4話
サーシャはアルヴェに導かれて、初めてトネリコの木がある草原の奥へと足を踏み入れていた。
小川を抜けると細い砂利道があり、緩やかな丘陵へと続いていた。
砂利道を登り切ると大きな楡の木がある。その枝に覆われるようにして石造りの小さな塔が建っていた。
「…ここに住んでるの?」
「いくつかあるうちの一つだ。別の森にも家があるが、最近はここだな」
「最近って、五十年くらい?」
少しだけ考える間があったが、結局答えずにアルヴェは塔の扉を開けた。
塔の中は簡素な造りだった。石の壁に、小さな暖炉と竈。ウォールナットの深い茶色の調度品は、テーブルと椅子とチェストだけだった。
出窓には鉱石が並べられ、小さなキャビネットに薬瓶と匙、陶器のすり鉢とすりこぎなどが置かれている。
カーテンの代わりに見たこともない花のドライフラワーが何種類か吊り下がっている。
寝室は2階だろうか。
「…ちゃんと家っぽい」
「私が家に住んでいないとでも思っていたのか?」
「ちょっとね」
竈の上の籠にパンが入っているのを見て目を丸くする。
「食事するんだね」
「何のためにプラムを寄越したんだ」
呆れたようにアルヴェはテーブルにプラムの籠を置く。
サーシャは笑って誤魔化した。
「いつも森で会ってたし。果物や木の実以外を食べる所が想像出来なくて」
「まぁ、それでも生きていけるが」
アルヴェはローブの外套を脱ぐと窓際のフックに掛けた。下に着ている群青色の長衣には襟元にも銀糸の刺繍が入っている。
彼がウォールナットの椅子に腰掛ける。サーシャはその向かいに座った。
「宵香草と言う霊草を知っているか」
「知らない」
「月白草は?」
「…ちょっと良い傷薬?」
アルヴェは腰に下げていた麻袋から小さな薬瓶を取り出した。
「君が足を怪我した時に塗ったのが、その月白草と宵香草を合わせて薬効を高めたものだ」
「へぇ」
「分離しないように蜜蝋で軟膏にする」
「そうなんだ」
少し沈黙が落ちる。アルヴェが何も言わないのを見て、ようやくサーシャが気がついたように声を上げた。
「…これを作るの?」
「そう言っているつもりだったが」
サーシャはテーブルに置かれた薬を見つめる。
「宵香草って、どこにあるの?」
「そこら辺にある」
「そこら辺?」
思わずサーシャは窓の外に目をやる。アルヴェは淡々と説明する。
「エルフの霊気と、月の光を吸って育つ。禁足地でしか育たないから人間は知らないだろうな」
「そんな貴重なもの使ってもいいの?」
「蒸留したものを数滴入れる程度だ。霊薬と言うほどの効き目も無い」
当時、すぐに歩けるようになったことをサーシャは思い出す。
「まぁ、アルヴェが良いならいいんだけど」
「後で生えている場所も教える。君ならいつでも取りに来て構わない」
あまりにも自然すぎて、サーシャは「君ならいつでも」という言葉を聞き流していた。
薬をじっと見つめている。
「薬ってどうやって作るの?月白草と宵香草をすり潰して蒸留して、蜜蝋で合わせる?」
アルヴェも気にせず続ける。
「大体それで合ってる。月白草は乾燥させ、宵香草は摘んですぐに煎じる」
「どうして?」
「宵香草は枯れると霊気が抜けてしまう」
薬瓶を持ち上げて、アルヴェが薬を手の甲に少し出した。
乳白色の普通の軟膏に見える。
「早速、今日作ってみるか」
「待って。これ、どこで売るの?」
「薬屋なり、行商人なり、君が好きな所で構わないが」
サーシャはこめかみを指で押さえて視線を斜め上へ向ける。
「そういう伝手が無いんだけど…まぁ、作ってみてから知り合いに売り込んでみようか」
「効果を見れば、危険な仕事をする傭兵や冒険者には月白草よりも売れると思う。価格も少し高くすれば良い」
「ねぇ、本当にいいの?」
サーシャの伺うような表情。
アルヴェは自分に気兼ねしているのだとようやく思い至る。
「逆に、どうしていけないと思う」
「何だかアルヴェの力を利用してるみたいで…」
「君が私の霊力を欲したことがあったか?」
煮え切らないサーシャを、アルヴェは少し楽しそうに観察している。
「無いけど」
「私がいくら言っても禁足地に来ていたのに、私が良いと言うと断ろうとするのは何故だ」
「人を天の邪鬼みたいに言わないでよ」
アルヴェは拗ねたように呟くサーシャの顔をじっと見る。
「違うか?」
「違うよ」
そう言いながらアルヴェと視線を合わせない。
堪えきれずアルヴェは目元を緩めた。
「君が君らしく生きる手伝いをすることに、私が関わってはいけないのか」
「…そんなこと、言ってない」
「では、良いと言ってくれ」
サーシャがちらりとアルヴェを見る。
静かな湖面のような瞳が、今は少しだけ温度を持ってサーシャの返事を待っている。
「…アルヴェ。私に薬の作り方を教えて」
「善処しよう」
アルヴェは穏やかに微笑んだ。
普段は人形のように美しい顔が、その時だけは無邪気な青年のように見えた。




