第12話 出口 -The Exit-
見学ツアー当日。
娯楽ホールでは、いつも通り古い映画が流れていた。
脱走兵。
雨。
サーチライト。
銃声。
まるで誰かが笑っているような映画だった。
囚人たちは誰も真面目に見ていない。
煙草。
雑談。
カードゲーム。
虚ろな時間。
だが、ジェイクとエミリアだけは違った。
今日は実行日だった。
*
見学客たちが入ってくる。
看守たちの案内。
笑顔。
説明。
『こちらがEDEN娯楽ホールです』
『受刑者たちは安定した精神状態を維持するため、定期的に娯楽プログラムへ参加しています』
ジェイクは壁際に座ったまま視線だけを動かす。
老人。
若い女。
学生。
中年夫婦。
そして――いた。
白い帽子を被った老夫婦。
七十代後半だろうか。
歩く速度が遅い。
周囲から少し遅れている。
二人とも腰へ帰還デバイスを下げていた。
銀色のペンライト。
小さなボタンが一つ。
ジェイクは呼吸を抑える。
あれだ。
現実へ戻る鍵。
*
映画が中盤へ入る。
爆発。
銃声。
怒鳴り声。
その瞬間だった。
「おい!!
何見てんだテメェ!!」
突然、囚人同士の喧嘩が始まる。
食事トレーが床へ叩きつけられた。
金属音。
別の囚人が殴りかかる。
「やめろ!!」
看守たちが一斉にそちらへ向かった。
怒号。
椅子の転倒音。
周囲の視線が完全に乱れる。
今しかない。
ジェイクは静かに立ち上がった。
エミリアも反対側から動く。
老夫婦の後ろへ自然に回り込む。
「すみません」
エミリアが小さく声をかけた。
白髪の妻が振り向く。
「はい?」
「少し気分が悪くて……
向こうに休憩スペースがあるんです」
エミリアは申し訳なさそうな表情を作っていた。
老人は戸惑う。
「大丈夫ですか?」
「ええ……
少しだけ」
ジェイクは周囲を確認する。
看守たちはまだ騒ぎへ集中していた。
*
スクリーン裏側。
細い清掃用通路。
薄暗い。
映画音だけが遠くで響いている。
老夫婦は不安そうだった。
「ここなのか?」
「ええ……
すぐです」
エミリアは静かに答える。
通路奥には、小さな清掃室。
ジェイクは低い声で言った。
「悪いが、少しだけ眠ってもらう」
老人が顔を上げる。
「……え?」
次の瞬間。
エミリアは老人の首筋へ注射器を押し当てた。
老人の身体から力が抜ける。
妻が悲鳴を上げかけた。
だがエミリアが素早く口を塞ぐ。
「静かに」
その声は震えていた。
「お願い……
殺したりしない」
白髪の妻の目に涙が浮かぶ。
エミリアは苦しそうな顔をした。
「少し眠るだけよ」
妻にも注射。
数秒後。
二人とも静かに崩れ落ちた。
*
短い沈黙。
ジェイクは倒れた老人を見下ろす。
「……後戻りできねぇぞ」
エミリアは俯いたまま答える。
「最初からそのつもりよ」
ジェイクは袋を開いた。
白髪ウィッグ。
帽子。
老眼グラス。
マスク。
くたびれたコート。
「ほんとに劇用かよ、これ」
「文句言ってる時間ないわ」
エミリアは素早く白髪ウィッグを被る。
老婦人用マスク。
コート。
別人だった。
ジェイクも帽子を深く被り、マスクを装着する。
鏡はない。
だが、お互いを見るだけで十分だった。
「……笑えるな」
ジェイクが小さく呟く。
「三十年かけた脱獄が老人コスプレか」
エミリアは笑わなかった。
「笑わないで」
「失敗したら終わりよ」
ジェイクはゆっくり頷く。
その目だけは、三十年前と同じだった。
*
二人は静かに通路を出た。
見学ツアーはまだ続いている。
看守たちは先ほどの騒ぎの処理で慌ただしい。
誰も老人二人を気にしていない。
ジェイクは歩幅を小さくする。
老人らしく。
ゆっくり。
エミリアも隣で軽く咳をした。
出口ゲートが近づく。
白い通路。
巨大な自動ドア。
そして。
現実世界への帰還エリア。
ジェイクの心臓が激しく脈打つ。
三十年。
ようやくここまで来た。
その時だった。
『お客様』
機械音声。
二人の足が止まる。
『帰還前に、デバイス確認を行います』
ジェイクの背中を、冷たい汗が流れた。




