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ばいおろじぃ的な村の奇譚  作者: ノラ博士
27/62

其ノ弐拾七 巨大な芋虫を育てる村

 奇妙な村だった。


 パプアニューギニア独立国のカリウス山脈に位置する、山中の集落。起伏の激しい山々により数百の言語に分断された、数千の村々の1つであり、石器時代の様相を色濃く残した秘境である。サゴヤシの木から抽出するデンプンや、バナナにサツマイモなどを主食とし、昆虫を貴重なタンパク源とする生活が今日も営まれている。


「ぴちゃんっ」「ぴちゃんっ」


 朝方のスコールという珍しい事象が止んできた。標高の高さ故に適度な気温ではあるものの、降水量の多さはこの地が熱帯であることを雄弁に物語っている。

 ん、木陰で共に雨宿りしていた村人たちが、進行を再開するようだ。遅れずについて行かなければ。


 私が早朝から同行させてもらっているのは、彼らにとって大事な場所へと向かう道中らしい。バナナ畑でバナナを採ったり、倒木からカミキリムシの幼虫を捕ったりもしていたが、そういった食料採集はメインの目的ではないようだ。

 初見の私を案内してくれるのは、日本からお土産に持ってきた貝殻を気に入ったからだろうか。長径30センチメートルを超す大型のシロチョウガイ。その身に産する真珠と同じ白さの輝きが、儀礼的とは言え貝貨を用い続ける彼らの心に響いたものとうかがえる。


 歩き続けて2時間半ほどが経過した。尾根筋から谷底へと向かって、小さな沢の中を通りながら降りていく。川の本流の音が徐々に大きくなっていき、視界も開けてきた。

 目的地は、かつて川の流路だった三日月湖であるらしい。


 !! その湖に浮かぶ竹製のボート、それに乗せられた草()きの屋根の下から、巨大な芋虫が顔をひょっこりと出している。

 私はじゃぶじゃぶと音を立てながら近付いて、肩まで水に浸かりながら観察をスタートした。


 鮮やかなブルーの体に、肥大化した尾脚の黒いソール。背中に並ぶのは赤っぽいスポット模様と、パンク的な形をした黄色いトゲ。その突起が相対的に小さいという違いこそあるが、世界最大のガであるヘラクレスサンの幼虫によく似た見た目をしている。

 ただし、その幼虫であれば12センチメートルの長さで最大クラスだが、こちらはやや縮んだ体勢ですら33センチメートルはある巨大さだ。太さも8センチメートルほどと、規格外のサイズである。


 この興味深い動物を観察し続けていたところ、後ろからすい~っと1人の子供が泳いできて、竹製のボートに乗り上がっていく。そして、巨大な幼虫を優しくマッサージし始めた。体の後部に少し残っていた脱皮殻も取り除いてあげている。

 私はそれを採取して、ゲノム解析とトランスクリプトーム解析を開始した。


 湖の岸辺では、大人たちが何やら作業をしているようだった。近付いてみると、道中で集めていた昆虫から、チョウやガなど鱗翅(りんし)目の幼虫ばかりが選別されていた。そして、石製のナイフで手際よく解体していき、脳の後方に繋がっているアラタ体だけを集めている。

 そうして得られた22匹分の内分泌腺が、1匹の普通サイズなヘラクレスサン幼虫の頭部へと移植されていった。細く削られた竹串を使って上手に手術するものだと、感心させられる。


 手術を受けていたのは、大きさから判断して、次の脱皮でサナギになるタイミングの幼虫だろう。村人たちは、この操作を経て巨大な芋虫を作っていたわけだ。


 昆虫の表皮は、ムコ多糖の一種であるキチンと、それを螺旋状に取り囲むタンパク質が主な構成である。このタンパク質が幾つも結合していくと硬化が進み、強固な外骨格が作られる。幼虫では硬化の程度が基本的に低く、表皮は伸び縮みに長けているとすら言えるが、それでも成長の妨げとなるくらいには拘束力が生じてしまう。

 そこで、ある程度は硬くなっている外側を脱いでしまい、その直下に詰めておいた新品で大きめな表皮を最も外側にする。こうやって成長限界を更新していくのが、幼虫から幼虫への脱皮である。


 この脱皮には、アラタ体から分泌される幼若ホルモンが必要とされる。そのため、アラタ体を除去すれば幼虫であることを維持出来なくなり、すぐにサナギとなってしまうし、逆に移植してやると、通常よりも脱皮の回数を重ねられて大きな幼虫に育つ。定期的に移植を繰り返せば、その効果の持続も可能となる。

 理屈としては非常に古典的だし、私も試してみたことはある。しかし、だからこそ分かるが、あの芋虫があれほどまでに巨大化を出来たことには、追加の要因もあることは間違いない。


 昆虫を巨大化させるためには、幾つもの課題がある。その中で最も強い制限となっているのは、呼吸の問題だと言えるだろう。この村人たちは、それの解決もしたらしい。


 酸素を取り込み、二酸化炭素を排出するガス交換のシステムには、様々な種類が存在する。例えば人間では、肺とヘモグロビンが主要な役割を担うわけだが、昆虫では気管という器官がメジャーである。

