北部会戦 第一巻 『突出 ― 第七機械化師団作戦記録』
架空戦記。趣味100%
俺TUEEEは蒸発しました。
多分エタります。
一九四三年、オスト東方大陸北部。
帝国陸軍第七機械化師団は、敵中深く二百キロに突出していた。
地図の上では、鮮やかな楔だった。
参謀本部の壁面地図では、青い矢印が美しく敵戦線を裂いている。
だが補給参謀・岸田少佐の机の上には、色も形もない数字だけがあった。
*
突出
ガソリン残量、三日分。
砲弾在庫、一会戦分。
小銃弾は比較的潤沢だが、機関銃弾は六割。
兵糧、五日分。ただし乾パン中心。塩の消費が想定を超過。
トラックの稼働率、五八%。
「勝っているのは地図の上だけだ」
岸田は番茶の出涸らしをすすった。茶葉は三度目だ。
それでも司令部は恵まれている。前線では真水が足りず、泥水を濾して煮沸し、それでも赤痢が出始めていた。
戦場で兵が死ぬ理由は三つある。弾丸、飢餓、病。
この地では三番目が一番静かに、しかし確実に人員を削る。
日々の損耗報告は、戦闘よりも腸炎の欄が長くなりつつあった。
それも計算に入れなければならない。
*
問題は鉄道だった。
敵国の鉄道は広軌。帝国は標準軌。
占領した線路はそのままでは使えない。
工兵連隊が枕木を外し、レールをずらし、釘を打ち直す。
一日あたりの改軌可能距離は平均十五キロ。
橋梁が破壊されていればさらに減る。
師団の前進速度は、直近五日間の平均で一日二十五キロ。
「毎日十キロずつ、借金が増えていきます」
若い参謀が淡々と言った。
十日で百キロの補給空白。
その区間はすべてトラック輸送に依存する。
岸田は算盤を弾く。
現在の必要日量、三百二十トン。
うち燃料百四十トン。
砲弾百トン。
糧秣四十トン。
その他、部品・医薬品・予備履帯。
鉄道が届いている地点までは問題ない。
問題はその先だ。
*
軍用トラック一台の積載量は二・五トン。
理論上は、だ。
未舗装の黒土路を往復四百キロ。
雨が降れば轍は溝となり、晴れれば粉塵がキャブレターを詰まらせる。
平均故障率は一往復で一五%。
三往復で三割が整備待ちに回る。
補給のための燃料消費は、距離が伸びるほど指数関数的に増える。
前線に百トン届けるために、後方では百三十トンが消える。
燃料を運ぶために燃料を焼く。
それが機械化部隊の宿命だ。
「このままでは、あと七日で実質輸送不能になります」
岸田は言った。
だが前線では違う言語が話されている。
*
歩兵第十九連隊長が司令部に現れた。
右耳は吹き飛び、包帯の下からまだ血が滲んでいる。
泥と煤で黒くなった軍服のまま、机を叩いた。
「敵は潰走している。今こそ追撃すべきだ」
前線では敵の背中が見えている。
兵士は勢いに乗っている。
止めれば士気が落ちる、と彼は言う。
岸田は答える。
「追撃は可能です。ただし、弾薬が尽きる前に敵を全滅させられるならば」
沈黙。
数字は感情を刺す。
「三日後、砲弾は底をつきます。その時、敵が反転した場合、我々は小銃と銃剣で戦車を止めることになります」
連隊長は睨みつけ、何も言わず去った。
勇敢さは称賛される。
だが勇敢さは補給車両を動かさない。
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そして雨が降った。
一時間で地面は変わる。
黒土は泥海となり、車輪は半ばまで沈む。
牽引車両を出せばさらに燃料を消費。
出さなければ輸送は止まる。
その日の輸送達成率、六三%。
翌日は五四%。
三日目には四八%。
前線からの電報。
「砲弾残量二割。攻勢限界迫る。敵機甲部隊集結の兆候あり」
岸田は煙草に手を伸ばし、途中で止めた。
燃料一リットル、弾一発、乾パン一枚。
それが今の価値だ。
「全軍停止。防御陣地構築。鉄道改軌を最優先」
師団長は長い沈黙の後、頷いた。
その夜、前線から怒号混じりの無線が飛び交った。
だが命令は変わらない。
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三日後、敵機甲軍団が反撃した。
もし突出を続けていれば、燃料切れの戦車は草原に並ぶ棺桶だった。
だが今、戦車は規定量の七割の燃料を保持し、砲弾も最低限は確保されている。
防御戦は激しかったが、持ちこたえた。
損耗率は三日間で五%。
想定内だ。
岸田は戦況図ではなく、消費曲線を見ていた。
曲線は持ち直し始めている。
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停止した十日間で、鉄道は百五十キロ延伸された。
橋梁二箇所を追加仮設。
前進集積地を三段階に再編。
燃料備蓄、五日分へ回復。
砲弾、八割。
糧秣、七日分。
トラック稼働率、七二%まで改善。
兵站線が太ると、戦力は突然現実味を帯びる。
数字が整うと、人は落ち着く。
*
再攻勢は静かに始まった。
前進速度は一日十五キロ。
鉄道延伸と歩調を合わせる。
借金を作らない進撃。
派手さはない。
新聞受けもしない。
だが崩れない。
敵は自ら補給に失敗し、後退した。
鹵獲した倉庫には腐った食糧と空の燃料ドラム缶。
敵も同じ計算に敗れたのだ。
*
戦後、新聞は書いた。
「第七師団、堅実なる進撃で敵を圧迫」
堅実。
岸田は最終報告書をまとめる。
日量三百トンの安定輸送確保。
輸送効率改善一三%。
総損耗率一割二分。そのうち戦闘損失六割、疾病四割。
彼は最後に一行を加えた。
「本作戦の決定的要因は、改軌速度の維持にあり」
英雄の名は勲章とともに記録される。
だが倉庫の棚に収まる報告書には、数字しか残らない。
戦争は政治で始まるかもしれない。
だが終わりを決めるのは、在庫だ。
そして在庫は、誰も拍手しない場所で積み上げられる。




