の中で、君子は生きてはいけない』
【不飮盗泉】
喉が渇いていても、『盗泉』と言う名の泉の水は決して飲まない。
『どれ程困窮していようとも、不正は行わない』
【掲斧入淵】
斧を持って、淵に入る。
斧は木を伐る為のものであって、淵で使うものではない。
『其の人の地位や仕事が、適正でない』
【執彈而招鳥弾】
はじき弓を持ちながら、鳥を呼び寄せる。
来るわけがない。
『方法に問題があれば、目的は達成出来ない』
【治國者若鎒田 去害苗者而巳】
国を治める事は、草を除く事と同じである。
雑草のみ除けば、苗は育つ。
『為政者は、国や民に害をなすものさえ取り除けば良い』
【山有猛獣 林木爲之不斬】
山に猛獣が棲んでいれば人は山に入ろうとせず、木は伐採される事はない。
『信頼でき頼れる人が傍にいれば、被害を避ける事が出来る』
【嘗一臠肉 知一鑊之味】
一切れの肉を食べて、料理全体の味を知る。
『一部を知って、全部を把握する』
※ 【一を聞いて十を知る】
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●巻十七〔説林訓〕
【矢疾 不過二里也
步之遲 百舍不休 千里可致
聖人處於陰 眾人處於陽
聖人行于水 眾人行於霜
異音者不可聽以一律
異形者不可合於一體】
矢が速く飛ぶと言っても、二里(約8キロメートル)を過ぎる事は無い。
歩く速度が遅くとも、百泊休みながらならば千里(約4千キロメートル)に到達する事が出来る。
聖人は『陰』に居て目立たず、衆人は『陽』に居るので目立つ。
聖人は水の中を歩くので跡を残さないが、衆人は霜の上を歩くので跡が残る。
異なった『音』は合奏しても、一つとならない。
異なった『形』は合体しても、一つとならない。
【見之明白 處之如玉石
見之暗晦 必留其謀
以天下之大 托於一人之才
譬若懸千鈞之重於木之一枝
負子而登牆 謂之不祥
為其一人隕而兩人傷
善舉事者 若乘舟而悲謌
一人唱而千人和
不能耕而欲黍粱
不能織而喜采裳
無事而求其功 難矣
有榮華者 必有憔悴
有羅紈者 必有麻蒯】
『見る』事が明白ならば、対処する時も玉石の如く美しい。
『見る』事が曖昧ならば、必ず躊躇する。
天下の大事を決める際、一人の才に託する事は、例えば極めて重い重石を一本の枝に掛ける様なものである。
子供を背負いながら垣根に登る事を『不祥』と言う。
もし一人が垣根から落ちれば、二人とも傷つくからである。
しかし【転禍為福】の理を知っている者は、船の上で悲しい歌を一人が歌えば千人が合唱する事を知っている。
耕す事が出来ないにも拘らず黍や粟などの穀物を欲し、織る事が出来ないにも拘らず色鮮やかな衣装を喜び、何もしていないにも拘わらず功績を求める事は難しい事である。
栄華があれば、必ず衰亡がある。
美しい絹の衣服があれば、麻で織られた粗末な衣服がある。
※ 【盛者必衰】【栄枯盛衰】【諸行無常】
【削足而適履 殺頭而便冠】
履物に合わせる為に足を削り、冠に合わせる為に頭を削ぐ。
※ 【本末転倒】
【舟覆乃見善游】
舟が転覆して初めて、誰が泳ぎが得意かが分かる。
『非常時にこそ、其の人の本当の能力が分かる』
【禍中有福也】
『不幸』の中にも、必ず『幸福』がある。
決して諦めてはならない。
【逐獸者 目不見太山
嗜欲在外 則明所蔽矣】
獣を追う者は、太山が目に入らない。
『欲に囚われていると、周りが見えなくなる』
【臨河而羨魚 不如結網】
河を見て魚が欲しいと考えるより、魚を捕る網を編んだ方が良い。
『先ずは努力しなさい』
【一目之羅 不可以得鳥】
網の目が一つでは、鳥を捕まえる事は出来ない。
幾つもの網の目が無ければ、鳥を捕まえる事は出来ない。
『何かを成し遂げる時、多くの人の協力が不可欠である。
一人で成し遂げられるものなど無い』
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●巻十八〔人間訓〕
