其ノ参拾八 終生のヒヨコを作る村
奇妙な村だった。
パキスタン・イスラム共和国のインダス川中流域に位置する、河岸の丘陵。かつて四大文明の1つが栄えた土地であり、洪水により衰退していったモヘンジョ・ダーロの遺跡からほど近く、今はまた集落が散在する。強い日差しが降り注いではいるが、ピークの時期よりもずっと快適な湿度のようで、人々は活気ある様相で働いている。
「コケコッコー」
この国では「クックルクー」と聞こえるらしい鳴き声を聞きながら、私はレストランにてチキンカライを食していた。絞めたて新鮮な骨付き鶏肉がゴロゴロ入ったカレーの類いで、フレッシュな肉味と骨髄に由来する旨味が皿いっぱいに広がっている。香辛料はチリペッパーの割合が高いと思われるが、油もたっぷりと使われており、辛さと旨さが優しく舌に纏わり付く仕上がりだ。
チキンカライをぺろりと平らげ、最後の1つにと残しておいたゴーラケバブを口に入れる。クミンやコリアンダーの風味よりも辛味の主張が強いところに文化を感じつつ、私は席を立った。
店員に代金を支払った後、村の町並みを見ながら目的地へ向かう。レンガ積みの古い家々の間に、コンクリート製の新しい家が建ち並ぶ景観。どちらの屋上にも風を取り入れるための煙突に似た構造が備わっていて、それらが全て同じ方向を向いてるのが面白い。
人が増えれば家も増え、職も増えて物も増してくる。そうして賑わいを増すこの村であるが、ここまで栄えてきた理由は、我々の技術を用いての村おこしが行われているからだ。
この村は研究員の1人の故郷であり、以前は貧しく寂れた場所だったらしい。村一番どころか州一番くらいの秀才であった彼は、期待の星として中東でも随一の大学へと進学したのだが、大学院の在籍中に我々の組織にスカウトされている。それは、金銭面はともかくとして、大っぴらに錦を飾ることは出来なくなることを意味しており、彼はそのことを気に病んでいたそうだ。
そんな中、ケナガマンモスの復活プロジェクトが一般向けに公開されると知った彼は、ならば自分もと計画。「死ぬまでヒヨコ」を造り出し、特例として村の特産ペットの位置付けで販売が許可されるまで尽力した。
「コケコッコー」
鶏の鳴き声と臭いが知覚されて間もなく、養鶏場に到着した。細長い鶏舎の中を窓から覗くと、肉用種の鶏たちがひしめき合っているのが見えた。この敷地の奥に、ペット用の区画があるはずだ。…お、あれか。
コンクリート製の小さな直方体の建物で、麼變所と書かれた木札が立てかけられてある。入口には2人の男が門番の様に配されており、それなりのセキュリティーを心掛けているとうかがえる。
私が視察に来ることは適切に伝わっていたようで、ID認証の上でスムーズに中へと案内された。飼育スタッフらしき女性が作業をしている。諜報員に代わって持ってきた専用のエサを手渡すと、仰々しくお礼を述べてきた。ふむ、この成熟した1羽ずつのオス鶏とメス鶏が、ここのヒヨコたちの両親なのだろう。
特に見た目に変わったところは無い、白色レグホーンのペア。それが飼育されるケージ内には、つい先ほど産まれたと思われる卵1つが落ちていた。飼育スタッフが、大事そうに拾い上げて保温保湿器へ移す。この装置は全部で49個が設置されてあり、これで、その内の21個には卵が入ったことになる。
「ピヨピヨピヨ」
残りの28個ではヒヨコが飼育中なのだが、1日ずつは誕生日が離れているはずな個体のどれも、黄色い羽毛に覆われた初生雛の外観である。ほとんど生まれた時のままなサイズに違いない。1ヶ月間は体温の調節を手助けしてやりつつ、大きく成長しないかチェックしてから出荷する体制が守られているようだ。
「ピヨピヨピヨ」
可愛らしいヒヨコの姿で生涯を過ごすこの動物は、主として「成長させない」ことで成り立っている。成長する、つまり体が大きくなるとは、第一に骨格が大きくなることで駆動される現象である。そこで、その停止をメソッドの根幹とする設計を彼は採用した。
骨の成長は、表面を一様にコーティングして塗り固めるような単純なものではない。少し想像すれば分かるはずだが、それでは丸みを帯びた塊になっていくだけだ。
頭蓋骨の上部であれば、外面には骨が付加される一方で内面は削られて厚みの調整となり、縫合部では両面が広がるように付加されていく。大腿骨などの細長い骨だと、太さを増すのと長さを増すのとでは別々の制御を受けることで、プロポーションがそれなりに保たれる。この様に、骨の成長とは複数のメカニズムが働くものであり、その全てを停止させた上で健康に生存を継続させるには、様々な工夫が求められる。
とは言え、体が大きくなることに最も寄与するのは「長さを増す」様式であり、今回の設計もそこを止めることが肝になっている。
「ピヨピヨピヨ」
骨が伸びるよう成長するのには、先端部の近くで内側に挟まっている板状の軟骨が増殖した後、それが硬骨に変わっていくというプロセスが踏まれる。この増殖は、成長ホルモンや性ホルモンの刺激によって活性化されるのだが、思春期の終わりと共に成長が止まっていくのがそうであるように、性ホルモンがアポトーシスを誘発することなどで停止させられる。
