第三章 歴史の終わり ―人の時代―
寒さがふたたび人を動かす。
大陸はふたたび混迷の刻を迎え、半島は高句麗の止まらぬ膨張によって、北からの重圧を受け騒めいている。あの楽浪郡も帯方郡も、すでに高句麗とそして馬韓の地から勃興した百済に飲み込まれ、すでにない。
高句麗と百済の鬩ぎあいの隙間を縫うようにして、辰韓からシラが新羅として立つ。倭人と秦からの亡命者が混ざり合う国、新羅、そして残された伽耶を中心に寄り合う倭人たちのクニグニ。半島の戦乱はいまだ止むことがない。
高句麗の圧力と中華の混迷に窮する百済は、新たな後ろ盾を求めて、倭にすり寄る。
そして、鉄の産地伽耶を巡る、もう一つの策動が、大八洲の統一を急ぐヤマトをも否応なく巻き込んでゆく。
プロローグ ―盟約の証―
イズモの仲介でヤマトに加わり、継体朝として遂に歴史の表舞台に姿を現すコシ、その内政実務・経済・外交を冷徹に差配するのが、後に蘇我を名乗ることとなる、イズモの副王スクナビコの末裔である。彼らは何者か?それを知るには、歴史を少しばかり遡らなければならない。
湖沼のほとりに忽然と姿を現す都、このヤマトの地にも古の一族はいる。二上山が産するサヌカイトを加工し、石器へと仕上げていく、ニギハヤヒとは別のもう一つの集団が、ヤマトからナニワの津へと抜ける主要な陸路の峠の麓、當麻の地にいた。その一団を統べる蹶速は、かたくなにヤマトに供応しようとせず、石器の加工にしがみついて、道を塞ぎ、この盆地開発の障害となっていた。
まだヤマトの地に鉄器は足りておらず、彼ら石器の民を速かに鉄器の民へと変えていく必要もあった。ここで作りたいのは、ニギハヤヒたちのような武器ではなく、開拓や耕作のための鉄器である。
交渉する術をもたず、難渋するヤマトは、イズモに助力を求める。イズモの卓越した交渉力は、半島への影響力を保ち続け、内に向かっては平和裡にコシを引き入れ、シナノからケ、ムサシ、そしてカトリの海に至る地まで、武力に頼らぬ開拓を進めている。そのイズモから副王スクナビコが直々に来る。のちの歴史にその名を、天孫アメノホヒの末裔と記される野見宿祢である。
力に奢る者は、交渉を拒み、決闘を挑む。だが、巨躯を誇りながら俊敏さも兼ね備える蹶速と小柄な文官の宿祢の対峙は、鮮やかな一閃で決着する。
宿祢の鉄剣が、蹶速の石剣をたちまち打ち砕く。自らの生命線を両断された蹶速にもはや抗うすべはない。當麻はヤマトに屈し、石の民は鉄の民へとその在り方を変える。
これに呼応して、石を掘りだし、粗加工していた民は、土と石の民として後に埴輪を焼き、石を積む造作の民として生きる土師部の部民となる。
そのときから、この野見宿祢がこの地の民を束ね、二上山を挟むこの盆地とイズミの地の開拓の足を速めていく。これが土師氏の興りであり、宿祢の末裔は、後に大臣となり蘇我を名乗ることになる。
野見宿祢の逸話として、埴輪の創設のくだりがあります。しかしこれは、野見宿祢がイズモから呼ばれ、そのままヤマトの重臣となり、また土師氏が代々天皇の教育係であった理由を補強するための逸話の挿入と考えられます。
「大陸や半島では、王が死ねばその側近たちを悉く殉死させるそうである。そうせねば、あらたに王となるものが危ういからであろうが、この度のヒメの死に際しても我らもそれに倣うべきであろうか。」
「それは、彼らが剋し剋されるものだからにございます。われらは営々と続くもの、真似などする必要はありますまい。」
「しかし、そうせねば彼らは我らの力を疑うのではないか?」
「然らば、大きな墓を作らせ、そこに並べる埴輪を人型にして、代わりとしてはいかがでしょうや?」
新羅で順送禁止令が出され、それに範を示すかのように、人型埴輪が古墳を彩り始めるのです。