【夫言出於口者 不可止於人
行發於邇者 不可禁於遠
事者難成而易敗也
名者難立而易廢也
千里之堤 以螻蟻之穴漏
百尋之屋 以突隙之煙焚
堯戒曰
〖戰戰慄栗 日慎一日〗
〖人莫蹪於山 而蹪於蛭〗
是故人皆輕小害 易微事 以多悔
患至而多後憂之
是猶病者已惓而索良醫也
雖有扁鵲俞跗之巧 猶不能生也】
一度発した『言葉』は、必ず人から人へと伝わる。
身近に起こった『出来事』も、遠くへと広がる。
『事』は成り難く、壊れ易い。
『名』は立ち難く、廃れ易い。
長い堤防も、螻蛄や蟻などの小さな虫の穴があれば崩れる。
広い建物も、煙突から漏れ出る火によって焼かれてしまう。
聖王である堯の訓戒には、こう書かれている。
〖常に恐怖心や不安を抱きながら、一日一日を慎重に生きよ〗
〖人は大きな山に躓く事は無いけれど、小さな蟻塚には躓く〗
故に人は小さな『禍』を軽んじ些細なものであると軽視する為、其の小さな『禍』が大きな『禍』になった時に後悔し、病が重くなってから心配する。
此れは、手の施しようがなくなってから良医を求める事と同じである。
名医である扁鵲や俞跗であっても、患者を救う事は出来ないであろう。
【夫禍之來也 人自生之
福之來也 人自成之
禍與福同門 利與害為鄰
非神聖人 莫之能分
凡人之舉事 莫不先以其知規慮揣度
而後敢以定謀
其或利或害
此愚智之所以異也
曉自然以為智知存亡之樞機禍福之門戶
舉而用之陷溺於難者不可勝計也
使知所為是者 事必可行
則天下無不達之途矣
是故知慮者禍福之門戶也
動靜者利害之樞機也
百事之變化 國家之治亂 待而後成
是故不溺于難者成
是故不可不慎也】
人が『禍』に遭うのは、人が自ら生み出しているからである。
人が『福』を得るのは、人が自ら招いているからである。
『禍福』は門を同じくし、『利害』は隣り合わせである。
神聖の人でなければ、此れ等を見分ける事は出来ない。
人が何かを成そうとする時、先ず己の『知識』を以て様々な事を考慮し、推察し、其の後に計画を立てる。
ある者は『利益』を得、ある者は『損失』を被る。
此れこそが、『知者』と『愚者』の違いである。
自分は『存亡の要』や『禍福の門戸』を知っていると思い込み、自らの『知恵』を以て解決策を見出そうとして、却って自分の策に溺れる者が沢山いる。
己の持ち得る全ての『知恵』を以て、諦めず必ず実行すれば、天下に達する事の出来ない『道』など無い。
故に『知恵』を働かせる事こそが、『禍福の門戸』を見分ける極意である。
『動静』を見極める事こそが、『利害の要』を見分ける極意である。
此れ等を修得すれば、全ての変化や国家の治乱にも対応する事が出来る。
故に『禍福』や『利害』を見分け、困難に飲まれない者が成功するのである。
故に、常に慎重でなければならないのである。
【天下有三危
少德而多寵 一危也
才下而位高 二危也
身無大功而受厚祿 三危也
故物或損之而益
或益之而損】
天下には、『三つの危うき事』がある。
〖一.人徳が少ないのに寵愛が多い事〗
〖二.才能が無いのに位が高い事〗
〖三.功績も無いのに高禄を食む事〗
物事には、『損』をして『益』を得る事がある。
また『益』を得た事により、『損』を招く事がある。
【有功者 人臣之所務也
有罪者 人臣之所辟也
或有功而見疑
或有罪而益信】
功績があって褒賞を得る事は、人臣の求める事である。
罪があって罰せられる事は、人臣が避けたい事である。
功績があっても、却って疑われる事がある。
罪があっても、信頼が増す事がある。
【聖王布德施惠 非求其報于百姓也
郊望褅嘗 非求福於鬼神也
山致其高 而雲起焉
水致其深 而蛟龍生焉
君子致其道 而福祿歸焉
夫有陰德者 必有陽報
有陰行者 必有昭名】
聖王が『徳』を積み恵みを施すのは、人々に見返りを求める為ではない。
天日月星辰山川を崇めるのは、鬼神に『福』を齎してもらいたいからではない。
山は、高さを極めて雲を生む。
水は、深さを極めて雨と共に『天』に昇る蛟龍を生む。
