第30話 帰る場所 - Home -
EDEN管理施設。
空になった二つのカプセルを前に、ヴィクター・ケインは立ち尽くしていた。
透明カバーは開かれたまま。
生命維持装置は正常。
栄養供給装置も正常。
生体モニターにも異常はない。
だが、本来そこにいるはずの人間だけが消えていた。
ジェイク・ウォーカー。
エミリア・クロフト。
二人は確かに現実世界へ戻っている。
ヴィクターは無言で踵を返した。
長い通路を抜け、管理区画へ向かう。
専用端末の前へ座ると、素早くアクセス履歴を呼び出した。
大量のログが画面を埋め尽くす。
その中に、一つだけ異様な記録があった。
Sophia Kane。
ヴィクターの目が細くなる。
ソフィアは死んでいる。
本人がログインできるはずがない。
ならば利用者は一人しかいなかった。
「エミリアか……」
ヴィクターはアクセス元を確認した。
表示された住所を見た瞬間、背筋に冷たいものが走る。
ソフィア邸。
妻が生前暮らしていた家。
そしてエミリアにとっては実家だった。
「まさか……」
脳裏に浮かぶ。
ソフィアの研究資料。
エミリア。
空になったカプセル。
そしてソフィア邸。
ヴィクターの胸に嫌な予感が広がる。
もしエミリアが資料を見つけていたなら――。
ヴィクターは内線端末を操作した。
警備部の番号を呼び出す。
数秒後。
相手が応答した。
「警備部です」
「私だ。ソフィア邸へ向かえ」
「侵入者の可能性がある」
「至急確認しろ」
「了解しました」
「ただし包囲だけでいい」
「私の指示があるまで突入するな」
「了解!」
通信が切れる。
ヴィクターは続けて自宅へ電話をかけた。
一回。
二回。
三回。
誰も出ない。
もう一度かける。
呼び出し音が続く。
そして。
カチリ。
受話器が取られた。
ヴィクターは息を止める。
「……エミリアなのか?」
短い沈黙。
「そうよ、義兄さん。二十一年ぶりかしら」
現実では約一週間。
だが彼女にとっては違う。
エミリアはEDENで二十一年を過ごしていた。
彼女なりの皮肉だった。
「どうやって戻った?」
「教えない」
即答だった。
「かなり苦労したとだけ言っておく」
ヴィクターは舌打ちを飲み込んだ。
「ジェイクも一緒なのか?」
「さっきまでね。でも今はもうここにはいない」
ヴィクターは何か言おうとしてやめた。
それより確認すべきことがある。
「見つけたのか?」
「何を?」
「とぼけるな」
ヴィクターの声が低くなる。
「ソフィアが残したものだ」
受話器の向こうで沈黙が流れた。
「見つけたと言ったら?」
ヴィクターはしばらく黙っていた。
やがて重い声で言う。
「公表しないでくれ」
エミリアが小さく笑った。
「姉さんにもそう言ったのね」
ヴィクターは否定しなかった。
その沈黙が答えだった。
「だから殺したの?」
静かな声だった。
だが刃物のように鋭い。
「そして、ジェイクに罪を着せたのね?」
ヴィクターはゆっくり息を吐く。
「全ては守るためだった」
「何を?」
「EDENをだ」
「違う」
エミリアは即座に否定した。
「義兄さんが守りたかったのは自分自身よ」
ヴィクターは何も答えなかった。
重い沈黙だけが続く。
その時だった。
ヴィクターの社用携帯が鳴った。
警備部からだった。
ヴィクターはエミリアとの通話を保留にすると、携帯を耳へ当てた。
「ヴィクターだ」
「現地到着しました」
「状況は?」
「灯りが点いていて、侵入者らしき人影を確認しました」
ヴィクターの目が細くなる。
「よし、分かった。そのまま待機してくれ」
通話を終える。
そして再びエミリアとの会話へ戻った。
「わたしの警備隊が家の周囲を包囲している」
ヴィクターは静かに言った。
「何もせずに、そのままおとなしく出て来て欲しい」
「そうすれば、自由にしてやる」
エミリアは何も言わない。
ヴィクターは続ける。
「出てこなければ警備隊が突入する」
「そうなれば、またEDENへ逆戻りだ」
「あの刑務所へな」
「さあ、好きな方を選べ」
ヴィクターの声は勝利を確信していた。
一方、ソフィア邸。
ソフィアの書斎ではエミリアが受話器を握っている。
その傍らにはジェイクがいた。
二人は顔を見合わせた。
そしてエミリアが言った。
「分かったわ……義兄さん」
「でも言っておくけど」
「姉さんが保管していたデータならコピーしてジェイクに渡したわ」
「もし私に何かあったら、それを報道機関に持って行く手はずになっているの」
「うそだ……そんな時間はなかったはずだ」
「あら、そうかしら?」
「試してみる?」
