発端の動機
第十三章 暴かれる動機の火曜日
火曜日の朝、麻斗と長谷井は二人で伊豆龍三郎の元を訪ねた。
「また君たちか、入りなさい。
緊急記者会見は見たよ。それほどの意思があるのなら私の知っていることを全て話そう」
所員に応接室に近寄ってはならないと言い渡すと、龍三郎は部屋のエアコンをつけ、革張りのソファーに腰を下ろした。
「さて、まずこれを外さなければな」
そう言っておもむろに左襟の弁護士バッジを外す。
「気にしないでくれたまえ、いつか事実を話さなければならないと思っていたんだ。
これをつけている間はやはり私も、厳粛なる法の下、秘密を守る義務がある。 そう思えてね。
今日限りこのバッジを返上し、引退することにしよう」
「それほどまでの、何かがあるということですか?
教えてください、須々木雅道氏と香月について」
麻斗は頭を下げた。
気位の高い麻斗が頭を下げるなんてあまりない珍事だが、それほど本気なのだと同時に理解した。
「その前に君たちがつかんだ話を聞かせてくれないか?
君たちの事実と、私の事実揃ってかみ合わせないと、おそらくよくわからないはずだからね」
麻斗と長谷井は知りえた事柄を大まかに話した。
香月の生い立ち、親友の死、金糸雀館という塾に集められ実験されていた子供たち、謎の村。
「なるほど、君たちはそこまで事実を掴んでいたか。
では私も知っていることを話さなければならないね。
そう、私が須々木雅道氏と出会ったのは、私が司法書士として師の法律事務所で働きだした二十三の時だった……」
大学を卒業したばかりで、行政書士の仕事も満足にできない私に師が友人だと言って紹介してくれたのが、年度末の早春のことだった。
「伊豆君紹介するよ。 須々木雅道君、医師をしていてね。
妻が病院でお世話になっていてね。
そのつながりで仲良くなったんだ」
にこにこと人のよさそうな笑みを浮かべて師は、爽やかな切れ長の目をしたスラッとした背高の好男性、当時三十六歳の雅道氏を紹介してくれた。 それから雅道氏との親交が始まった。
頭がよく、勉強熱心な彼に、憧憬を抱くのは時間の問題だった。
大病院に勤め、確かな腕を持ち、患者からも絶大な人気を誇る彼は一見して奢ることなく、謙虚に一医師の地位に甘んじていた。
しかし彼の本質を見抜いている人はその時点ではまだいなかった。
その頃、師の奥さんは妊娠していたが、体が弱く病弱だったので雅道氏の担当患者として個室にいた。
私は師のかわりに、お見舞いになんども通った。
違和感を覚えたのは産婦人科の入院棟に行った時からだ。
師の奥さん木川菜月さんの病室に、私がいるといつも決まって雅道氏と同じ看護婦がいた。
そして菜月さんからある日こんな相談を持ちかけられた。
「ねえ、伊豆君。 あなたから主人にお願いしてほしいのだけど、その……内科の担当医を替えてもらえないかしら?」
「どうしてですか?」
「なにか、最近須々木先生の笑顔が怖くて……。
まるで蛇に睨まれているような、そんな気分になって滅入るのよ。
それに触診といって触られるのも正直好きじゃないわ。
ねえ、お願いよ。 あの人に言ってもらえない?
もう三か月も会ってないのよ?
