学堂にて
学堂にて
ヒタチでの鮮烈な日々から数年ののち。飛鳥へと帰還した入鹿とナカの皇子は、国政の最高峰の学び舎である学堂に通っている。
そこは新羅や百済、そして唐から帰国した留学僧たちが最新の大陸の思想や法度を講じる場であり、ヤマトの次世代を担う才子たちが集う場所でもあった。
「――唐の律令の本質は、血筋の尊卑にあらず。均田制による民の掌握と、それを支える厳格な税制にあり」
講義の最中、最前列で誰よりも熱心に筆を走らせているのはナカの皇子であった。
東国で入鹿の鮮やかな実務能力を目の当たりにし、純粋な憧れを抱いてついてきた皇子は、飛鳥に来ててからも狂おしいほどの情熱で学び続ける。入鹿の隣に立ち、あの眩しい手腕を自分も身につけたい――その純粋な渇望が、彼を突き動かしている。
「皇子、少し筆が走りすぎておりますよ。大陸の法をそのままヤマトに当てはめようとしても、古い豪族たちの猛反発を招き、国が乱れます。」
隣の席から、入鹿が小さく苦笑しながら声をかける。
「分かっている。だが入鹿、そなたが彼の地で土師の者たちと見せてくれた水田の変革、あれこそがこの律令の言う民の掌握そのものではないか。私はあの衝撃が忘れられぬのだ。東国はまだ広い私はそれを変えたいのだ。」
皇子が真っ直ぐな瞳を向けると、入鹿は一瞬気恥ずかしそうに視線を外したが、その口元には確かな信頼の笑みが浮かんでいた。
学堂での二人は、時に激しく議論を戦わせ、時に渡来人の持ってきた書物を夜通し読み明かす無二の友であった。
入鹿が代々受け継がれるイズモの智慧を披瀝すれば、ナカの皇子ももとよりの聡明さを発揮し、それを法制度や組織の仕組みへと落とし込む才覚を開花させていく。入鹿の背中を追っていた少年は、いつしか学僧たちをも驚かせるほどの知謀の器へと成長しつつあった。
ある時、飛鳥近郊の治水事業を巡り、古い豪族たちが「神の祟りがある」「伝統の祭祀を優先すべきだ」と工事を滞らせる事件が起きた。かつてなら武力で脅すか、祈祷で収めるしかなかった泥沼の局面の打開に駆り出される二人。
学堂で学んだ新たな賦役の仕組みを用いて、民に対価を渡すことで、不満を抑えてみせる。武力でも祭祀でもない。実務と法による、新たな手法による解決。
堤防の上に立ち、新しく通った水路を見つめながら、皇子は入鹿を振り返った。
「私も少しは成長できただろうか。」
誇らしげに胸を張る皇子の姿は、東国の地で羨望の眼差しを向けていたあの頃よりも、遥かに大きく、頼もしくなっていた。二人の若き才は、ヤマトの未来を明るく照らす光であるかのように見えていた。




