国譲り
国譲り
静かに水面を揺らす湖のほとり、大国の主としては簡素な館に高天原からの使者をむかえ、オオナムチは遥か高天原へと続く山並みを見つめながら、静かに話し始めた。
高天原の使者の後ろにはヤマトからの使者も控え、手土産の鉄剣と丹の壺を奉げて傅いている。
「思うてもみよ。確かに海の向こうの思想や文明には、我らにはない優れたものが多い。我らははるか昔から彼らと交わり、それを採り入れてきた。そう、ただ交わっておればよかった。」
懐かしい幼子の頃を想うように語るその口調は、やおら厳しいものに変わる。
「だが今や、戦が半島を飲み込もうとしておる。内からも外からもじゃ。我らも早晩それに抗せねばならんときがくるであろう。」
「それは、われらも同じことを思うておりまする。それで、イズモはどう抗されるおつもりか。」
「先を行くものが、必ず正しいとは言えぬのだ。」
オオオナムチはやおら立ち上がると、はるか遠くに見える北つ海を見据えて言葉をつなぐ。
「文字も、鉄も、国を統べる術も、奴らの創り出したものはたしかに見事だ。だが、その富を使い尽くせずに糞尿のごとく辺りに撒き散らし、それでも飽がずに手当たり次第のものを力づくで支配しようとする。……だが、その結末はどうだ?」
オオナムチは、苦々しく吐き捨てた。
「結局、奴らは手に入れた力に任せて奪い、奪われたものは怨嗟を重ね、昨日までの大国が明日には跡形もなく滅びていく。あんなものは、己の身を焼き尽くす一時の夜火に過ぎぬ。」
ーこのクニは、海に守られながら、万年の刻を紡いできたのだー
海の向こうの大陸や半島では、戦火が絶えることがない。先進の技術を競った挙げ句に待っているのは、クニの瓦解と民の塗炭の苦しみである。
「我らは違う。我らには、太古の石器の時代から営々脈々と続く絆がある。」
それを何万年も守り続けてきたのは、誰かを力で屈服させる支配ではない。ただそれぞれの利のために結びつき、それぞれに生きてきたクニグニの絶妙な調和である。外の文明がどれほど進んでいようとも、この島国が培ってきた調和の知恵こそが、断絶を生まず、命脈をつないできた礎なのだ。
「奴らの猿真似をして、身内を刃で脅して奪い合うなど、まさに愚の骨頂というものだ」
オオナムチは振り向き、ヤマトの使者をじっと見る。
「だから、話しにきたのであろう?」
永く背中合わせにそれぞれの道を歩んできた陰と陽の国。それを、彼らは外の世界に「我らはひとつの国」と示すための首都を決める交渉――のちに歴史が「国譲り」と呼ぶ談義の場面であった。
「然り。」
ただ、オオナムチにそのままを言い当てられ、使者は継ぐべき言葉に窮した。しかしこのままでは、オオナムチに主導権を握られ、ヤマトを主としてイズモを取り込むという交渉の目的を果たすことができる流れではない。
しかし、困惑の色を隠せない使者たちに向かって、オオナムチは静かに翡翠の勾玉を差し出し、微笑んだ。
「我らそれぞれに歩んではきたが、根は同じであろう。」
「都はヤマトでよい。…いや、ヤマトがよい。」
負けを覚悟し、最後の手段に出る腹を括りかけていた使者たちは、意表を突くオオナムチの言葉にハッとしてさらに言葉を失う。
「そ、それでよろしいのでございますか?」
オオナムチは面白そうに高笑いすると、いやいやすまぬと非礼を詫びながらいう。
「そんな猛々しい鉄剣や丹を晒しておいて、今更何をしおらしいことを申されるのか。ヤマトがよいというのは、外向きにはそのほうが都合がよいというだけのことだ。こちらには奴らに見せつけるだけの都を設える場所がない。それにこんなところに造ったら、奴らが攻めるに都合がよいだけではないか。」
「ご英断に感服仕りまする。もはや申す言葉もございません。」
安堵の色を露骨にして、いそいそと帰ろうとする使者たちの様子を見て、オオナムチの顔色がかわる。
「早まるな。まだ大事なことが残っておろうが!」
主がウンと言ったからといって、数万年もそれぞれの道を歩んできた国同士が、はいそうですかと簡単に合一できる道理はない。
ここは役者が違うというべきであろう。国を動かす力量の差はいかんともしがたく、条件交渉の主導権は常にオオナムチが握っている。イズモは北つ海の番人を引き受け、代わりにヤマトの負担で海辺のしかるべきところに高見の社を築くこと、イズモに自治権を認め、これまでどおり半島との交易は続けられること、外政は情報を共有し、毎年一度はイズモに寄って決め事を論じることなどなど。
「好きにやらせてもらう代わり、困りごとは受けてやる故、安心召されよ。」
オオナムチに翻弄され、疲れ切って朦朧とし始めた使者たちに、とどめのような冷や水が浴びせられる。
「まだコシもスワも残っておるであろう。」
常であれば、交渉の表にたっていてもおかしくないはずのスクナビコの姿がないことに、使者たちは気づく余裕もない。その姿は、今スワの地にあった。
第二部 完
コシは、イズモとの結びつきを深めていき、東の強大な勢力となっていました。その勢力圏は、東国と言われた地域、今でいう関東全域に及ぶほどになっていきます。この東国の開拓に、イズモの先進技術は欠かせないものでした。
そのコシが、どのようにして、そして、いつからヤマト連合に加わったのかを歴史は明らかにしません。突然コシから継体天皇が呼ばれるという、あたかも最初からコシがヤマト連合に加わっていたかのような奇妙な書かれ方には、不都合な真実が隠されていました。
そして、翡翠と黒曜石の交差点、東の商都ともいえるスワ。イズモはコシと深く縁を結んできたために、この地へも深く入り込んでいる。クニというよりも巨大な領域ともいうべきこの地は、ひと際の異彩を放つ存在であろう。いうなれば、遥か昔からヤマトのような存在であったといえる人の集う地 であり、一時はコシを奈落の底に突き落としたあの黒曜石の聖地である。歴史はイズモのタケミナカタが逃げ込み、タケミカヅチに封じられた地として語られるが、実のところは巨大な人口を抱えたまつろわぬ民、ヤマトには手出しできない、いや手を出そうにも手がかりすらないカミの国、それがスワであり、コシとイズモの因縁の力なくしては、調略することのできない相手であった。
これらの地より東にヤマトの手が届くのはまだ遠く先のことになる。




