独りでも
―自室 夜―
「み、美月……」
何故だろう、受話器を持つこの手が小刻みに震えている。二カ月ぶりくらいに聞いた声。
僕はこの女性を、とても恐れている。そんな彼女の名前は宝生 美月、僕の一歳年上の姉上である。
「まったく、巽のせいでこっちは昨日から大騒ぎよ。大人なんだから、いい加減大人の対応って奴を覚えたらどう?」
「父上……いや、父上と母上はこのことで何か言ってた?」
「母さんは、『巽が外に出るのが怖くなっていたらどうしましょう。今すぐ、私が抱き締めてあげたいわ』って言いながら涙を流してたわ。父さんは特にその時は何も。あ、だけど今日は、く――」
「そうかい、母上には僕の代わりに謝罪しておいて。皆にも、迷惑をかけてすまなかったって伝えて」
父上は、ずっと僕には無関心だ。興味があるのは、僕が王として相応しいか相応しくないかだけ。それ以外には口を出さない。今回のことは流石に何か言われるのではと思ったが、まさか無言だったとは。あくまで、今は王ではない僕に興味などないということか。
僕は、父上がますますよく分からなくなった。ずっと厳格で、それでいて完璧なのが僕の見続け憧れていた父上だった。だけど、英国に行くと決意した時の食事で僕は初めてその像を揺るがす、父上の野菜が苦手だという意外な側面を見た。
それは、僕が恐れ尊敬している人とはまったく違っていた。冷たさより温かさを、人らしさを感じた。そして、機械のように完璧だった父上の像にヒビが入った。
「……はぁ」
少し間を置いて、美月はわざとらしくため息をついた。わざとらしいのは、美月がそうせざる得ないから。わざとらしく伝えなければ、感情を伝える手段を失ってしまった彼女の思いは誰も感じることが出来ないから。それは、電話越しなら尚更だ。
「何?」
「やっと、少し前向きになったと思ったら……呆れる。疲れてるから? ちゃんと休んでる? あんたは不器用なんだから、二つを並行しながらやるなんて今すぐやめた方がいいと思うけどね」
(どうして見抜くんだ、疲れてるって。どうして分かるんだ。頼りたくなっちゃうじゃないか……やめてくれよ……)
「……うるさいなぁ。こっちにも事情があるんだよ。僕に構わないで」
「はぁ?」
受話器の向こうから、ガラスの割れる音がした。その音に交じって、ゴンザレスの不快な声も聞こえた気がした。気がしただけということにしよう。
(窓をやったんだね。それが、大人の対応、か。美月だって子供じゃないか)
「構わないでって言ってるんだよ。頼むから……」
今、こうやってひさしぶりに電話で話して薄々と感じてきていたこと。それは、これから長い学生生活を海外で送る僕には不要な感情だった。むしろ、邪魔になる。
「もう二度とかけてこないで」
僕は出来る限り精一杯、冷たい声を絞り出して受話器を置いた。そして、僕はその場に力なく崩れ落ちてしまった。震えている、この孤独に。ひさしぶりに聞いた、懐かしい声に。
(帰りたい……帰りたいよ……)
本当は、独りが嫌だった。だけど、独りにならざるを得なかった。もう、危険なことに大切な人々を巻き込みたくはなかったから。
未知と孤独、そして自身の中から沸々と湧き上がり、徐々に大きくなっていくある欲望にも怯えながら、僕は答えを導き出さなくてはならない。そう、独りで。いや、独りでも。