君子は、『道』を極めて『福禄』を得る。
陰ながら『徳』を積む者には、必ず『良い報い』がある。
陰ながら『善行』をする者は、必ず『名声』を得る。
※ 【陰徳陽報】【因果応報】
【義者人之大本也】
『義』は、人の根源である。
【聖人敬小慎微 動不失時】
聖人は、小さな事にも手を抜かないで慎重に行動する。
聖人は、機を逃さない。
【或直於辭而於事者】
言葉は正しいが、其の言葉が害を及ぼす事がある。
【巧不若拙】
技巧を凝らしたものは、時には稚拙なものよりも劣る。
『不器用でも、真っ直ぐな方が良い』
【人間万事塞翁馬】
何が『不幸』となるか、何が『幸福』となるかは、分からない。
『不幸』であっても、邁進しなければならない。
『幸福』であっても、慢心してはならない。
ただ、どれ程強くあろうと思っていても
辛い時は、辛い。
苦しい時は、苦しい。
悔しい時は、悔しい。
悲しい時は、悲しい。
痛い時は、痛い。
我慢しなくて良い。
一人で抱え込まず、『誰か』を頼れば良い。
『誰か』が必ず支えてくれる。
何も考えず泣けば良い。
思い切り泣けば良い。
そして、前に踏み出せば良い。
支えてくれる人達がいる限り、絶対に大丈夫だから。
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●巻十九〔脩務訓〕
【世俗廢衰 而非學者多
人性各有所修短
若魚之躍 若鵲之駁
此自然者 不可損益
吾以為不然
夫魚者躍 鵲者駁也 猶人馬之為人馬
筋骨形體 受於天 不可變
以此論之 則不類矣
夫馬之為草駒之時 跳躍揚蹄
翹尾而走 人不能制
齧咋足以噆肌碎骨
蹶蹄足以破顱陷匈
及至圉人擾之 良御教之
掩以衡扼 連以轡銜
則雖歷險超塹弗敢辭
故其形之為馬 馬不可化
其可駕御 教之所為也
馬聾蟲也
而可以通氣志
猶待教而成
又況人乎】
世の中が衰え廃ると、学問を誹る者が増える。
人の『本性』には、それぞれ『得意』『不得意』がある。
其れは魚が川の中で躍り、鵲の毛色が違うのと同じである。
自然の為す事には、人の力を加えようがない。
しかし、私は其れは違うと思う。
魚が川の中で踊り、鵲の毛色が違うのは、人は人であり、馬が馬であると言う事と同じである。
筋骨形体は『天』より授けられたものであり、変える事は出来ない。
此の事から論ずると、やはり人と馬は異類である。
馬が草原に放たれた時、馬は跳躍して蹄を上げ、尾を振りながら走る為、人は其れを止める事が出来ない。
其の様な馬がもし人を噛めば、肌を貫き骨まで砕き、馬の蹄で蹴られれば頭蓋骨を割り胸も潰す。
しかし馬飼が馬を飼い慣らし、御者が調教し、馬の首の後ろに横木を掛けて自由を奪い、手綱や首輪を付けると、馬は険しい道も歩き、堀をも越える。
故に馬の形態を変える事は出来ないが、人が馬を制御する事が出来るのは、人が調教した為である。
馬は、人の言葉を理解出来ない。
しかし、人と『心』を通わせる事は出来る。
『心』を通わす事が出来れば、馬は教えた通りに動く。
人も同じである。
【夫怯夫操利劍 擊則不能斷
刺則不能入
及至勇武攘卷一搗
則摺肋傷幹
為此棄干將鏌邪而以手戰
則悖矣
所謂言者 齊於眾而同於俗
今不稱九天之頂
則言黃泉之底
是兩末之端議
何可以公論乎】
臆病な者が鋭利な剣を手にして其の剣を打ち下ろしたとしても、断つ事は出来ない。
また刺したとしても、突き通す事は出来ない。
勇猛な者が拳で一打ちすれば、肋骨を折り背骨を傷つける事が出来る。
其の為、勇猛な者は名剣である干將や鏌邪を捨て素手で戦おうとする。
しかし此れは、『道理』に背いている。
いわゆる言論と言うものは、大衆と意を一にし、世俗と同調しなければならないものである。
今、『九天(九つに区分された天)』の頂について話したと思ったら、今度は『黄泉』の底について話す。
『九天』も『黄泉』も、真逆の事である。
真逆の事を話す事を、果たして世間一般の意見と言えようか?
