第10話 鍵 -Key-
娯楽ホールでは、古い戦争映画が流れていた。
爆発音。
銃声。
悲鳴。
だが囚人たちは誰も真面目に見ていない。
雑談。
煙草。
居眠り。
ここは映画を楽しむ場所ではなく、“時間を潰す場所”だった。
ジェイクもスクリーンなど見ていなかった。
頭にあるのは、エミリアの言葉だけだ。
――この刑務所そのものが、“システム”だったら?
ジェイクは煙を吐きながら低く言った。
「……仮にそうだとして、どうする」
エミリアは前を向いたまま答える。
「出るのよ」
ジェイクは鼻で笑った。
「簡単に言うな」
「三十年だぞ」
「俺は何度も脱獄を試した」
「全部失敗した」
エミリアは静かに言った。
「それは“刑務所”から逃げようとしたからよ」
ジェイクは眉をひそめる。
「……何が言いたい」
「もしここが現実なら、“帰還”という概念が存在するのは不自然なの」
短い沈黙。
スクリーンの白い光が、二人の横顔を照らしていた。
やがてエミリアは小さく呟く。
「帰還デバイス」
ジェイクの目が細くなる。
パンフレットに書かれていた言葉。
帰還。
無断使用禁止。
あの奇妙な注意書き。
「……あれか」
「ええ」
エミリアは頷いた。
「“帰る先”があるってことよ」
ジェイクは思い出す。
見学ツアーの連中。
全員、小さなペンライトのような物を持っていた。
当時は気にも留めなかった。
だが今なら分かる。
「あれが鍵か」
「たぶんね」
ジェイクは低く唸る。
「なら、ボタン押せばいいんじゃねぇのか?」
その瞬間。
エミリアの表情が変わった。
「駄目」
思わずジェイクが顔を向けるほど、強い口調だった。
「絶対に押しちゃ駄目」
短い沈黙。
映画の爆発音だけが響いている。
ジェイクは眉をひそめた。
「なんでだ」
「あれは緊急帰還用よ」
エミリアは低い声で続ける。
「パニックや事故が起きた時に、強制的にログアウトするための機能」
「でも――押した瞬間、システムが全部確認する」
ジェイクは黙って聞いていた。
「本人照合」
「脳波記録」
「生体同期」
「セッション履歴」
「全部よ」
ジェイクは小さく舌打ちした。
「つまり、押した瞬間終わりか」
「ええ」
エミリアは静かに頷く。
「だから必要なのは、“通常帰還ルート”」
「見学客として、普通に出口を通ること」
ジェイクはゆっくり煙を吐いた。
「……簡単に言ってくれる」
「でも、システム側が重要視してる」
エミリアは続ける。
「それだけで価値はある」
*
次の見学ツアーの日。
ジェイクは作業中も、ずっと見学客たちを観察していた。
老人夫婦。
若いカップル。
学生グループ。
皆、妙に楽しそうだった。
「本当に現実みたいね」
「空気まで再現されてる」
「すごい技術だな」
そんな声が聞こえる。
ジェイクは眉をひそめた。
“再現”。
その言葉が妙に引っかかった。
見学客たちは全員、腰に細い筒状のデバイスを下げていた。
銀色の小型ライト。
ボタンが一つ付いている。
看守たちは、それを異常なほど気にしていた。
「デバイスを落とさないでください」
「必ず携帯してください」
何度も繰り返している。
まるで命綱のように。
その時だった。
「ふざけんな!!
それは俺の席だ!!」
怒鳴り声。
若い囚人同士が立ち上がる。
椅子が倒れた。
看守が駆け寄る。
「やめろ!!」
周囲がざわつき始める。
見学客たちは少し怯えながらも、どこか興奮したようにそれを見ていた。
「すごい……」
「本物の刑務所みたい……」
ジェイクは眉をひそめる。
――またか。
*
その日の夜。
娯楽ホール。
ジェイクは煙を吐きながら低く言った。
「……今日のアレ」
エミリアは小さく頷く。
「やっぱり気づいた?」
「見学ツアーが来ると、毎回同じような騒ぎが起きる」
ジェイクは黙る。
言われてみればそうだった。
怒鳴り声。
押し合い。
看守の制止。
見学客の悲鳴。
まるで決められたイベントみたいに。
「……偶然じゃねぇのか?」
エミリアは静かに首を振った。
「人間って、そんなに綺麗に喧嘩しないの」
「もっと無秩序で、
もっと予測できない」
短い沈黙。
「たぶん、“演出”よ」
「刑務所らしさを見せるための」
ジェイクの目が細くなる。
「……全部、仕組まれてるってのか?」
エミリアは静かに頷いた。
「ええ」
「この刑務所の“システム”によって」
「見学客を楽しませるための、“イベント”として」
ジェイクはゆっくり煙を吐いた。
そして。
小さく笑う。
「……なるほどな」
エミリアが顔を向ける。
ジェイクは低く呟いた。
「なら、その“演出”は利用できる」
エミリアは黙って彼を見る。
ジェイクは続けた。
「看守の視線も、
客の注意も、
全部そっちへ向く」
「つまり、一瞬だけ監視が偏る」
エミリアは静かに頷いた。
「ええ」
「そこが、唯一の隙になるかもしれない」
ジェイクは煙草を揉み消した。
「間違いねぇ」
「看守は、あのライトを異常に気にしてる」
エミリアは少し黙り込んだ。
映画の光が、老けた横顔を照らしている。
「観察して気づいたことがあるの」
「なんだ」
「見学客たち、囚人を見てる時の目が違う」
ジェイクは眉をひそめる。
「……目?」
「ええ」
「まるで動物園を見るみたいな目」
ジェイクは黙り込む。
確かに思い当たる節があった。
笑っている。
怯えている。
怒鳴られている。
そんな囚人たちを、見学客はどこか“安全な場所”から眺めている。
まるで別世界の存在を見るように。
ジェイクはゆっくり煙を吐いた。
「……もしここが仮想空間なら」
「俺たちは何なんだ?」
エミリアは答えない。
答えられないのだ。
しばらく沈黙が続いた後。
エミリアは小さく言った。
「次の見学ツアーで試すしかない」
ジェイクは顔を向ける。
「何をだ」
「デバイスを奪うの」
ジェイクは思わず笑った。
「簡単に言うな」
「見つかったら終わりだぞ」
「ええ」
エミリアは静かに頷く。
「だから、一回しかチャンスはない」
ジェイクは長く煙を吐いた。
三十年間。
何度も脱獄を試みた。
そして全て失敗した。
だが今。
初めて“出口”らしきものが見えていた。




