四話 一年後
ヴィリと出会った時から一年が経過していた。
あれからヴィリには会えていない。考えてみれば、貴族と平民にそうそう接点などあるはずもないのだ。
それでも貝を採りに行くたびに、空を飛んでいないか、海に落ちていないかと、つい見てしまう。
――パラグライダーは完成したのかなあ。
いつか、タウゼントに入ったら、ジーゲル学園長に聞いてみよう。
「クルト!」
素潜りの帰り、私は今日も今日とてクルトの仕事場に寄った。休憩中のクルトは運河のへりに腰をかけ、アプフェルを齧っている。
「よお」
クルトの昼食はいつも果物が一つとパンが半分だ。食べ盛りのはずなのに。心配になって貝を分けようとしても、「いらねえよ。売り物だろーが」と言って決して受け取ってくれない。そこで私は考えた。売り物にならないものならいいんじゃん、と。
「今日はいいものを持ってきました」
そう言うとクルトは露骨に嫌そうな顔をする。
「お前、また変なもの持ってきたんじゃねえだろうな」
「変なものとは失礼な。前回のあれ、美味しかったでしょ?」
クルトはなんとも言えない顔になった。
「確かに……味は悪くなかった」
あれ、とはタコのことである。この国ではタコはその見た目から嫌われ食用とされていないのだ。
「だけどなあ、調理前の姿は母さんには絶対に見せられねえ」
クルトの母は病弱だ。たった一人の家族である母親のことをクルトはいつも気にかけていた。
「足がいっぱいあるのがダメなんだよね? 今回のは0本だから、問題なし!」
私は貝が入った袋の中から、それを取り出した。
「ほら」
「……お前、これ」
クルトは私の掌の上に乗っているものを見て、半眼になった。
「ナマコです! 切って洗って酢につけるだけで驚きの美味!」
前世の私の好物である。実は以前から一人でこっそり作って食べていた。
「お前が言うんだから食えるんだろうけど。前世ってのはよっぽど過酷な世界だったんだな」
憐憫の目で見られた。
「そーでもないよー」
前に、鉄の塊が空を飛んでいるとか、一発で都市が壊滅する兵器があるだなんて話したものだから、とんだ修羅の国に生きていたと思われているらしい。
「ここに置いとくね」
ナマコを網に入れて水路の縁に引っ掛けておく。
「いつも悪いな」
「いいってことよ」
クルトが立ち上がる。その姿を見てあれ?と思った。
「また背が伸びた?」
クルトは一瞬明後日の方向を見て、それから私に視線を向けるとにやりと笑った。
「ちょっと、こっち来いよ」
手を差し出され、掴むと一気に引き上げられる。
波に揺られていたせいで、しっかりとした地面の感触に戸惑って、踏鞴を踏む。
「おっと」
傾ぐ体をクルトがもう片方の腕で支えた。自然と向き合う形になる。いや、抱き合うと言った方が近い。
緑にヘーゼルが混じった瞳が私を見下ろしていた。
(……ん?)
思わず、足元を確認する。
「背伸びしてない……。クルト、私より高くなってる!?」
栄養不足のせいかクルトはずっと小さかった。それが僅かだが、クルトの方が目線が上になっているのだ。
「まず不正を疑うってのはどうなんだよ」
クルトは不満げに呟いた。
「はは、ごめん」
いや、ずっと気にしてたの知ってたからつい。
「力もついてきたしな。ほら」
クルトは繋いでいた手を離すと両手で私の腰を掴み、一気に持ち上げる。
「ひゃっ」
そのままくるくると回された。
「ちょっと、落ちる。落ちるってば!」
「落とすかよ」
そう、クルトは言ったのに。
私がもがいたのがいけなかったのか、クルトの力がまだ足りなかったのか、あるいはその両方か。
クルトは見事に姿勢を崩し、私を回しながら運河によろめいたかと思うと、二人揃って見事に落ちた。
盛大に水しぶきが上がる。なんだなんだ、と見にきた人々が、水から顔を出す二人の子供を見て、笑って去っていく。
「……クルト。また濡れたんだけど」
「お前が暴れんのが悪い」
「クルトがいきなり回すのがいけないんでしょ!」
「あーあ、びっしょびしょ」
文句を言いながら水路から這い上がる。哀れ濡れ鼠が二匹。しかし私の水魔法は日々進化しているのだ。
ぱちんと指を鳴らす。
「おわっ……乾いてる?」
「ふふふ、衣服の繊維の中の水分を飛ばしました」
鼻高々に言うとクルトは若干引いていた。
「お前の水魔法はほんとーに常識外れだな」
「天才だからね」
もともとある水魔法の素質に前世の知識が足されているのだ。
「助かったよ。そろそろ仕事に戻るかー。ナマコもありがとな」
クルトはそう言って後ろでに手をふる。
「また明日!」
私は幼馴染の後ろ姿に声をかけた。
まさかこれがクルトとの長い別れになるとは、夢にも思わずに――