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ばいおろじぃ的な村の奇譚  作者: ノラ博士
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其ノ五拾九 小狼と共存していた村

 奇妙な村だった。


 日本の遠別川源流域に位置する、アイヌの隠れ里。小型のエゾオオカミと住居を共にする伝統により、それぞれが古くからの暮らしを可能としつつ、稀有な共生関係が営まれてきた。人は暖かい寝床を提供し、オオカミは縄張りの安全を守る。狩りの成果が多ければ分かち合い、人は保存食を作って共有する。

 そうした山深い僻村にて、我々の研究員がフィールドワークを始めたのは、半世紀以上も昔のこと。どちらとも築けた良好な関係は今も続き、こうして、地下に設けた施設の隠れ(みの)をお願いするに至っている。


 門番のおじさんとジェスチャーであいさつを交わす。屋根と壁を樹皮で()いたチセの内部へ進むと、その奥はもう、アイヌモシㇼ生物学研究所の入口だ。個人認証の装置に体を近付け、指紋や網膜に虹彩など、更にはゲノム情報を読み取らせる。私個人が特定され、ブシュッと音を立ててドアが開いた。中に入るとそこはCTスキャナーになっていて、今度は肉体の構造をチェックされる。


 さて、まずは促成中の四腕体の状態を確認して、それから治療中のA級エージェントを見舞うとするか。その後、また何かしら積まれているはずの雑務を片付けて…ん? 見知った研究員が、セミナー室にて1人で何かをやってるな。


「えー、新人の皆さん、初めまして。今回の講義を担当する、上級研究員の…」


 ああ、新しく配属される研究員たちへの講義の練習か。天才児から大学を引退した高齢者までと幅広い人材が集まるので、説明の仕方が悩ましいんだよな。


「…というように、ヒトが自然発生的に有するゲノム上の変異を、世界中から集めるプロジェクトが発足し…」


 プロジェクト「僭主(タイラント)」の説明か。スカウトしてきた優秀な兵士の強化を建前として始まり、今では実際に、特殊作戦部隊GReEK(グリーク)のかたちで活用もしている。


「…グロノラクトン酸化酵素の遺伝子を修復し、ビタミンCの合成能を再獲得することに代表されますが、それだけでなく…」


 ん、今度はプロジェクト「テセウスの船」か。ヒトが進化の過程で失ってきた遺伝子の働きを復活させたり、あるいは前十字靭帯の強化など、ちょっとした調整を目指したものだ。


「…これは、例えば反回神経の是正や、眼球から盲点を無くすことには、アプローチ出来ないものでした。そこで…」


 プロジェクト「超人(パラミシア)」。ヒトが自然には獲得し得ない変異、時には再設計と言えるほどの改変を加えることで、頭足類型のカメラ眼や、発生学的な4本腕などを実現してきた、私の一押しだ。


「…のため、戦闘目的の個体を造る機運が高まりました。そこで、以上の全てを統合した上で、新たなプロジェクトが発足したのです」


 ああ。生物学部門は特に、それぞれの研究員が個人的な欲求で動く傾向にあるからな。戦闘目的などという、実用性に主眼が置かれるものは、主に工学部門が担当する仕事であった。つまりはサイボーグであり、最近では素粒子センサーを実装するなど、日々アップデートも行っている。安定的に高性能な兵士を量産する観点から、生物学的に改造するより遥かに効率的だ。

 とは言え、生身の兵士にもアドバンテージはある。肉体そのものが武装であるサイボーグと違って、日常的な場所での行動が容易だし、パワードスーツを着用すれば相当に強化することも可能と、汎用性が高い。また、氣や超能力などを高度に用いる余地があり、そう成った者は全身サイボーグよりも圧倒的に強い。


 …おや、練習が止まってるな。どうしたのだろうかと思い、私は扉をノックした。それに気付いた彼はこちらに駆け寄ってきて、状況について話してくれた。

 なるほどね。プロジェクト「究極の生命(アルティメットライフ)」の説明で、何をどこまで、どの様に伝えるのかを思案してたのか。私は、彼の練習に付き合うことにした。まずは黙って聞いておき、心の中でコメントするに留めよう。