【夫亭歴冬生 而人曰冬死
死者眾
薺麥夏死 人曰夏生
生者眾
江河之回曲 亦時有南北者
而人謂江河東流
攝提鎮星日月東行
而人謂星辰日月西移者
以大氐為本
胡人有知利者 而人謂之駤
越人有重遲者 而人謂之訬
以多者名之】
亭歴子(生薬)は冬に生じるけれど、人は〖草木は冬に枯れる〗と言う。
其れは、冬に枯れる草木が多いからである。
薺や麦は夏に枯れるけれど、人は〖草木は夏に生ずる〗と言う。
其れは、夏に生ずる草木が多いからである。
揚子江と黄河は曲がりながら流れ、また時には南北に流れる。
しかし、人は〖揚子江と黄河は東に流れる〗と言う。
北斗七星の柄の部分である三星や土星は東へ移動するが、人は〖星・太陽・月は西へ移る〗と言う。
其れらは、大多数の意見を基本とするからである。
胡人(西域人)の中にも理知的な者もいれば、感情的な者もいる。
越人(中国南部からベトナムの人々)の中にも緩慢な者もいれば、鋭敏な者もいる。
大多数の人々が〖そうだ〗と言うから、其れが基本となるのだ。
【若夫堯眉八彩
九竅通洞 而公正無私
一言而萬民齊
舜二瞳子
是謂重明
作事成法 出言成章
禹耳參漏 是謂大通
興利除害 疏河決江
文王四乳 是謂大仁
天下所歸 百姓所親
皋陶馬喙 是謂至信
決獄明白 察於人情
啓生於石 契生於卵
史皇產而能書 羿左臂修而善射
若此九賢者 千歲而一出
猶繼踵而生
今無五聖之天奉 四俊之才難
欲棄學而循性
是謂猶釋船欲蹍水也】
堯(五帝の一人)の眉は美しく整っており、九竅(身体にある九つの穴)は全て通っており、政は公正無私で、堯が一言声を発すれば万民が従った。
舜(五帝の一人)の眼球には二つの瞳が有り、此れを『重明』と言う。
事を為せば其れは『法』となり、言葉を発すれば其れは『格言』となった。
兎の耳には三つの穴があり、此れを『大通』と言う。
『利益』になる事を始め、『弊害』を取り除き、揚子江と黄河を通した。
文王には乳が四つあり、此れを『大仁』と言う。
天下は文王の許に集まり、まるで親の様に慕われた。
皋陶(堯や舜の時代の裁判官)は馬の様な口をしており、此れを『至信』と言う。
皋陶は公平に裁決し、裁判は『人情』を以て行われた。
啓(夏の王)は石より生まれ、契(殷の始祖神)は卵から生まれ、史皇(黄帝(五帝の一人)の史官)は生まれて直ぐに字を書く事が出来、 羿(堯の頃の弓の名人)は左腕が長く弓の名手であった。
彼ら九人の賢者は千年に一度しか生まれないが、次から次へと現れた。
『五聖(堯・舜・兎・文王・皋陶)』の様な『天性』や『四俊(啓・契・史皇・羿)』の様な『才能』も無いにも拘わらず、学ぶ事もせず『本性』のまま生きようとするのは、船を捨てて水上を歩くようなものである。
【夫純鉤 魚腸之始下型
擊則不能斷 刺則不能入
及加之以砥礪 摩其鋒鍔
則水斷龍舟 陸剸犀甲
明鏡之始下型 矇然未見形容
及其粉以玄錫 摩以白旃
鬢眉微豪 可得而察
夫學亦人之砥錫也
而謂學無益者 所以論之過】
宝剣である純鉤や魚腸も鋳型に流し込まれたばかりの時は、打ち下ろしても断つ事は出来ず、刺しても貫く事は出来ない。
しかし刀剣も砥石で磨けば水の中では長い船を断ち、陸では犀の革で作られた鎧を切る事が出来る。
また一点の曇りもない鏡が鋳型に流し込まれたばかりの時は、たとえ鏡であっても何も映さない。
しかし鏡を黒い錫の粉で磨き白い毛氈で擦れば、髪の毛や眉の細部まで映す事が出来る。
つまり学問も、人にとっては砥石の様なものである。
にも拘わらず学問に『利益』などないと言う者は、『根本』を知らない者である。
【劍持砥而後能利】
剣は、砥石で研ぐ事によって鋭利な剣となる。
人も同様に。
