第10話 風邪を引きました
翌朝は、アミュに起こされる前に目が覚めた。
ものすごく寒くて。
なんだか頭も痛いし、気のせいか身体の節々も痛い。
喉も痛い。ちょっと腫れてるかもしれない。
とりあえず、着替えてお水をもらいに行こうと立ち上がったのだけど、ぐわん、とひどい頭痛に襲われて動けなくなってしまった。
「参ったなぁ」
口から出た声は、掠れていた。
「ルリちゃ、どうしたの?」
ふと見ると、ふわふわボディのアミュが、こちらを心配そうに見上げていた。
天使だ。
天使がいる。
「ルリちゃ?」
「あー、ごめんね?ちょっと体調が悪いの。申し訳ないけど、ルージュさんにお水もらってきてくれるかな」
「いたいいたいなの?大変なの。すぐ行くです」
アミュが部屋を出ていったので、私は少しでも暖を取る為に、布団をかぶったまま、暖炉のそばにずるずると移動した。
(だめだ。全然暖まらない。むしろ寒気が増してる)
膝に頭を付けて蹲っていると、バタバタと足音が聞こえた。
勢い良く開けられるドア。
「ルリ!どこが痛い?苦しいか?熱は……高いな。寒いかもしれないけど、ベッドに戻れ。食欲はあるか?吐き気は大丈夫か?」
怒涛の勢いで、師匠が話しかけてくる。
ありがたいけど、少し頭に響く。
師匠は、また私をお姫様だっこして、ベッドの中に押し込んだ。
と思ったら、すぐに出ていって、びっくりするくらい早く戻ってきた。
「布団、それだけじゃ寒いだろ?もう一枚かけとけ。それから、水も持ってきた。少量の塩と砂糖、それに果汁が入ってる。身体にいいから飲め」
どうやら、掛け布団と、スポーツドリンク的な物を持ってきてくれたらしい。
喉が渇いていたので、ありがたく飲ませてもらう。
体中に染み渡るみたいだ。
「何か食えそうか?なんでもいいぞ。食いたいもの言ってみろ」
偉そうに言っているけど、作るのはきっと師匠ではなく、ルージュさんだ。
それにしても、食べたいもの、か。
喉も少し腫れてる感じがするし、のどごしの良いもので、消化にも良いものがいいよね。
元の世界だったら、卵がゆとか、クタクタに煮込んだうどんを食べてたんだけど、料理名を言って通じるだろうか。
「ええっと」
「なんだ」
「お粥か、うどんがいいです。量は少なめで」
「オカユかウドンだな。わかった!」
食い気味に答えて、師匠はまた部屋を出ていった。
ルージュさんはお米の使い方をよく知っているみたいだったから、お粥なら作ってもらえるかもしれない。
それから、私はまたウトウトと半分眠っていた。
どれくらい眠っていたのかわからないけど、元の世界の家族や友人、同僚の夢を見ていた。
途中で、師匠の声が聞こえた気がする。
額には、ひんやりした感触。
まぶたに触れる柔らかな何か。
眠くて目は開けられなかったけど、その後は、もう、元の世界の夢は見なかった。
次に目が覚めたときには、布団から出た私の片手を、師匠が握っていた。
柔らかなタオルで、顔や首元の汗を拭ってくれる。
「起きたか。ルージュがオカユを作ったぞ。食うか?」
「はい」
師匠が、座っている自分の膝の上に深皿を置く。
中はちゃんとした卵がゆだった。
スプーンで一匙掬うと、私の口元に持ってくる。
これはアレでしょうか。
世の中のバカップルがするという、あーん、でしょうか。
戸惑っている私の口に、スプーンをツンツンと当てられる。
仕方なく口を開くと、すかさずスプーンが入ってきた。
「一人で食べられますよ?」
「いいから甘えとけ。病人は甘えるもんなんだよ」
そう言う師匠の顔は、優しい。
「昨日、長いこと外にいたのが悪かったな。悪い」
「師匠のせいじゃ、ないですよ」
「いや。ただでさえお前はまだ魂の状態が不安定な上、新しい環境にも馴染めてない。俺がちゃんと、気にかけてやるべきだった」
本当に悔やんでいる様子の師匠に、それ以上何も言えなかった。
でも、少しでも師匠の気持ちが明るくなるといいな、と思って、自分から口を開けてみた。
正直、一世一代の勇気を振り絞った気分だ。
師匠は一瞬目を見開いたけど、すぐに優しい表情に戻って、私におかゆを食べさせてくれた。
全部は食べ切れなかったのが勿体無いけど、これ以上は身体が受け付けない。
師匠もそのことをわかっているみたいで、お粥をテーブルの上に移した。
「熱の他の症状を教えてくれ」
「えっと、喉の痛みと、頭痛です」
それを聞いた師匠が、また何処からともなく小さな紙包みを取り出す。
もう、このパターンは慣れた。
「熱は無理に下げないほうがいいから、熱冷ましは出さないが、滋養強壮の薬と、抗炎症鎮痛剤だ。飲め」
水と一緒に渡されたので、素直に薬を口に含んだ瞬間、あまりの不味さに吹き出しそうになった。
苦い?
いや、それだけじゃないな。
エグみもあるし、ミントみたいな味もする。
全部が合わさって、とんでもなく不味い。
必死で水で流し込むと、師匠は満足そうに笑った。
「また眠くなるだろうから、横になっとけ。心配しなくても、ちゃんとそばにいてやるから」
病気の時に一人だと、ものすごく人恋しくなる。
独り暮らしの時に、何度か風邪やインフルエンザで寝込んだときは、あまりの寂しさに泣いてしまったほどだ。
だから、師匠がそばにいてくれるって、本当に嬉しい。
へへっ、と笑うと、頭をグリグリ撫でられた。
そのまま目を閉じて、またウトウトし始めたとき、小さな話し声が聞こえてきた。
「あるじ様。ルリちゃ、大丈夫ですか?」
「しーっ、アミュ。ルリ寝てるからな。ちゃんと薬ものんだし、すぐに良くなる」
「ルリちゃ、ねんね?」
「そう。寝てる。ああ、安眠魔法をかけておかないとな。さっきはうっかりかけ忘れて、泣かせちまったから」
師匠と、アミュの会話。
目を閉じてなんとなく聞いていたら、森林の匂いがして、まぶたに柔らかな何かが触れた。
さっきと、同じだ。
「ルリちゃ、これでこわい夢みない?」
「おぅ。もう大丈夫だ。普段も、これやると大人しく寝てるだろ?」
熱のせいで、頭が働いていない。
でも。
師匠は、私が夢を見て泣かないように、魔法をかけてくれていた。
ここに来てからずっと。
きっと、知らなかったのは私だけだ。
師匠の優しさに、違う意味で涙が出そうになる。
それにしても。
まぶたに触れたアレは、もしかしてもしかしなくても、師匠の唇だろうか。
なんだろう。
ものすごく恥ずかしい。
私の手を握っていた師匠の手が、離れていくのを感じて、私はぎゅっと師匠の手を握りしめた。
ここにいてほしい。
ずっと、手を握っていてほしい。
眠りの淵で、願う。
師匠の手が、また私の手をちゃんと握ってくれたことを確認して、私は今度こそ、深い眠りに落ちた。