「原初の生命が生じた後、“進化”は多様な生物を育んできました。しかし、これは行き当たりばったりで、また、後戻りが大変に難しいアプローチです。そうした、数十億年にも渡る進化の爪痕を引き継いでは、ゲノムデザインに大きな制約が伴われます」


「そこで我々は、進化から解き放たれ、完全に合目的的な設計をコンセプトに、究極の生命として造り上げることにしたのです」


「それは、ホモ・サピエンスがモデルのヒト型として造られました。女性型のエヴァと男性型のアダム…その違いは同一種における性差よりも遥かに大きく、しかし大半の機構は共有しています」


 アダムとエヴァの2種類があるのみで、それぞれは個体差の無いクローンの集団として存在する。見た目はやや現実離れして整った日本人といった感じで、私はコスプレイヤーみたいだと評している。


「ゲノムは人工核酸から成り、化学的にも生物学的にも極めて安定です。DNAと同じくリン酸を構成要素に持ちますが、他は刷新しています。多種の人工的な窒素塩基を採用し、コドンはデュプレット式です」


 これまでの進化を無視するからこそな、究極の生命における象徴的な要素である。セントラルドグマを一新することの効果は多岐に渡るが、例えば、既存のウイルスは増殖しようが無い点などが挙げられる。


「遺伝子がコードする物質は主にタンパク質のままですが、構成するアミノ酸の種類は20を大きく上回ります。そのため、既存の酵素などをベースに最適化した場合でも、性能変化の幅は非常に大きいです。また、完全に新規なタンパク質も数多くあります」


「遺伝情報は限界まで圧縮するため、可能な限り、読み枠や向きの異なる複数の遺伝子が重ねてあります。また、イントロンやトランスポゾン、当然ながらウイルスの残骸などは含みません。その結果、ゲノムは1本の染色体へとコンパクト化されています」


 進化の果てに溜まったゴミは、ゲノムの半分以上を占めることも珍しくない。そのゴミが進化に役立つこともあるが、究極の生命にそれは必要が無く、こうしてゲノム複製のコストを下げる方が好ましい。


「三倍体の3つ子システムを採用し、ゲノム上に生じたエラーは即座に修復されるようになっています。進化を廃し、多様性の獲得を切り捨てたからこその、ホメオスタシス維持に特化した設定と言えます」


 染色体の1本に変異が生じても、残り2本の塩基配列からそれを特定するのが肝であるシステム。我々が新規に開発したものだが、自然界にも似たシステムが存在するのを先日に知った時、実はわりと驚いていた。


「ゲノム複製の高速化も実現しています。先に述べたコンパクト化に加え、岡崎フラグメント様の構造は作らないなど、複製装置の高度な最適化によるものです。これにより、数分間に1回のペースで細胞分裂が可能です」


「分裂スピードの速さは、高い再生能力を支える要の1つです。他の要素としては、小型細胞のストック、小胞ストックを介した細胞膜の急速拡大、生体物質の乾燥保存、再発生による器官単位の再生、などが挙げられます」


 高速分裂+事前分裂+高速成長+器官再生をメインのメカニズムとした、究極の再生能力。端的に言うと、水さえあれば再生も大型化も自在という素晴らしさだ。


「損傷時の対応としては、モジュール化した筋骨格系であることを活かした、キャッチ筋による骨折部の固定も挙げられます。また、臓器機能の集約化によって、特定の臓器が急所になるようなことはありません」


「この臓器は紡錘形のワーム状で、体腔部に最大100ほどの数が収まっています。ほとんど全臓器の機能を有しますが、通常はそれぞれが緩く特化しています。また、全てを心臓機能に当てるといった運用も可能ですし、最悪1つでも無事なら生命維持くらいは可能です」


 予備脳として機能することも出来て、それは移植すれば、記憶を複製した個体を容易に増やせる。また、酸や毒に炎など様々な攻撃手段の源でもあり、次回のアップデートでは、フッ化重水素レーザーの出力機能も実装予定となっている。