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●巻二十〔泰族訓〕
【昔者 五帝三王之蒞政施教
必用參五
何謂參五
仰取象於天 俯取度於地 中取法於人
乃立明堂之朝 行明堂之令
以調陰陽之氣 以和四時之節
以辟疾病之菑
俯視地理 以制度量
察陵陸水澤肥墽高下之宜
立事生財 以除饑寒之患
中考乎人德 以制禮樂
行仁義之道 以治人倫而除暴亂之禍
乃澄列金木水火土之性
故立父子之親而成家
別清濁五音六律相生之數
以立君臣之義而成國
察四時季孟之序
以立長幼之禮而成官
此之謂參
制君臣之義 父子之親 夫婦之辨
長幼之序 朋友之際
此之謂五】
古の時代、三皇五帝が人々を訓え導き世を治める為に必ず用いたものがある。
其れは、『参・五』である。
『参・五』とは、何か?
『天』を仰いで吉凶を占い、『地』を俯して地上を測定し、『天地』の間では『法』を定めた。
乃ち、三皇五帝は『天』を仰いで明堂(政務を行う宮殿)にて政令を発し、『陰陽』の気を調和して世の情勢に応じ『禍』を回避した。
また『地』に俯して地理を見て度量衡を制定し、丘陵や陸地や湿地の肥痩や高低を調べ、対策を講じて財を生み、人々を飢饉や寒気から守った。
『天地』の間では『人徳(品性)』を考慮して『礼楽(礼節と音楽)』を制定し、『仁義(仁愛と正義)の道』を行い、『人倫(秩序)』を治め、暴乱の『禍』を除いた。
つまり『参・五』の『参』とは、以下の三つである。
一.互いに影響を与え合う『金木水火土の性』の序列を明らかにし、
『父子の親』を立てて家を成す事。
二.『二音(「清音」「濁音」)』『五音(「宫」「商」「角」「徵」
「羽」)』『六律(「一.黄鐘」「二.大呂」「三.太簇」「四.夾鐘」
「五.姑洗」「六.仲呂」「七.蕤賓」「八.林鐘」「九.夷則」
「十.南呂」「十一.無射」「十二.応鐘」の内
六つの奇数の律(陽律))』の数を分け、
『君臣の義』を以て国を安定させる事。
三.世の情勢を把握し、『長幼の禮』を以て官職を任命する事。
また『君臣の義』『父子の親』『夫婦の辨』『長幼の序』『朋友の際』
此れを『参・五』の『五』と言う。
【乃裂地而州之 分職而治之
築城而居之 割宅而異之
分財而衣食之 立大學而教誨之
夙興夜寐而勞力之
此治之綱紀也
然得其人則舉
失其人則廢】
乃ち、土地を分けて州を置く。
人々に、職を与えて従事させる。
人々に、個別の居住地を与えて財貨を渡す。
人々が、安心して生活出来る環境を整える。
大学を設立して、人々を教育する。
早寝早起きをして、人々に此れらに勤しむ様にさせる。
此れが、国を治める『法則』である。
しかし『人』を得る事が出来れば成功するが、得る事が出来なければ失敗する。
結局、『人』次第である。
【天地之道 極則反 盈則損】
春が来て、夏が来て、秋が来て、冬が来て、そして再び春が来る。
月は満つれば『十六夜』となり、『下弦の月』となり、『明けの三日月』となり、そして再び『新月』となる。
極まれば返り、満つれば欠ける。
【寸而度之 至丈必差】
大きなものを一寸(約3cm)ずつ測っていくと少しずつ誤差が溜まり、一丈(約3m)になった時に其の誤差は大きな誤差となる。
『モノを測る時は、適したもので測らなければならない』
【貴冠履 而忘頭足也】
冠や履物を『主』にして、頭と足を『従』とする。
本来であれば頭と足が『主』であり、冠や履物が『従』である。
『大切なものを忘れ、些末なものを大事にする』
【守一隅而遺萬方】
四隅の内一隅をのみ守って、四方を忘れる。
『小さな事に固執して、大局を失う』
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●巻二十一〔要略〕
