第82景:『決意の引き継ぎ』
広間の空気は、ひときわ静かだった。
図書館の会議室、普段は議政の執り行われる部屋。長方形の木製テーブルを囲むように、エモツェの5人が静かに席に着いていた。
――いまから議論するのは、少女のこと、この街のこと、そして世界の“先”について。
情報の出し惜しみの必要な局面ではない。単独では無意味に見える断片も、混ぜ合わせれば思わぬ結びつきを生む。いま必要なのは、“どの選択が正しいか”ではなく、“何ができるか”の抽出だ。
街の構造と、少女との相互関係外の世界の技術と理論。……そして、この事態に至るまでの一部始終。それらをひとつずつ共有する。
静かに聞き入っていたエモツェたちの前で、私は黒板に背を向けた。
「……以上が、私の世界の技術体系。そして、私の有する知識と能力についてだ。すべてを語り尽くすのは不可能だが、なるべく詳細に話したつもりだ」
――数秒の沈黙。
やがて、ラスカヴァの桃色の髪が、肩を越えて小さく揺れる。
「……知識や能力については、理解したわ。でも、なぜ私たちは、アナタの性癖の詳細まで聞かされたのかしら?」
私はゆっくりとまばたきひとつ、姿勢を崩さず答える。
「物事の解決のヒントは、意外なところにあるものだよ。念のため補足しておこう。私のエロフォルダの偽装方法についてだが……」
ルースカが、日焼け肌の片肘を机につけたまま睨む。
「そこで止めないと、スパナが飛ぶわよ」
インスティナが渋い顔で口を開いた。
「……だから、同じテンションで朗々と語るのやめぇや。止めどきがわからんかったやないか」
私は、ふわりと広がる巻き毛を指で弄ぶ彼女に向き直る。
「ふむ。内容はともかく、プレゼンテンションには定評があるのだがね」
「なわけあるか!!」
エモシュカが、妙に熱心にメモを取りながら頷いていた。
「なるほど、“おねショタ”……つまり、記憶に触れるノスタルジーと、主客転倒の主導権……。そして、“人物の背景を感じさせる状況”……じゃあ制服とか……?」
「おっと、良いところに目をつけたね。たしかに、制服という記号には、背負う社会的文脈と個人性が凝縮されている」
ラスカヴァがカップを口元へ運ぶ。その指先が、スカートの裾を軽く整えながら、ふ、と口角を上げた。
「なるほど……制服、ね……」
対面のルースカがすかさず反応した。
「ラスカヴァ。“これはワンチャン”みたいな微笑みやめなさい」
「……笑ってなどいないわ。ただ、駅員制服というのは、フォーマルかつ実用的で……好ましいかしら? と思っただけよ」
「エモシュカ」
パムェトナがエモシュカに向き直り、お団子の髪と大きな巻き角の影がノートの紙面に落ちる。
「……そのノートの第8頁。いますぐ、裁断機にかけるわ。寄越して」
「えええぇえ……!? だって、先生の……じゃなくて……ほら! 演技の参考に!」
ノートを抱きしめながら泣きそうになるエモシュカ。深い紫色の癖毛が、左目を隠したまま微かに震えていた。
ようやく場が落ち着くと、ラスカヴァが軽く息をついた。その指先が、スカートの上で静かに組まれ、ティーカップの揺れがわずかに止まる。
「……とにかく、話を整理しましょう」
やわらかな声が、広間の空気に沈み込む。
「この街と、あの子と、あなたの話を踏まえて……今、私たちが選べる道は三つ」
小さく目線を落としたまま、彼女は言葉をつないだ。
「ひとつ。あの子に嘘をついて、街を完成させる。
ふたつ。真実を全部話して、選ばせる。
みっつ。ギリギリまで粘って、“両方救える別の道”を探す」
机の上に沈黙が落ちた。重たい空気のなか、インスティナが椅子に大きく体を預け、脚を組み直して手を組んだ。
「……ワイは、案2に賛成や」
口火を切ったのは、彼女だった。
「……意外だな。キミが結論を急ぐとは」
「理由は3つ」
彼女は指を一本立て、指先のネイルで淡く天井灯を返した。