「体腔の内面には、神経・血管の接続部位が無数のUSBポートの様に配置されています。各臓器は自由に移動し、任意の箇所で再接続することが可能です。外部環境と接続用の(あな)は、ヒトと同様の頭部・下腹部へのものに加え、体幹部の各所に増設しています」


 ん、ここは少し気になる表現だな。口と鼻からそれぞれ続く管は、繋がらないまま首の付け根まで伸びている。プロジェクト「超人」で、飲食と呼吸の完全な切り分けを目的に開発した様式だ。


「呼吸色素はヘモグロビンだけでなく、多種多様なものを採用しています。これにより、幅広い組成の大気中で呼吸が可能です。また、代謝経路については、各種の嫌気呼吸やシアン耐性呼吸なども採用し、併せて、エネルギー代謝に悪影響を及ぼす毒に対応しています」


「消化能力は非常に強力で、有機物か無機物かを問わず、様々なものを消化・吸収することが可能です。大半の有機物は特定の小分子にまで分解され、これは毒や病原体への対策にもなっています。なお、必要な生体分子は全て合成可能で、腸内細菌に頼ることはありません」


 そのまま使える物質さえも更に分解してしまうこと、これは非効率にも思える。しかし、あらゆる物質への対応を想定するなら、結局そうするのが確実なのだ。それに、熱生産をこのタイミングでしているという考え方も、まあ出来なくはない。


「毒となる物質はヒトと比べ少ないですが、対処の手段は数多く、前述した他では抗体の働きが重要です。想定される毒や病原体に対する抗体は、元から持っています。また、脳からの設計出力を元に、任意の抗体を作ることが可能です」


「自己と非自己は、前者の時間変化する抗原を元に区別され、後者に対しては抗体が自動で作られます。これらの抗体を介し、細胞大までの異物には免疫細胞が、寄生虫なら免疫機能に特化したワーム状の小型臓器が、積極的に攻撃を仕掛けます」


 抗体と言っても、免疫グロブリン以外にも色々ある。中にはナノマシン的であるものさえ存在するが、その実は遺伝子にコードされた物質の複合体である。


「臓器と比べ、骨格はヒトに近いシルエットですが、構成と機能はこちらも大きく異なります。直立二足歩行の最適化、橈尺(とうしゃっ)骨と脛腓(けいひ)骨の一本化による可動域の拡大、脊髄の廃止を伴う脊椎の構造強化など。そして何より、モジュール化した筋骨格系であることが特徴です」


「このモジュール化は、主に四肢を対象にしています。同形の短骨に分割し、キャッチ筋による任意の関節の固定制御を設定したことで、可動性が大幅に向上しています。また、骨格筋の分割・再配置、皮筋の特殊化と併せて、人体の常識から外れた変則的な動きが可能です」


「デフォルトの状態は2本腕ですが、追加4腕分の原基を有し、実際は発生学的六腕体だと言えます。こうした原基は、他にもエラ、尾、内側母指などに設定され、変形神経を介した素早い変身が可能です。また、原基の設定なしでも、一晩もあれば任意の変形が可能です」


 変形には大型化や筋肥大なども含まれ、いずれも可逆的だ。腕や脚については、厳選された変形プログラムを本能的に組み込んである。もちろん翼への変形も可能だが、それによる飛翔には小型化や軽量化も求められる。


「皮膚は、各種耐性をそれぞれ付与した多層の構造になっています。色素体を多く含む細胞から成り、体色変化が自在で、光合成と放射線合成の主要な場でもあります。特徴的なオルガネラには刺胞が挙げられ、また、多彩な触覚に加えて化学受容器も備えています」


 時間をかければ透明化も出来るが、色素顆粒のみならず、多くの物質を一時的にしろ失うという欠点がある。追加の腕だけを対象にするくらいが、現実的な運用かも知れない。


「化学受容器は体内にもありますが、他の感覚器は頭部に集中しています。どれも洗練されていて、例えば視覚器では、頭足類型のカメラ眼に、近紫外線から熱赤外線にかけて対応したオプシン群を搭載しています。また、ヒトが持たない磁覚器なども備えています」


