信長への提案(前編)
四輪荷車の改良を終えてから、数日後。俺たちは、織田家の那古野城に来ていた。城の広い庭には、改良を終えた四輪荷車が置かれている。今日は、この荷車を信長に見てもらう日だ。
「……帰りたいな」
俺は小さくつぶやいた。もちろん、本当に帰るつもりはない。だが、目の前に並ぶ顔ぶれを見ていると、そんな気持ちにもなる。柴田勝家、丹羽長秀をはじめ、織田家の重臣たちがすでに集まっていた。その端のほうには、木下藤吉郎の姿もある。
どうして、こんなに重臣が集まっているんだ。俺は、ただ四輪荷車を見てもらいたいだけなんだが。
「正男様、顔がこわばってますよ」
隣にいた五兵衛が、小声で話しかけてきた。
「そうか?」
「はい。まるで戦に出る前みたいです」
「実際、戦に出るより緊張しているかもしれない」
俺は苦笑した。相手は織田家の当主、織田信長だ。
「はあ……」
思わずため息が漏れた。そのとき、ふと視線を感じた。顔を上げると、少し離れた場所にいる藤吉郎と目が合った。藤吉郎は俺の顔を見るなり、口を横に大きく引っ張り、目をひんむいた。とんでもない変顔だった。
「ぷっ!」
俺は思わず吹き出した。慌てて口元を押さえたが、もう遅い。藤吉郎は何食わぬ顔で前を向いている。
あいつ……。こんなところで何をやっているんだ!
だが、不思議なことに、さっきまで胸の中にあった緊張が少し和らいでいた。俺は藤吉郎に向かって、小さく頭を下げた。藤吉郎も、わずかに口元を緩める。
あいつめ、本当にいいやつだな。
「正男様、そろそろお見えになるそうです」
桜の声で、俺は我に返った。
「分かった」
俺は背筋を伸ばし、改めて四輪荷車を確認した。前輪の取り付け部分に問題はない。車輪と車軸の固定も、交換しやすい構造に改良してある。桜が作成した検査基準書も、きちんと用意してきた。準備はできている。あとは、信長に説明するだけだ。
「信長様、ご到着!」
庭に小姓の声が響いた。集まっていた者たちが、一斉に姿勢を正す。やがて、数人の家臣を従えた信長が姿を現した。俺たちは、その場で深く頭を下げた。
「面を上げよ」
信長の声が響く。俺は顔を上げ、信長の様子をうかがった。信長は庭に置かれた四輪荷車に目を向けている。しばらく荷車を眺めたあと、俺に視線を戻した。
「正男。これが、そなたの申しておった荷車か」
「はっ。以前の二輪荷車を改良し、四輪にしたものでございます」
「ほう。それで、何が変わった?」
「はい。実際にご覧いただきながら、説明させていただきます」
俺は荷車のそばへ移動した。まずは、荷台の下にある四つの車輪を示す。
「こちらが、今回改良した四輪荷車でございます」
「どのような利点がある?」
信長が尋ねた。
「まず、荷台を四つの車輪で支える構造にしたことで、荷物を積んだ際の安定性を高めております。また、前輪の取り付け部分を改良し、左右に向きを変えやすくいたしました」
俺は五兵衛に合図を送った。五兵衛が荷車の前側に立ち、ゆっくりと押す。荷車はまっすぐ進んだあと、前輪の向きを変えて左へ曲がった。続いて、反対側へ方向を変える。以前の試作品と比べ、動きは滑らかになっていた。
「このように、前輪の向きを変えやすくしたことで、方向転換にかかる手間を減らしております」
信長は何も言わず、荷車の動きを見つめていた。俺は説明を続ける。
「次に、車輪と車軸の取り付け部分を改良いたしました。以前は、車輪を交換する際に周囲の部品まで外す必要がございましたが、今回は必要な留め具を外せば、車輪を取り外せる構造にしております」
「修理が容易になるということか」
「そのとおりでございます。交換用の車輪も同じ寸法で作っておけば、破損した際に素早く交換できます。修理にかかる時間を短縮し、荷車を使えない時間も減らせます」
「ふむ……」
信長は短く答えた。その表情からは、何を考えているのか読み取れない。俺は少し緊張しながらも、説明を続けた。
「さらに、部品の寸法や取り付け位置を検査基準書に記録しております。同じ寸法で部品を作ることで、交換用の部品も用意しやすくなります」
桜が、手にしていた検査基準書を差し出した。信長はそれを受け取り、記載された寸法や項目に目を通す。
「部品の寸法まで決めておるのか」
「はい。作る者によって寸法がばらばらでは、部品を交換する際に調整が必要になります。最初から基準を定めておけば、同じ部品を繰り返し作ることができます」
俺は一度、言葉を切った。
「この四輪荷車は、方向転換がしやすく、車輪の交換も簡単です。修理にかかる時間を減らし、長く使い続けられる道具にできると考えております」
信長は、黙って俺の話を聞いていた。勝家も、長秀も口を挟まない。庭には、妙な緊張感が漂っていた。俺は内心で、頼むから何か反応してくれ、と願った。
やがて、信長が口を開いた。
「面白い」
短い言葉だった。だが、その一言を聞いた瞬間、俺は胸をなで下ろしそうになった。信長は検査基準書を桜に返すと、再び俺を見た。
「正男」
「はっ」
「この荷車、量産できるか?」
来た!
俺は心の中で気合を入れ直した。俺が目指しているのは、荷車を一台作って終わることではない。製造の仕組みを整え、職人を育て、同じ品質の製品を繰り返し作れるようにすることだ。そして、その先には、さらに多くの道具を開発する未来がある。
俺は信長の目を見て、はっきりと答えた。
「できます」
信長の目が、わずかに細くなった。
「ほう。申せ」
俺は背筋を伸ばした。
「そのために、信長様にご提案したいことがございます」
ここからが、本当の勝負だ。俺は、織田家との共同事業について説明するため、口を開いた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
作者自身も会社で居並ぶ上司たちを前にして仕事の成果を発表することがあります。そのための資料作りなどで大変でした。そして、当日は緊張しながら発表していました。正男の「帰りたい」はリアルな作者の台詞です。そのときをイメージしながら執筆しました。
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明日の朝6時も更新予定です。よろしくお願いいたします。