この辺りのメカニズムを利用する手もあるとは思うが、彼が選択したメソッドはより堅実的なもので、IHHやPTHLHといった、増殖の維持に働くタンパク質の発現や機能を抑える方法であった。骨の伸長をもたらす軟骨の増殖を止めて、早期に大人と同じく一様な骨に変えてしまうわけだ。
IHHやPTHLHなどの抑制には、複数の小型タンパク質と機能性RNAから成る、我々独自の技術で開発された複合体が使用されている。これは、その構成要素をコードする遺伝子を各染色体のあちこちに散りばめることで、リバースエンジニアリング対策が容易になるというメリットがある。
ヒヨコたちの両親であるオス鶏とメス鶏とでも分散させてあるので、例えば、スパイが持参した鶏と交尾させて精子を奪ったとして、その後どんなに子孫同士で交配を繰り返そうとも、元と同じ性質の個体は決して得ることが出来ない。そもそも、ヒヨコにしろ両親にしろ、専用のエサを与える必要もあるのだが。
「ピヨピヨピヨ」
ヒヨコが卵の中で胚発生を進めている時のことを考えると、その間は骨が成長しなければならないのは自明である。また、例えばIHHタンパク質については、骨髄が造血の能力を獲得するのにも機能している。そのため、ヒヨコの細胞で発現される人工の複合体は、適切な時点にてON/OFFされる必要がある。
このコントロールは、専用のエサを与えることで行われている。複合体に対する阻害剤を含んだエサをメス鶏に食べさせて、その成分を卵黄中に蓄積させておくことで、発生中は通常と同じく体が作られる。専用のエサを十分に食べさせていないと、ヒヨコが孵化するまで至れずに死んでしまったりするが、これも盗難の対策になっている。
適切にエサを与え続けていた場合は、この阻害剤は生後3週間くらい効き続けるだけの量が溜まっているので、孵化した後に普通のエサで飼育してしまうと、大きな雛鶏くらいにまで育ってしまう。これには、生まれた直後のみ、阻害剤を無効化する物質を含んだ別のエサを食べさせることで対応しなければ、ヒヨコのままのヒヨコは得られない仕様だ。
また、阻害剤入りの方のエサを与え続ければ、繁殖が可能になるまで育てることは出来るが、遺伝子の分配の関係で、その個体同士の子孫では複合体の要素がまず揃わない。そのため、ヒヨコたちの両親を代替わりさせる時には、我々から新たなペアを提供する。
といった様に、指定のオス鶏とメス鶏のみを両親として、2種類の専用のエサを適切なタイミングで運用することが、この事業では必須なのである。それらのエサは少量ずつを卸すことでも盗難のリスクを下げており、技術の流出に対しては多重の対策が為されていると言えよう。
「ピヨピヨピヨ」
老いて死ぬまでヒヨコの見た目を維持するには、サイズの他にも気にするべき点がある。それは、ふわふわの黄色い羽毛で覆われていることである。可愛らしいペットとしての需要を狙うのなら、これも極めて重要になってくる。
ヒヨコが生まれた時に生えている羽毛は、弱々しくて保温能力に劣るものであり、だからこそペットとして守ってあげたくもなる。しかし、孵化してそう時間を置かずに、もう大きな羽毛が生えてきてしまう。これにも対処をしておかなければ、どんなに体のサイズが小さくなる設計であろうと、ヒヨコとも成熟した鶏ともつかない、中途半端な動物が出来上がってしまう。
研究員の彼は、本来の新たな羽毛が生えてくることを抑制した上で、発生時と同じく、最初の羽毛を生える部位ごと新規に作るメソッドを採用した。具体的には、線維芽細胞増殖因子や骨形成タンパク質の制御を行っており、イメージとしては使い捨ての毛穴を作り続けるような方策となる。羽毛の密度が上がることで、保温能力の向上も実現されている。
「ピヨピヨピヨ」
私が設計するとしたら、ホルモンによる制御を中心に組み上げて、代謝を活性化させると共に、ヒヨコの羽毛が生え換わっていくシステムを考えるだろうか。まあ、それは個人の好みの問題ではあろう。
さて、視察としてはこのくらいで十分に思われる。施設がきちんと機能しているようで何よりだ。今後も安定して1日1匹を上限に、この村から「死ぬまでヒヨコ」が世界中の人たちに購入され、可愛がられていくと期待したい。
飼育スタッフと門番たちに視察の終わりを告げ、建物内の日陰から外へと出る。まだ陽光の勢いは強く、どこかで飲み物くらいは調達したい気持ちに駆られる暑さだが、インダス川の方から涼しめな風が吹いてもいて気持ちいい。
「コケコッコー」
モヘンジョ・ダーロの遺跡からは、鶏を表現した粘土像や印章に加え、鶏の大腿骨が出土していて、それらは、セキショクヤケイをベースに作られたこの家禽の存在を示す、最古の証拠だと言われている。そして今もなお、鶏肉はパキスタンの人々にとって大事な食材であり続け、様々な料理に用いられる。
そんな土地へ、我々の技術を駆使したヒヨコが導入されたことに愉快さを感じながら、私は次の村へと歩みを進めた。