【文王欲以卑弱制強暴
以為天下去殘除賊而成王道
故太公之謀生焉】
文王は卑弱であったが、狂暴なる殷の紂王を制した。
文王は天下の為に残賊を退け、『王道』を以て国を治めようとした。
故に、『太公の謀』が生まれた。
【孔子修成康之道 述周公之訓
以教七十子 使服其衣冠
修其篇籍
故儒者之學生焉】
孔子は『成康の治』と謳われた周の成王と康王の『道』を修め、成王の摂政であった周公旦の『訓え』を述べ、七十人の弟子を『訓え』、衣冠を身に付け、弟子達に儒学の書を学ばせた。
故に、『儒者の学』が生まれた。
【燒不暇撌 濡不給扢
死陵者葬陵 死澤者葬澤
故節財薄葬
閑服生焉】
降り懸かる火の粉を振り払う暇も無く、掛かった水を拭う暇も無く、丘で死んだ者を丘に葬り、川で死んだ者は川に葬った。
故に、『節財(節約)』『薄葬(埋葬の簡略化)』『閑服(喪に服す期間の短縮化)』が生まれた。
【桓公憂中國之患 苦夷狄之亂
欲以存亡繼絕 崇天子之位
廣文武之業
故管子之書生焉】
斉の桓公は国の運命を憂い、夷狄の乱に苦しみながらも、存亡が危ぶまれる国を継ぎ、天子を敬い、文武の業を広めようとした。
故に、『管子の書』が生まれた。
【齊景公內好聲色 外好狗馬
獵射亡歸 好色無辨
作為路寢之台 族鑄大鍾
撞之庭下 郊雉皆呴
一朝用三千鍾贛
梁丘據子家噲導於左右
故晏子之諫生焉】
斉の景公は内では音楽と女性に溺れ、外では犬馬を好み、帰る事を忘れるほど狩猟に熱中し、好色で思慮分別のない人物であった。
正殿を築いた時、景公は国中の銅を集めて大鐘を鋳造させた。
出来上がった大鐘を庭で撞いたところ、其の音は遠くまで響き渡った。
遠くに居た雉までも其の音に気付き、一斉に鳴いた。
喜んだ景公は、僅かな間に三千鍾もの褒賞を与えた。
梁丘據と子家噲は其れを止める事無く、寧ろ勧めた。
故に、『晏子の諫』が生まれた。
【晚世之時 六國諸侯
溪異谷別 水絕山隔
各自治其境內 守其分地
握其權柄 擅其政令
下無方伯 上無天子
力征爭權 勝者為右
恃連與國 約重致
剖信符 結遠援
以守其國家 持其社稷
故縱橫修短生焉】
近頃、六国(燕・趙・楚・韓・魏・斉)の諸侯は渓谷や山河を境に各々の領地を治めて其の地を守り、権力を掌握して自ら政令を発布する。
最早、諸侯天子の区別はなく、武力を以て争い合い、戦の勝者こそが上に立つ者とされる。
他国と同盟を結び、財貨を約し、通行手形を発行して遠国との往来を容易くし、国を守り、社稷(土地神と五穀の神。国家)を得ようとする。
故に、『縱橫修短』が生まれた。
【韓晉別國也
地墽民險 而介於大國之間
晉國之故禮未滅 韓國之新法重出
先君之令未收 後君之令又下
新故相反 前後相繆
百官背亂 不知所用
故刑名之書生焉】
韓は、晋から分かれた国である。
韓の土地は荒れ、民は困難な生活を強いられており、大国に挟まれている。
しかも晋の政令は未だに残ったままであるにも拘らず、新しい政令が発布される為、新旧の政令が相反し、前後の政令が乱れ、多くの役人は混乱し、韓は為す術がなかった。
故に、『刑名の書』が生まれた。
【秦國之俗 貪狼強力
寡義而趨利 可威以刑
而不可化以善
可勸以賞 而不可厲以名
被險而帶河 四塞以為固
地利形便 畜積殷富
孝公欲以虎狼之勢而吞諸侯
故商鞅之法生焉】
秦の風俗は貪欲であり、強力である。
『義』を重んじず『利』に走るので、『刑罰』で以て人を抑制する事は出来ても『善』で以て人を教化する事は出来ない。
『褒賞』で以て人を鼓舞する事は出来るが、『名誉』を以て人を激励する事は出来ない。
秦の四方は険しい自然に囲まれており、黄河が流れていて、地形の利便性も高く、蓄えも豊富であった。