ヴィクターは返答できなかった。
エミリアが本当にコピーを作ったのかは分からない。
だが確かめる方法もない。
もし本当なら。
今ここでエミリアを捕らえても意味は無かった。
ヴィクターの沈黙が続く。
エミリアは小さく息を吐いた。
「ねぇ、義兄さん」
「直接会って話をしない?」
「直接?」
「そうよ」
エミリアは窓の外を見た。
庭の向こうには警備車両のライトが見えている。
「EDENの中の、この実家で」
ヴィクターは黙り込んだ。
実家モデル。
テストエリアに残されている、ソフィアとエミリアの家。
しばらくしてから口を開く。
「分かった」
「今から行く」
「その前に一つ条件があるわ」
ヴィクターの眉が僅かに動く。
「何だ?」
「家の周りにいる警備隊を引き上げさせて」
「なぜだ?」
「話し合いをするんでしょう?」
エミリアは窓の外を見た。
「外を警備隊に囲まれたままじゃ、その気があるとは思えないわ」
「私を捕まえるつもりなら最初からそう言って」
「その方が話は早いから」
ヴィクターは黙り込んだ。
もし本当にエミリアを拘束するつもりなら、実家モデルへ入る意味はない。
警備隊に突入を命じれば済む話だ。
だが今は違う。
ヴィクターには確認したいことがあった。
エミリアはどこまで知っているのか。
ソフィアが残した資料をどこまで見たのか。
コピーは本当に存在するのか。
そして――。
まだエミリアをこちら側へ引き戻せるのか。
それを確かめる必要があった。
「分かった」
「撤収させよう」
ヴィクターは通話を保留にし、警備部へ連絡した。
「私だ」
「警備部隊を撤収させろ」
「確認は終わった」
「了解しました」
通信が切れる。
再びエミリアとの通話へ戻る。
「これでいいか?」
エミリアは窓の外を見た。
しばらくして、警備車両がゆっくりと動き始める。
赤いテールランプが遠ざかっていった。
「ええ」
「それじゃあ、EDENで会いましょう」
電話が切れた。
ジェイクが近寄る。
「いったいどういうつもりだ?」
「ああでも言わないと、警備隊が突入してたわ」
エミリアは肩をすくめた。
「行くのか?」
「そうよ」
「奴に会いに?」
「ええ。でも、あなたも行くの」
「俺も?」
エミリアは棚から予備のヘッドセットを取り出した。
「姉さんのIDでログインする」
「でも、その予備のヘッドセットも同時に使えるの」
「もちろんモニターには利用者一人としか表示されないわ」
ジェイクは眉をひそめた。
「そんなことができるのか?」
「本当はできないわ」
エミリアは少しだけ笑った。
「これは姉さんが私のために残してくれた裏口なの」
ヘッドセットをジェイクへ渡す。
「EDENを作り始めた頃はね」
「姉さんとヴィクターと私、三人で研究してたのよ」
「でも会社が大きくなって、EDENが大企業になってからは違った」
「私は正社員じゃなかったから、開発エリアやテストエリアにも自由には入れなくなったの」
エミリアは懐かしそうに目を細めた。
「それでも私は中を見たくて仕方なかった」
「新しいシステムができたって聞けば見に行きたくなるし」
「テスト用の世界が追加されたって聞けば入りたくなる」
「昔から我慢できなかったのよ」
小さく肩をすくめる。
「だから姉さんがこっそり用意してくれたの」
「『また勝手に入り込むんだから』って言いながらね」
「ヴィクターも会社も知らない」
「知っていたのは姉さんと私だけ」
エミリアはヘッドセットを見つめた。
「正社員になってからは必要なくなった」
「自分の権限で入れたから」
「でも、この仕掛けだけは残したままだったの」
エミリアは少しだけ視線を落とした。
姉のことを思い出しているようだった。
「まさかこんな形で使うことになるなんて思わなかったけどね」
だが、すぐに表情を引き締める。
「急ぐわよ」
「ヴィクターより先に行かなきゃ」
ジェイクはヘッドセットを見つめた。
「作戦があるんだな?」
「もちろん」
エミリアは頷いた。
「よく聞いて」
そしてジェイクへ作戦を説明した。
数分後。
二人はログインする。
EDEN。
テスト用エリア。
その中に存在する、ソフィアとエミリアの実家モデル。
その家は、ジェイクを殺人犯へ仕立て上げるための映像が作られた場所でもあった。
二人はリビングへ降り立った。
ヴィクターはまだ来ていない。
ジェイクは作戦通りソファの裏へ身を隠す。
静かなリビング。
時計の音だけが響いている。
やがて、この部屋へヴィクターが現れた。
三十年間。
自分から人生を奪った男だ。
ジェイクは拳を握り締めた。
もう逃がさない。