「ひとつ。閃きっちゅうのは、大抵“情報を咀嚼し終えた時点”で9割出尽くす。会議いうんは、残り時間で“誰が損を被るか”を押し付け合う場所や。それ、ワイは時間の無駄や思てる」
「……合理的ではあるな」
「ふたつ。案1は、確かに安全策に見える。せやけど、不確定要素が多すぎる。この街が完成してから、ワイらの統合がどう影響するか。あるいは、あの子が“外で真実に気づいた時”に何が起きるか。それらは、今のワイらにはコントロール不能や」
「……たしかに」
「ほんで、最大の理由」
インスティナは、口元にニッと笑みを浮かべた。
「ほんまにワイらが”あの子の分身"なんやったら、“ワイがアンタに騙されとる”って構図は……普通にムカつくわ」
その言葉にルースカが笑って、後ろで結んだ黒髪をほどきながら腕を挙げた。
「私も、案2に“部分的に”賛成。案1は、失敗したときリカバリができない。もし街が完成する前に“騙された”と気づかれたら……あの子は心を閉ざす。もう、戻らないと思う」
「案3は?」
「……案2を実行した後でも、諦める必要はない。むしろ、今みたいに手詰まりなら、真実を伝えることで街に変化が起きるかもしれない。その変化の先に、“何か”があるかもしれない」
他のエモツェたちも、それぞれに顔を上げる。
ラスカヴァは静かに頷き、パムェトナは一行を記してから、そっと眼鏡の位置を直した。
エモシュカはなにか考え込んでから、ゆっくりと挙手する。
「……私も、あの子に選んで貰うのがいいと思います。それが、一番誰も後悔しなくていい道だから」
それぞれの形で。しかし全員が、“案2”を選んだ。「真実を話す」という、一見シンプルで最も難しい道を。
会議室に、再び静けさが戻る。だが今の空気は、先ほどよりもずっと、張り詰めていた。
この選択は、確実に街を変える。この選択は、少女の夢を、目覚めへと近づける。
――議論は、すでに終わった。誰も言葉を発さないまま、広間の空気が、少しずつ“決断の匂い”に満たされていく。
あとは、実行だけだ。 そしてそれは、私自身の役目だ。
私は、黒板の横に立ったまま、テーブルの面々を順に見渡した。
会議室に、再び沈黙が落ちる。
ティーカップが置かれ、資料が閉じられ、椅子のきしみが、ひとつずつ収まっていく。
「……ありがとう」
誰に向けてでもなく、しかし確かに、それは“この場”に向けた言葉だった。
私は資料をまとめ、チョークを指で弾いて黒板の淵に戻した。灯りの反射で黒板に浮かぶ、自分の影が揺れている。その揺れが、どこか頼りなく、少しだけ小さく見えた。
「……真実を語るとは、なんと誠実で、なんと愚かな選択か、とは思うがね……。だが、ここまで悩み抜いたのだ。私も、異論も後悔もないよ」
誰かが返すことはなかった。だから私は、自分にだけ聞こえるように、小さく呟いた。
「もし、それで彼女が、私を憎んでもいい。嫌っても、いい。だが、“それでも選んだ”と、言えるように」
会議室の扉が、軋んだ音を立てた。
ラスカヴァが先に立ち上がり、タイトスカートの裾を整えて歩き出す。その背に続いて、他のエモツェたちも順に退出していった。
それぞれが、誰にも何も言わず。だが、その沈黙には意思がある。
それは、明確な“バトンの受け渡し”だ。この街を"支え導いてきた者たち"から、“伝える役割を持つ者"へと……。
会議室には、私ひとりが残された。冷たい木の椅子に腰を下ろし、私はしばらく、指先に残るチョークの粉を見つめていた。
――あの子に、何を、どう伝えるべきか。どこまで語り、どこで言葉を止めるか。
嘘をつかないことと、すべてを伝えることは、似て非なる。
「……さて」
立ち上がった私の足音が、木板の床に、静かに響いた。
ここからが……私に課せられた“あの子のパパ”としての、最後の役割の最初の一歩。
“この夢の終わり”を告げる者として、それでも“目覚めの朝”に繋げる希望を、渡せる存在であるために。
そのために、いま私は会議室の扉を開ける……。
――第83景へ……




