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太平洋戦争の時代に戻った俺、真空管から日本を立て直します  作者: Diamond ruler


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第50話 同じ一分でも、届いた隊と届かなかった隊では重さが違う

朝は、もう静かではなかった。


だが騒がしいわけでもない。

騒がしくなる一歩手前で、全部が張り詰めている。

声は短い。

紙は速い。

判断だけが、前よりもむき出しで現場へ落ちてくる。


試験棟の机の上には、追認と発進準備完了の紙がまだ残っていた。

乾ききっていないインクが、今この瞬間の速さだけを示している。


葛城が新しい連絡を受け取り、ざっと目を通す。

その顔が、わずかに引き締まった。


「沿岸第一監視所、発進済み」


伊集院がすぐに続く紙を拾う。


「こっちは第二監視所……一次報告のあと、当直判断で再確認優先」


榊は顔を上げた。


来た。

同じ朝の中で、もう差が出始めている。


黒川が短く言う。


「並べろ」


二枚の紙が、机の上に横へ並ぶ。


片方は、一次報告。

追認。

暖機。

前へ。

発進。


もう片方は、一次報告。

再確認優先。

見張り待ち。

再報告。


紙の上だけ見ても、流れ方が違う。

前へ流れる紙と、その場で一度沈む紙。

その差は、わずか数行にしか見えない。

だが、榊にはそれが時間の差に見えた。


「……やっぱり出ますね」


榊が低く言うと、村瀬少佐が頷く。


「出る。ここから先は、もうはっきり出る」


その言葉には、安堵も落胆も両方混じっていた。


見たかった差だ。

見たくなかった差でもある。


第一監視所では、若い電探員がすでに次の記録へ移っていた。


最初の一次報告。

追認。

発進準備完了。

そして発進。


紙に書けば数行だ。

だが、その数行が流れたという事実は、そこにいる全員の身体へ別の確信を落としていた。


見張り員が外から戻り、短く言う。


「さっきの方位、もう見えん」


当直士官が振り返る。


「消えたか」


「いや、こっちからの視認が難しいだけかもしれん」


「いい。追認は上がっている」


電探員は機器から目を離さずにいた。

自分の中に、変な静けさが残っている。


怖くなかったわけではない。

一次報告の時も、追認の時も、指先は冷えていた。

だがそれでも声は出た。

記録係も止まらなかった。

当直士官も、途中で“もう一度見ろ”とは言わなかった。


それだけで、景色は前よりずいぶん違う。


記録係が小さく呟く。


「前なら、ここでまだ揉めてたな」


電探員はほんの少しだけ笑った。


「たぶん」


「今も揉めてないわけじゃないけどな」


「でも、止まってはない」


その一言に、二人ともそれ以上は何も言わなかった。

言葉にしなくても分かることが、今朝は多かった。


一方、第二監視所では、空気がまだ古い重さを引きずっていた。


反応あり。

ただし弱い。

見張り未確認。

一次報告の札は机の上にある。

定型も頭に入っている。


だが当直士官は、一瞬だけ言葉を飲み込んだ。


「再確認」


その一言で、流れはそこで一度沈む。


若い電探員は機器へ視線を戻しながら、喉の奥が少し苦くなるのを感じた。

間違いではない。

再確認自体は正しい。

だが、その再確認を上げる前に置いたことで、今また時間が落ちる。


記録係が、追認欄ではなく再確認欄へ鉛筆を置いた。

それだけで、紙の重さが変わる。


外の見張り員が声を飛ばす。


「まだ拾えん!」


当直士官は机を見たまま言う。


「もう一度、尾を見ろ」


電探員は答える。


「尾は小さめです」


「強さは」


「弱」


「……再確認継続」


その一拍が、榊のいないその場でもはっきりと時間を落としていた。


試験棟では、二つの流れが同時に紙へ現れ始めていた。


葛城が第一監視所の紙を押さえる。


「こっちは流れ切った」


伊集院が第二監視所の紙を叩く。


「こっちはまだ古い」


「古い、というより」


榊は少しだけ言葉を選んだ。


「最後の優先順位がまだ切り替わってない」


黒川が短く頷く。


「そうだ。確認を捨ててはいない。だが、確認を前に置きすぎている」


村瀬少佐が机へ指を置いた。


「だから一次報告が骨格にならない」


その通りだった。


今までやってきたことは、確認を軽くすることではない。

確認を段階に分けることだった。

未確認の段階でも一次報告は上げる。

追認で閉じる。

取消でも閉じる。

それをやって初めて、確認が流れの中へ入る。


だが第二監視所は、まだその最後のところで

確認してから上げる

へ引き戻されている。


榊はその紙を見ながら、どうしても胸の奥が重くなるのを止められなかった。