 体に開いた幾つもの穴から、体内の各所までダイレクトに空()が届くよう()を張り巡らす系の根幹であり、拡散によって自動的にガス交換されるというエレガントな手法を成立させる。


 ただし、非常に受動的と言えるこのシステムは、小型だからこそ効率が良いのである。体が大きくなり気管が長くなると、ゆっくりとした拡散で体の奥深くまでアスセスすることの不具合といった、深刻な問題が生じてくるのだ。

 これが、昆虫の大型化を難しくしている課題の筆頭である。古生代の石炭期には大型の昆虫が多く生息していたが、それは30%ほどにも達した、高い酸素濃度の助けがあってのことと考えられている。


 あの巨大なヘラクレスサンの幼虫は、湖の上で育てられている。水面下では光合成が盛んに酸素を作り出し、二酸化炭素は水に溶けることでも減っていく環境だ。幾分かではあるが、周辺よりも酸素濃度が高いだろう。


 また、ボートの上という限定された空間による運動の制限は、酸素の消費量を大きく下げることに寄与しているはずだ。大きなエネルギーを要する飛翔は行えない幼虫だということも、重要なポイントだろう。


 子供が行っていたマッサージには、ガス交換の効率を上げる効果が期待される。酸素や二酸化炭素が、濃度の高い方から低い方へと移動する拡散だけでなく、体を気管ごと揉むことで、ポンプが作動したように能動的にも輸送されるはずだ。


 こういった小さいことの積み重ねによって、昆虫史上でも最大クラスに達せられるまで、芋虫の呼吸が手助けされているのだと考えられる。

 アナライザーの解析結果を見てみても、遺伝子やその働きに通常と異なる点は確認されず、与えられているエサも通常のものであるらしい。やはり、アラタ体の移植と呼吸のサポートを行うことが肝である、という理解になりそうだ。


 お、巨大な芋虫が湖岸まで運ばれてるなと思ったら、腹部を縦に切られて瞬く間に(さば)かれてしまっている。

 そろそろサイズアップも限界だろうとは思っていたので、ここで()()()にすることは納得である。幼虫までしか育てない想定であれば、大型化に伴って危険度が増してしまう羽化について心配することも無い。


 ふむ、基底膜が露出するまで木べらで体組織を除いた後、湖で洗ってから塩をまぶして、この幼虫自身の内臓のペーストを塗り込んでいる。使用されたのは、ほとんどが脂肪体と神経で間違いない。

 こうして皮だけにされてしまった幼虫のマリネは、バナナの葉に包まれて、村人たちが代わる代わる揉み続けていった。


 しばらくはこの辺りに留まるようで、少し離れた場所では焚き火が行われていた。硬い木の輪を利用した摩擦熱であっという間に火種を起こすとは、流石は原始に通じる民である。


 食事を作るのは女性の役割なようだ。昼になると、バナナを皮付きのまま焼いたものと、カミキリムシなどの幼虫を串焼きにしたものが出来上がってきた。どうやら私にも食べさせてくれるらしい。

 うん、焼きバナナは皮を剥くと蒸し焼きになっていて、とろとろの食感と引き立てられた甘さがいい感じだ。それと、カミキリムシの串焼きは本当に美味しいな。エサである木材に由来するナッツに似た風味がある上に、濃厚な旨味がクリーミーな食感と一体になっていて、舌を長いこと楽しませてくれる。マグロのトロに例えられる食材なだけはある。


 この三日月湖のほとりに到着してから、6時間くらい経っただろうか。夕暮れまでには村に戻れそうなタイミングで、皆が帰路につき始めた。そして、今朝と同じルートをひたすら歩いていくその道中も、巨大な芋虫だった皮は揉み続けられている。


 村に到着すると、下処理された皮がバナナの葉の包みから取り出され、マリネのペーストが洗い落とされていった。それに続いて、木の板に固定した状態で風乾する工程へと進められている。

 …彼らは一体、何を目的にしているのだろうか。ヘラクレスサンの幼虫を手間暇かけて巨大化させることに始まる一連の工程は、単なる調理などではなく、何やら儀式めいたものを感じさせる。


「おおっと、これはこれは。お久しぶりでございやす」


 村人たちが全員で住んでいる、高床式で木製のロングハウス。その入口から私に声をかけてきたのは、半年と少し前に霧呼見(きこみ)島で知り合った、旅の服飾師であった。


「あっしが作ったサマーコート、着てくれてるんですねぇ。よくお似合いで……ひっく」


 私も気に入っているので、夏に訪れた地では基本装備の様になっている。そして、そうか。この怪しげな弁髪の酔っぱらいが居るということは、()()は調理ではなく加工だったのか。


「この村にはですね、彼らの伝統衣装を作りに来たんですわ。ほら、あの男性をご覧になって下せえ」


 バナナから造られた密造酒、通称ジャングルジュースを美味しそうに飲みながら、旅の服飾師はそう言った。その指し示された先を見ると…


 鮮やかなブルーの美しい前掛けが、男性の腰みのに装着されている。黄色いトゲと赤っぽいスポット模様、それと乳首の様に突き出した独特な膨らみ。それらが整然と縦に並んている装飾は、見慣れない魅力を感じさせてくる。足元の側のより一層に大きな膨らみでは、黒くて紡錘形の模様が良いアクセントとして主張している。