其の為、孝公は虎狼の欲の如く諸侯を飲み込もうとした。
故に、『商鞅の法』が生まれた。
【言道而不言事 則無以與世浮沈
言事而不言道 則無以與化游息】
『道(理想)』だけ述べて『事(現実)』を述べなければ、世俗では生きていけない。
『事(現実)』だけ述べて『道(理想)』を述べなければ、安らぐ事は出来ない。
『理想』と『現実』、どちらも大切である。
【若劉氏之書 觀天地之象
通古今之事 權事而立制
度形而施宜 原道之心
合三王之風 以儲與扈冶玄眇之中
精搖靡覽 棄其畛挈
斟其淑靜 以統天下
理萬物 應變化 通殊類
非循一跡之路 守一隅之指
拘系牽連之物 而不與世推移也
故置之尋常而不塞
布之天下而不窕】
〖淮南子〗は、我々に『天地のカタチ』を観て古今の事に通じる事を訓えてくれる。
〖淮南子〗は、我々に『事』に応じて『法』を制定する事を訓えてくれる。
〖淮南子〗は、我々に『形』に応じて『道』の境地を目指す事を訓えてくれる。
〖淮南子〗は、我々に三王(夏の禹王・殷の湯王・周の文王)の様に『虚无渺茫(空虚で広く遥か遠く)』の中で逍遥する(思いのままに歩く)事を訓えてくれる。
〖淮南子〗は其れらが、精進し、驕らず、汚濁を棄て、清澄を以て天下を統べ、万物の『理』を知り、変化に応じ、多くの『モノコト』に通じていると言う事を訓えてくれる。
〖淮南子〗は唯一人の足跡を追い、唯一つの訓えを守り、『モノコト』に拘り、世の推移を無視するような書物ではない。
故に〖淮南子〗は狭い世界でも、広大な世界でも受け入れられる書物なのである。
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『淮南子』は様々な思想を尊重し、ありのままを受け容れ、認め、それぞれの個性を重んじた。
『淮南子』は全ての思想を単に残しただけではなく、其れらを折衷・和合・融合し、変化・発展・昇華させた。
『淮南子』は、建設的である。
『淮南子』は、合理的である。
『淮南子』は、論理的である。
『淮南子』は、理想的である。
『淮南子』は、現実的である。
『淮南子』は、神話的である。
『淮南子』は、世俗的である。
『淮南子』は、伝統的である。
『淮南子』は、革新的である。
『淮南子』は、形而上的である。
『淮南子』は、形而下的である。
『淮南子』は、普遍的である。
『淮南子』は、特殊的である。
『淮南子』は、不変的である。
『淮南子』は、可変的である。
『淮南子』は、思想的である。
『淮南子』は、内省的である。
『淮南子』は、正統的である。
『淮南子』は、変則的である。
『淮南子』は、主観的である。
『淮南子』は、客観的である。
『淮南子』は、根本的である。
『淮南子』は、個性的である。
『淮南子』は、統一的である。
『淮南子』は、不統一である。
『淮南子』は、単純である。
『淮南子』は、複雑である。
『淮南子』は、斉一である。
『淮南子』は、雑多である。
『淮南子』には、矛盾がある。
『淮南子』には、多様性がある。
『淮南子』は、自由である。
其れが、劉安が本当に伝えたい事だったのではないだろうか?
其れが、〚真実〛なのではないだろうか?
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〖参考文献〗
金谷治 『淮南子の思想』(1992年)講談社
楠山春樹 著 ・ 本田千恵子 編 『新書漢文大系24 淮南子』
(2007年)明治書院
小南一郎『楚辞』(2021年)岩波書店
鳥山石燕『鳥山石燕 画図百鬼夜行全画集』(2005年)角川ソフィア文庫
諸橋轍次『中国古典名言事典』(1979年)講談社学術文庫