あなたを寄越すことはできるのに、何故うちの人は来られないの? 正直、不安なのよ」
取りすがるような菜月さんの訴えに、私は頷いて、当然このことを師にこのことを話した。
だが、師は一蹴した。
「馬鹿馬鹿しい。 あいつはいいやつだ。
妊娠から出産まで女は不安になると言うじゃないか。
おそらくあいつも初産だから不安なだけだろう。
確かになかなか行ってやれないのは悪かったかもしれないな。
だが、その代わりに再三お前を遣いにやって、不自由ない暮らしをさせているじゃないか。
全く、あいつも母親になるならしっかりしてもらわないとな」
師はいつからか人が変わったように、奥さんには冷たくなり、変わりに愛人を家に連れ込むようになっていた。
それはそうかもしれない、敏腕弁護士として名声を手にし、普通なら金も有り余るほどの暮らしなのに、妻はというと病弱で病院代が絶えない。
貧乏なところから上にのし上がった人だからこそ、金に固執し、名声に目が眩んだのかも知れないな。
だが、師の変化は劇的としかいいようのないもので、仕事ぶりは変わらなかったが、人目を忍んで火遊びに興じるようなことが、日増しに増えて行った。
そして長女がまもなく誕生した。
結局、雅道氏が菜月さんの担当医から外されることはなかった。
退院してまもなく、菜月さんは姿を消した。
師はまるで見向きもしないように仕事に打ち込む代わりに、私に菜月さんの捜索を依頼した。
世間体のためだと知って、菜月さんに同情したよ。
探すのに一年かかった。
S県の南端の小さな漁港に下宿しながら働いていた。
私が行った時、菜月さんは驚いたが、師が探してくれていると知って喜んでいた。 後悔に囚われたねぇ。
全く、菜月さんは夫である師の事を愛していたんだ。
彼女を見つけなければよかった。
今でもそう思いかえしてしまう。
そのことを師に知らせて、私は見ないふりを決め込んだ。
師はね、疑っていたんだよ。
あろうことか私と菜月さんの関係をね。
まだ若造とはいえ、一応大学まで出たんだ。
高度経済成長期、日本はがむしゃらに働き、経済もそれなりについてきた。 掴もうとすればチャンスはあった時代だ。
溺れる者は藁をもつかむ。
その心意気と努力さえ認められれば、階段を上がれるときだったと思っている。 年をとっていく自分と私を比較したみたいだ。
唆した張本人は他ならぬ雅道氏だった。
師の元に帰った菜月さんは間もなく離婚した。
愛人に正妻の座まで奪われた、彼女の覚えた屈辱感はたまらなかったと思う。
さらに私との不貞を疑われたとショックも受けていたようだった。
その時すでに雅道氏はT町に移り住んで、市役所近くの病院の非常勤医師として働いていた。
表向きはね。
実際には君たちが訪れた、村というところの研究員として、研究と実験を繰り返していたようだった。
師からすべての企てが、雅道氏であることを知った菜月さんは雅道氏と対峙すべく村に行ったよ。
実は私もその場にいたんだ。
菜月さんにこっそりついてきてほしいと頼まれてね。
娘さんの親権は菜月さんにはいかなかった。
そもそも勝手に家を飛び出して子供を連れて行った事と。
子供一人育てられるだけの経済能力がなかったからね。 師は娘には愛情を持っているのかと思った。
が、それが間違いだったということを私は痛感したよ。
娘さんは間も無く雅道氏の養女として引き取られたんだ。
それからの雅道氏は狂ったようにこの事実を闇に葬ったよ。
手段なんて選んで無かった。
一町医者になってからも、その腕の確かさは衰えてなかった雅道氏は確実に、じわじわと滴る水が岩を穿つように、市の要職者たちの担当医になり、言う事を聞かせて行った。
人心掌握術とでもいうのかね。
彼は生まれつきそれに長けていたよ。
そこまで話して龍三郎は一息いれた。
「あの……その養女ってまさか」
「そう、香月さんの母親の君野さんだよ。
この事実は君野さんにも話してない。
まぁもっとも香月さんは、雅道氏と暮らしていた期間が長いだけに肌で感じ取ったようだがね。
全く不幸としかいいようのないことだよ」
「ということは、香月と雅道氏は……」
「麻斗君の推測通りだ。 二人に血縁関係ではない」
「それで、村に行ってどうされたんですか?」