 巨大化されたヘラクレスサンの幼虫、その皮を(なめ)して作られた革を用いた作品…体のパーツからそれが2匹分を並列に繋げたものだと理解はされるが、そう思考しなければ1個体の動物に由来するものだと思ってしまいそうだ。それくらい、巧みな縫合で形が成されている。


「ここの出っ張りとシボの感じが、2枚の革でぴったり繋がるように縫っていやす。上手いもんでしょう?」


 なるほど、それで腹脚が3列になっているのか。いやはや、生物と相対する、しかし生物学とは異なる技術体系というのも面白いものだな。おそらくはその手技だけでなく、生物についての理解というものが、科学者のそれとは違った方向性で極まっているのだろう。


「今日は鞣しの作業を見てきたんですかい? あっしも行きたかったんですが、虫が大の苦手でしてねぇ……この村まで来るのも大変でしたわ……ひっく」


 それならば巨大な芋虫なんて凄まじく嫌悪感を示しそうだが、革という素材になっている分には平気なのだろうか。いや、これは気が付いていないのだろうな。


「よし、そっちの革もいい感じに乾いたようです。早速、次の品を縫っていきやしょう!」


 そう言って村人から作りたての革を受け取ると、旅の服飾師が(まと)う空気が変わった。素材の全てを把握するべく五感が、あるいは第六感までが研ぎ澄まされているようだ。アルコールの影響も瞬時に消し飛ばされて、完全に職人モードに入っている。

 そこからの動きは圧巻であった。ハサミと針と糸を駆使して、1枚の革が、幼虫の生命力すら感じられる立体的な頭巾(ずきん)へと生まれ変わっていく。こういった技能を持たない身としては、魔法にも等しい光景とさえ感じられる。


「出来やした。ちょいと、試しに被ってみてくれますかい」


 受け取った頭巾はしっとりと柔らかい質感で、引っ張れば倍くらいは伸びる弾性を備えていた。脱皮してそう時間が経っていない幼虫の皮を元にすることで、こんなにも伸びる革になるのだろう。

 では、頭に乗せてみよう。…おお、とてもフィットする。ゴムとはまた違った優しい締め付けだ。芋虫と一体化したような感覚にもなってくる。


「いいですね! これで完成としやしょう」


 そうして、旅の服飾師の作品2つが村人たちに納品された。彼らは大いに喜び、踊り、そのまま宴の準備が始められていく。


「それにしても、珍しい質感の革でしたわ。あんなものは、あっしも初めて扱いやした。一体、あれは何の革なんですかい?」


 仕事を終えて早々にジャングルジュースを口に含み、酒の(さかな)に、おそらくはそうと知らずにゾウムシの幼虫を食べながら、当然の疑問を投げかけてきた。

 私はガの幼虫であることは伏せながら、鞣しの工程についての説明をしておいた。


「脂肪と神経、それに塩ですか……脳みそを使う油鞣しに似ていやすかね。その手法であんなに伸び縮みする革になるとは、驚きですが」


 あまり詳しくはないが、動物の皮を腐敗させず硬くもさせない目的で加工するのが鞣しであり、その産物が革である。塩で脱水して脂を染み込ませることで腐敗を防ぎ、タンパク質の繊維が癒着して硬くなることを、脂が変化したアルデヒドで抑えているのだろう。そう考えると、酸化しやすい不飽和脂肪酸が多い昆虫の脂肪体は、鞣しにあたって好都合なのかも知れない。

 ヘラクレスサンの幼虫の皮は、コラーゲンに富んだ脊椎動物の皮とは組成が全く異なるが、ある程度そういった効果を期待してもいいだろう。


「縫い糸は、ヨナグニサンの絹糸が合う気がしたので使いやしたが、そういう意味でも初めての革でしたわ」


 まさか、同じヤママユガ科であることを直感的に理解したのだろうか? 系統的に離れたカイコガの絹糸は違うと思ったろうことから、その精度の高さが感じられる。いやはや、職人的なセンスというのは興味深いな。


「それで、何の動物の革なんですかい? いや、当てましょう……クスクスの、玉袋とか?」


 私は意を決して、本日の映像記録をアナライザーに表示させ、湖のシーンから見せてあげた。


「ギャあッ!!!」


 泡を吹いて気絶してしまった旅の服飾師を介抱しつつ、彼の作品を身に纏った村人へと目を向ける。巨大なヘラクレスサン幼虫の頭巾と前掛け、オスの成虫を10匹もあしらった頭飾りに、シロチョウガイとタカラガイのネックレス。満月の明かりに照らされながら歌い踊るその男性は、森の精霊そのものであるかの様な神秘性を呈していた。

 翌朝、その素晴らしい光景について服飾師に説明してあげながら、私は次の村へと歩みを進めた。

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