最終章
時間にしたら短いのかもしれない。
だって、一年の中の一二分の一、つまり一ヶ月という期間だったんだから。
周りの人からしたらとても短い時間だと思われても仕方ないと思う。
だけど、その短い時間を僕、いや僕たちにとっては一生忘れることが出来ない、決して大きくはないけれど、大切な思い出が詰まっているんだ。
この街に来て。
おばあちゃんと最初から嫌な雰囲気で過ごし始めたあの頃。
綾女さんの――《綾子さん》のことを聞いて、僕は綾女さんと会うことが出来た。その時はパニックに陥っていて危うく死にそうになってしまった。そこを綾女さんに助けてもらったのが始まり。
僕はまだその頃、人に恐怖心というか、何もかも疑う癖があった。あの頃は《症状》って言っていたけれど、もうそんなことにはならない。
そして僕が積極的に治したいと思ったから、治すことが出来たんだ。
我流さんはそれを手助けしてくれた。
あの人は今でも僕にとって尊敬できる人だ。
また彼はこの街から出て行って、世界各地に伝わる伝承などを研究して《気》についてもっと理解を深めるのだと言った。そうすることでもう二度と綾女さんのような人を出すことなく、街を安全な暮らしが出来るようにしたいと僕に聞かせてくれた。
やっぱりあの人は超人だ。
僕たちとは違う世界の人間だ。
でも、それでもあの人は尊敬できるんだ。
「好きですっ!」
「ちょっと僕には……」
学校での生活もだんだんと良くなっていると僕は思っている。七海が忙しく僕のことを話題に上げていくうちに、僕自身についてなんにも話していないのに他クラスの生徒から僕のことで話をされたり、まさかのまさか、先輩から告白されることまであった。でも、先輩同級生とか関係はないんだけど、さすがに僕は男性とお付き合いするのには躊躇いがあった。
でも、ようやく学校に馴染められるようになってから、学校が楽しくなった。
その変化を感じられることが嬉しい。
たまに野球部の友達から守備の練習を教えて欲しいと言われることがある。どこから情報が漏れているのかわかるけれど、元々野球をするのは好きだったから快く僕は練習に付き合った。ただ、ショートを守っていたと言ってもさすがにブランクはあるのだから、ちょっと手こずるところはいくつかあった。
その様子を見ていた野球部の監督が僕を誘ったのだけれど、丁重に断った。
まだ僕は野球をする資格はないと思った。
まだ引きずっているんだ、あの時のことを。
元々協調性がないから、そちらの問題も残っている。
それらを克服しなければ僕は九人とそしてベンチのメンバーでやるこの競技には足を踏み入れてはいけないと思う。やるのであれば、こういう友達とのお遊び感覚くらいだ。徐々にだけれど、やりたい気持ちはあるからやる可能性はなくはないんだ。
そして僕は毎日ここへと通っている。
大きな木があった、この場所に。
そこにあったはずの木はすでにない。
綾女さんと一緒に天へと昇っていったんだ。
僕は目を瞑って、手を合わせる。
あまりこういうことをするのは好きになれないのだけれど、やはりやっておくべきなのかなと曖昧な気持ちでやっている。
なんというか、綾女さんはいつも見守ってくれているのだから、僕も天を仰げば彼女を想うことが出来るんだ。だからあまりやらなくても良いんじゃないかと思ってしまう。
そして僕は草原に寝っ転がる。
夏が近づき、セミが鳴き始める頃。
今でも僕はこうして毎日を過ごしている。
永遠に続くと思っていた毎日は終わりを告げて、こうして季節の変わり目に僕たちは立っている。
いつまでも続くことはない。
確かに季節は、景色は変わっていく。
それでも忘れることはない。
綾女さんといた短い間のことを。
僕は確かに変わった。
この街に引っ越してきたことが僕には幸運だった。
綾女さんは僕がこの街に来てくれたことが幸運だと言っていたけれど、僕はあなたに会えたことが幸運だったんだ。
僕は太陽に手を伸ばす。
「……綾女さん」
『何?』
すぐそばから声が聞こえてくる。
それは綾女さんのものだった。
だけれど、彼女はもうここにいない。
これは僕が勝手に頭の中で作り出した幻聴なんだ。
「いつまでも綾女さんは僕を、僕たちを見ていてくれるだよね?」
『えぇ、ずっとね』
優しく包み込んでくれるような感覚。
ずっと僕はそれを感じていたかった。
「永遠に?」
『永遠に』
僕は目をつぶり安心して寝ようとする。
だけど、ひとつだけ聞いておきたいことがあった。
「そっちに行ったら……、綾女さんに会えるかな?」
ふと、思ったことを口にしてしまった瞬間、僕はハッとなる。
どんなに別れが辛かったとしても、いつまでも僕たちは繋がっているんだ。
わざわざすぐにでも行かなくて良いんだ。
そのうち会えるんだ。
いつか、きっと。
心の中で気持ちを整理した時。
「……?」
僕は立ち上がって、以前まで桜の木があった元へと向かう。
跡形もなくなってしまった木。
黒く焼けてしまった土を見ると、ここにはもう雑草すら生えてこないのではないかと思ってしまう。
だけど。
命というのは大きい。
「あぁ……」
僕はしゃがみこんで、それを見た。
黒く染められた闇の中でも、一つの光が現れていた。
決して大きくはないけれど、小さな芽が顔を出していた。
小さな光は徐々に、長い時間をかけて、大きな光へと変えていくはずだ。
いつの間にか僕は涙を流していた。
これが。
これが綾女さんが言っていた《嬉しい涙》なのかもしれない。
その一滴の涙は大地へと落ち、広がっていく。
その涙はいずれ、この命の糧となる。
僕は見守る。
見守り続けるんだ。
雨にも、風にも負けない、そんな大きな存在へと成長していくのを。
そして僕は青く澄み切った空へと顔を向ける。
口を開けて呟く。
「ありがとう、綾女さん」
《完結》
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