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太平洋戦争の時代に戻った俺、真空管から日本を立て直します  作者: Diamond ruler


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第60話 机の上で早く見えたものは、海の上でも少しだけ早く間に合う

夕方が近づく頃、試験棟の空気は朝とは別の緊張を帯びていた。


朝の緊張は、始まる前のものだった。

午後のそれは違う。

いったん動き始めた流れが、このまま保つのか、それともどこかで崩れるのかを見守る緊張だ。


机の上には、監視所、受理卓、飛行隊、艦上、そして工場からの紙が同じ重さで並んでいる。

どこか一枚だけを見ても、もう意味は薄い。

つながりで見なければ、何が良くて何が悪いのか分からなくなっていた。


葛城が海図の横へ新しい短報を置いた。


「艦上からだ」


榊が受け取る。


未確認方位報に基づき補助索敵寄せ。

主索敵線維持。

前回より索敵空白時間減。


紙の文面は静かだ。

だが、その最後の一行だけが、ひどく生々しかった。


索敵空白時間減。


数字ではない。

それでも、何が起きたかは分かる。

見えていない時間が少し短くなったのだ。


伊集院が横からのぞき込む。


「嫌なほど地味だな」


「でも大きいです」


榊はそう言った。


「空白が減るってことは、見えてないあいだに次の準備だけは進められるってことなので」


村瀬少佐が頷く。


「艦上でも、“確報が来るまで静止”ではなくなってきた」


黒川が短く続ける。


「止まる時間が減った」


その言い方がいちばん正確だった。


速度が上がったというより、止まる時間が減った。

それが今の変化なのだろう。



艦上の作戦室では、短報が来るたびに海図の上の指がわずかに動いていた。


若い参謀が新しい報を置く。


「方位二一、未確認。見張り未了。前回群と近接」


年かさの参謀は紙へ目を落とし、以前のようにすぐ結論を求めなかった。

代わりに海図を見る。


「補助線だけ寄せるか」


若い参謀が答える。


「寄せるべきだと思います。主線はそのままで」


「根拠は」


「未確認です。

ですが、連続性があります。

確報を待つなら、その間の空白がまたできます」


年かさの参謀はまだ苦い顔をしていた。

それでも、前ならここで止まっていたはずの会話が、そのまま次の問いへ流れる。


「寄せたあと、取消なら」


「即戻します」


「追認なら」


「そのまま幅を広げます」


艦長は短く言った。


「寄せろ」


命令は、それだけだった。

作戦室の空気に大きな変化はない。

やはり重いし、やはり慎重だ。

だが以前と違うのは、慎重さが停止ではなく段階になり始めていることだった。


年かさの参謀が、海図へ引かれた細い補助線を見ながらぽつりと言う。


「昔なら、こんな半端な寄せ方は嫌っただろうな」


若い参謀が答える。


「今も好きではありません」


「だがやる」


「やらないと、その間が消えるので」


艦長は海図から目を離さないまま言う。


「好き嫌いでなく、間に合うかどうかだ」


その言葉で、室内はまた静かになった。



沿岸第一監視所でも、止まる時間の減り方ははっきり見えていた。


若い電探員は、反応を見たあと以前のように一拍置かなくなっている。

完全に迷わないわけではない。

だが迷っているあいだも、口の中ではもう定型が先に形になっていた。


「方位〇八、一次報告、見張り確認未了」


記録係が書く。

当直士官が返す。


「受理、追認待ち」


そこへ見張り員の声。


「視認なし、継続!」


「了解、継続!」


やり取りの往復が前より短い。

言葉が減ったのではない。

言い換えが減ったのだ。


記録係が紙を見ながら言う。


「最近、消し跡が減ったな」


若い電探員は表示から目を離さずに答えた。


「最初の言い方で通るから」


「前は、言い直してた」


「前は、言いながら自分でも半分迷ってた」


記録係は笑うでもなく言った。


「今は」


「迷ってても出す」


その言い方が、もうこの監視所の普通になり始めていた。


報告は、迷いが終わってから出すものではない。

迷いを抱えたまま次へ渡すものだ。

その意識の変化は、言葉の短さより、紙の消し跡の少なさに出ていた。



第二監視所でも、変化は遅いが進んでいた。


当直士官は相変わらず慎重だ。

しかし、前みたいに反応を見るたび毎回再確認を先に置くわけではなくなってきた。


「方位……一次報告」


若い電探員が言う。

当直士官は一瞬だけ迷い、それから頷く。


「上げろ」


その一拍の遅れはまだ残る。

だが、一拍で済んでいること自体が以前とは違った。


見張り員が外から叫ぶ。


「まだ見えん!」


当直士官は低く返す。


「いい、追え!」


若い電探員は、その返答を聞いてほんの少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。

完全に変わったわけではない。

だが“見えないなら止める”から、“見えなくても追う”へ半歩だけ移っている。