 赤外線知覚のため眼球を耳介からの放熱で冷やせること、には触れておきたいか。あと、フェロモン受容を行う鋤鼻(じょび)器を強化してあり、個体識別や意思疎通に役立っていることや、いずれも感度調整が自在である点にも。


「神経についても、色々と設定を行っていますが、特筆すべきは脳です。進化の副産物である認知バイアスは存在せず、あらゆる能力はヒトの天才の域にあります。一方で、我々に従うことを至上の歓びとするよう、精神を設計しています」


 この帰属本能に関してだけは、戦闘目的の究極的なヒト型生物というコンセプトでなく、我々が使役することを目的とした要素となる。


「これらの他にも様々な設定があります。瞬膜を持ち、半球睡眠、冬眠、乾眠が可能で、環境に応じて酵素の至適温度を切り替える。鏡像異性体の利用。抗酸化能の高さ、それに伴う放射線耐性。幅広い浸透圧への対応、真空への対応、高重力への対応…エトセトラです」


 ごちゃごちゃした説明だが、資料もあるし、口頭ではこのくらいでいいだろう。鏡像異性体も利用することについては、アミノ酸組成や代謝、消化などの説明と一緒に触れられたかとは思うが。


「個体の増殖は、この中央研究所でのクローン作製が基本ですが、自力での繁殖も可能です。エヴァは、子宮機能に特化させた臓器を用いる単為生殖。アダムは、そもそも栄養生殖に対応している陰茎の分離、によって殖えます」


 どちらも生殖巣は持たず、エヴァについては膣が盲端でもある。なお、有性生殖によって作出が可能な特殊個体も存在するが、ここでは開示しない。


「究極の生命がヒトでないにしろ、ヒト型に設計されたのは、ヒトと共通の魂魄が宿るように調整するためです。これにより、ヒトが持つ、地球生命の中で群を抜いて高い超常的なポテンシャルを、人並みには備えています」


 この調整には、彼々の組織と行っている共同研究の成果も盛り込んでいる。セントラルドグマを一新した影響で、関連する遺伝子変異の導入は出来ていないが、理論的には同様の効果を付与していくことも可能なはずである。


「そのポテンシャルを高め、活用していくことが、皆さんの当面の課題です。現在は、OOPORGS(オーポーグス)研究の成果を応用したパイロキノーシスによる、リバースエンジニアリング対策が実装されつつあるのみで、まだまだ研究の余地があるテーマです。皆さん、楽しんでいきましょう!」


 …ふむ、終わりか。まあまあ、いい感じなんじゃないだろうか。気になった点の内、幾つかを伝えるくらいにしておこう。ああ、そうだ。地球上での進化では獲得されがたい、ユウロピウム錯体など、レアアースを含む物質も積極的に採用した点も重要なところだな。


 諸々のアドバイスの後に退室し、予定していた用事を済ませ、やはり積まれていた雑務を片付け終えた頃には、もう日没の時間帯をそこそこ過ぎていた。泊まることも考えたが、早めに次の目的地に向かうとしようか。

 そう決めてから15分後には、チセの中まで戻ってきた。馴染みのオオカミたちが丸まり暖まってたので、そのモフモフさをひとしきり愛でてから、門番のおじさんとジェスチャーであいさつを交わす。


 外に出ると、集落はすっかり寝静まっていた。辺りを撫でてきた風が冷たい。4月になってもまだ雪深い山中、その沢辺を星明かりを頼りに歩きつつ、究極の生命へと思いを馳せる。

 神の創りから逸脱した、人の造りの極みの1つ。(きた)る決戦の時には、神降ろしの対象とならない最弱の兵士になるだろうが、それでも現在の最高戦力に並ぶ力を示せるはず。その域にまでは至らせる。そう決意を新たにしながら、私は次の村へと歩みを進めた。

フッ化重水素レーザーの生体への実装は、「銃夢 Last Order」を参考にしました。

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