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浮世英伝 ―大正ウキヨ英士伝―  作者: 本堂ポンタ
第七章 光筆単成

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闇を斬り裂く光筆単成

挿絵(By みてみん)

 翌日。

 俺、清長、歌麿の三人は、浮世組の門前で出発の準備を整えていた。

 いつもと変わらない浅草の昼下がり。

 だが、俺たちを包む空気は、明らかに違っていた。

 北斎、国芳、広重。

 浅草龍穴の警護のため、この場に残る三人に見送られ、俺たちは赤坂へと向かう。

「……写楽」

 不意に、これまで黙って俺たちを見ていた北斎が、低い声で俺を呼んだ。

「油断するなよ」

 短くて、ぶっきらぼうな言葉。

 だが、その奥に、無事の帰還を願う北斎の思いを、俺は感じた。

「おう! 任せておけって」

 俺が頷くと、今度は清長が、氷のように冷たい、だがどこか案じるような瞳で俺を見る。

「写楽。お前はまだウキヨ英士になって日が浅い。決して己の判断を過信するな。……命取りになるぞ」

 何故かその言葉の重みが、俺の胸にずしりと響く。

「……分かってる」

 二人からの、それぞれの言葉。

 俺は、その両方を胸に刻み込むように、強く頷いた。

 その時だった。

 ふふと、視線の先に、物陰からこちらをじっと見つめる影があるのに気づいた。

 応為だ。

 彼女は、俺たちのやり取りを、ただ黙って見ていた。

 その視線に、言葉にしない深い想いが宿る。

 俺たちの無事を心の底から願う思いが伝わってきた。

 応為の視線と、一瞬だけ交錯する。

 言葉はない。

 だが、それで十分だった。

 俺は、二人の頼もしい先輩の背中を追い、まだ見ぬ戦場へと、決意を固めて足を踏み出した。


 俺たち三人は、人目につかぬよう、人力車を引きながら赤坂へと向かう。

 やがて下町の喧騒を抜け、目に映る景色が西洋風のモダンな街並みへと変わり、俺たちは人気のない、寂れた一角に辿り着いた。

「……ここだ」

 清長が、低い声で呟く。

 目の前にあったのは、巨大な岩盤が崩れ落ち、無残な姿を晒す洞窟の入り口だった。

 注連縄は引きちぎられ、鳥居も無惨に折れている。

 ここが、赤坂旧龍穴。

 五年前の悲劇の舞台。

「美与様の言葉によると、この赤坂旧龍穴の最奥から、勾玉の波動を感じたそうだ」


 不気味なほどの静寂。

 だが、その奥から、肌を刺すような濃密な邪気が、淀んだ空気となって漏れ出してきていた。

「……美しくないわね。虫唾が走るわ」

 歌麿が、扇子で口元を隠しながら顔をしかめる。

「行くぞ」

 清長の短い号令。俺たちは、頷き合うと、闇が口を開ける龍穴の中へと足を踏み入れた。

 内部は、浅草龍穴とはまるで違った。

 龍輝の光はなく、ただただ冷たい闇が広がっている。

 時折、壁や天井から滴り落ちる水滴の音だけが、不気味に響いていた。

「……いるな」

 俺が呟くと同時に、闇の奥から複数の赤い光が、ぎらりとこちらを睨みつけた。惡魂だ。

「数は、七」

 清長が冷静に分析する。

「写楽、歌麿!」

「「応!」」

 俺と歌麿の声が重なる。

 次の瞬間、清長が叫んだ。

「——光筆単成!」

 眩い光と共に、清長の法被がウキヨ英士の制服へと変わる。

 純白の陣羽織が顕現し、彼の魂を象徴するモノクロの幻影が、その体を通り抜けた。

 白だった陣羽織が、深い藍色に染まり、その背中に、少しだけ欠けた銀色の月と、それを囲む数本の組紐が浮かび上がる。

 歌麿もまた、叫ぶ。

「——光筆単成!」

 彼の体からも光が溢れ、陣羽織が薄紅色に染まる。

 背中には、まるでシャボン玉のような、虹色に輝く儚い円がいくつも浮かび上がっていた。

 二人の、魂の形。

 俺は、その光景に一瞬だけ見惚れていたが、すぐに我に返った。

(——俺も、続く!)

「光筆単成ッ!!」

 俺の体からも、龍輝が溢れ出す。

 萌葱色の陣羽織。

 背中に走る、筋隈を思わせる赤い紋様。

 全身に力がみなぎる。

「写楽は中央突破! 俺と歌麿で左右の敵を抑える!」

 清長の指示。

 俺は、力強く頷くと、三人の中で一番に地を蹴った。

 この新たな力で、仲間と共に未来を切り開く。

 その決意を胸に、俺は闇の奥で蠢く悪意へと、一直線に突き進んでいった。


 一方、その頃。

 赤坂旧龍穴の写楽たちが進む坑道とは別の坑道。

 まるで血液で染めたかのような赤いマントを羽織る三つの人影が。

 赤坂旧龍穴の最奥を目指しているのは、写楽たちだけではなかった。

 一人は、能面のような不気味な仮面をつけた男。

 その全身から放たれる気配は、これまで写楽たちが対峙してきた惡魂とは比較にならないほど、冷徹で、そして強大だった。

 その傍らに控えるのは、侍のような男。

 寡黙な佇まいは、まるで剣の道を追求する求道者のよう。

 だが、その瞳には光がなく、昏い光だけが宿っている。

 そして、最後の一人。

 不敵な笑みを浮かべる男。威圧的な眼光と引き締まった体躯に、傲慢で危険な雰囲気を放つ。

「この先に間違いなく例の勾玉が?」

 侍のような男が、感情のない声で尋ねる。

「ああ。巫女が張った封印も、五年の月日で随分と弱まったらしい。この感触、間違いない」

 仮面の男が、その奥で静かに答える。

「ククク……待ち遠しいな。あれさえ手に入れば、我ら大倭衆の悲願は成就する……!」

 三人目の男が、愉悦に満ちた声で笑う。

 彼らもまた、それぞれの目的のために、龍穴の闇を進んでいた。

 その時だった。

「……ん?」

 仮面の男が、不意に足を止めた。

 別の坑道から微かに響く戦闘の音。

「どうかなさいましたか?」

 侍のような男が、静かに問う。

 仮面の男は、その視線を、写楽たちがいる方角へと向ける。

「……客人のようだ。それも、招かれざるな」

 その視線の先、洞窟の奥で、龍輝が呼吸するかのように瞬いていた。


 時を同じくして。

 惡魂の群れを殲滅した写楽たちもまた、洞窟のさらに奥から放たれる、これまでとは比較にならないほど強大な邪気を感じ取っていた。

「嫌な感じね……まるで、闇そのものがこっちを見てるみたい」

 歌麿の言葉に、写楽と清長はそっと頷く。

 そして、その二つの勢力とは異なる影が、もう一つ……

 その影は、闇に溶け込むような静かな足取りで、鋭い眼光を洞窟の奥へと向けていた。

 まるで獲物を狙う獣のように、冷たく、執拗に。

 闇の中で、光と影が互いの存在を感じ取り、微かな震えとともに交錯する。

 運命の歯車が軋みながら動き出し、混沌の絵巻が、今、幕を開けようとしていた。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

次回は8月8日(土)19時に更新予定です。

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