4話
リンネはハンナに頼まれた調査のために、場末の酒場で人を待っていた。リンネは人と会う時、だいたいこの酒場を使う。
「セバス、いつもの頼む。」
マスターのセバスチャンは用意していた酒を出した。リンネがグラスを掴もうとするとセバスはそれを少し引いてかわす。
「あまり暴れないでくださいよ。」
「わかってるよ。」
改めて酒を受け取るとリンネはそれを一息に飲み干した。たちまち彼の顔は真紅に染まり、自ずと涙が溢れる。喉を通る液体は胃液と大差ないような苦味だけをリンネに与えた。重苦しいような、燃えるような熱さが腹の底で泡立つ。カウンターに突っ伏するリンネの目にはしかし、世界が陽気に写って仕方がなかった。
「毎度、よくそのような酒を飲みますな。」
セバスが好奇の目を以てリンネの後頭部を見つめている。リンネそんなことを歯牙にも掛けない様子で突っ伏した頭を少し動かし、横目で入口の方を眺めた。灰ばんだ髪の隙間から覗かれた目はただひたすらに来客を待っていた。
しかしその来客はリンネの視線とは逆方向から現れる。左から肩を小突かれてびくりと体を震わせた。
「いつからいたんだ?」
リンネは体を起こす最中に疑問を投げかける。
「最初からいたさ。君がドブ酒を飲み干すところもしっかり見てたよ。」
「まぁいい。とりあえず座れよ。」
にこやかに笑う少年のような男がリンネの左隣の席に座る。名をマヤといった。マヤはセバスにリンネの飲み干したものと同じ酒を用意させ、それを一気に飲み干した。
「で、わざわざこんな店に呼び出したのはなんでだい?」
マヤはセバスに睨まれているなど一つも気づいていない様子で問いへの答えを待っている。
「サテマに行ってきた。」
マヤは椅子から転げ落ちそうになる。酒が回っているとはいえ、そのようなことは滅多になかった。
「、、、あれほどサテマから距離を取っていた君がねぇ。それで何かわかったのかい?」
「何も。だがモノはあった。これなんだが。」
そう言ってカバンから真円の金属板を取り出す。マヤは興味深気にそれをまじまじと観察した。
「へぇ、面白いものがあったもんだね。」
「何かわかることはあるか?」
「そうだねぇ、あまりわかることはない、かな。ただ、魔素密度はかなり高い。今この世にある人工物の中じゃ五指には入るんじゃないかな?」
またかと頭を掻くリンネ。リンネの研究分野は亜学だから、そもそも魔法についてはあまり詳しくないのだ。魔素だの密度だの言われても困る。
「その、魔素ってのはなんだ。最近よく聞くんだが。」
「、、、魔法師がこじつけた嘘八百ってのが魔術師の見解だな。」
マヤは少し身構えて説明する。
「魔素ってのは魔法師が操ってるとされる仮想的な物体だよ。その運動に着目した魔素論ってのが数年前に発表されてからは、こっちはてんやわんやさ。」
「はぁ、じゃあつまりなんだ、魔素なんてものは存在しないのか?」
「わからない。正直、僕も完全に理解してるわけじゃないからね。ただ、どっちみち僕たち魔術師にとってはかなり攻撃的な理論ってことだけは確かだ。」
マヤの顔に影が落ち、さっきの酒をまた呷る。すでに紅潮している肌はさらに赤みを増した。
「わかるか?自分の足場を崩される気分は。僕たちは正素を操っているつもりで、ただ世界を壊していただけなんだよ。開祖テレジカが魔術を禁則とした気持ちが今更ながらわかったよ。」
リンネもマヤに倣って追加のジンを飲み干した。
「ま、頑張れよ。」
リンネは適当な励ましの言葉を投げかけて立ち上がった。
「セバス、2人分つけといて。」
マヤも立ち上がり、リンネの肩に腕を掛けた。お互いが足のおぼつかない様子で扉の前に立つ。
「リンネさぁ、僕が危険を冒してここにきたってことわかってる?ドブ酒二杯奢った程度で釣り合うの?」
リンネの額に冷や汗が垂れる。
「なに?魔術師のこと舐めてんの?開祖が禁則とした意味わからないのかな?」
「わかったようるさいなぁ。いくら欲しいんだよ。」
リンネは懐にしまっていた魔法器に触れる。お互いに見つめあったまま数十秒の時間が流れた。マヤの目はだんだんと虚を見つめる。懐から砂が溢れた。
「で?いくら払えばいい?」
「やっぱりいいや。君には恩もあるし。」
そそくさと出ていくマヤの背をリンネは口角のほんの少しだけ上がった糸目で見送る。セバスは一部始終を見て声をかけた。
「あまり使いすぎてはなりませんよ。」
「わかってるよ。」
カウンターの奥で少しため息をつくセバスを横目にリンネは酒場を後にした。