「同じ朝なんですけどね」


葛城が低く言う。


「同じ朝だからこそ、差が見える」


その言葉が痛かった。


同じ朝。

同じ海。

同じような機器。

同じように短い紙。

それでも、届いた隊と届かなかった隊では、一分の重さが違う。


飛行隊の待機所では、発進した機のあとに残った静けさが妙に薄かった。


一度動いた空気は、完全には元へ戻らない。

整備長は次の機体の位置を見直し、若い中尉は受話器を握ったまま次の報を待っている。

飛行長の少佐だけが、少しだけ長く外を見ていた。


「どうです」


中尉が聞く。


少佐は視線を戻さずに答える。


「前よりましだ」


それは、この人から出る最大級の評価に近かった。


整備長も低く言う。


「暖機を前倒しで刻んだ分、機体の無駄な全力待機が減ってます」


「空振りでも傷み方が違うか」


「違います」


中尉はまだ完全には納得しきった顔ではなかったが、それでも言った。


「……一分違うだけでも、こう違うんですね」


少佐がそこでようやくこちらを見た。


「違う。

そして、その一分は最初の一報をどう扱うかで決まる」


その一言で、電探から飛行隊までの線が、ようやく本当に一本へ繋がった気がした。


試験棟へ、第二監視所から遅れて追認が入る。


だが、その時にはすでに流れの重さが違っていた。


葛城が受け取り、静かに言う。


「遅い」


伊集院も頷く。


「上がらないよりはましだ。だが遅い」


榊はその紙を見て、初めてはっきりと理解した。


改善は、効くか効かないかではない。

同じものが、どれだけ早く届くかで差になる。


第二監視所も、まったく何もしていないわけではない。

電探は見ている。

見張りも見ている。

追認も最終的には上がる。


だが、一次報告の扱い方が違うだけで、その全部の時間がずれる。


そして、ずれた時間はそのまま飛行隊の暖機と発進へずれていく。


――《局所改善が時間差として顕在化しています》――


(……そうだな)


――《性能差ではなく反応差です》――


性能差ではなく、反応差。

その表現はひどく腑に落ちた。


物量差は大きい。

資源差も埋められない。

だが、反応差なら削れる。

それが今朝、現実の紙の上へ出ていた。


海の向こうでは、別の空もまた動いていた。


若い搭乗員は、甲板の風に頬を打たれながら前だけを見ていた。

もう余計な会話はない。

整備兵も、古参も、皆それぞれの仕事へ沈んでいる。


ただ、静かなだけではない。

静けさの中に、覚悟が固まり始めている。


古参が一度だけ言う。


「戻れたら、酒だな」


若い搭乗員はかすかに笑った。


「戻れたら、ですね」


「戻れたらだ」


それ以上は続かない。

続けない方がいい話だった。


遠くで命令が飛ぶ。

短い。

必要なことしか言わない。


その短さの中に、もう全部が入っている。


東京では、海軍側の男が新しい短報を読み終え、机へ置いた。


外務の男がその顔を見る。


「現場は」


「動いている」


「うまく、ですか」


海軍側の男は少しだけ目を閉じた。


「場所による」


その答えが、いまの全てだった。


うまく動く場所。

まだ遅れる場所。

骨が残った場所。

空気だけが古い場所。


国家というものは、こういう不揃いさを抱えたまま動くのだと、外務の男ももう分かっていた。

外交の紙の上で整って見えるものも、現場へ降りる頃には必ず濃淡を持つ。


「それでも、もう止まりませんね」


若い書記官がそう言うと、海軍側の男は静かに頷いた。


「止まらん」


その一言は重く、しかし妙に乾いていた。


試験棟の机の上には、第一監視所と第二監視所の紙が並んでいた。


同じ朝。

同じ一報。

同じような追認。

だが、一分の重さは違う。


榊はその二枚を見ながら、ようやく分かってきた気がした。


勝つか負けるかという大きな話の前に、まず

どれだけ遅らせずに動けるか

がある。


その差は、派手な戦果には見えない。

だが現場の空と海では、その一分が別の意味を持つ。


「残しておけ」


黒川が短く言う。


「この二枚、ですか」


「そうだ」


「比較記録として」


「それだけじゃない」


黒川は二枚の紙を見たまま続けた。


「あとで、何が効いて何が届かなかったかを忘れんためだ」


榊は静かに頷いた。


はい、と返す声は、思ったより落ち着いていた。


同じ一分でも、届いた隊と届かなかった隊では重さが違う。

その当たり前を、もう見なかったことにはできない。


そして、その差を少しでも次に繋げるために、記録は残さなければならない。


流れを残す。

骨を残す。

比較を残す。


たぶんそれが、戦争の中で技術屋ができるいちばん現実的な抵抗なのだろう。

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