この半歩が、あとでどれだけ大きいかは、もう誰もが知り始めていた。


記録係が小さく言う。


「昔なら、ここで紙が寝てた」


当直士官は紙から目を上げずに答えた。


「今も寝たい」


それは初めて聞く種類の本音だった。

記録係も電探員も、一瞬だけ顔を上げた。


当直士官は低く続ける。


「だが、寝かせると後ろが全部重くなる」


誰も何も言わなかった。

たぶんその一言が、この監視所にとっていちばん大きい変化だった。



飛行隊の待機所では、報告が早く流れることで“余計に回さなくて済む”時間が増えていた。


整備長が暖機対象の機体だけを見ながら言う。


「予備はまだ動かすな」


若い整備兵が答える。


「はい」


中尉が受話器越しに問う。


「追認の気配は」


「継続中」


「なら暖機維持。前へはまだ」


飛行長の少佐は、そのやり取りを黙って聞いていた。

以前なら、こういう半端な段階で落ち着いていられなかったかもしれない。

だが今は違う。

何もしていないのではない。

暖機という形で、すでに一段目は動いている。

だから、追認待ちの時間そのものが前より軽い。


少佐がぽつりと言う。


「机の上で早く見えるようになると、海の上での待ち方まで変わるな」


中尉が振り向く。


「待ち方、ですか」


「そうだ。

前は、確報が来るまで何もできずに詰まっていた。

今は違う。

暖機だけでも先に入っていれば、待ち時間がそのまま損にはならん」


整備長が短く頷いた。


「現場はそれが一番助かります」


若い整備兵が思わず言う。


「動いてないのに、動いてる感じですね」


少佐は小さく笑った。


「いい表現だ」


まさにその通りだった。


まだ発進ではない。

まだ結果は出ていない。

それでも暖機、前進、予備の切り分けまで進んでいるなら、時間は死んでいない。

その違いが、少しずつ隊の疲れ方を変えていく。



航空機メーカーでは、報告の形が変わったことで会議の争点まで変わり始めていた。


設計の技師が、現場から上がってきた紙を見ながら言う。


「最近、問い合わせの内容が変わったな」


生産側の責任者が答える。


「どう変わりました」


「前は、速力はどうだ、上昇性能はどうだ、そういう話が多かった。

今は、暖機に何分、帰投後確認に何分、再投入まで何分……そういう聞き方ばかりだ」


技官が静かに言う。


「現場が欲しがっているのは、飛ぶ性能だけではなく、回る時間なんでしょう」


設計の技師は苦い顔をした。


「夢が狭くなるな」


「逆です」


責任者が即座に返す。


「夢が、時間の中に降りてきただけです」


設計の技師は一瞬だけ黙った。

その言い方は嫌いではなかったのだろう。


技官は続ける。


「上は、未確認の段階でも“どこまで動かせるか”を知りたがっています。

つまり、機体の性能を単独で見ていない。

その機体が、今どれだけ早く暖機に入れ、前へ出られ、戻ってから何分で再投入できるかを見ている」


「そんな数字までいるのか」


「いるんでしょう」


責任者が言う。


「そして、そういう数字を即答できる工場だけが、この先も残ります」


部屋はまた静かになった。

戦争の会議なのに、そこに出てくる言葉はどこか工場経営や生産管理に近づき始めている。

榊がここへ来れば、たぶんすぐにその変化へ気づくだろう。



試験棟で榊は、新しい短報と問い合わせを並べながら、机の上で何かが繋がる感覚をはっきり覚えていた。


艦上では、未確認方位報を上げることで索敵空白時間が減る。

監視所では、報告の消し跡が減る。

飛行隊では、待機の段階が切れる。

メーカーでは、性能だけでなく再投入までの時間を聞かれる。


全部、別々に見えて同じだ。


早く見える。

早く渡す。

その分だけ、次を少しだけ先に始める。


その連鎖が、もう現場だけの話ではなくなっている。


葛城が後ろから言う。


「何を見ている」


「報告の形が変わると、欲しがる数字まで変わるんだなって」


「数字?」


「はい。

前は“何が起きたか”が欲しかった。

今は“次にどこまで動けるか”を聞いてくる」


村瀬少佐が静かに頷く。


「戦場では当然だな」


「でも、工場や会社でも同じですよね」


その一言に、試験棟の空気がほんの少しだけ止まった。


伊集院が先に口を開く。


「……お前、やっぱり先を見てるな」


榊は紙から目を離さないまま答えた。


「見てしまいますね」


黒川が短く言う。


「悪くない」


それ以上は誰も言わなかった。

だが、その沈黙は否定ではなかった。


戦争はまだ始まったばかりだ。

それでも、ここで変わり始めた報告の形と数字の見方は、戦後の工場や会社へ持っていけるかもしれない。


榊は新しい紙束を揃えながら、静かに思った。


机の上で早く見えたものは、海の上でも少しだけ早く間に合う。

なら、戦争のあとも同じだろう。

工場で早く見えた不具合は、製品の上でも少しだけ早く間に合う。


その当たり前が、いまこの時代ではまだ新しい。

だからこそ、残す意味がある。

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