2話
初夏の森には爽やかな風が吹いていた。
町で動いていると少し汗ばむ季節だが、森の木漏れ日は穏やかで涼しいくらいだった。
緩やかな丘の斜面を迂回して下りる。
トネリコの木の下に彼が佇んでいるのが見えた。
「アルヴェ!」
サーシャはスカートを翻してアルヴェの元へ駆け寄る。
「また転ぶぞ」
振り向いたアルヴェは、彼女を支えるようにそっと肩に触れた。
勢い良く立ち止まったサーシャは柔らかく微笑む。
「こんにちは、アルヴェ」
柔らかな頬に紅を差したような唇、焦げ茶色の澄んだ瞳。
ワンピースにエプロン姿で背中まである赤茶色の髪を編み込んでいる。
アルヴェの胸元くらいまで背が伸びたサーシャに触れたまま、少しだけ笑う。
「出会った頃から変わらないな、君は」
「あなたもね」
長い銀髪と群青色に銀糸のローブ。
深い蒼色の瞳は静かな湖面のようで、未だに大きく揺れ動くのを見たことがない。
黙っていると絵姿でよく見る美しいエルフそのものだが、口を開くと物語とは随分違う感じがする。
「最近は怪我はしていないか」
「もう十六なんだから、転んだりしないわよ」
「君はいつも走っている」
むっとしてサーシャは言い返す。
「町では走ってないって」
「興味を惹かれるとすぐ近付いていってしまうし」
「最近はそうでもないから!……多分」
アルヴェはサーシャの顔を覗き込む。
「本当に?」
サーシャは少し顔を赤らめて手のひらでアルヴェの腕を押す。
「もう子供じゃないんだから」
「十六は子供ではないのか」
「仕事して、結婚だって出来るわよ」
少しだけアルヴェの表情が止まった。
「…そうなのか」
「まだ一人前とは程遠いけどね。私も仕立て屋で少しだけ任せて貰えるようになったのよ」
「それはすごいな」
アルヴェの素直な相槌に、満足そうに頷く。
「君は器用だから」
「まあね」
トネリコの根を椅子代わりに腰掛ける。
アルヴェはサーシャと向かい合うように近くの根に座った。
森の空気を吸い込んで少し遠くを眺める。
野花の側で野ウサギが二匹駆けていくのが見えた。
「だけど、町も色んな人がいるから大変よ。取引先が支払いをしないとかで揉めてるみたい」
「ほう」
「変な人もいるしね。指名する代わりに食事に付き合えって言って来る人とか」
アルヴェは膝の上でゆっくり指を組む。
「…ほう」
「怖くなってお断りしちゃった」
「どうなった?」
「他の子を指名したみたい」
彼の方を見ると、何かを思案するように組んだ指を見つめている。
「市場が飽和すると、優遇する代わりに個人的に親密になりたいと要求する輩がいるのだな」
「そう…みたい?」
「興味深い」
サーシャはプラムをいくつか入れた籠をアルヴェへ差し出す。
「これ、この間のハチドリの羽のお礼。帽子飾りにしたらすぐに売れたよ」
「そうか」
籠を受け取ると、一つ取り出してサーシャへ手渡す。
「運賃だ」
「子供のお使いじゃないんだから」
笑いながら受け取る。
皮を剥いて食べると果汁が口いっぱいに広がった。
「美味しい」
「そうか」
伏し目がちに笑うアルヴェを見て、サーシャは口を尖らせる。
「子供みたいって思ったでしょ」
「思ってない」
「町長さんが買ってったんだけど、アルヴェ殿によろしくって言ってたよ」
アルヴェは皮を剥くサーシャの手元を見ている。
「そうか」
「会ったことある?」
「無い。何年か前に洪水を止めてくれと頼みに来た者がいたが…いつの町長だったか」
少し考えるように視線を漂わせて、サーシャはあっと声を上げる。
「それ、三十年前の大洪水じゃない?家がいくつも流されて大変だったってお祖母ちゃんが言ってたよ」
「…多分それだろう」
「どうやって止めたの?」
「流れる水は止まらない。私は土を留めただけだ」
サーシャはプラムを噛んで、飲み込む。
「…ふーん」
明らかに納得のいっていない表情を見てアルヴェは微笑む。
「精霊は自然の摂理と共にあるので、人間の都合の良いようには動かない。けれど、家が流されるのを押し留めるくらいは出来た」
サーシャは首を傾げる。
「それなのに怖がられてるの?」
「自然に干渉出来るほどの力を持つ者が隣人だとして。気分を害さないようにノックをしないのは賢い選択だと思う」
アルヴェはプラムを食べ終えたサーシャに目を向けた。
「君の次のお針子が、客との食事を断らなかったように」
「私が無謀って言いたいの?」
「君の勇気は美しい」
彼はいつものように淡々と言葉を紡ぐ。
「傷つかないわけではない。傷ついても守りたい物の為に自分を偽らない、その誠実さが君らしい」
サーシャが驚いたようにアルヴェを見て、口を開こうとした時だった。
「っ…!」
強い風が吹いて、丘の上の二人の髪を乱していく。髪を手で押さえているアルヴェの表情はよく見えない。
「やだ、もう……」
前髪をどかして、アルヴェに視線を戻す。
「今、褒めてた?」
「そう聞こえなかったか?」
お互い髪を整えながら目が合うと、アルヴェは少しだけ目元を緩ませた。
「君は妙な所で察しが悪い」
サーシャはその顔を見て、また納得のいっていない表情を浮かべた。