「ああ、雅道氏と菜月さんは対峙してしばらく話をしていたよ。
しかし、しばらくして菜月さんが何か叫んで、かねてより降っていた雨のせいか。 はたまた話していた場所が悪かったのか、菜月さんは不幸にも命を落とした。
そして四十一年彼との付き合いは続いた。
今から十四年前、雅道氏から話があると呼び出された」
再び龍三郎の回想が始まった。
十四年前の夏、この事務所に雅道氏はやってきた。
「久しぶりだね、龍三郎。 私もこの通り老いぼれだよ」
いつになく演技クサく、明るくふるまった雅道氏に不信感を持つ私に気にせず、彼は続けた。
「君に頼みたいことがある。 私に財産がかなりあるのは知っているだろう? その財産管理と遺言状の政策を依頼したい。
もちろん金は払う」
すっかり年を感じさせる白髪と、皺が刻まれた顔はそれでもやはり、好男子然とていた。
「それで、内容は?」
分厚い手帳を開いて、私は記述を始めた。
「私は間も無く死ぬからな。
一つ、遺産はこれからいう合言葉を言ったものに全てを譲る。
これは何に於いても優先させてくれ、合言葉の正誤の判断は君に任せるよ。 そしてもう一つ。
香月が大学卒業し、就職するまでの生活資金、授業料、教科書代等の必要経費の資金を援助を私の遺産からすること。
親族への遺産の分配は最低限にしてくれ、そうだな骨董品や、絵画などの価値あるモノをやってくれ。
まぁ、これくらいだろう」
「それで、合言葉とは?」
「『神の遺産は復活の道標に』というところかな?」
「ふむ、わかったよ。 遺言状は作成しておこう。
あとあとの面倒事も、全部かぶってやるさ」
「頼んだぞ。龍三郎」
「ああ、わかった」
そしてその一年後、雅道氏は亡くなった。享年七十六歳だった。
「それで今、その遺産は椎野さんに転がり込んだ。
しかし、その椎野と言う人物は何者なんです?」
長谷井が疑問を口にする。
確かに麻斗達の結婚式、香月の招待客側にもいなかった。
「遠縁の親類縁者なんでしょうか?」
「いや、そこが私にもさっぱりわからなくてね。
妙だと言えば妙な話なんだ。
なんというか……不気味でね。 まるで人を食ったような性格は雅道氏にそっくりだったよ。
彼は正しく合言葉を言ってのけたよ。
それまで親族の誰もが当てることができなかった、その言葉をね。
そして私は雅道氏の希望通りに、彼に財産を渡した」
「なるほど。 そんな理由が……。
しかし、合言葉の意味が分からないんですが、どういった意味なんでしょう?」
少し考えるような素振りをして、龍三郎は口を開いた。
「推測でしかないが、その村で雅道氏が行っていた研究の内容ではないかと思う。 なんだか不気味な村でね。
気味が悪いし、挙句に人が見当たらなかった」
「君野さんの育ての母は?」
「彼女は雅道氏の病院の看護師だった。 菜月さんが出産してからすぐに雅道氏と結婚して、君野さんを引き取って育てたんだ。
一体なんのために、君野さんにこだわったのかわからないが、雅道氏はすこし……、いや、かなり常軌を逸していたと思うよ」
ブブブブブ、ブブブブブ……。
携帯のバイブレータが鳴って、長谷井がジャケットのポケットから携帯を取出しディスプレイを見る。
「すいません、少し席を外します」
そう言って急いで立ち上がると、長谷井は部屋の外に出て行った。
「麻斗君、長谷井さんの手前言わなかったことだが、実は隠していたことが一つある。 それは椎野と言う男もまた、香月さんの身柄を狙っているということだ。
私にはその執着が、雅道と同質の物と感じられて仕方なくてね。
正直背筋がぞっとしてしょうがない。
まるで―」
「まるで?」
「おかしな話だが、まるで、雅道が他人の体を乗っ取って、蘇ったようなんだよ」
そう龍三郎が言ったその後に、また軽くノックがあり、今度は長谷井が帰ってきた。
「すみません、病院からでした。 『例の物』の解析ができたそうです」
「そうか、それじゃあそこに行くとするか。
いつも突然ですみません。また何かあったら来るかもしれませんが、よろしくお願いします」
「ああ、私は今日限りで引退するから家の方が落ち着くだろう。
また来たまえ」
「ありがとうございます。では失礼します」
「失礼します」
麻斗と長谷井はお辞儀をして、法律事務所を後にした。




